第3話 見えない壁

「おい、あんた!」

清掃員が男を呼び止めた。

「入っちゃ困るよ!『清掃中』の立て看板見えないのかい!」

「あーそうなのかい、すまないね」

みすぼらしい小柄な男は肩をすぼめた。

「ここはなんの店なんだい?」

「なんだよ表に書いてあるだろう、レストランだよ。パスタが美味いらしいよ」

清掃員はモップを絞りながら、男の後ろ、店の入口をアゴで指した。

「それより早く出てくれよ、掃除出来ないじゃないか」

「すまない、すぐ出るから、その前にもう一つ教えてくれないか」

「なんだよ」

「薬局を探してるんだが、近くにあるかい?」

「それなら踏切の先にあるよ、こっからでもデカイ看板見えるだろ」

「そうなのかい?」

男は店を1歩出てキョロキョロ見回した

「踏切はどこなんだい?」

「なんだって!?」

踏切は道のすぐ先、店から20mと離れていない

「あんた目が見えないのか?」

「いや見えている」

「なんか様子が変だぜあんた」

清掃員は男に近づき、顔をマジマジと見た。

「それが、君の姿は見えるんだが、街の看板やら踏切は見えないんだ」

「なんだよそれ、あの踏切が見えないのか?」

道の先を指差す。丁度リニアカーが凄い速さで通り過ぎ、突風が吹いた。

「ああ、あそこなんだね、ありがとう」

「おいおい大丈夫かよ」

「ああ、人通りが少なかったから助かったよ」

男は道の先にノソノソと歩き出した。

清掃員はしばらく見送っていたが、男が踏切に差し掛かっても止まる様子が無いので追いかけた。

「ちょっと!あぶねぇぞ!!」

声に気づき男が振り返った瞬間、すぐそばをリニアカーが通り過ぎ、男は突風でよろめいて倒れた。

「大丈夫かよ!」

駆け寄って男に手を差し出す。

「踏切の警報も聞こえないのか!?」

「いや〜リニアカーってのは早いな、アッという間で見えなかったよ」

「あたりまえだろ!何を呑気に!死ぬとこだぞ!」

「そうだな、助けてくれてありがとう」

「どうなってんだ、あんた」

「私は普段は南の森に住んでてね、ARグラスも壊れててさ」

「なに!?じゃあインプラントもしてないのか?」

「そうなんだ」

「まじかよ!?今どき!?」

「ああ、ずっと森で暮らしてるからな」

「じゃあ、あんたにはこの街どう見えてるんだ?」

「真っ白だ。壁も床も白、窓も無いし何も書かれていないし、あんたの服も白、まったく気がおかしくなるよ」

「うわあ、そりゃそうか」

清掃員はあらためて周りを見回す。

現代人は子どものうちに脳へチップを埋め、視覚と聴覚を補強する。そうして無駄な資源を使わずに情報伝達出来る。

街なかの信号や標識、看板などすぐに追加できるし、窓が無くても好きな景色を楽しめる。服だって色柄が自在なんで、その場のノリで買っても後悔しない。

「あんた、なんでわざわざ不便な生活してんだい」

清掃員は男にあわれむ目を向ける。

「不便なもんか、森で暮らす分には十分さ。こうして産まれた身体なんだ、そのままを生きてるだけさ」

「今死にかけたろ」

「ははは!そうだな」

男は身体に合わず大きな声で笑った。

「娘がいるんだ」

「娘?」

「ああ、昨夜から熱が下がらなくてね、薬を買いに来たんだ」

「付き合ってやろうか?」

「いや、ありがとう。この先は自分で何とかするよ、君は仕事に戻ってくれ」

男はなるべく愛想良く笑顔で返した。

「でも、せめて踏切くらいは現実に設置してほしいもんだ」

「ああ、そうだな」

清掃員は実感を伴わない返事をした。

「帰りはあっちから大声で呼んでくれよ、駆けつけるから」

「感謝するよ」

「いいか、絶対に一人で踏切を渡ろうなんて思うなよ」

「わかったわかった」

死にかけた手前、親切心はありがたいが保護者面するなとも言えない。


男は踏切を渡ると振り返り、手を振った。

「ほんと親切なロボットだ」

「しかし、街の人間はなんだって無反応なんだ。まるで俺が見えないみたいだ」

街の人間はチラホラ歩いている。

しかし皆、情報の渦に巻かれ、チップを介さない生身の情報などお構いなしなのかもしれない。

清掃員はまだ心配そうに男を見送っていた。

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