十月になって大きな行事が二つ立て続けにあるという、慌ただしい秋であった。二つの行事の一つは残菊宴で、昨年は朱雀院の諒闇のために中止となった分、今年は準備にも皆がてんてこ舞いであった。

 源氏も大納言となって公務が増えた上に、左衛門督の兼職はなくなったものの内教坊別当はそのままであったので、こちらにも顔を出さなくてはならない。宴では内教坊の女たちの舞奏もあるので、むしろ宴が済むまでは内教坊の方にいることが多くなりそうであった。

 その稽古は夜遅くまでかかることも多く、翌朝が源氏の太政官での聴政であったりすると、源氏は遠い西ノ宮邸よりも近い高松邸に帰ることにしている。帰るといってもほとんど寝るためにだけ帰るようなものであった。

 残菊の宴の当日は、紫宸殿での宴が終われば引き続き殿上の菊合きくあわせとなる。

 このころ、弘徽殿に戻った大后もようやく起きだすようになって、清涼殿にも近く後宮の一角である弘徽殿よりも静かで落ち着ける所ということで、殿舎が独立していて庭も広い昭陽舎、すなわち梨壺に移っていた。

 菊といえばその梨壺の庭に、大后は一面に菊を植えさせていた。

 菊合は、残菊が帝に献上されたところ、それをご覧になって帝が言い出しあそばされたことであった。しかし源氏にとっては大后の七十賀の大役もあって、頭が痛いとぼやきたくなることでもあった。宴は表面上は雅の世界だが、水面下で運営する側にとっては雅などに浸っているどころの騒ぎではない。ほとんど忙殺ともいえる日々が続いた源氏は、これでよく体を壊さないものだと自分でも思ってしまうほどであった。

 そしていよいよ菊合の当日となった。上卿は小野宮左大臣で、九条右大臣と源氏、そして右大臣の弟の桃園宰相右衛門督が左方、故・本院大臣の子息の按察使大納言と小一条中納言が右方だ。兄の宰相右衛門督よりも上位の小一条中納言は、今では最近まで源氏の兼職だった左衛門督を兼職している。

 この左右の相分は、全く今の政界の政治権力の縮図であった。左大臣は今回は上卿であって中立の立場だが、本来は右方に属する。つまり、九条右大臣=源氏=桃園宰相のラインと、小野宮左大臣=故本院大臣遺児の按察使大納言=小一条中納言のラインの二本の線は、表面だってこそいないが常に互いを意識し合っている政敵である。

 その二つの陣営が今度の菊合で左右に分かれたことは源氏もそれを実感していたし、右大臣も感じているはずである。だから負けられないと源氏は思っていた。

 第一の州浜が右大臣の左方から献じられた。銀の鶴に菊の枝をくわえさせ、その葉に歌があるという趣向であった。

 ところが、右方のはいつまでたっても出てこない。昼前に帝が出御されて一切の行事が始まったのに、もう日は傾きかけている。そうしてようやく出てきた右方の州浜は、左方とほとんど同じ趣向であった。すかさず右大臣が立ち上がって、笏で右方の州浜を指した。

「右方はたびたびの催促にも応じなかった上、やっと出てきたのは風趣も劣りますな。これは明らかに負けを証しするものでしょう」

 帝もうなずかれて、左大臣をご覧になった。左大臣はしぶしぶながらも左の勝ちを宣するしかなかった。

 やる男だなと、源氏は右大臣についてあらためて舌を巻いていた。すごい男を終生の友としてしまったようだ。もう右大臣は敵方の陣へ行って、罰酒をふるまっている。左方の陣からは、一斉に笑い声が起こる。

 しかし次の献花は、左方が新鮮さに欠けるということで負けになった。だが、三番目の最後の花は左方に軍配が上がって総合的には左の勝ちとなり、左舞の陵王が舞われた。このころにはもう篝火が焚かれていた。

 続いて、左右の歌の披露があった。

 源氏の属する左方の歌は、


  千年ちとせふる 霜の鶴をば 置きながら

    菊の花こそ ひさしかりけれ

 

 右の歌は、


  田鶴たづの住む みぎはの菊は 白波の

    折れど尽きせぬ 影ぞ見えまし

 

 と、いうものであった。

 その後は舞楽となり、遅参した式部卿宮が和琴、源氏は定番の琵琶であった。最後は、式部卿宮の拝舞であった。

 兄上もお年を召された……と、式部卿宮を見ながら源氏は思った。故父院の第四皇子で源氏の異母兄だが、現時点で生存している兄弟の中では最年長である。その舞の中に、ふと翳りを源氏は感じてしまった。


 ようやく一連の行事が終わったがそれも束の間、すぐに新嘗祭が迫ってくる。それでも源氏は、とにかく一息入れたかった。

 久しぶりに西宮邸に戻った源氏は、すぐに西ノ対に渡った。

「くつろげる所は、ここだけだよ」

 そう言いながら源氏は、炭櫃すびつを抱きかかえるようにして座った。もう夜はかなり冷えるようになっていたからであるが、ほかの場所では決して見ることのできない源氏の姿であった。

