この年の賀茂の祭りは、四月も下旬に近い頃となった。誰もが祭り見物に浮かれており、源氏も賀茂の社の華やかな様子を思い出していた。しかし自身は、祭りに浮かれているような気分ではない。

 ただ、その気持ちを女房たちにまで押し付ける気はなかった。

 ――寂しいのは自分だけではないのだ……そう思った源氏は、女房たちの中でも主だった大人たちを集めた。

「女房たちも、気晴らしに里に下がって祭り見物に行くといい」

 源氏はそう下知した。源氏にとっても賀茂の祭といえばさまざまな思い出がある。

 紫の上が幼い頃に、一つ車で見物にも行った。その時は行列の中に、紫の上の父の前右大臣――当時の頭中将がいた。まだ彼女が、頭中将を父親だとは知らずにいた頃だ。

 そしてほかの年には、自分が勅使を務めたこともあった。その時、あの忌まわしい事件が起こったのだ……何もかもが遠い昔の記憶の果てにある。

 源氏は女房たちに祭り見物を勧めておいてから、自分は参内した。勅使の発遺に、やはり立ち会わなければならないからだ。

 そして祭りが終わってすぐに中宮の一周忌の法要があるため、祭り当日からその議定もあった。法要は前右大臣の九条邸からも近い故関白の御寺で執り行われることになった。その前右大臣の九条邸も、今は誰も住む人がなくて荒れ果てているという。

 法要の日、そこに今の右大臣は姿を見せなかった。そして法要が終わり、それぞれの車で一度宮中へと戻った公卿たちを待っていたのは、とてつもない知らせであった。

 現職の富小路右大臣が法要の最中であった時刻に、自邸の富小路邸で亡くなっていたのである。

「何という……」

 左大臣は絶句して、ただ額に手の指を当てていた。そしてそのまま左大臣は、小一条大納言とともに宜陽殿に篭もってしまった。

 源氏は桃園中納言や宰相中将とともに左近の陣にいた。相対しながらも微妙な均衡が取れていた二つの勢力に、右大臣の死は何かしらの影響を与えずにはいないことを誰もが感じていた。

「順序からいえば源大納言殿こそが、次の右大臣ですな」

 何気なく宰相中将は言ったのだが、

「それは困る」

 と、当の源氏は叫んでいた。大納言という職さえ十分しがらみなのに、ましてや大臣ともなるとそうやすやすと出家の道に入れなくなるのは自明のことだ。左大臣が病気がちを口実にあまり参内しなくなっている昨今、右大臣になろうものならすべての政務がその肩にのしかかってくることになる。

 それだけではなく、今源氏が右大臣になったら、左大臣勢力と真っ向からぶつかる敵対勢力の中心人物に源氏がなってしまう。いい加減そのような政治的権力争いからは解放されたいというのが、源氏の本音であった。

「できれば、もっと若い人がいいのではないか」

 源氏はそう言ったが、桃園中納言は顔を上げた。

「若い人とおっしゃいますが、民部卿大納言殿は七十四のお年ですし、源大納言殿より若くて順序どおりとなると……我が弟の小一条権大納言が正規の大納言を飛び越えてということになりますぞ」

「それはまずうございますな」

 と、声をひそめて宰相中将が言った。死んだ富小路右大臣は故本院大臣の次男で、つまり左大臣のかつての妻の兄である。いわば左大臣にとっては義兄だ。そして小一条権大納言は幼少時に兄である今の左大臣の小野宮家で育っただけあって、完璧に左大臣側だ。つまり小野宮左大臣、故九条前右大臣、桃園中納言、小一条権大納言の四兄弟は、二人ずつ「小野宮・小一条」と「九条・桃園」の二組に分かれての政敵となっていたのである。

「要は帝のお心一つだな」

 源氏は吐き捨てるように言った。

 富小路右大臣の死によって、本院大臣の子の三兄弟はすべて没したことになる。長男と三男は若くして死んでおり、本院大臣が雷公を筑紫に下らせた張本人であるだけに人々はその祟りであると噂した。ところが富小路右大臣だけは祟りにもめげずに、六十八歳という天寿を全うしたのである。

 今後、本院家の流れが日の目を見ることはないと思われた。富小路右大臣の長男は源氏とほぼ同じ年ですでに老境に入りつつあるのに、いまだに右近衛中将である。今やその本院家よりも、本院大臣の弟であった前関白太政大臣の流れが中枢を占めているが、ただその長男である左大臣の小野宮家か、次男で源氏の朋友だった故・前右大臣の九条家の流れが栄えるかの分岐点がまさしく今であるといえた。

