昨年の冷害による農作物の不作は、年を越えてこの年の夏の更衣ころもがえを迎える頃には非常事態として深刻な問題となっていた。なにしろ米がない。民衆の中で、飢えて死ぬものが巷にあふれた。

 ようやく疱瘡の猛威も治まったかと思うと、今度は都の大路小路は餓死者の山である。河原では毎日数千という新たな死体が持ち込まれ、まさしく異臭の河原となっていた。そこに、飢えて彷徨さまようまだかろうじて生きている民衆が同居している。

 毎日これだけの数の人が死ぬのに、うごめく民衆の数は少しも減らない。死体の数を上回る飢えた田舎びとたちが都へ行けば何とかなるとあてにして、連日どっと流れ込んでくるからだ。だが、都に来たからとて、何とかなるものではない。都の人々とて自らの家をこぼち、それをぞくに替えようとして河原を浮浪しているのである。田舎から来たとて新参者が命を永らえられるはずもなく、都を終着点にして次々に倒れ死んでいくだけだ。

 そんな時だから、強盗のたぐいが横行する。この春から検非違使別当を兼任している源氏は大わらわであった。

 彼自らが出動することはないが、検非違使庁に顔を出すたび報告書の山である。しかし本職の中納言として、太政官でまつりごとをも聴かねばならない。それも、ほとんどが諸国からの飢餓の惨状を訴える解文げぶみばかりで、その聴政がないときは検非違使庁に缶詰である。さらには左衛門府にも顔を出さねばならないという、体がいくつあっても足りない状態であった。


 そんな社会状況ではあったが、都の人口のほんの一握りにすぎない貴族の間でだけ、明るい話題が駆けぬけた。

 更衣ころもがえが過ぎてから、清涼殿の新築が完成したのである。

 帝は御即位以来住まわれていた綾綺殿から、新しい清涼殿へと遷られた。まだ新材の匂いが芳しく柱も白く輝いているような清涼殿は、かつて帝の故父院が世をべられた場所である。兄の朱雀の院がついに一度もお入りになることのなかった清涼殿が、久方ぶりに帝の御常御殿となったわけである。


 そしてその数日後の昼下がりである。源氏を乗せた車は、慌ただしく洛南の九条へと向かっていた。

 そこにある右大臣の九条邸には今、藤壷女御が里下がりしてきている。そして、いよいよ産気づいてきたというのだ。

 邸内には白い装束の女房が行き交っていたが、源氏は釣殿で右大臣と対座していた。

 右大臣はそわそわと落ち着かない。梅雨まではまだ間があるが、ようやく汗ばむようになってきた頃だ。空はぬけるように青い新緑の季節だった。

「賭けだ、賭けだ」

 右大臣は何度もつぶやいていた。僧たちの加持の声が、池の上の釣殿にまで響いてきていた。

「今度こそ……」

 前に初孫を亡くしている右大臣は、二人目の「初孫」の誕生に自らも数珠を手にしていた。

 結局出産があったのは、翌日の早朝であった。皇女ひめみこであった。

 一度二条邸に戻っていた源氏は、宮中の仕事は午前中で切り上げて再び九条へと向かった。

皇女ひめみこ様のご誕生、祝着に存じます」

 相手の官職が右大臣なので、源氏は一応形式ばって挨拶を述べた。そして少しだけ目を上げ、ちらりと朋友の顔を見た。それは賭けに負けた男の顔であった。

「皇女でもいい。丈夫に育ってくださればそれでいい」

 右大臣は口でこそそうは言っていたが、顔は十分に沈んでいた。


 それから数日後、帝の清涼殿への還御に伴って、それまで宜陽殿西廂にあった公卿の座も父院の御時のように左近の陣へと移された。その時も小野宮左大臣は、上卿であるにもかかわらず欠席であった。仕方なく右大臣が上卿を務めて着座の儀も終わった後、源氏はその右大臣をつかまえた。

「左府殿は、いったいどうされたのだろう」

「兄君か」

 右大臣は軒廊の柱に寄り添い、夏そのものの陽射しに照らされた南庭を見ながら、ため息をついた。

「賭けは終わっていないな。兄君のこの沈黙が恐ろしい。わが娘が生んだのが皇女だったことで、兄君はまた絶対に何かをたくらんでいる」

 母こそ違え同じ種の兄弟の間に、こんなにも確執があるのだ。源氏の兄弟では考えられないことであった。だから話題を変えた。

「今年の作物はどうかな。何とかなるだろうか」

「何とかなってもらわなければ困る。今年の梅雨は空梅雨だけど、気候はいい。去年の冷たい夏と違って、どんどん暑くなっていっているじゃないか。五穀豊壌を願いたいね」

 右大臣は微笑んだが、半分それは苦笑だった。

 実は梅雨の季節となっても、雨はほんの形だけ都を湿らせただけであった。昨年は梅雨がいつまでたっても明けず、そのために冷夏となって梅雨からそのまま秋になってしまった。さらに大暴風雨が追い討ちをかけての大凶作が今年の食料不足の原因となっている。


