春は希望を人々にもたらすとともに、人事異動の季節でもある。

 すでに年が変わる前に、薫の嫌いな上司である小野宮左中将は蔵人頭になっていた。すなわち頭中将と呼ばれるようになったわけだが、こうなると宮中に詰めていることの方が多くなり、左近衛府には滅多に顔を出さなくなる。

 これは薫にとっては喜ばしいことであるが、この狐男はどうも最近羽振りがいい。養父であり実は祖父である小野宮前関白が在世中にすでに方一町の小野宮邸を伝領しており、今でもでんとその寝殿に住んでいる。実の父で名目上は兄となる三条太政大臣がほとんど自邸に引きこもって宮中に顔を出すこともなく、世間から忘れ去られようとしているのとは対照的だ。

 この狐頭中将は匂宮の妹の、かつての新院法皇の女御のもとに通っていたが、それは今でも続いているらしい。匂宮の妹といえば、わずか五歳のもう一人の妹はすでに野々宮に入っており、今年中には伊勢への群行となりそうだった。

 そして春の除目では薫が右近衛府にいたほんの半月間だけ接した摂政の次男の右中将は三位に叙せられ、三位中将と呼ばれるようになった。だが、まだ参議にはなっていなかった。人はこの男を凡庸だとかいってあまりよく言わないが、薫は個人的には親しみを持っていた。

 そして五男の左京大夫だが、この男が今回の除目での出世頭となった。

 非参議の三位であった彼が参議を経ずに、一気に権中納言となったのである。これで摂政の三男である兄の粟田殿と同席となって並んだわけだが、これにはわけがあった。

 当時民部卿中納言と呼ばれていた八十歳の老人が自分の息子を受領ずりょうにしたく、それとのひきかえということで中納言を辞した。その息子はそれによって備中守となったが、空いた中納言の席に薫の父方の従兄で老人である二世源氏の権中納言が就いた。そして、それによってさらに空いた権中納言の席に、それまでの左京大夫が滑り込んだ形となったのである。

 その時六人いた参議の頭上をすべて飛び越えたわけだが、この左京大夫――新権中納言はかねてから話のあった源左大臣の娘をすでに得ており、摂政の子で左大臣の婿ともなれば先を越された人々も誰も文句は言えない。兄たちさえもしのぐ勢いで、しかもまだ匂宮と同じ二十三歳の若さである。薫とついこの間まで左近衛府で同じ左少将でいたというのが嘘のようだ。

 飛び越えられた参議の中には源宰相と呼ばれている宇治の宮の長男もいたが、宇治の姫君たちの異腹の兄で五十一歳の初老のこの男は、今回ようやく右衛門督となった。

 そして薫もいよいよ右小弁兼讃岐権守となり、左近衛府から離れることになった。近衛府でそのまま中将となり、やがて蔵人・参議へという出世コースとは別のコースが、薫には用意されていたのである。

 弁官は裾も短く格好はよくないが、それでも出世コースには違いない。また、讃岐権守とて受領として任地に下るわけではないが、おいしいポストではある。

 だが、年齢的に少し遅い。父の光源氏は二十六歳で参議となり、今の薫の年齢の時にはすでに宰相大蔵卿右衛門督だったと聞く。やはり一世の源氏と二世の源氏との違いで仕方のないことであろうが、それでも六十を過ぎて中納言になった従兄よりはまだ薫はましだった。

 世間では実の母となっている人が故人だが摂政の姉で、養母ということになっている実の母も摂政の仮の妹であり、もとは朱雀院の帝の内親王、すなわち昔勢力を振るったという弘徽殿大后の孫である。そういった血縁が薫の強みだった。


