だが源氏の心情とは別に、宮中での動きは故父院の御代の再現のように順調にいっているように思われた。

 今の帝を父院に擬するなら、東宮は朱雀院、四宮が今の帝ということになろう。そして朱雀院ご即位後に今の帝が皇太弟となられたように、東宮が即位したら四宮が皇太弟となるはずである。四宮妃である源氏の娘は今の東宮や四宮の母である故中宮に擬されるので、その父である源氏こそが九条前右大臣に当たることになる。

 官職も同じ右大臣だ。だが、過去と唯一生じていたズレは中宮である。中宮はさしずめ朱雀院や今の帝のご生母の弘徽殿大后に相当するといえたが、今でこそ故人の弘徽殿大后も今の帝のご即位までは存命していて陰で権力を振るっていた。だが中宮は我が子の即位を見ることもなく、三年前にすでに崩御している。

 昔の再現どおりに四宮の立太子、即位とうまくことが運ぶかどうか……一抹の不安はここにあった。


 東宮の狂疾は時折ではあっても、五月になってもまだ続いていた。当然、五月の節句の宴も中止となり、修法だけは盛んに続けられた。そして東宮のことでご心痛が過ぎたのか、今度は帝までが病の床に伏せっておしまいになった。

 その帝のご病気のための修法についても公卿の間で議せられたが、帝の仰せによってそのすべてが引き続き東宮のために向けられた。

 その隙を御霊に突かれたのかもしれない。また、公卿全体が源氏を含めて、東宮のことにばかり気をとられて油断していたせいもあろう。

 帝はご危篤状態になられてしまったのである。

 こうなったらいかに帝ご自身の仰せとはいえ、東宮のためにだけ修法をするわけにはいかなくなった。清涼殿にも加持祈祷の僧の読経の声が明け暮れ満ち溢れ、宮中の真言院をはじめとして東寺、蓮台寺、実相寺、雲林院などでも仁王経が講じられた。さらには五畿内や伊賀、伊勢などの二十六カ国に卒塔婆六千基も立てられた。

 源氏は常に、清涼殿に侍していた。一条中納言や蔵人頭もともにいる。こんなときにも小野宮左大臣は姿を見せなかった。

 帝はお熱を発せられていてお苦しそうなご様子であり、言語もままならぬほどであった。そのうち、依坐よりましに御霊がかった。それは無気味に笑う老人の霊であったが、源氏は空恐ろしくなって、必死に心の中で御霊を諭していた。

 中宮や前右大臣の命を取り、東宮を狂乱に追い込んだばかりでなく、一天万乗の現人神あらひとがみのお命まで奪い申し上げたとなると、この前民部卿の霊の行く末はどうなることか……想像を絶するものがある。


 だが、源氏をはじめとする人々の祈りも虚しかった。天下に大赦が施された日の昼前に、帝は清涼殿にて崩御あそばされた。御年四十二歳、二十一年間の御在位であった。


 源氏は目の前が真っ暗になった。この一瞬から、すべての流れが変わったのである。源氏にはこれから何がどうなるのか、予想だにできなかった。行く末に続いていた道が、音を立てて崩壊したのだ。

 一人静かに悲しみにふけりたかった源氏だが、彼の立場がそれを許さない。その日のうちに固関使の発遺を行わなければならないのに、左大臣は参内してもこない。その指図のすべてを、右大臣である源氏が取り仕切らなければならなかった。

 そしてその夜のうちに剣璽等承継の儀があり、神剣と神璽は東宮のいる襲芳舎に移された。こうしてたちまちのうちに、御年十八歳の狂気の東宮は、襲芳舎にて皇位に就かれて帝となられたのである。

 その頃になって、伊勢固関使に任命された二人がその役を辞してきたと、源氏のもとに報告が上がってきた。その一人はかつての東西の兵乱で活躍した六孫王の子で、今は源姓を賜っている多田左馬助だ。理由は老齢による病であった。老齢といえば自分だってそうなのだと源氏はその者を呼びつけて直接怒鳴りつけてやりたかったが、今はそれどころではない。代わりの固関使の人選の方が先決問題である。

 その人選がやっと終わったのは明け方近くになってからで、源氏はやっと宮中から解放されて西宮邸に戻った。源氏の頭の中は真っ白で、とにかく疲れて何もできそうもなく、夕刻までぐっすりと眠った。そして薄暗くなってから起きだした源氏は、その頃になって急に悲しみがこみ上げてきた。


