第15話 アイドルをやっていた意味
数十分後、特設ステージでは歌に自信のある老若男女が、次々とステージに立ち自慢の歌声を披露していた。さすがは人前に立って歌を歌う勇気があるだけあって、出場者は皆観客たちを沸かせていた。俺は盛り上がる観客に混ざり一人、先生が出てくるのを今か今かと待っていた。そして、カラオケ大会も終盤に差し掛かったとき、司会者の口にした名前に俺は驚愕する。
「さて、後半戦もいよいよ残すところあとわずかとなりました。次の出場者はエントリーナンバー20番、教職員で趣味は歌を歌うこと近本さくら子さんですっ!!」
そんな自己紹介とともに水着姿の先生がステージに現れて、観客、特に男性客を中心にわっと盛り上がる。先生はどこにいたってみんなのアイドルらしい。
ん? ちょっと待て、今なんか近本とか聞こえたような気がするんだが……。
「エントリーナンバー20番近本さくら子。歌は『ひと夏の経験』です」
先生のその言葉とともに会場に昭和の代表的歌謡曲のイントロが流れ始める。が、盛り上がる観衆の中、俺は一人呆然と立ち尽くす。いや、冷静に考えれば先生が本名を口にするのは元アイドルという過去がある以上、色々と面倒なことがあるため、とっさに俺の名前を拝借したのだろう。が、それでも俺の名字と先生の名前を合体させたような名前に俺は内心ドキドキせずにはいられない。
が、そんな俺の動揺も先生の歌声が披露されるとともに吹き飛んだ。
先生はいつものように透き通った声で誰もが知るその名曲を歌い始める。その声に俺は全ての思考が吹き飛んで夢中になった。先生の歌声にはそれほどに人々を魅了する力があった。さっきまで水着姿の先生に「やべ、あの子超可愛いじゃん」「おい、終わったらお前声かけて来いよっ」などと盛り上がっていた若い男たちも、そのあまりの歌声に会話するのを止めて先生の歌声に夢中になって聞き入っていた。
きっと曲の長さは数分ほどだっただろう。その間、あれほどに盛り上がっていた会場はしんと静まり返り、曲が終わってしばらくの沈黙ののちに、会場からはこれまでにない大きな拍手喝さいがこだました。
マイクを持った先生はどこまでもアイドルだった。もちろん、その美しさは誰も文句がつけられないほどに完ぺきだったが、先生の歌声は唯一無二、マイクを握った先生はどんなときよりも輝いていた。
そんな先生を眺めながら俺は思った。
彼女がいるべき場所は教室ではないのではないか……。
が、そんな考えも舞台袖にはける先生への惜しみない拍手にかき消えた。
「近本くんの名前借りちゃったっ」
数分後、俺の肩をぽんぽんと叩いて先生の声にふと我に返る。
そこにはさっきまでのアイドル織平さくらではなく、俺の担任織平さくらの姿があった。
「先生、今日はエアコンのために頑張ったよ」
少し照れたように頭を掻く先生に俺はあくまで先生織平さくらの生徒に戻る。
「先生、凄いですよっ!! これならきっとエアコンだって手に入りますよ。ってか、言われるまでエアコンのことすら忘れるほどに、先生の曲に聞き入っていました」
と、素直に自分の感想を伝えると先生はさらに照れたように頬を赤らめる。
「私を褒めても何も出ないよ。発声練習とかやってなかったから最後までちゃんと歌えるか不安だったけど、なんとかなって本当によかったよ」
と、先生はほっと胸を撫で下ろす。そんな先生の姿があまりにも健気で俺は頭の一つでも撫でてやりたい衝動にかられたが、さすがにそんな勇気はなかった。その代わりに俺は別荘から持ってきていたキンキンに冷えた麦茶を手渡す。
「ほら、疲れたでしょ。結果発表までゆっくり休んでいてください」
先生は俺から麦茶を受け取るとそれをごくごくと飲んで「はあ、一仕事終えた後に一杯は格別ですね~」と満足げに笑みを浮かべた。
そして、さらに十数分後、全ての出場者が歌い終え、再び出場者がステージの上へと集められた。
「それでは結果発表ですっ!! まずは敢闘賞の発表です」