 春の人事も一段落ついた頃に、桜も満開になった。

 ひたすら仏弟子としての道を極めることのみが自分の存在価値と認めていた薫だから、本来出世競争に関心はなかった。

 それでも最近は仏道とは別のものに心が向いて、ふと南の空を仰ぎ、その空の下へと思いを馳せてしまったりする。

 いくら泥々とした宮中での生活に関心がないとはいっても、地位が変わり職場が変わればやはりあたふたしてしまうのは仕方がない。

 春たけなわになっていくにつれ、薫が昼で宮中を退出できることはほとんどなくなってきた。毎年の年中行事が、今年も次々に始まっていく。これではとても宇治に顔を出せそうもなかった。春は無情にも過ぎていく。

 この年に年間を通して行われる最大の行事は、摂政の六十賀であった。まずは三月中旬の、法性寺を皮切りに六十カ寺で行われる法要であった。そして圧巻は、宮中常寧殿で帝が御直々に催される宴である。もっとも帝御直々とはいっても帝はまだ御年九歳であらせられるから、すべての指示は帝の母后で摂政の娘である皇太后から出ていたはずだ。

 その宴で、ひと波乱があった。摂政の孫の二人が、宴に興を添えるために舞を舞うことになっていた。一人は長男権大納言の三男の阿古君あこぎみ、もう一人は三男粟田権中納言の長男の福足君ふくたりぎみで、二人の従兄弟はやはり従兄弟である帝と同じくらいの年齢だ。

 ところが楽が始まるや否や、権中納言の太郎君の福足君の方が癇癪かんしゃくを起こし、暴れだしたのである。

「やだ、やだ。舞なんてやだ。僕は舞わない!」

 がくが止まり、人々はざわめきだした。薫も息をのんだ。帝の御前でなんという子供だと、冷や汗をかいていたのは誰もが同じだった。舞台は、帝の玉座と摂政の座の近くの簀子に設けられていた。

「舞なんか舞うものか」

 と、叫んで、衣装まで引きちぎって泣き叫んでいる福足君の脇で、相方の阿古君は動きを止めて呆然としている。そして、その中でいちばん冷や汗をかいているのは、暴れている本人の父親のはずだ。

 薫がその暴れん坊の父で殿上にいる粟田殿権中納言の方に目をやると、粟田殿はただただ頭を抱え込んでいるだけだ。阿古君の兄たちも、暴れているのが自分の弟の方ではないので知らぬふりをしている。

 ついに粟田殿権中納言は立ち上がった。ところがそれよりも早く、殿上から庭に降りて舞台の方に向かっていった公卿がいた。もう一人の舞人の阿古君の父で、粟田殿の兄である権大納言だ。

 権大納言は自分の息子を暴れている福足君から引き離しに行くのだと、誰もがそう思っていた。あるいは、帝の御前での無礼をとがめて、自分の甥を殴りつかるのかとはらはらしたものもいた。

 ところが権大納言は暴れている弟の子の福足君の両手を後ろからつかみ、楽人に合図をした。再び楽が鳴りはじめると、権大納言は背後から抱きつくようにして甥の両手を握り、そのまま舞台の上で舞を舞い始めたのである。

 福足君は、しぶしぶも舞を舞う形になった。はじめは呆気にとられていた阿古君も、父と従弟が合体して舞っている脇でいっしょに舞いはじめた。

 これには拍手喝采が上がった。珍しい舞を見せてもらったと誰もが囁き合っていたし、権大納言の機敏を聞かせた処置にも感嘆の声が上がった。もし粟田殿が先に舞台に着いていたなら、おそらく彼は暴れる自分の息子を叱って舞台から引きずり降ろしたであろう。そうなると舞はめちゃくちゃで、宴も興ざめとなり、収拾がつかないことになっていたはずである。

 権大納言も粟田殿も薫にとっては実質上は父方、名目上は母方であるが従兄弟であるが、このときの薫は無心になって周りの人々とともに喝采を送っていた。


 その翌日、五条の東の川向こうの法住持で、摂政の弟の後一条右大臣主催で摂政六十賀の法要があった。これには帝の御父の一院法皇も参列され、上達部のすべて、さらには太政官の弁官も参列を促された。弁官といえば、右小弁である薫も当然その中に入っていた。


