入道前右大臣のどの子息よりも、九条邸に駆けつけたのは源氏の方が先であった。九条からだと、西宮邸がいちばん近かったからでもある。もっとも八男の右少将だけは入道前右大臣が薨去した同じ邸内にいたわけで、到着した源氏を出迎えた右少将は真っ青な顔をして石のように硬くなっていた。


 葬送も済み、自邸に戻った源氏は、妻と喪服のまま呆然として座っていた。妻はまた泣き出した。

「持ち直したと思っていたのだよ。君のときと全く同じ状況だったからね」

 妻はそれには答えず、ただ泣いているだけであった。そして源氏も泣いた。本来なら父の死を悲しむ妻を慰めるべき立場であったが、妻にも負けないほど源氏も大泣きに泣いた。それほど彼あっての自分だったのだ。十八のとき以来ずっと同じ人生を歩んできた友が、永遠に自分のそばから消えてしまったのである。

 いくら親友の死とはいえ、制度上は喪に服することはできない。だが、源氏の場合失った親友がちょうど妻の父親でもあったため舅の喪ということになって、たったひと月だが喪服を着ることができた。


 そして、宮中もまた大騒ぎであった。老いたりとはいえまだまだ活躍の余地のある五十三歳という年齢で、太政大臣就任も時間の問題という噂さえ流れていた人の死である。実際の一上いちのかみの兄左大臣をしのぐ勢いの「一苦しき二」のその薨去は、宮中にも少なからぬ衝撃を与えた。

 対の上の異母妹の藤壺中宮の嘆きは言うに及ばず、帝も半狂乱におなりになって床を転げまわって泣き騒がれたという。

「譲位だ、譲位だ! 右大臣なしで、どうやってやっていこうか! 何のまつりごとぞ! わたしはもう、位を降りる!」

 そう叫んで転がり回りなさる帝をお押さえ申し上げるのに、蔵人たちはてんてこ舞いであった。

 一カ月の喪に伴う十日間のが開けて源氏が参内すると、宮中の空気はかなり変わっていた。

 故前右大臣の子息たちは一斉に服解で、その姿はなかった。しかし前右大臣の死によって政治を止めるわけには行かず、政務は続けられていた。だが源氏と同じ日に弟の喪の假が明けて参内してきた左大臣は、ここぞとばかりに一切を取り仕切り始めた。

 政務は山と積まれている。今年も空梅雨からつゆで雨がほとんど降っておらず、この分では作物の十分な収穫も望めそうもないので、その対策も立てなければならない。だが議定も六十を超えている左大臣を上卿として、小一条中納言がそれに歩調を合わせていた。その二人にとって故右大臣は異母兄弟であるために一応喪服は着ているが、心の中でまで弔意は持っていなかった。さらにこの二人に本院左大将藤大納言が合力していた。左大臣よりも二歳年長の、総白髪の老人だ。その父親の故本院大臣と左大臣の父の故関白太政大臣は小野宮左大臣とその弟の故九条前右大臣と同様兄弟で政敵であったが、左大臣にとって父の政敵の子であるこの従兄の大納言が、今は左大臣の側に属していた。左大臣の昔に死んだ北の方は、この老大納言の同母妹であったということの方が大きいようだ。

 だから今の宮中は、源氏にとってはいづらい場所になってしまっていた。小野宮左大臣の側からの圧力を、ひしひしと感じている。そして政務も遅々として進まない。なにしろ故前右大臣の長男の頭中将が服解で官を解かれ、蔵人頭が不在なのである。

 当然のこと、人々の間で持ちきりの話題は、次の右大臣がだれかということであった。筋としては源氏を含む二人の大納言のうちどちらかということになるが、源氏は友人の喪が明けないうちにそのようなことを考えるのは嫌であったし、また状況的にも源氏が右大臣になるのは難しかった。もう一人の本院藤大納言はこの年の正月に、従二位に叙せられている。源氏はまだ正三位だ。位階からいっても年齢的にも、また左大臣との縁故にしても、明らかに藤大納言の方が有利だった。

 源氏は孤独であった。しかし彼には、自分は中宮大夫であるという強みがある。その中宮は故前右大臣の娘だし、帝とてどちらかといえば左大臣側ではなく右大臣側に属されていたといってもよい。

 その中宮も父の喪によって宮中を退出し、故前右大臣の長男の頭中将の一条邸に入っていた。退出のときは、牛車にて内裏の北の玄輝門、朔平門を通り、門扉も屋根もなく車に乗ったまま通れる上東門を出て、一条邸に向かったということであった。

 そのうち雨も降らないまま疫病も収まることもなく、五月も終った。諸社への奉幣も寺院での修法も、全く効験がなかったことになる。仁寿殿に大僧都を招いての孔雀経の修法も虚しかった。

 故前右大臣の四十九日の法要は九条邸に程近いその父の御寺で、中宮の主催で行われた。

 ――私は父上の寺の寺守さ……

 そんなことを言っていた故人の声が、参列している源氏の耳に聞こえたような気がした。その故前右大臣の父の故関白太政大臣の建てた寺で、彼の四十九日が行われているのだ。

 仏前で源氏は、今の彼にとって最大の気がかりである朱雀院女三宮のことを考えていた。今でも故前右大臣の養女五の君愛宮になったままだが、この月が臨月うみづきである。しかし、この時点ではまだ生まれていない。

