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東宮加冠の儀を決する陣定は、延々と十日も続いていた。しかも、最初は夕方に始まって深夜にかけて行われていた議定も、暑い日中に行われるようになった。しばらくはなおざりになっていた灯火の油と薪節約のための深夜の議定の禁止という帝のかつての申し渡しを再度厳格に守るようにと、帝からのご下命があったのである。
ようやく東宮の御加冠は年が明けてから行うことが決まり、一連の議定もやっと散会となった。その直後、公卿たちの参内がぴたっと止まった。連日の猛暑の中での会議に、誰しもこたえたであろう。七十過ぎの老齢者は、あからさまに体の不調を訴えていた。だが、壮年層はそうもいかず、従って欠勤の口実としては物忌というのがほとんどであった。だいたいこうも物忌が重なるということは、偶然と考えるには不自然である。
源氏の姫を四宮にという話は、中宮の口から出たことだから中宮は了承済みということになる。その四宮の元服はもう少し先になるであろうから、姫の裳着もしばらく延期ということになり、そのことを源氏は妻に伝えに行った。
すると妻は源氏のその話より先に、女二宮から文が来たことを源氏に告げた。女二宮は近く小野に移るという。
「乳母の君がここのところ病の床に就かれたので、そのご養生のためとか」
妻は源氏にそう説明したが、それは女二宮の表向きの口実らしい。妻が見せてくれた文には、
――尼には誰もなるとも同じ山には入らざらむこそかひなけれど、せめて横川の麓までだにもと思う給ふれば――
と、あったからである。尼には誰でもなれるけれど夫と同じ比叡の山には入れないが、せめて横川の麓までと思ってという主旨だ。
「二宮様はまだ、少将が比叡にいると思っておいでのようですね」
「そうだな。少将はとうの昔に大和の多武峰に移っているのに、ご存じないようだ」
「それにしても、あれからもう二年。それなのに二宮様のお心は、少将からはばれていないなんて」
妻は袿の袖で自分の目頭を押さえていたが、源氏は複雑な心境でいた。女二宮は、今でもかつての夫を恋い慕っている。そうなると息子が彼女に執心しているのは、横恋慕以外の何ものでもないということになってことは面倒になる。
また、仮に女二宮も息子を慕うようになったとて、宰相中将やその娘、つまり息子の妻のことを考えると、それだけでも十分面倒だ。だが、女二宮は今でも……。
源氏の悩みは堂々巡りで、また元に戻ってしまった。
秋の年中行事――といっても自然界の行事である激しい野分がやってきた。すなわち、暴風雨である。いちばん風雨が強くなったのは夜で、源氏はすでに宮中から西宮邸に戻っていた。格子をすべて下ろしても、激しい風に格子板は響き渡る音を立てて跳ね上がる。
源氏は北ノ対に渡った。西ノ対の次男と姫そして薫もここに呼んでおり、肩を寄せ合うという形で過ごした。
「お母様、私がついてますからね」
姫もけなげに育ての親をかばっている。
「何のこれしき」
次男も気強い。もうそろそろ声も太くなってくる年齢だが、まだ少年らしい甲高い声を出していた。泣きわめいているのは、源氏の名目上の三男となる薫である。その薫を、一人前に次男がしかりつけていた。
「いいか、薫。こんなときに家を守るのは男の役目ぞ。ピーピー泣いていたら、その役が務まるか」
薫はそんな兄を逃れて、母と思い込んでいる対の上の懐に駆け込んだ。
「嵐もじき、収まります」
源氏の妻も我が子ではない我が子を、しっかりと袖の中に包み込んだ。そんな姿を見ながらも、源氏はこの嵐ゆえに姫と薫のそれぞれの実の母のことも気になっていた。
翌日は、嵐の一過でからりとした秋晴れであった。さっそく源氏は参内前に明石の御方と女三宮のいる高松邸に寄ってその無事を確認し、さらに出産のために六条邸に下がっている斎宮女御と二条邸の左兵衛佐のもとに安否を問う使者を差し向けた。
宮中もさして損害はなく、退出して西宮邸に戻った源氏のもとへ六条邸や二条邸への使者からの復命があった。だが、二条邸に遣わした使者からは、屋敷の
――夫は今日も小野へ行っております。はっきりと聞いたわkではありませんが、まずは間違いないと思います。それも一度ではありません。今は雲にも鳥ともなってどこかへ行ってしまいたい気持ちです。つまらなく長年を過ごしてきたのが悔しく、もう思い出しただけでいらいらします……――
そのあとも綿々と、夫への恨み言がこの文にはつづられていた。
やはり……と、源氏は思った。
宰相中将の娘は、これでは左兵衛佐の妻として心穏やかではあるまい。源氏はその左兵衛佐の親として、自分が責められているような気になった。そして自分を責めているのが息子の妻だけではなく、その父親である宰相中将のような気もしてくる。
「あいつはまじめ一途だと思っていたのになあ」
源氏の口からは、ふと愚痴が出た。
「世間体が悪いね。自分の妻を泣かせて、思いもよらないほうになびいているのだから。これが、相手もなびいているなら世間にもよくあることだけど」
「これも宿世でしょうか」
妻の問いかけに、源氏は一度は大きくうなずいた。
「若い者たちのことは若い者たちに任せて、老人は口をはさまない方がいいのかもしれない。ただ、女二宮様はお気の毒だ。それに一条の御方も今や懐妊中で産み月も近いのだから、体に障らなければいいけど」
源氏はまた一つため息をついた。妻の懐妊中こそ夫が最も浮気しやすいときであるというが、左兵衛佐の場合はただの浮気ではなく片恋に執心である様子だ。
「私はもうそろそろこの世ともおさらばして次の世に行くつもりでいたのに、こうも気がかりが多くてはね」
「まあ」
妻は少しばかり、白い化粧の下の顔を赤くした。
「私をおいて、一人で逝ってしまうおつもりなのですか」
源氏はその言葉には、苦笑だけを返した。
「とにかく一度、左兵衛佐本人と話してみよう。哀れなのはいつでも女の方だからね。女二宮様にとっても一条の御方にとっても、いいようになればいいが」
源氏はほとんど独り言のように言い放つと、畳の下の木の床を見ていた。
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