 そして更衣ころもがえの季節が近づいても一連の行事は続き、薫はますます多忙となった。もう、宇治どころの騒ぎではない。それでも宇治から離れれば離れるほど宇治への思いは募り、朝の勤行の仏前においてさえ、薫は宇治のことを考えているようになってしまった。

 春の終わりは、摂政の東三条邸での六十賀の後宴であった。そこで薫は、久しぶりに匂宮と席を隣にした。

「どうなっていますか? 宇治の橋姫は」

 やはり匂宮がささやいてきたのは、この話題であった。どうなっていると聞かれても、薫自身も姫たちを放ったらかしにしているのだから答えようがない。いくら中君と匂宮の仲を取り持とうと思ったとしても、その橋渡し役がこれではお話にならない。

「まあ、とにかく」

 と、今は酒を勧めて、後ろめたさをごまかすことしかできない薫であった。

 たしかに今の状態では匂宮に対してだけでなく、娘たちを頼むと言った亡き宇治の宮の遺言にもそむくことになる。さらには、すでに大君に心中をほのめかしてしまった以上、そのまま行かずにいると結局は一時の戯れだったのかと思われてしまう。それは困る。

 とにかく今へ宇治へと心は飛ぶ……だが、その身は飛べない。


 夏になったらと薫は思っていたが、その頃になって都では強盗事件が多発するようになった。その事後処理の書類が検非違使庁から太政官へとまわされ、このようなことは当官の職掌ではないのにと愚痴をこぼしながらも太政官で執務に当たる薫は書類の山をこなさなければならなかった。

 それなのに、匂宮の宮の催促はまるで矢のようである。梅雨が終わって気候も暑くなり、おまけにこの年は五月のあとに閏五月が入って夏が長引いた。そして私事でも、さらに薫は多忙を極めていた。


 その多忙の中でも、薫は考えていたことがあった。

 西山の尼宮を実の母と知った以上、西山の御寺にお入れしたままにしておくのも忍びなく、だからといってまた高松邸に引き取るにしては東ノ対の屋がない同邸では手狭である。

 そこで薫は三条に新邸を建てることにした。すでに土地は手に入れており、地券もある。そのような財力が薫にあったのも、権職ではあっても国司になっていたお蔭であった。


 そうこうして、もうすぐ秋という頃にようやく薫は宇治に向かうことができた。匂宮はしきりに同行を求めたが、今は薫自身と大君の間がどうなるか分からない状況なので、とりあえず薫は一人で行くことにした。

 とにかく暑さに閉口もしていたので、宇治の川べりに涼を求める気持ちも薫の中にはあった。

 宇治に着いた薫は、久々に訪ねる地に懐かしさを覚えてしまった。それほどまでにご無沙汰していたのだ。

 山荘では正面に向かって左側の、西の廂の間に通された。いつも通されるのは東の廂だったが、まだ昼前のこの時間は直日が差し込んで暑いだろうという弁の君の配慮だった。

 その西の廂の間は、薫が初めて姫君たちを垣間見たときに、二人が琴と琵琶を合奏していた部屋である。今はその座に、薫が座っているのだ。

 はじめはかつて薫が衣を与えた宿直とのいさむらいが庭の方に来て薫の相手をしていたが、やがて侍は去っていった。

 その時薫は初めて、襖一つ隔てた隣の部屋に姫たちがいる気配を感じたが、今日はまだ侍や女房たちの相手をしているだけで、姫たちへの取り次ぎはばつが悪くて願い出ていない。しかしこれだけで帰ったのでは、何をしに来たのだということになってしまう。

「お客様がいらっしゃっているのに、ここは近すぎますわ」

「そうね。奥に入りましょう」

 ほんの微かだが姫たちの声が聞こえ、衣擦れの音がした。姫たちの意識の中では、薫はまだ宇治の宮在世中と変わらず父の客人であり、自分たち家族とは関係がないと思っているようだ。これでは、あの存在すら感じさせなかった頃と全く同じである。

 薫は息苦しさを感じて、しばらく身をすくめていた。


(つづく)

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