第17話 夜

 勉強したことを思い返しながら、ベッドに仰向けで寝ころんでいた心志だが、


「喉が乾いた」


 厨房で水を飲もうと部屋を出る。すると、微かに灯りが1階であかりが見えた。


 ナーニャもサンディラも、母屋に戻っているのではないかと思いながら階段を降りる。


 店の大部分のロウソクは消えていたが、1つのテーブルにだけロウソクを立てたサンディラが座っていた。


 彼女は何か書き物をしているらしく、心志には気づいていない。


 集中しているのだろうと思い、特に話しかける事もなく厨房に行こうとした。だが気配で気づいたらしく、サンディラは振り返ると微かに驚いた表情を作った。


「どうしたんだい?」


「少し喉が乾いたんで、水をもらいに」


 そう言うと、納得したように笑った。


「あぁ、そうかい。水分はしっかりとっておきな」


 それだけ言うと、彼女は再びテーブルに向き直った。


 心志は厨房で水を飲み、喉を潤して部屋に戻ろうとしたその時、サンディラの微かなため息が漏れた。


 それは勿論、心志に向けられたものではなく、彼女が視線を落としている先にあるものに対してだった。


 それはノートのように束ねられた紙の山。内容は文字と数字の羅列だった事から、心志にはある程度の目星がついた。


「帳簿ですか?」


 その言葉にサンディラは顔をあげ首を傾げた。


 もしかして、こっちの世界では帳簿という言葉ではないのかと思い、改める。


「お店のお金の計算ですか?」


 それで通じたらしく、あぁそうだよ。と返事があったが、どうにも晴れない表情だった。


「アタシはどうにも数字が苦手でね、計算が会わないんだ。こういうのは旦那にやってもらってたんだよ。あの人は頭が良くてね、計算くらいなら簡単にやってくれていたよ」


 そういって、もう一度深いため息をついた。


 以前ナーニャが言っていた父の死。


 こういう場合、何と言っていいのか心志は言葉を持ち合わせていなかった。ただ無言になるしかないかと思われたが、


「少し、ソレを見せてください」


 帳簿を指さし、何とか切り抜けた。


 サンディラから帳簿を受け取ると、空いている椅子に座った。書かれている文字を完全に読むことはできずとも数字はわかる。


 店に関係する金銭の流れは支出と売上が基本だ。そこに人件費などが加わるのが店という施設の金の流れ。


 簿記検定3級を持つ心志には、割と簡単であった。


「なるほどなるほど。ここの計算が間違ってるから、材料と売り上げの差がおかしくなってるんですね」


 その指摘にサンディラは感心を隠さなかった。


「はぁ、賢いんだね。アンタたちの世界の人は皆そんな感じかい?」


「僕は普通の高校生ですよ。ただ、こういうお金の計算が得意なだけです」


 なんとなく空気が和らいだ気がした。そしてふと、考えた。


「計算する道具ってないんですか?」


 日本でいう算盤そろばんや電卓のような計算機がテーブルに置かれていないことを不審に思って聞いてみた。暗算や筆算より計算は早いはずだ。


「有るっちゃ有るんだけどねぇ」


 サンディラは困ったように言って説明を始めた。


「計算機ってのは有るんだ。だけど、作られたのは王都でだから大変なんだよ」


「大変? 値段がバカみたいに高いとか?」


 イメージによって、王都の物は高級なのでは、という気がしたのでそう聞くと、違うと返事が来た。


「試しに見てみるかい?」


 絶対に驚くぞ。という前振りにしか聞こえないのだが見るしかない。


 そう伝えると、サンディラは席を離れてからすぐに帰ってきた。


 彼女は両腕に抱えるほどの大きさのものを持っており、それが計算機といえる大きさなのか疑問だった。


 ゴトリと重そうな音を立てて鎮座する物体を見る。


 長方形の巨大な算盤に見えるが色々と違う。何より1番違うのは算盤の横、ふちにあたる部分にオッサンの顔が彫刻として掘られていた。しかもスゲー笑顔で心志を見つめている。明らかにその彫刻に合わせたが故の大きさだ。顔がなければ半分、もしかしたら3分の1ほどの大きさにはなっているだろう。


「大きい声じゃいえないけど国王ってのは自己顕示欲が強いもんで、計算機をデカく作って、王自身の顔の彫刻を掘ったのさ。計算機を作っていいのは王都だけ。その法律があるから国民は黙って購入したが、使うのが嫌だってんで誇りをかぶってるのが普通だね」


 計算機を使おうとすれば王の顔が見つめてくる。これは、どう考えても使いづらい。紙幣に顔を描く位に留めておけば良いのに。という、もっともな意見を飲みこんだ。


「そんなわけで、これは使いたくないのさ」


 再びサンディラは計算機を仕舞って戻ってきた。


「さて、仕事も終わったし、そろそろ寝たほうが良い時間かね。明日も有るんだ、アンタも寝な」


 そういってサンディラは、テーブルに置かれた紙をまとめ始めた。


 そう言われれば確かに眠気がある心志は、素直に従うことにした。


「そうですね。お休みなさい」


「ああ、おやすみ」


 席をたち、自室に戻る心志。ベッドに横になり、目をつむると算盤の横に彫られた国王の顔が鮮明に浮かび上がった。


 それを打ち払うように目を開け、呼吸を整える。今度は楽しい事を思い浮かべながら眠りについた。


 その夜の夢で、何故か心志が笑顔の国王に追いかけられるという悪夢を見た。深夜に飛び起きた彼の中で、国王という会ったこともない存在に敵意を抱いた事は言うまでもない。

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