太政大臣は依然関白ではあったが、それでも新帝の時代は確実に始まった。

 新帝は兄の院とは同母兄弟ではあっても、ご容姿といいご気性といい全く似ておられなかった。新帝もまた優雅で気品ある優しさを供えてはおられたが、幼い頃に閉め切った殿舎の燭台の中で育てられた弱々しい院と違って気性が激しいお方だったのである。

 ある日、宮中で源氏が宜陽殿にいると、蔵人のひとりがあたふたと源氏を呼びにきた。すぐに右衛門府まで来てほしいという。

 源氏が駆けつけると、右衛門府は大騒ぎになっていた。右衛門尉が、帝に直々にお咎めを受けたという。その上司の右衛門督でもある源氏にとっても、ただごとでは済まされない。それにしても帝が右衛門尉ごときを直にお叱りになるなど、ここ数年では考えられないことである。しかもその右衛門尉は、帝に直答で口答えをしたという。

 源氏は頭を抱え込む思いだった。

「こ、ことの起こりは何だっ!」

 聞くと、その右衛門尉は蔵人でもあり昨夜は宿直とのいであった。その宿直衣の紅が派手であるのを帝が直接ご覧になり、お叱りになった上に破かれたのだという。

 右衛門尉も驚いて気が動転したらしく、帝に対して、

「宿直衣は私物でございますれば、公の規定を受けるものではないはず」

 と、食ってかかったということだ。

 この尻ぬぐいは、源氏がしなければならない。源氏はすぐに御前に参上し、部下の不逞を幾重にも詫びた。

「兄君に頭を下げられたら、かえって恐縮です」

 帝は玉座からそう腰を低く言われたが、そのお眼は光っていた。

「だが、わたしの気持ちも分かって頂きたい。亡き父院が奢侈しゃしを禁じられたのを、わたしも引き継ぎたいのです。つまり、世の中を父院のみ世に戻したいのですよ」

「はあ」

 そこまでのお考えとは、知らなかった。たしかに故父院は宮中における奢侈を禁じ、それでもなかなか収まらないので本院大臣と示し合わせてひと芝居をうたれたと聞いている。つまり本院大臣がわざと派手な衣で参内し、父院がそれを咎めて本院大臣を謹慎処分にした。大臣でさえ……ということで、やっと宮中の奢侈は収まったのだという。

 それにしても父院ではなく今の帝までが右衛門尉に対してあのような行動に出られたことは、兄の朱雀の院のご在位中には考えられないことであった。故院以来久しぶりに、政治的発言をされる帝がご出現あそばしたといってもいい。

「兄君。わたしは父院の御代に憧れております。しかしなにぶん父院崩御の時はわたしはまだ物心つかぬ幼子でありましたから、父君のことは微かにしか記憶にありません。ですから機会を見て、兄君から父君のことをお話し頂けないですか」

「はあ、喜んで」

 この帝は燃えていると、源氏は思った。御自ら世の中を動かしたいと思っておられる。それを見て、源氏の心はふと熱くなった。この帝は院と同じ弘徽殿大后のお子ではあっても、大后の人形ではないということを知ったからだ。


 大嘗祭が近づくにつれ、宮中はますます慌ただしくなっていった。源氏にとってかつて朱雀の院のご即位の時に一度経験したことだが、その頃と違って今は上達部という責任ある地位にいる。よって、月三日の假も返上しての勤務となった。

 それに輪をかけるように、源氏の二条邸にいる前斎宮の後を受けて新斎宮に卜定された内親王が、潔斎中に他界した。源氏の異母妹であるが、ただの内親王ではなく斎宮の薨去となるとこれは神事に属する。そうなると、やれ奉告使の派遣やら何やらがどうのこうのと雑務が増え、そのための議定も入って、公卿たちはただでさえ大嘗祭前の忙しい時に貴重な時間を割かれることになった。

 秋には大嘗祭に先立って大嘗祭御禊が行われるが、その前にもまたひと騒動あった。

 源氏が宮中で九条大納言に会うと、大納言は憤慨していた。

「あの方たちは、国事をいったい何だと心得ているのだ」

 あの方たちとは聞かずともそれが誰を指すのか、源氏にはすぐに分かった。自分の異母兄弟の親王たちだ。御禊には五人の親王が供奉することになっていたが、その五人とも病気と称して再三の督促の使者を送っても腰を上げようとはせず、急遽代役となった四人の親王たちの二人も、腰痛を理由に供奉を断ってきた。結局、御禊に供奉することになったのは弾正宮と式部卿宮のみとなったのである。

「信じられん。言語道断だ」

 大納言は源氏にさえ噛みつきそうだったので、源氏は放っておくことにした。

「帝のご決裁を仰ぐしかないな」

 大納言は一人で興奮して行ってしまった。この時期、ぴりぴりしているのは公卿なら誰しも同じことである。源氏はため息をつきながら内裏を出て、右衛門府へと向かった。


 大嘗祭の鴨川御禊は、ほかにも数名の参議の欠席のまま執り行われた。思えば一代前の御禊の時、源氏は物珍しさに胸躍らせていた反面、重苦しい重圧のある視線を感じたものだった。今やその重圧は、宮中の中にはない。

 当日、源氏は御前次第司長官を拝命し、馬上での参列となった。帝をはじめ全員が位服を着用していたが、小野宮右大臣と九条大納言そして源氏の三人の位服は同時に修繕させたものの手違いがあって、三人だけ色の異なる私服での参列となってしまった。

 行列は紫宸殿の正面の承明門から真っ直ぐ建礼門を出て、太政官と宮内省の間の大路を下り、美福門から大内裏の外に出る。そしてそのまま、二条大路を東進する。

 当然、源氏の二条邸の背後を通ることになる。だから源氏はあらかじめ邸の北側に桟敷を設けさせており、行列が通る時には西ノ対の上と東ノ対の前斎宮が見物をしているはずだ。ほかにも見物人でごった返している二条大路であったが、源氏はその庶民に紛れて朱雀の院のお車もあるのを馬上から発見して驚いた。

 やがて行列は京極大路を下り、三条を東に折れて三条河原の頓宮へと入っていった。

 この御禊が相当あたふたしたのと対照的に、大嘗祭はかなり順調にことが運んだ。だがそれは上辺だけのようで、豊明とよあかりの節会の後で九条大納言がかなり荒れていたのがその証拠だった。

「懐かしいね」

 と、そうとも知らない源氏は大納言に話しかけてしまった。

「かつて君と青海波を舞ったよな。あの頃は若かったなあ」

「今はそんな懐古趣味に浸っている暇はないのだよ!」

 源氏は大納言のあまりの剣幕に、思わず口を閉ざした。そして大納言の鼻がぴくぴく動いているのを見た。長年のつきあいで、大納言が何も言わず含み笑いをしたら何か自分に利することを企んでいる時、鼻がぴくぴくと動いたら何か自分に不利なことが起こった時だと源氏はよく承知している。


 果たして冬も深まった頃、大納言を怒らせていたひとつの出来事が明らかになった。

「兄君はどうしても、私に対抗したいらしいな」

 怒りと対抗意識と不安と、そして少しばかりの勝利の予感で、大納言は源氏の前で苦笑した。宮中の宜陽殿で、である。早朝なので、二人のほかはまだ誰もいない。

 小野宮右大臣が切り札の四の君を帝のもとへと入内させたという知らせは、すでに源氏の耳にも入った後だった。しかもそれは、いきなり女御としての入内であった。これで大納言の娘とともに、従姉妹いとこが同じ帝の女御として並び立ったわけになる。

政事まつりごとは賭けだよ」

 大納言の賭けは果てしなく続く。源氏は朋友として一種の同情を禁じ得なかったが、しかし自分もまたその賭けに加わろうとしている。その時大納言は、どのような顔をするだろうか。自分に何と言うだろうか……今は考えたくもなかった。

 春になれば前斎宮の母の喪も明ける。それからすぐにというわけにはいかないであろうが、いつかはという源氏の考えは今でも変わってはいなかった。

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