第14話 ひと夏の経験
それから十数分後、別荘に到着した。その間、先生はずっと俺にもたれ掛かって眠っていたのだが、それが功を奏したのか、目が覚めたときには酔いはすっかり治まったようだった。俺たちはとりあえず別荘に荷物を置いて海岸へと向かうことになったのだが、その途中に事件は起こった。
それぞれ寝室を用意されていた俺と先生はそれぞれ荷物を置いてリビングへと戻って来たのだが、リビングでは弥生さんが何やら深刻そうな顔でスマホを耳に当てていた。しばらく誰かと電話をしていた弥生さんだったが最後に「わかった今すぐに行く」と言うと電話を切った。
「どうかしたんですか?」
俺が首を傾げると弥生さんは「急患が多くて人手が足りてないらしい。悪いが私はこれから病院に戻る」と少し悲しそうな顔でそう言った。
「え? で、でも今着いたばかりですよ」
「心配するな。お前たちは別荘でゆっくりするなり海に行くなり自由にすればいい。腹が減ったら冷蔵庫の中の物でバーベキューをしてもいいぞ。明日また迎えに来る」
そう言うと弥生さんは俺に向かって鍵を投げた。そのまま彼女はカバンを掴んで本当に別荘から出て行ってしまった。
「…………」
俺たちは突然別荘に取り残されてしまった。ってか、あの人浮き輪を巻いたまま出て行ったぞ……。
突然の出来事に呆然と立ち尽くす俺と先生だったが、先生が不意に口を開く。
「せっかく弥生ちゃんが用意してくれたバカンスなんだし、目いっぱい楽しまないと失礼だよね……」
「そう……ですよね……」
確かにそれもそうだ。せっかくの休日がなくなった弥生さんは不憫に思うが、せっかくの弥生さんのおもてなしだ。ここは先生の言うようにおもてなしを目いっぱい楽しまないとむしろ弥生さんに失礼かもしれない。
「近本くん、海を見に行こうよ……」
先生は何やらそわそわしながら俺を見やった。
「いいですね。海水浴場もここから近いみたいですし、せっかくだから行きましょうよ」
そう言うと先生は嬉しそうにうんと頷いた。
「実はね、近本くんに頼みがあるんだ?」
「頼みですか?」
「ちょっと待ってて」
そう言うと先生は部屋に戻っていった。が、すぐにバッグを持って戻ってくるとバッグを弄り始めた。
「どれが一番いいか近本くんに選んで欲しいんだ……」
そう言うと先生はバッグから次々と水着を取り出していく。
「いや、そんなにたくさんいらないでしょ……」
先生は取り出した水着をテーブルの上に並べていく。そして最終的に五種類ほどの全くタイプの違う水着がテーブルに並べられた。
「どれを着ればいいか迷ってるんだよね……」
先生は少し照れたようにそう言う。
どうやらどれが一番なのか俺に選んで欲しいらしい。
「アイドルしてたときに水着で撮影することが結構あったんだけど、その時に可愛いなって思ったものはお給料から天引いてもらって買い取ってたんだ……。せっかくだから近本くんが一番可愛いなって思った物を今日は着てみるよ」
せっかくの意味はよくわからないが、とりあえず俺に選択権があるらしい。
「そんなこと言われても……」
並べられた水着はどれもそれぞれに魅力があって選べと言われても困ってしまう。
「別にどれを着ても先生によく似合うと思いますよ」
そう素直に答えると先生は少しむっとした顔をする。どうやら、どれでもいいという回答は女心を全く理解していない回答らしい。が、急にそんなことを言われてもすぐには決められない。
俺が困ったように水着を見比べていると、先生は「じっさいに着てみた方がわかりやすいかな」と少し頬を紅潮させながらそんな提案をする。
「まあ、そうかもしれませんが……」
「じゃ、じゃあ試しにこれを着てみるね」
先生はそう言うと水着を一つ掴んで部屋へと戻っていった。閉まる扉を眺めながら俺は突然の水着お披露目会に困惑していた。そして、五分ほどしたところでゆっくりと扉が開く。
