小野宮左大臣の娘である弘徽殿女御の四十九日も終わらないうちに、女御の兄であり小野宮左大臣の長男である左近衛少将も疱瘡であっけなく他界した。もう疱瘡もほとんど終息したものと、油断していた時だった。

 左大臣は最愛の息子や娘を、ほんのわずかの間に疱瘡に奪われてしまったのである。

 折しもその日は、童女御覧に引き続き新嘗祭の行われた日でもあった。院と同様に帝もすっかりご快癒されたということで、例年通りに新嘗祭は執り行われていた。

 そのすべての行事が果てた後、宮中に知らせはもたらされた。

「疱瘡が憎い!」

 そう叫んで床を何度もこぶしで殴りつけるなど、左大臣はかわいそうなくらい取り乱してすでに暗くなった中を退出して行った。

 それにはさすがに源氏も、同情を禁じ得なかった。たちまちまだ宮中に残っていた人々の間で、噂が高らかに鳴り響いた。

「こう立て続けでは……」

 実は弘徽殿女御も左少将も、母は亡き本院大臣の娘であった。

 暗くなった宜陽殿には、右大臣と源氏だけが残っていた。その西廂は、淡い燭火に照らされていた。まず、源氏がため息をついた。

「また人々が、雷公を持ち出して騒いでいるな」

「そうだな……」

 源氏が口ごもっていると、右大臣はすくっと立ち上がった。

「明日は大変だ。弘徽殿女御様の喪に加えて、太郎左少将は嫡男だから喪も三日延びた。明日から二十日間は、兄は参内せぬぞ」

 長男の喪は三ケ月で忌引は二十日間である。だが、明日は新嘗祭の圧巻、豊明節会とよあかりのせちえなのだ。

「兄の仕事が、全部私に回ってくるよ」

 その言葉通り翌日の豊明節会に左大臣は欠席し、すべての行事の指図を右大臣がしなければならなくなり、彼は大わらわであった。

 その年の五穀豊壌を祝う新嘗祭……ところが冷夏と暴風雨による大凶作で米不足も深刻になりつつある年の新嘗祭だけに、節会さえも色あせて見えた。前の晩に帝がお口にされた新米がどれだけ人々の口にも渡るかは、甚だ怪しい。

 そのような節会の席を早々に切り上げて、源氏は帰宅した。


 世の中が向かえるであろう飢餓については、帝ご自身が新嘗祭の折に痛感されたようだ。

 帝の御直々じきじきの詔勅として、一切の倹約が命じられた。その内容たるや、公卿の下襲したがさねの長さにまで及んでいた。束帯の袍から出る長さが大臣は一尺、大・中納言は八寸、参議は六寸と定められたのである。

 さらに新嘗祭を機に帝は、政治的意欲をますます盛んにされたようである。

 宣旨で諸親王に、宮中参内の遅刻厳禁を言い渡した。違反者は家司の派遣を停止するという厳しい内容であった。だからここ数年なかった凶作という非常事態に加えて、宮中はますます緊張感を増していった。


 年の瀬も押し迫り、いよいよ長年の懸案が実現されることになったのも、帝のご手腕であろう。帝や源氏の父院の御時まで世々の帝のお常御殿であった清涼殿は、かの落雷で半焼して以来部分的修繕がなされつつあった。ところが帝はそれをすべて取り壊して、清涼殿の完全な新築をお命じになった。今は仮に綾綺殿を御座所にしている帝であるが、すべて父院の通りにという帝の願いから、父院のおわしました清涼殿に御自らも住むべきであるとお考えになったのであろう。取り壊された旧清涼殿の木材は、東山の故父院の御寺で使われるべく運び出されていった。

 思えば朱雀の院は、ついに一度も清涼殿にお住まいになったことはなかった。

 申すも恐れ多いが、朱雀院は聖帝堯の子の丹朱であった。だが今の帝は堯の子にして堯そのものでもあるというのが、おおかたの公卿たちの秘めた気持ちであった。厳しい内容の宣旨を申し渡しても、お人柄が優しいので不思議と人々の反感を買わない。むしろ宮中の空気が張り詰められてよいと、人々には歓迎さえされていた。

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