 そんなときに、食料不足も何とかなるだろうなどと言っていた右大臣がやまいに倒れた。病自体はたいしたことはなかったが、しかしこの国の病はたいしたことがあった。

 諸国の解文げぶみの中にも、今年は稲もすくすくと伸び青い稲穂が風にそよいでいる様子を文学的に伝えてくるものがあった。だがその刈り入れが済むまでは米不足は続くはずだ。

 さらに本格的な夏になると、不足しているのは米だけではなくなった。たしかに気候はいい。だが、よすぎて雨が降らないのである。

 梅雨が明けると、日照りの毎日が続いた。これでは水不足が心配される。そこで、さっそく新しい左近の陣座で陣定じんのさだめが開かれた。

 どうも勝手が違うと、誰もが思っていた、公卿の中で昔の左近衛の陣での陣定の経験者は、関白太政大臣だけになってしまっている。公卿は完全に世代が交代していた。しかも、その関白は、今では小一条邸を出ることはほとんどない。そうなるとそこにいた公卿の全員が初めて着座する陣座ということになり、違和感を禁じ得なかった。ちょっと首を伸ばせば、今までの宜陽殿の座がすぐそばに見えてもである。

 陣定の内容は、祈雨の奉幣のことであった。また諸社奉幣のみならず、臨時仁王会のことも議された。この頃はもう、源氏の発言順番もかなりあとになってしまっている。中納言として源氏は、その奉幣のことで奔走しなければならなくなる。その条件はほかの二人の中納言とて同じはずだが、兼任については一人は民部卿、もう一人は按察使でいずれも冗官である。それに対し、源氏だけが実際に機能している検非違使庁の長官なのだ。大納言二人はどちらも老人で、しかも若干若い方はあの本院大臣の息子なのであまりかかわり合いたくない。権中納言はあの源氏を敵視している小一条左兵衛督で、大后と和解したとはいえ源氏にはまだまだ政敵が多い。

 検非違使庁の方は、いつ行っても上を下にの大騒ぎであった。強盗の横行が、この頃ますますひどくなっている。春には宮中の造酒使にまで賊は入ったし、勧学院にも入った。この頃は毎晩必ずといっていいほど盗賊の被害が報告されてくる。そしてとうとう、白昼の強盗事件さえ西ノ京で発生した。

 だから源氏は参内するたびに、検非違使は何をしているのだという無言の批判の目を全身に浴びてしまう。しかし盗賊たちとて私腹を肥やすための強盗ではなく、食うため、生きていくための強盗なのだ。

 実際、米不足による餓死者が都であとを絶たなかった。そこで陣定にて、賑給施米のことが議せられた。ところがそれに堪ええる蓄えの米が、宮中にも全くないことが報告された。

「いやいや、ないないと騒いでおりますが、ある所にはあるものでございますよ」

 ことの発端は、伴宰相のこの発言であった。

「ひそかに隠し蓄えておる者がいるとでもいうのか」

 右大臣の下問に、伴宰相はうなずいた。この伴宰相の発言によって右大臣が調査させたところ、備中と伊予の国府が大量の米を集めて、隠匿しているらしいということが分かった。

 源氏にとって、また面倒な事件が起こったのである。

「すまんが、検非違使で何とかしてくれ」

「そんな……検非違使は都の中の治安を守るもので、諸国のことまでは……」

 源氏はそこまで言いかけたが、それ以上のことを言うのさえも面倒臭かった。

 また源氏は、忙殺される。

 そして、その頃から気温はぐんぐんと上がり始めた。冷夏だった昨年の分まで暑くなるのではないかと人々が噂するほど、記録的な猛暑となったのである。

 巷には飢餓に加えて霍乱かくらん(熱中症)で倒れる人々の死体の山がさらに高さを増し、異常な暑さと死体の腐乱臭に都全体が腐っていった。夜になっても昼のままの暑さが続き、公卿たちは誰もが眠れない夜を送っていた。

「いやあ、暑い暑い!」

 二条邸の西ノ対に戻るや、源氏が妻に対して発する言葉は毎日これであった。あまりの暑さに夜も格子を降ろさず、しかも夏になってからは源氏は寝る時も妻の体に指一本触れていなかった。揚げ句の果てには、別々に畳を敷いて寝る始末だ。心が離れたわけではないが、暑さには勝てないのである。

 女房たちも紅袴に乳房も透けて見えるような薄い小袖だけでいるものが多い。中には紅袴のみで、上半身はなにも着けずに乳房もあらわにして屋敷内をうろうろしている年配の女房もいるが、それを見ても何の感情もわかないくらい暑い!