などと優秀な成績を収めた出場者の名前が次々と読み上げられる。
そして、俺はその時初めてある重要なことを思い出し青ざめる。
確かに先生の歌声は観客を魅了して、文句のつけようのないパフォーマンスだったと思う。おそらく先生は満場一致のぶっちぎりでこのカラオケ大会に優勝するだろう。が、俺たちは優勝するためにこのカラオケ大会に参加したわけではないのだ。
「そして、栄えある優勝者は……」
司会者はついに優勝者の発表をしようとしていた。場を盛り上げるためのドラムロールが場内に流れ、ドラムロールが止まるとともに司会者は優勝者の発表をした。
「優勝はエントリーナンバー20番近本さくら子さんですっ!!」
その名前が呼ばれるとともに会場がわっと盛り上がり、他の出場者たちも先生にむかって惜しみない拍手を送った。が、どうやら先生はこの大会に優勝することが目的ではないことをすっかり忘れ去っているようで、何やら嬉しそうにそして恥ずかしそうにぺこぺこと観衆にお辞儀をしていた。
「優勝した近本さくら子さんには、なななんと!! グアム旅行ペアチケットが送られますっ!!」
と、司会者が大声で口にした瞬間、先生はようやく自分のやった失態に気がついて硬直した。
司会者からハイビスカスのネックレスを首にかけられながら、今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめている。
このままではマズイっ!!
俺は気がつくと手を上げて「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!」と大声を張り上げていた。いやぁ人間というのは窮地に追いやられると恥ずかしさがなくなるということを初めて知った。
気がつくと俺は人混みをかき分けてステージの前へと躍り出る。
「おおっと、どういうことでしょうか? 満場一致の優勝者近本さくら子さんに待ったの声がかかりましたっ!!」
俺はステージ袖の階段を駆け上がると司会者からマイクを拝借する。
「と、突然すみません。わ、私は近本さくら子さんのその……そうだ、し、親戚の者ですっ!!」
何やってんだ俺……。
と、そこで俺が今とんでもないことをやっていることにようやく気がつく。そんな俺に会場は騒然。先生も口をあんぐりと開けて俺を眺めていた。
「な、なんというかその……確かに、私の親戚のおねえさんがこのような栄えある賞を頂いて私自身もその……か、感無量なのですが……」
やばいやばい。俺、何やっちゃってんの……。
頭が真っ白になっていた。が、今更引き返すことはできない。
「なんというかその……近本さくら子さんは昔乗っていた飛行機が不時着した経験をもっており、せっかく頂いた賞なのですが……グアムに行くことができません」
俺がそう言うと会場内が騒めき始める。が、俺はそんなことは気にしない。
「そ、そこで一つ提案なのですが、準優勝をされた来月結婚式を挙げられる新婚夫婦のお二人に優勝を譲り、お二人のハネムーンとしてグアム旅行をプレゼントしたいと思うのですっ!!」
俺はそこまで言って半ば強引に司会者にマイクを返すと逃げるようにステージから飛び降りる。そんな俺の奇行に司会者は目をぱちくりさせていたが、不意に我に戻ったようで「なんということでしょうが、近本さくら子さんのご親戚の方からこのような提案が飛び出しました。今回でニ十回目を迎えるカラオケ大会でも前代未聞の出来事が起こりました」
そう言って司会者は先生の前へと歩み寄る。そして、「近本さくら子さん、親戚の方がそのように申されていますが、どうしますか?」と先生はマイクを向けられる。先生は突然の俺の奇行にあいかわらず口をあんぐりと開けていたが、しばらくして不意に我に戻るとマイクを取った。
「わ、私もその方がいいと思います。優勝はお二人に差し上げます。というか貰ってください。なんでもするのでエアコンを私たちにくださいっ」