 源氏は友人の死のあとも時々は坊城邸に女三宮を見舞っていたが、幼い姫は沈み込んで泣いてばかりいる。だがその体は、幼いながらも間もなく母親になるであろうことを十分に物語っていた。

 故前右大臣の四十九日の直後に、子息たちは一斉に復任した。

 これでようやく源氏も心強くなったが、子息たちの中で一人だけ復任しなかったものがいた。許されなかったわけではなく、自らその道を絶ったのである。

 それは女三宮のお腹の子の父親である、八郎右近衛少将であった。彼は突然出奔し、比叡山へと登っていっていた。


 またもや宮中は大騒ぎとなった。何しろ童形の頃からその才能をたたえられ、将来を有望視されていた若者である。それが比叡山の横川よかわに入ったという情報に引き続き、出家してしまったという知らせさえあった。

 横川にはかつて故・右大臣が法華三昧堂を造営した際、その楞厳院の阿闍利のもとに九男を仏弟子とすべくおいてきている。右少将にとっては同腹の弟であり、その弟の禅師の手によって右少将は落飾したということであった。

 右少将は源氏にとっては甥というだけでなく、対の上にとっても異腹の弟である。その当然の出家であるから、その知らせを聞いて対の上は衝撃を受けていたようだ。だが源氏はそれを見て、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。妻はまだ少将の不祥事を知らないのだ。

 父が死んでその四十九日の法要の直後の出奔・出家であるから、だれもが右少将の出家をその父の死を悼んでであると解釈した。それにしても右近衛少将の官職も、内親王である妻の女二宮を捨てての突然の出家である。ましてや、二十三歳という若さである。事情を知らぬものは、その才能と将来をただただ惜しんでいた。

 だが、源氏だけはその若い少将の心のうちの暗さを、すべて知っていた。

 女房歌合の後宴で暗に彼をとがめたとき、彼は全身を震わせて退去した。自分のなした罪への自責は、一人の若者が背負うにしては余りにも重すぎたようだ。むしろ彼が罪の意識など持たずにけろっとしているような脳天気の性格であったら、ここまで自分を追い詰めたりはしなかったに違いない。

 右大臣は彼を叱責したかどうか、今では確かめるすべもない。おそらくは、しなかったのであろう。それが彼の自責の念に余計に圧力をかけたであろうことは、容易に想像できる。無言の圧力ほど、恐ろしいものはない。

 いずれにせよ逃げ出す形で、若者は出家の道を選んだ。だが、その本心を知っているのは源氏だけなのだ。

 すべてが霊障だったのだよ……物の怪に仕組まれたことだったのだよ……そう切実に言ってやりたいが、今となってはそのすべもない。源氏は西宮邸で、比叡山がよく見える泉殿に一人で行き、山をじっと眺めていた。


 翌日の午後、源氏は車を坊城邸へと向けていた。後に残された少将の妻の、女二宮のことも気がかりだったからである。まだ十二歳という若さだが、すでに裳着も終えているので御簾越しの対面となった。

「私、取り残されて、落ち葉のように散っていくんですね。もともと内親王って一人で生きていくものだから、仕方なかったかも。でも、それにしても突然。どうして、どうして……」

 御簾の奥からの声は、涙に途切れがちであった。やはり裳着は終えているとはいえ、まだまだ子供である。

「御身のことは亡きお父君の朱雀院様からもくれぐれもと仰せつかっておりますから、この後はこの源大納言、身に変えて後見致します」

 しばらくは涙声のみで、返事はなかった。

「少将殿は、どのようなご様子でしたか? なぜ急に山になど……」

「いつもいつも、自分は法師になって山に入るって、そればっかり口癖のように言ってましたから、今度もまたいつものことだって思ってて、どうせ法師がえるのように帰ってくるなんて冗談言ってましたのに……」

 女二宮の泣き声は、またそこで一段と大きくなった。

「今度は本当に法師になってしまうなんて……。そんなにも私、嫌われたんですか」

 どうやらこの幼妻も、少将の出家の本当の意味は知らないでいるようだ。女二宮はひとしきり泣いたあと、女房に命じて御簾の下から折りたたんだ紙を源氏の方に差し出させた。


  我が入らむ 山の端になほ かかりたれ

    思ひな入れそ つゆも忘れじ」


 そんな歌が一首、そこには書かれてあった。少将の筆跡だった。

「『ふもとの里の落ち葉と消ぬべし』と、私が送った歌の返しです」

 もう一度ゆっくりと宮は、自分が夫に送った歌を口にする。


  あはれとも 思はぬ山に 君し入らば

    麓の里の 落ち葉と消ぬべし


 源氏はいたたまれなくなった。この宮は何も知らないで、夫のことで悲しみのそこにいる。しかし、源氏はすべてを知っている。それだけにもどかしくもあった。

 この宮は今後も内親王として、待遇も経済的にも一応不自由なく暮らせるはずだ。坊城邸の政所は引き続きこの宮を主とし、仕えていくことになる。それにひきかえ……と、源氏はまたもや女三宮のことを思ってしまった。

 目の前の御簾の奥にいる女二宮の実の妹である女三宮は、故前右大臣の養女となっていただけにそうはいかない。すでに右大臣の養女となったということは臣籍降下したのと同じで、すでに内親王ではなくなっている。だから、内親王としての特権は何も持っていない。そして今や養父も養母も失った身である。名目上の同腹の兄も山に入ってしまった。そればかりでなく、女三宮はまもなく父無し子を生む。

 その子の父が山に入って法師となってしまったのだ。

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