先生は自分から発案しておきながら、何やら頬を真っ赤にして「ど、どうかな……」と恥ずかしそうにドアの前に立った。そして、俺はそんな先生を見た瞬間、胸がドクンと大きく脈打つのを感じた。
か、可愛い……。
先生は薄ピンク色のビキニを身に着けていた。胸の部分とスカートになっている下半身の部分にはそれぞれフリルが付いていて、いかにも女の子というような水着だった。
「さすがにこれは年齢的に無理があるかな……」
と、心配げにスカートの裾を掴みながら俯く先生だったが、その心配はおそらく杞憂だ。元々童顔気味の先生にその可愛い系の水着があまりにもマッチしていた。
「…………」
俺はその可愛さに思わず言葉を失う。そしてこれが男の性なのだろうか、気がつくと俺の視線は彼女の胸元へと向いていた。先生の胸元はその可愛らしいデザインとは裏腹に大きく膨らんで水着を内側から圧迫していた。張りのある胸の上部には天井の照明がわずかに反射していた。
俺の視線が彼女の胸元にくぎ付けになっていると、先生は少し冷めた目で俺を見やる。
「近本くん、視線がえっちになってるよ……」
「そ、そんなことないですよ……」
思わず苦笑いを浮かべる俺。
先生は「本当に?」と疑いの眼差しを俺に向けていたが、俺が「と、とにもかくにもめちゃくちゃ可愛いです。クラスの男子全員に見せてあげたいぐらいです……」と率直な感想を述べると、急に恥ずかしそうな顔をして俺から顔を背けると「く、クラスの男の子にこんな姿見せられないよ……」と小さく呟いた。
まあ、俺もクラスの男の子なんだけどな……。
どうやらいつも家にいる俺に対しては多少耐性があるのだろう。そう自分を納得させる。
「俺は多分これが一番似合うと思いますよ」
俺がそう言うと先生は「なら、これにするね……」と小さく頷いた。
※ ※ ※
それから俺も水着に着替え終えると、二人で砂浜へと繰り出した。
「凄い人だね……」
海開きを迎えて世の中の若人たちは居ても立っても居られなかったようで、海水浴場は大勢の人でひしめき合っていた。ビーチには無数のパラソルが並んでいて、そんな光景を見ていると今年も夏が始まったことを実感せずにはいられない。が、あまりに人が多すぎるため、少し目を離しただけで先生を見失ってしまいそうだ。
「はぐれないように気をつけないとね」
「そうですね。近いからスマホも置いてきちゃいましたし、はぐれたら先生のこと見つける自信は正直ないです」
「学校の子とかいないかな……」
と、そこで先生は心配そうな表情を浮かべる。
確かに俺たちが一緒にそれも海水浴場にいるところなんて見られたらただでは済まない。そこで俺は自分と先生が生徒と先生なのだということを思い出す。
が、俺はそこまで心配はしていなかった。というのも、この海水浴場は自宅から車で二時間近く離れた場所にあるのだ。別荘の関係でこんな離れたビーチに来ることになったが、俺の自宅近くにも海水浴場はいくつかある。きっとクラスの奴らはわざわざこんなに遠い場所には来ないだろう。
そのことを先生に伝えると先生は「それもそうだよね……」と少し表情が明るくなった。
俺はとりあえず少しでも人の少ないスペースを過ごして歩き始める。
と、その直後だった。
俺の手を誰かが握った。
振り返るとそこには先生が恥ずかしそうに手を口元に当てながら、伏し目がちに立っていた。そこで俺は初めて先生が俺の手を握ったことを自覚した。
そのあまりにも突然でそれでいて大胆な先生の行動に俺は思考が停止して硬直してしまう。ただただ先生の柔らかい手の感触に鼓動が早くなるのを感じた。
すると、先生は「は、はぐれると大変だからしょうがないよね……」とビーチの喧騒でかき消えてしまいそうなほどに小さな声でそう言った。
「そ、そうですよね……」
俺は震える声でそう答えるのが精いっぱいだった。