と、準優勝したカップルに訴える。カップルは何故か優勝を自分たちに押しつけてくる先生にかなり困惑していたが、女性の方が「本当にいいんですか?」と尋ねて先生が「もちろんです」と答えると感極まったようにその場で泣き崩れた。直後、それまでしんとしていた会場がわっと湧きあがった。
「近本さくら子さんなんという人格者でしょうかっ!! 節目のニ十回大会、とんでもない感動が最後に待っていました。皆さん、近本さくら子さんにもう一度盛大な拍手をお願いいたしますっ!!」
先生は温かい拍手に送られながら舞台袖へと下がっていった。
※ ※ ※
その後、俺たちは事務員の方に住所や工事の日程などを伝えて日没直前に解放された。俺と先生はもう砂浜にはまばらにしか人は残っていないというのに、繋いでいた手を放すのも忘れて、手を繋いだまま水平線の向こうに沈む夕日を背に砂浜を歩いていた。
何はともあれ俺たちはついにエアコンを手に入れたのだ。俺は一人、去年体験した地獄のようなアパートでの夏の日がもうやってこないことに感無量だった。
そんな俺に手を引かれながら先生は黙りこんだまま歩いていた。
が、不意に「近本くん……」と俺の名を呼ぶ。
振り返るとそこには何やら感慨深げに水平線に沈む夕日を眺める先生の姿があった。
「近本くん、自分のために頑張ったことで他の人から感謝されるってなんだか変な気持ちだね」
先生はぽつりと呟く。
確かに考えてみればそうだ。俺はただ単純にエアコンが欲しくて必死に訴えかけていただけだ。グアム旅行だって、たまたま準優勝したのが新婚夫婦だったから適当な言い訳をしただけでそれ以上でも以下でもないのだ。にもかかわらず夫婦は俺たちの行いに感動して大会が終わった後も新婦の女性は泣きながら何度も俺たちにぺこぺこと頭を垂れていた。
「あんなことして本当に良かったのかな……」
先生はそんな自分の意図とは反する周りの反応に少し罪悪感のようなものを抱いていたようだ。
先生はどこまでも純粋だった。だけど、先生の行いは決して他人からどうこう言われるようなことではない。
だから、
「俺はアイドルのこととかよくわからないですが、先生はアイドルのときはただ人前に立って自分の歌をみんなが注目するのが好きだったんじゃなかったんですか?」
俺は先生が罪悪感を持ったまま帰るのは何としてでも避けたかった。
「そ、そうだよ? それがどうかしたの?」
先生は俺の言葉の意味を理解していないように不思議そうに首を傾げていた。
「先生が自分のためにアイドルをやって、その結果、お客さんがその歌声に感動する。別に誰も不幸せになっていないです。いや、それどころか先生もお客さんも幸せになっているじゃないですか?」
そこまで言って先生はハッとしたように目を見開いた。
「そ、そうだよね……」
「だから、今日、先生はきっといいことをしたんですよ」
そう言うと先生はしばらく何かを考えるように黙っていた。が、不意に笑みを浮かべると先生は俺の頭を撫でる。
「本当に近本くんはすみに置けない男の子だな……。先生を落としても課題の答えは教えてあげないぞ」
「い、いや、別にそんなつもりは――」
と、そこで先生は俺のことをぎゅっと抱きしめた。
「近本くん、今日はありがとう。先生はまさか何歳も年下の男の子にアイドルをやっていた意味を教えてもらうなんて思わなかったよ。先生今猛烈に感動してるよ」
「ま、まあ、先生のお役に立てて光栄です……」
人前で抱きしめられて俺は恥ずかしさに胸が張り裂けそうだった。そして、頬に胸が当たっている……。
先生はしばらく俺のことを抱きしめていたが、満足したのか俺から身体を離すと笑みを浮かべたまま口を開いた。
「帰って焼き肉を食べよう」
「そうですね」
俺と先生は手を繋いだまま数日ぶりのそうめん以外の食べ物に胸を躍らせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます