小野宮右大臣の四の君――すなわち源氏の亡き最初の妻やあの尚侍かんの君、そしてかつての藤壷女御のさらなる妹である新しい女御は、大后と朱雀の院のおられなくなった弘徽殿に入った。

 これから後はその女御が弘徽殿女御と呼ばれることになる。これまで「弘徽殿」といえば誰もが大后を連想していたが、これも時代の変遷を物語ることでもあるといえる。

 九条大納言の四の君はそれまで昭陽舎(梨壷)にいたが、朱雀の院の女御で飛香舎にいた小野宮右大臣の娘の藤壷女御はすでに朱雀の院とともに朱雀院に遷っているので、今はいていたその飛香舎(藤壷)に移った。今後は九条大納言の四の君が藤壷女御と呼ばれる。

 以前の清涼殿でもそうであったが、源氏の父院の代に落雷で焼失して以来再建中の清涼殿に代わって帝のお常御殿となっている綾綺殿の中に、「弘徽殿の上の御局みつぼね」と「藤壷の上の御局」という二つの部屋がある。数ある後宮の殿舎の中でも特にこの二つの殿舎のみ同じ名を持つ部屋が帝のお常御殿の中にあるというのは、この二つの殿舎には有力な女御が入ることになるからだ。中宮として冊立されるのも、たいていこのどちらかの殿舎の女御である。

 では、どちらが中宮となるのか……これはやはりどちらが東宮を生むかにかかっているだろう。それぞれの女御の父である小野宮右大臣と九条大納言は、今や兄弟でありながら最大の政敵であり、またともに父の関白太政大臣から有職の教命を受け、それぞれに故実の流派を確立しつつある。

 その九条側に、新しい年は分がよかった。

「とうとう私も、翁になってしまったよ」

 と、大納言は源氏に苦笑していたが、娘の藤壷女御の主催で大納言の四十賀が催されたのである。無論、源氏も参列した。

 今や源氏は完全に九条側の人間であるが、それだけに腹の中にある一もつが重圧となってのしかかっていた。……せめて藤壷女御が東宮を生み中宮に冊立されてから、前斎宮の入内は実現させようとも思う。娘の地位が確固たるものになった後であれば、前斎宮を入内させたとて大納言の気を害すまい。前斎宮の入内は自らの繁栄のためではなく、前斎宮自身のためなのだから……源氏はひそかにそう考えていた。

 さらに九条家では、喜びが続いた。昨年亡くなった新斎宮の代わりの斎宮が卜定されたが、その同じ日に九条邸で大納言の三男の加冠の儀が執り行われた。十九歳という遅い元服であった。


 季節は次第に春本番に向かっていく中、天下の慶びごとがあった。だがそれを聞き、九条右大臣は歯ぎしりをして悔しがったという。

 政敵である兄の小野宮左大臣の娘、弘徽殿女御の懐妊が発表された。

 知らせを聞いて右大臣の心中を心から察したのは、源氏くらいであろう。彼もまた同じ思いであったのだ。


 この年は桜が遅くて三月になってからようやく満開となり、その頃に院のおわします朱雀院への帝の行幸があった。帝の朱雀院への行幸は今年になってから二度目であったが、今回は小野宮右大臣、九条大納言とともにその二人のさらなる弟の宰相二人も加わり、源氏も同行することになった。

 親王も式部卿宮、中務卿宮の姿が一行の中にあった。式部卿宮は故院の弟宮であり、源氏の叔父である。中務卿宮は故院の四宮で大后腹ではなく、源氏にとっても院や帝にとつても異母兄だが、生存する兄弟の中では最年長なので今回の同行となったようだ。

 帝に限らず、親王・公卿たちはすべて車のまま邸内に入ることが許された。何しろ神泉苑と同等の広さの巨大な敷地であり、車でないと門から殿舎までたどり着くのに一苦労だ。

 まるで密林の中のような小道を進むと、突然視界が開けて池が横たわる。その向こうには、朱塗りの柱に碧の瓦屋根の漢風建築がそびえている。この正殿は普段は使っておらず、その背後の森の中の檜皮葺の、和風だが正殿に負けないくらいの規模の御殿が朱雀の院の御所であった。

 だがこの日は、列はそれも素通りして行った。さらに北にある栢梁殿の西ノ対が大后の御座所だが、今日はその栢梁殿の寝殿で帝は母の大后と兄の院と対面することになっていた。すでに院もそちらに渡っておられるはずである。

 帝のご到着を告げる声が、高らかに森の上に響きわたった。

 黒の束帯で身を固めた源氏は、大納言の次に寝殿の放出はなちいでへと入った。その後ろに大納言の二人の弟が緋の束帯で続く。この場には、年齢順では中務卿宮・源氏・院・帝の四兄弟と、右大臣・大納言・二人の参議という四兄弟の、二組の兄弟が顔をそろえたことになる。

 上座に院と帝が左右に向かい合う形でお座りになった。それぞれ畳二枚の上にしとねがあり、院は左側の東向き、帝は右の西向きの御座であった。院と帝は同母兄弟なのに、あまり似ておられない。むしろ異腹であっても帝は源氏とよく似ておいでだという噂であった。帝と源氏は父親似、院は母親似なのであろう。

 見える範囲の上座には、院と帝だけがおられる。しかし、その正面奥の御簾の向こうには、院と帝お二人の母がいることは確実だ。

 これまで後宮を、いや宮中を陰から動かしてきた実質上の「女帝」が今こんなに近くにいると思うと、源氏は妙な気持ちであった。しかし、不思議と今までのような重圧感は感じない。院が譲位されてから、「女帝」も退位ということになったようだ。今でも国母ではあるが、意識の上ではただの母親に戻ったのかもしれない。

 今の帝は、その母から自由だ。院も一時はそうなろうというご意志は持たれたが、そうするには母は近すぎたし、かごの中で育てられすぎていた。院への過保護への反動でか、帝は自由奔放に育てられたようだ。そして結局は、その帝への御譲位ということになってしまった。そこにある理由は単に大納言の策略だけではなさそうだと、源氏は今にして思えばそうも考えられると思った。

 その九条大納言は、一行の中でもいちばん顔が輝いていた。

 まずは小野宮右大臣が、院と大后に挨拶を申し上げる。すべてが厳かな儀式だ、帝と二親王の挨拶は右大臣以下がまだ入室を許されずに東ノ対で待機している間に、すでに執り行われていた。

 右大臣に続き、大納言の挨拶となる。帝とは完全に息が合っているということを院にも大后にも、そして自分の兄にさえも誇示しようという大納言の心意気が感じられた。

 その後は管弦の遊びがあり、それぞれが禄を賜った。今までの人とこれからの人の交代の宴……源氏は誰にも言わなかったが、この宴をひそかにそのように考えていた。

 それから数日たって、同じ朱雀院の栢梁殿で大后主催の御八講が催された。源氏はもはやこれまでのような大后への敵愾てきがい心は薄れてはいたが、特に関心もなかったのでいつも通り宮中に出仕していた。

 宮中の動きも平静と何ら変わりなく、いかに大后が過去の人になってしまったかを物語るようでもあった。

 

 時代は変わった。新しい空気が、宮中にみなぎっている。

 その象徴のように、年号も改められた。

 前の改元はうち続く天変地異、ことに大地震と大嵐のためであったが、今回は特にそのようなものもない。その改元の直前に大后が重体に陥りその時ばかりは宮中も少しは揺れたが、改元はそれとは関係なかった。なぜなら改元の儀は公卿の間で、大后が重体となる半月も前から議せられていたからである。

 やはり東西の兵乱に明け暮れた暗い時代に終止符を打つという考えと期待が、この改元の中に込められていたのであろう。

 

 さらに時代は変わる。

 遅れていた春の県召あがためしの除目が、今年は司召つかさめしの京官けいかん除目をも兼ねることになった。

 関白太政大臣の地位は変わらない。大将は兼ねていないが、それでも内舎人うどねり二人、左右近衛各四人、さらに随身兵杖もつくという破格の待遇であった。すでに六十八歳のこの老人は、中宮職、皇太后職、太皇太后職の三宮職の待遇に準ずる准三后の宣旨をも受けていた。しかしいかんせん、老い先が見えている。

 そしてその他の兄であった枇杷左大臣の薨去後久しく空席であった左大臣の地位に、小野宮右大臣が就いた。いくら太政大臣が次男の九条大納言に目をかけているとはいえ、長男を飛び越えて左大臣にすることはできないし、また実質上の公卿の上卿である左大臣の席をいつまでも空けておくわけにもいかない。

 こうして小野宮左大臣が誕生したのだが、これまでのその右大臣の席には当然のごとく九条大納言が昇った。小野宮新左大臣には左近衛大将の兼任があるが、九条新右大臣の右近衛大将の兼任も従来通りだった。

 父が関白太政大臣、その長男と次男がそれぞれ左大臣と右大臣、しかもその兄弟二人はともに帝の二人の女御の父親である。収まりきってしまった感じがするが、しかしその兄弟は互いに政敵なのであった。

 しかし源氏にとっては、おもしろい状況ともいえた。彼は別に二つの勢力の間で板ばさみになっているわけでもなく、もはや完全に九条新右大臣側に属している。

 昇進は大臣ばかりではなかった。源氏もいよいよ人生の夏の季節を迎えようとしていた。

 九条新右大臣就任で空席となった大納言に昇ったものはなく、そこは空いたままで、六十八歳の源中納言、本院中納言、藤中納言の三人の中納言もそのままであった。

 だが、宰相左大弁とともに源氏は権中納言となったのだ。

 参議になってから八年目の、やっとの昇進である。源氏が参議になった時、同期で参議になったのは三人いた。一人は藤中納言で、今は源氏より上を行っている。本院大臣の三男はもうこの世にいない。そしてもう一人の伴宰相と、同期ではないが同じ年のうちに参議になった修理大夫の二人は、四位の参議のまま据え置かれた。この二人は老人であるので、致し方ないこととも言えた。。

 この除目の当日中に九条邸で新右大臣の任大臣大饗が開かれ、源氏も参加したし、二条邸の西ノ対の上も同道した。

 源氏にとっては朋友の大臣就任も喜ぶべきことではあったが、

「この宴は君の権中納言就任の祝宴でもあるよ」

 と、そんなふうに新右大臣は言ってくれた。

 宴の前に、源氏はこの九条邸で暮らす新右大臣の妻、すなわち自分の同母姉と久々に対面して短い時間だが語り合った。結局話題は世の移り変わりの激しさばかりだった。あとは同行してきた源氏の妻が、親しく源氏の姉と語り合っていた。

 やがて宴が始まった。宴の席には新右大臣の息子たちのうち、元服している三男までが参列していた。すでに顔は見知っているが、源氏はあらためて右大臣によってその息子たちに引き合わされた。

 長男は右兵衛佐で二十三歳、次男は周防権守で二十一歳、三男は十九歳で元服したててであるからまだ官はない。

「君たち、若いな」

 思わず源氏は目を細めた。そこへ三人の父が割って入った。

「このおじさんはね、父とは兄弟同然、いやそれ以上の仲なのだよ」

「おいおい、翁はやめてくれたまえ。自分と一緒にしないでほしい。私は君よりずっと若いのだよ」

 源氏が笑いながら抗議しても、右大臣も笑ったままであった。源氏はもう一度、若者たちを見た。

「若いのはいい。私も若いが……」

「はあ?」

 また、右大臣が茶化しに入った。この三男はついこの間まで童殿上で、同じ童殿上の源氏の息子とも親しく付き合っていたようだ。

「ただ丸殿の加冠の儀は、まだでございますか?」

 ただ丸とは源氏の息子の、幼少時の仮の名である。ただ丸はこの元服した若者より七、八歳は年下だが、そろそろ加冠してもいい頃である。だが、源氏はにっこり笑って答えた。

「まだ、十年早い」

 そこへまた、右大臣が口を出した。

「君は、『自分も若い』なんて言っているくせに、その反面『若い人はいい』なんて、矛盾しているぞ。やはりおじさんになった証拠だ」

「確かに」

 源氏は返す言葉もなく、二人の翁は大声で笑った。二人でこうして笑っているうちは、その意識は互いに昔の光源氏と頭中将のままなのであった。

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