それから俺たちは手を繋いだまま、しばらくビーチを彷徨った。
その間、海の家のすぐそばを何度か通ったが、その度に「そこのカップルっ!! シャワーも使い放題だし、美味しい料理もいっぱいあるよっ!!」などと俺たちをカップルだと勘違いしている客引きが声を掛けてきたのだが「カップル」という言葉が聞こえるたびに、先生は動揺したように握っていた手がピクリとわずかに反応するのが分かった。その度に俺の鼓動がわずかに早くなる。
「ごめんね、変な勘違いされちゃってるみたいだね……」
俺に手を引かれながら歩く先生が俺の背中に向かってそう言った。
「まあビーチで手を繋いでいたら勘違いされても仕方がないですよ」
「そうだよね。手つないでたらカップルにしか見えないよね。嫌だったら手離してもいいんだよ……」
「先生の方こそ、俺なんかと無理に手なんてつながなくてもいいんですよ?」
そう言うと先生はすぐに首を横に振った。
「そ、そんなことないよ。近本くんが先導してくれるから先生助かってるよ」
「なら、もうしばらくこうしていてもいいですか?」
先生はそんな俺の言葉に少し動揺していたようだが、こくりと小さく頷くとぎゅっと握っていた手に少し力を入れた。
こんなに先生のことを異性として意識するのは初めてだった。たとえはぐれないためだったとしても、先生と生徒だったとしても、そう年の離れていない男女が手を繋いでビーチを歩いているという事実には変わりないのだ。
たった数分間、一緒に歩いているだけなのに俺には何分も何時間も長く感じられた。
「あそこ……」
と、そこで先生が唐突に口を開いた。先生を見やると先生はどこかを指さしていた。
「あれ、何かな?」
そちらへと視線を向けると、そこにはビーチをかき分けるように立つステージが立っていて、周りには人だかりが出来ていた。なにやらイベントでもやっているのだろうか、ステージの上には司会らしきマイクを持った男性の姿とその背後に『ビーチフェスタ恒例 渚のカラオケ大会』と書かれたパネルが掲げてある。
「見に行ってみますか?」
そう尋ねると先生が頷いたので、俺は先生の手を引いてステージの方へと歩き出した。
ステージに近づくにつれて人混みは激しさを増していく。俺はその隙間を何とかぬってステージ近くへとたどり着くと、ステージを見上げた。
どうやらパネルに書かれていたとおり、ステージ上ではカラオケ大会が催されているようだ。司会の男性はマイクを握りながらオーディエンスに大会の説明を続けている。俺と先生は自然と司会者に耳を傾ける。
「なんと優勝者にはグアム旅行をプレゼントいたします。ですがそれだけではありませんよ。準優勝者には大会に協賛していただいている廣神家電様から、最新式の省エネエアコンをプレゼントいたしますっ!!」
その言葉にどっと会場が盛り上がる。
そして、俺と先生は同時に顔を見合わせた。その理由はきっと同じだろう。
「ち、近本くん、エアコンだってっ!!」
案の定、先生はエアコンという言葉に反応したのだ。そう俺たちにはグアム旅行になんて全く興味がなかった。エアコン、そんな当たり前の物が俺の家にはなく、風通しも悪いため部屋は蒸し風呂状態になりつつある。そんな部屋に住む者にとってエアコンは喉から手が出るほど欲しいものだった。しかも、省エネときたら俺たちの心は揺さぶられずにはいられない。
俺は繋いでいた手を放すと、今度は先生の肩を掴んで彼女を見つめる。
「せ、先生!!」
「ひゃっ!? な、何かな……」
「俺、エアコン欲しいですっ!!」
俺はそう先生に言って視線でも訴えかける。突然の行動に先生はかなり動揺したように頬を赤らめていた。が、先生もまたエアコンが欲しいことには変わりがなかったようで「わかった。先生頑張ってみるよ」と小さく頷いた。
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