 これで源氏は、天涯孤独となってしまったのである。頼れる人は誰一人としていない。そう思うと源氏は、ただ途方に暮れるだけであった。

 源氏は泣いた。女房たちもみな泣いている。これからどうなるのか……そんな打算よりも今はただ一人の兄として、弟の死を悼みたかった。母こそ違え、同じ父から出た弟が旅立ったのである。しかし現実ではそれは源氏の弟の死にとどまらず、世間にとっては紛れもなく帝の崩御であった。

 御在位中の帝が崩御された場合は、故院ではなく先帝と今後はお呼び申し上げる。源氏の故父院の祖父の帝以来の「先帝」であった。


 いよいよ本願を遂げて出家入道する機がきたのかとも源氏は思ったが、それにしてもまだ彼にはしがらみが多い。

 彼には頼れる人がいなくなった半面、逆に彼を頼っている存在は多く、また立場というものもある。今ここで自分が宮中から急にいなくなったら……そう思うと、とても本意通りに出家している場合ではないということは痛感される。こうなったら、老人には老人の意地がある。

 いずれにせよ、ひとつの時代が終わったのは確かである。新しい時代が始まる……だが、源氏ばかりではなく、誰もがその新しい時代に不安を抱いている。新しい時代を担われる新帝は、申すも畏れ多いがなんと狂気の天皇であらせられる。


 翌日は先帝のご入棺で、月も変わった六日後がご葬送となった。ご出棺は夕刻で、輦車は清涼殿や後涼殿の西の陰明門を出て宴の松原を西行してからさらにその西の殷富門から西大宮大路へと出た。

 御陵は朱雀院がご落飾後にお入りになっていた西山の御寺の近くである。親王・公卿をはじめ宮中の百官がみな供奉し、殿上に残っていたものはほんのわずかであった。

 なにしろ、上皇ではなく先帝崩御は八十年ぶりのことである。八十年前のことを知るものは宮中には一人もおらず、故実を伝え聞いているものもわずかであった。源氏とてそのときは、まだ生まれていなかったのだ。

 それでも大葬の儀は、厳かにかつ盛大に行われた。まさしくそれは、ひとつの時代の終わりを象徴していた。


 そして早速にも、新しい時代が胎動する。世の中が変わる……。

 帝の代が変わったので蔵人も殿上人も一新されることになるが、一条中将の次弟は蔵人頭には再任されず、代わりにさらにその弟のこれまで東宮亮を兼任していた左京大夫が蔵人頭となった。

 さらには、何しろ新帝のご状況がご状況であるだけに、十八年間の長きにわたって置かれなかった関白という職が復活することになった。

 それに任じられたのは、小野宮左大臣であった。

 これには九条家の兄弟たちも当然の成り行きとして黙認するしかなく、異議は言えなかった。左大臣は最高官職であり、またその小野宮左大臣は氏の長者でもあるからだ。

 だが左大臣にも弱みはあった。つまり左大臣は新帝の外祖父でもなんでもなく、むしろ九条家の兄弟たちの方が新帝の外伯父に当たるのである。だから九条家の兄弟達はかなり鼻息を荒くしており、源氏の前でもはばかりなくそのことを口にした。

 それを聞くたび、源氏は胸がしめつけられる思いであった。やはり彼らは、あの策士の遺児たちである。源氏はそのような渦に巻き込まれたくはなかったが、同時にこの鼻息荒い兄弟たちの庇護者に自分がなっているという現実も、彼の前に立ちふさがるのであった。

 左大臣の側も黙っていることもなく、早速に動き出した。今や関白という大権を手にしたのである。まずは左大臣の片腕である弟の小一条大納言の子息を蔵人頭に任じた。だからといって左京大夫の蔵人頭が解任されたという訳ではないので、二人の蔵人頭が並び立ったことになる。

 もっとも、蔵人頭は本来は二人制であったし先例もある。だが、ここ数年は一人であることが定着していた。そういう意味では二人の蔵人頭というのは異常であるし、その異常がまかり通る世の中になったことになる。

 すなわちそれは、世の乱れの兆し以外の何ものでもなかった。


 秋になって源氏はやっとをとり、西宮邸でつれづれの一日を過ごしていた。

 そこへ十八宮の来訪があった。初めて心和む肉親の来訪だ。年は離れてはいるが、十八宮は源氏の同母の兄弟姉妹のうち唯一生存している弟宮であった。紫の上逝去のときもこうして見舞ってくれたが、あの頃は兵部卿であったのが今では大蔵卿になっている。