 対の上は微笑みながら、自ら酒をついでくれた。妻も老いたと、源氏は思った。自分よりは十歳は若いのだが、それでも肌は曲がり角を過ぎている。雀の子を追っていた八歳の童女が今は三十だ。あのころはすでに加冠を終えた一人前の源氏から見て今の妻は子供にしかすぎなかったが、年齢が増すとともに年齢差は縮まっていく。十八歳と八歳では大人と子供だが、四十歳と三十歳では中年同士である。

「君と二人きりで静かに余生を過ごせる日は、いつになったら来るのかねえ」

「まあ。私はすでに、静かに毎日を過ごしていますわ」

 何かおかしな含み笑いを対の上は見せ、そのまま源氏と一緒に炭櫃に両手をかざして座り込んだ。

「少なくとももう、殿の女性問題で気をもむことはないでしょうから」

 源氏も思わず苦笑した。

「そうだろうな。そういう意味では、やっと落ち着けたというところかな」

「殿はどこへ行かれても、結局は私のところへ戻って来られるのですもの」

「おいおい、ずいぶん自信たっぷりだな」

 源氏がひとしきり笑ったあと、対の上は少しだけ源氏の方へ身を寄せた。

「お帰りになるの、お待ちしていました。殿の四十賀に、私だけが何もできないのは辛うございますから、せめてと思いまして準備もさせておりますのよ」

「ちょっと待ってくれよ。気持ちだけで十分だよ」

「いいえ。それでは私の気がすみません。すでに手配もしてありますし、院の御諒闇も明けて、殿のご公務も一段落するのをずっと待っていたのですから」

「仕方ないな。くれぐれも派手にしないでくれよ」

 そうは言っても源氏はやはり内心うれしかった。ただひとつだけ言いつけたのは、高松邸の方にも手伝わせるということで、そうもしなければ高松邸は高松邸の方でまた別に宴を設けるとか言いだすに決まっている。宴は二度あれば疲れるし、一度でいいと源氏は思ったのである。

 対の上はまず嵯峨の釈迦堂で源氏の四十賀のために薬師仏供養を行い、最勝王経、金剛般若、寿命経などが修法された。その日は公卿たちも多く参列していたが、公卿とはいっても右大臣や桃園右衛門督の側に属する者たちのみであったことはいうまでもない。

 嵯峨は本来なら、紅葉の盛りのころであった。だが、今年はどうも紅葉が色あせて見える。まだ緑のままの葉もかなりあったし、そのまま綺麗な赤にならずに赤茶けて落葉するものも多かった。

 法要からの帰り道、源氏は車の中からそのような紅葉を見てため息をついた。車の御簾越しだからであろうか、なぜか鈍色にびいろに、いや墨染めにさえ見えるのである。縁起でもないとも思うが、なぜかそのような気持ちから抜け出せないでいる源氏であった。

 法要のあとは宴となる。対の上は西ノ宮邸ではなく今は長男の左兵衛佐の屋敷となっている二条邸で開くことを提案した。彼女にとってもそこは、幼い頃から一番長い時間を過ごした故郷みたいな屋敷だからである。


 寝殿の南廂までをもひと続きの部屋にして、春の若菜の宴の時には立てなかった源氏の倚子も、螺鈿のきらびやかなものを立てた。その前には覆いのかかった小机が二つ置かれ、御帳台は西の塗篭の中に入れて、倚子の前方にもう一つ畳の席をも設けた。背後の障紙の前には四季絵の屏風が立てられたが、これは源氏の異母兄の式部卿宮の手配によるもので、挿頭の台は明石の上からのものであった。南廂には畳を敷いて公卿の座が並べられ、それぞれの前には源氏の方に向かう形で小机が据えられていた。

 小野宮左大臣も九条右大臣も、この日ばかりは顔をそろえていた。

 庭には舞台があり、昼過ぎに楽人が参入した。源氏にとって、気楽な宴ではあった。宮中の行事としてのそれとは違い、自分が何の裏準備もしなくていいからである。

 舞は万歳楽、高麗楽と続き、夕刻には落蹲という珍しい舞も舞われた。その後に興を添えたのが、源氏の長男の左兵衛佐と右大臣の童形の八郎君が「入綾」を舞ったことであった。

「かつての青海波の再現ですな」

「しかし舞われているのはその息子たちだから、世代が交代したのですよ」

 こんなことを囁き合っている老人の殿上人たちの声が源氏の座にも届き、源氏は思わず苦笑していた。

 夜になって楽人たちが退出しても、寝殿の中では座を乱しての宴が続いていた。源氏も倚子から降りて、畳の上に座っている。左大臣はとうの昔に帰っていった。

 無礼講で、源氏は上座に据えるべき右大臣と同じ畳の上に座していた。

「うちの三郎にな、長男が生まれたよ」

 そう言う右大臣も、だいぶ酔っていた。

「あの高砂を歌っていた子が、もう人の子の親か……」

 源氏はそう言いながら、右大臣の顔をしげしげと見た。

「何だね、気持ち悪い」

「君にまた、孫が増えたなと思って」

「人をあまり老人扱いするな。君だってもうすぐだろう。太郎君の佐殿すけどのに子が生まれたら、君には初孫だな」

「おいおい、忘れるなよ。私にとっては初孫だけど、君にとっては曾孫ひまごだぞ」

 左兵衛佐の妻は右大臣の孫である。

「あ、これはやられた」

 二人の談笑は、いつまでも続いていた。

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