 五月の節は、今年も取りやめになった。それでも自然界の連中行事である梅雨だけは、予定通りにやってきた。そんな中で、京官除目けいかんじもくの儀が執り行われた。春でも秋でのない臨時の除目で、誰もが予想したことはそこで新右大臣が発表されるということであった。

 だが、右大臣は空席のままということになった。源氏としてはそれでひと安心ではあったが、自分の大臣就任を拒んだのが左大臣や小一条権大納言であったことは明白で、右大臣になったらなったで困るものの、ならなかった理由が理由だけに源氏にとっては少々不快であった。左大臣が帝をも動かしてしまったことになるからだ。

 左大臣が今や東宮傳である以上、この国も未来は左大臣の手の中にあるといってもいい。さらには、小一条権大納言が東宮大夫でもある。

 それにひきかえ、源氏はもはや中宮大夫ではない。東宮即位の暁には国母となるはずだった人が、東宮の即位よりも先にいなくなってしまったのである。中宮がいなくなったということの影響が強く自分に作用していると、源氏は実感せずにはいられなかった。

 ただ、これまで右大臣が兼任していた左大将の役職だけは源氏に回ってきた、これで源氏は晴れて随身兵杖が許される身となったのである。

 思えば元服後に十八歳にして初めてもらった官職が左近衛中将であった。そして今五十二歳にしてようやく同じ左近衛府に、一つ上の役職の大将として戻ってきたことになる。さらにその左近衛府の権中将が、すなわち宰相中将であった。


 五月雨が降りしきる中、源氏は蔵人に案内されて紫宸殿の北の簀子を清涼殿の方へと向かっていた。この日の帝へのお目通りは、源氏の方から申し入れたものである。左大将就任の御礼、すなわち慶申よろこびもうしのためだ。

 ただ、源氏には十分に覚悟していることもあった。帝のお口からは、必ずや「あの話」が出るはずである。だが、それに対する返答も、源氏はすでに用意していた。

 ひと通りの慶申のあと、帝は筋書き通りに声を落として言われた。

「時に女三宮のことですが……」

 来ると思っていたら、やはり来た。

「何かめどが立ちましたか」

「そのことでございます」

 源氏は少しだけ目を伏せた。

「やはり、我が長男の左兵衛佐にこそふさわしいのではないかと」

「ほう」

 帝は目を細められた。

「確か前にそのことを申した時は、兄君はお断りになったように覚えてますが」

「あの頃は、何ぶん息子も新しい妻を迎えたばかりでございましたから……。しかし、今ではもう落ち着いたかと。そろそろ妻が一人だけというのも何かと……」

「しかしあの宮を、もう一人の妻にというのはいかがなものでしょう」

 痛いところである。今は九条家の養女として臣下に降っている女三宮ではあるが、元は内親王なのだ。

「息子の妻は宰相中将の娘ですから、そのへんはわきまえてくれるかと」

「たしかに九条家の流れだなあ」

 今でも大きな影響力を持つ故人の名の持つ威力が、帝に納得させ申し上げたようだ。

 左兵衛佐は、今の妻とは落ち着いた仲を保っているようだ。帝には申し上げられないが、女二宮とのごたごたも今ではほとぼりも冷めていよう。女三宮は前右大臣の養女なのだから、左兵衛佐の今の妻にとっては一応叔母ということになる。しかしそのようなことは、どうでもいいことだ。

「分かり申した。それがよいかもしれませんね」

 帝がどこまでお考えになってそう言われたのかは分からないが、源氏にとってはいちばんの妙案だと思っていた。

 今や女三宮は、完全に心を閉ざしている。その心を溶かすには、左兵衛佐のように気配りのできる優しい男でなくてはならない。左兵衛佐は三十一歳で女三宮とは十六も離れているが、かえってその方が包み込めると思う。

 そして何よりも、宮は過去を背負っている。その過去の事件の当事者の多武峰の少将は、左兵衛佐のよき親友であった。だから、その左兵衛佐にはすべてを打ち明けても構わないであろう……いや、息子は真実を知るべきで、また打ち明けられるのも左兵衛佐しかいない……そして薫は源氏の孫となる。年齢的にもその方が自然だ。

 だが、左兵衛佐本人にはまだ何も話してはいない。

「近いうちの息子本人の気持ちを確かめた上、あらためて参上したいと存じます」

「よい知らせを待っておりますぞ」

 帝のお言葉を胸に刻み、源氏はその日はそれで退出した。

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