 この物騒な世の中で夜に格子も降ろさずに寝るのは無用心なので、源氏は郎党に庭で寝ずの番をさせた。彼らとてどうせ暑くて眠れないのだから、あまり不満は言われなかった。

 そしてやっと暇を見つけては源氏は東ノ対へ、前斎宮を見舞いに渡った。

「この暑さ、いかがなさっていますか」

「もう、駄目です」

 前斎宮は相変わらず御簾の向こうの几帳の後ろだが、お高くとまっていた彼女もこの暑さで頭が緩んでいるらしく、どうでもいいという感じで源氏の問いに簡単に答えていた。

「どうか、お体をお大切に」

 源氏の方も一日中朦朧としている頭であったが、それでもあることだけは忘れずにいた。この姪の入内のことである。だが今は、とにかく忙しくてそれどころではない。何とか一段落ついたらと、源氏はその手順について考慮をめぐらせていたが、この暑さではその思考もままならない。

 自分の屋敷の東ノ対へさえこのように無沙汰であったのだから、ましてや大井の山荘などここ数ケ月足を向けることもできずにいた。


 米不足は秋が近づくにつれ、段々と緩和されていった。源氏が検非違使別当として配下を諸国に遣わして厳しく糾弾したところ、少しずつではあるが米が都に上りはじめたのである。

 結局、「ある所にはある」と言った伴宰相の言葉は本当だった。それにしてもよくも今までこんなにも大量の米を隠していたものだと、源氏はあきれてしまった。

 だが今度は、これまでも問題だった水不足がさらに深刻化してきた。なにしろ梅雨も空梅雨で、雨が一滴も降らない日が続いたのだから当然といえば当然だ。そのせいでの猛暑であったのだが、こんな時に宮中でできることといったら祈雨の奉幣と読経ばかりだ。

 そしてついに祈雨の本場である神泉苑でも、請雨経法が修せられた。また、奈良の東大寺大仏殿でも祈雨の修法があった。

 奉幣使を遣わした直後に激しい雨が突然大地をうがち、雷鳴が轟いたこともあったが、結局は夕立ですぐにやんだ。

 連日、空の青さはどぎつさを増し、中天までの入道雲が湧きあがる日々が続いた。時折は雨が一時的に激しく降ることもあったが、いずれも恵みの雨には程遠く、ただ落雷などの被害をもたらしただけに終わった。

「倹約だ! 節約だ! 天の賜物である恩恵を人々が忘れているからこそ、そのしっぺ返しが来るんだ!」

 帝はそう言われて、ほとんどヒステリックになっておられた。

 ついに、鴨川の水も枯れはじめた。洛南の巨椋池おぐらいけも水域がかなり小さくなり、地割れした乾いた土地が現れた。

 まるで炎の中で生活しているような日々を人々は強いられ続け、一向に終わる気配はなかった。

 備前からは猛暑の折も折に、大規模な山火事が発生したという報告も上がって来た。暦の上では秋になっても、残暑――と、いうより猛暑そのものはいつまでも続いた。

 朱雀院でも大后のいる柏梁殿の西ノ対の南廂で、一間いっけんにわたって原因不明の破損が生じたという。それを不吉なこととして、朱雀の院は母后とともに、二条院に移られた。二条院は源氏の二条邸よりずっと西の掘川大路の東側にあり、二条大路よりは北にあった。その二条大路をはさむ南側は関白太政大臣の兄であった故枇杷左大臣の堀川邸で、今はそれを甥である九条右大臣が摂収して自分の次郎君じろうぎみの所有としていた。

 院と大后がその二条院に移られた直後に、大后はまたもや病の床についた。

 宮中では、あれほど今年は豊作と人々は期待し、またその期待通りになりつつあったのに、諸国からの解文は昨年と同様に農作物の被害を訴えるものばかりとなった。違っているのは、今年は原因が旱魃かんばつであるということだけである。

 そして、年中行事の大暴風雨が今年も都を襲った。だがそれをきっかけに水不足もほんの少し解消し、朝晩はいくらかしのぎやすくなって、ようやく人々は猛暑から解放されて秋の気配も深まっていった。

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