帝は御狂疾で騒がれた冷泉院の皇子であるだけに世間はご心配申し上げていたが、かなり気心はしっかりとなさっておられるようで人々は安心していた。

 政治的にも新しい懸案を次々に公卿に諮る意欲的な帝であらせられ、関白太政大臣にもそれが外戚ではないことから強い立場で臨まれた。今や関白太政大臣の小野宮流ではなく、東三条右大臣をはじめとする九条流が一世を風靡している。関白太政大臣はその中で、肩身が狭い思いをしているようであった。その関白就任でさえ、九条流のお家騒動の一環の策略として、九条家によって利用されて祭り上げられただけである。

 ゆえに帝は、ほとんど親政に近い政治形態を目指された。御祖父の先帝の再来という期待感さえ、人々の中にはあった。

 その右腕は故一条摂政の五男で、帝からご覧になれば外叔父になる頭中将である。頭中将は非参議でありながら従三位をもらっており、実質上には上達部と同等の扱いを受けていた。

 だが、事態は一変した。弘徽殿女御の他界から帝は全くの無気力になり、人々の帝に対する安心感や期待感は薄らぎつつあった。これまでも「内劣りの外めでた」などと帝のことを申し上げるものも一部にはいたが、最近では御狂疾の発作とまではいかないまでも、それに近いような言動が目立ちはじめていた。

 例えば十二月の賀茂臨時祭のとき、祭が夜にかかるのはよくないので、朝の辰の午前八時に人々は集まるようにという勅旨が出された。帝の出御は例ならば昼前であり、そんなに早くに集まっても時間の無駄だと誰もが不平を言った。だが、勅で出された朝の時刻には、帝はすでに装束を調えられて出御されていた。

 これならば、名君だといえる。だが、これが「外めでた」なのであった。祭の行列が明るいうちにとの思し召しはさすがと思われたが、実は帝の御真意は別のところにあったのである。つまり、それが「内劣り」である。

 もともと帝は馬を大変好まれ、二ヶ月ほど前にも仁寿殿で、騎者に甲兜打懸をつけさせた状態で馬をご覧になった。そして今回の臨時祭でも、舞人の乗る馬を後涼殿の馬道めどうを通して朝餉あさがれいの壷に入れさせなさった。

「舞人は降りよ」

 帝は清涼殿の朝餉の間におわしまして、蔵人を通してそう命令を伝えた。代わりに馬に乗せられたのは、その命令を伝えた蔵人であった。つまり、蔵人は殿上人の身分でありながら、衆目の中で馬を乗り回さねばならない羽目になったのである。御湯殿の間の前の簀子や後涼殿と清涼殿をつなぐ中渡廊に控えていたほかの殿上人たちの間から、忍び笑いがもれた。

 薫も、その中にいた。殿上人の中でもまだ若い薫だが、左兵衛権佐のほかに侍従という役目柄、帝のおわします御簾のすぐ前の簀子に控えていた。朝餉の壷は後涼殿と清涼殿の間の狭い庭で、そこで馬を乗り回させられている蔵人に、薫は内心同情していた。

 だがその時、御簾の中で帝が立ち上がられた気配があった。

「今度は、おれが乗る」

 帝の直のお声だ。いちばん近い位置にいる薫であるだけに、その事態にどうしたらいいのか分からず、頭の中は白くなっていた。

 すると御簾の中から、別の声が聞こえてきた。

うえに出御されましては、恐れ多うございます。ここは私が」

 頭中将の声であった。すぐにその頭中将が御簾の中から出てきて、束帯の後ろに引きずる裾をまくりあげ、素足のままで殿上人の代わりに馬上の人となった。そして、狭い中庭を乗り回し始めたのである。

「おおッ。いいぞッ! 中将!」

 また帝のお声だ。人々も、頭中将に歓声を上げていた。だが、単に興じておられるだけの帝と違い、人々は頭中将の機敏な判断に賞賛の声を送っていたのである。もし帝が衆目の中で馬にお乗りになどなったら、帝という地位が汚されてしまう。だからといって強いてお止め申し上げたら、やはり帝の面目が丸つぶれだ、そこで頭中将は自ら恥を買って、すべてをうまく収めた。

 頭中将は朋友の薫より二つ三つ年長であるだけで、ほぼ同世代といえる。自分にあのような機知があるだろうかと思うと薫は気恥ずかしくもあったが、同時にそのようなものは自分には不必要だとも思った。自分が政治の世界でこれからも一生を過ごしていこうなどとは、彼は毛頭思っていない。