「私もやっと四品しほんに叙せられましてね」

 寝殿で源氏と対座したまだ三十代の弟宮は、これまでは無品の親王だったのである。

「そうか。だけど私はね、父院のお計らいで臣下に降ったけど、そなたのように無品でも四品でもいいから親王にしておいて下さった方が、心のどかであったと思うのだよ」

 源氏は心弱く笑った。

「何を仰せられます。臣下にお降りになったお蔭で、今の右大臣という栄華も……」

「栄華……かな? 虚しいだけだよ。今では時として、犬や猫でさえうらやましいと感じるときがある。何の悩みもなく、ただ毎日を過ごしていればいいのだからな」

 大蔵卿宮は、心なしか目を伏せた。

「お心落としのことは、お察し申し上げます。先帝の女御や更衣の方々も、次々にご落飾あそばされているとか」

「さもありなん」

 源氏は、深くため息をついた。室内にさっと、秋の風が吹いた。

「めちゃくちゃな世の中だ。何しろ蔵人頭が二人いるのだからな。左京大夫など関白殿を無視して、勝手に除目を行っていたりするよ。もちろん私には一応の相談はあるけれど、私がどう言ったところでどうにもならないから、好きなようにやらせることにしているけれどね」

「その除目については、確かに関白殿下もだいぶご憤慨のご様子ですな。こんな名目だけの関白など辞めてしまいたいと、そうお叫びにもなられたとか」

「まあ、どうでもいいことなのだけど、九条家の兄弟たちが関白左大臣と対抗するために、私をかつぎ上げようとしているのはどうかとも思うのだがね」

 源氏はただ苦笑した。そこには何の力もこもっていなかった。実際、そのことが一番の重荷なのである。

 関白左大臣の真意は、皆目見当がつかない。むしろ意地となって源氏や九条家の兄弟に牙を向けているのは、小一条大納言のように思われてならなかった。


 数日たって、その小一条大納言にも打撃が走った。彼の娘で、先帝の寵愛を中宮と競っていた宣耀殿の女御が他界したのである。髪が長く目尻の下がった美貌を持ち、古今集をすべて暗誦していた才女は、まるで先帝の後を追うかのように逝ってしまった。

 それでもあの大納言のひねくれた性格なだけに、落胆ばかりしているかどうかは疑わしかった。

 現実問題として、先帝の崩御と新帝のご即位からもう二カ月もたっているというのに、いまだに公卿の間で新東宮のことは議せられていないのである。議するも何も、今や陣定でさえ小野宮関白左大臣サイドと源氏=九条家サイドとで別々に行われているありさまで、いわば二つの政府がひとつの国にあるようなものであった。


 四宮もすでに確信していた自分の立太子の話がなかなかこないので相当気をもんでいるらしく、先帝の四十九日の法要が清涼殿で行われた頃に、四宮妃となっている源氏の姫がふみでそのことを源氏に知らせてきた。そこで源氏は四宮のいる昭陽舎――梨壷に、公務のあとで足を運んでみた。

 四宮ももはや十六歳の立派な若者だ。それが鬱屈した日々を送っているということは、ひと目その顔を拝しただけで源氏にはすぐに分かった。

「関白殿も面白くないことがおありのようで、多分その嫌がらせでしょう」

 源氏はわざと笑って、そう四宮を慰めておいた。蔵人頭と違って、まさか東宮が二人立つなどという異常なことは起こるまいとは思う。

 しかし宮中は、何しろ異常な事態となっている。源氏は一抹の不安を感じた。四宮立坊は先帝によって保証されていた。だがそれには、先帝が東宮=今の帝にご譲位されて上皇になられた暁にはという前提があった。しかし先帝はご譲位される前にご在位のまま崩御されてしまったのだから、その前提は音を立てて崩れていた。今や四宮立坊への保証は、どこにもない。


 ――いったい何の因果か……自分がいつまでも出家できないことでごう消しができずにおり、そのことが身辺のものにまで影響しているのかとさえ源氏は思う。

 そしてさらに一カ月間に及ぶ関白左大臣側の沈黙も無気味だ。彼らはいったい、何をたくらんでいるのか……そう思うと源氏は、いても立ってもいられなくなる思いであった。

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