 それにしても、帝も困りものであらせられる。やはり弘徽殿女御との死別以来、尋常ではあらせられず狂ってしまわれた。御父の冷泉院の上皇の時は、まだはっきりと御狂疾と認められていたが、帝の場合はそういうわけでもないのに常軌を逸した行動が目につく。

「冷泉院の御狂いよりも、これは始末が悪いな」

 薫はつい、口に出してつぶやいてしまった。しまったと思ったときには遅く、薫の座している簀子のすぐ下の地下じげから咳払いが聞こえた。見ると、先に殿上人が馬に乗せられる前に馬に乗っていた舞人が、そこに立っていた。

「まずいことを申されましたなあ、左佐さすけ殿」

 小声で言ったつもりが、聞かれていたのだ。

「これは右のすけ殿」

 舞人は右兵衛佐だった。左右の別はあれ、いわば薫の同クラスの同僚だ。そしてそれは頭中将の従弟いとこで年こそ薫より六、七歳は若いが、今をときめく東三条右大臣の五男だったのである。

「あ、いや、その……」

 薫は狼狽した。だが、右兵衛佐は、豪快に大笑いした。

「しかし、ごもっともなことで」

 どうやら、咎められる様子はなかった。


 機知ぶりを見せた頭中将は、その年のうちに参議を飛び越えて権中将となった。そして年が明け、正月の行事も滞りなく進んだ。その締めくくりは上級貴族にとっては内宴ということになるが、薫のような下級貴族にとってのそれは賭射のりゆみであった。

 その前に行われる射礼も無事に済み、薫は左兵衛府の官人として賭射に参加する予定でいた。

 だがその当日になって大内裏の東側のあたりで数町を焼く大火災が発生し、それによって賭射は中止となってしまった。本来なら勝ち方によって、還饗かえりあるじという盛大な宴が開かれるはずだったのだ。

 行事がひとつ減ったのでやれやれという思いで、薫は宮中を退出しようとしていた。建春門を出て大内裏の陽明門を出るまでは、徒歩で行かなくてはならない。薫が陽明門に向かって歩いていると、後ろから仰々しい車が来た。大内裏内で牛車に乗ることを許される牛車宣旨を受けている者の車ということになり、大臣以上のはずだ。

 果たしてその車は、東三条右大臣のものであることはすぐに分かった。薫が立ち止まって身をかがめていると、車も止まって後ろの御簾が上げられた。

「これは左佐殿」

 顔を出したのは、右大臣直々だった。

「大将たちの還饗の代わりにわが東三条邸で宴を催しますから、ごいっしょにいかがですかな」

「い、いえ」

 いきなりの過分な誘いに、薫はただ恐縮してしまった。

「親王方もこうしてご同乗されておりますし、それをお送りするということで、わが屋敷に来られるとよい。後ろの車にお乗りなさい」

 するとそのその背後から、別のものが顔を出した。

「兄君、そうなさいませ」

 それは匂宮だった。こうなると、抗うわけにはいかない。右大臣の車のすぐ後ろにももう一台の車があって止まっていたので、その車の後ろに薫は回った。

 すぐに雑色によってしじ(踏み台)が置かれ、薫は靴を脱いで御簾の中に入った。

 そこに乗っていたのは、錚々そうそうたるメンバーだった。まず右大臣の長男の三位中将、次男の左近衛少将、三男の左少弁、そしてもう一人は先日の賀茂臨時祭の折に舞人だったあの五男の右兵衛佐であった。薫が乗り込むと、その四兄弟は薫に向かって軽く会釈をした。右大臣の息子たちということを別すれば官職はみな薫とほぼ同等の者たちばかりで、三男の左少弁が薫と同世代といえた。皆、薫にとっては母方の従兄弟いとこたちでもあった。

 その左少弁が、薫に笑って言った。

「これは光の君様のご子息とご同乗できるとは、光栄の至り」

 気後れと緊張で身を固くしていた薫だが、兄弟たちの笑い声に包まれ自分も笑みを見せた。みな、亡き父の大親友だった人の孫たちである。

 時に、雪がちらつきはじめた。

「おお、雪でござる。風雅のひとつもほしいものですなあ」

 長男の三位中将が、首をひねって牛の背越しに前方を見ながら言った。そして、皆の笑顔が薫に集まる。薫は照れついでに、懐から笛を取り出した。そして彼がそれを奏でている間、誰もが黙って聞いていた。

「おお」

 最初に声を上げたのは、左少弁であった。三位中将も、身を乗り出した。

「その笛の手は、お父上のお伝えで?」

「いえ。父から笛を教わったことはないんですが」

「それでは天性というものか。伝えはなくとも、血は受け継がれるものだなあ」

 三位中将の言葉に、皆がうなずいた。さらに中将は言う。

「して、そのお笛は?」

「この笛自体は、父から授かったものです」

「失礼。拝見」

 中将はそれを手にとり、しばらく見つめていた。

「すばらしい笛でござる。われらの叔父上の中のお一人が笛の名手でしてね、昔よく幼子であったわれわれに笛を聞かせてくださった。その音色が、今の佐助殿の御笛の音とそっくりなんです」

「兄上。今『われわれ』とおっしゃいましたが、その叔父上をご存知なのは、兄上だけではありませんか」

 若い右兵衛佐が、茶化して笑う。確かに年が下の二人、すなわち左少弁と右兵衛佐はその叔父どころか、祖父の九条前右大臣さえ知らない。九条前右大臣の他界後に生まれたのである。このとき薫は、真面目な顔をして聞いた。

佐殿すけどのがご存じないということは、亡くなられた方なのですか? その方とはもしや、亡き一条摂政殿で? あるいはやはり亡くなった堀川の……?」

「そのお二人の伯父御なら、私どもも存じておりますよ」

 と、左少弁は言い、それを三位中将が受けた。

「父から見て弟になる叔父御です。まだ亡くなったという話は聞いてはおりませんが、もうわれわれの一族とは全く音信がなくなっておりましてね。祖父九条殿の八男の前少将殿で、今は確か多武峰で阿舎利として修行しておられるはずなんですが……」

 そのような存在について、薫は全く初耳であった。彼らの叔父で仏門に入った人といえば、九条前右大臣の十男である今の天台座主、十一男で今の東大寺の阿闍利がいるだけで、ほかに俗世にあって在世中なのは七男の右兵衛督、九男で前年亡くなった弘徽殿女御の父の京極大納言、さらには十二男の侍従の宰相がいるだけだと思っていた。最後の侍従の宰相は九条前右大臣の晩年の子なので、それからみて甥になる三位中将よりも若い。薫と年齢も近く同じ侍従なので、薫もよく知っている。しかもその母は、薫の父の光源氏の同母妹である。

 いずれにせよ、多武峰の阿舎利という人は薫の知識の外であった。だからそのことを言うと、三位中将は首をかしげた。

「お母上から、お聞きになっておられませんか?」

「母とは、どちらの?」

 言ってしまってから、しまったと薫は思った。実母と思っていた母と、養母と思っていた母のどちらが実は本当の母なのか悩んでいた時だけに、そう言ってしまった。

 だが、同乗している四兄弟たちも薫に実母と養母がいることは知っているので、変な顔はされずにすんだ。

「西山の母君ですよ。あの方は実際は朱雀院の帝の姫宮でいらっしゃいましたが祖父の養女となられたお方で、いわばわれわれの義理の叔母ですが、聞いた話では祖父の養女となられたあと多武峰の叔父上とは特に親しくされていたということですが」

「そうですか。何も聞いておりませなんだ」

「おお、さようで」

 中将がまた首をかしげると同時に、薫もまた心の中で首をかしげていた。たしかに西山の母からは、何も聞いていない。もっとも、あの母ならそのような話をする人ではなく、何も聞いていないとしても不思議ではない。

 しかし、何も聞いていないということは、やはり自分は養子にすぎないのかとも思えてきた。いずれにせよ、確かめ得ないだけにもどかしい。

 そのとき、三位中将が薫に笛を返してきた。

「もしやこの笛は……御父君の光源氏の君が、多武峰の叔父御から形見として受け取られたものでは……?」

「そうなのですか? 詳しくは存じておらないのですが」

「何しろ笛の名手だった叔父ですからね」

 そうこうしているうちに、車は右大臣の東三条邸に着いた。その間、次男の左近衛少将だけはひと言も口を開かなかった。

 四兄弟のうち、彼だけが母が違うのである。


 薫たちは、寝殿に通された。

 その南廂に庭に向かって右大臣の身内である子息たちが座り、それに向かい合う形で庭を背に親王たちが座った。酒が出た。庭では舞いも催されている。薫はなぜか、右大臣の子息たちと同列に並べられた。

「まあ、薫の君様がいらっしゃったら、香をたく必要もありませんわねえ」

「でも、ほら、匂兵部卿宮様も負けじと……」

 そんな女房たちのささやき合いも、薫の耳に入ってくる。やがて、右大臣からも声がかかった。

「左佐殿は、まるで客人のように畏まっているではござらぬか。亡きわが父と御父の源氏の君様とのよしみで、ここはひとつ歌など」

 仕方なく薫は、ひかえめに「求子」の一節を歌いだした。東遊の片舞の曲だ。そこへ、喝采があがった。

 だがその間も薫は、先ほどの車の中での会話が気になって仕方なかった。


(つづく)

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