12

 雨が降り続く季節になって、豊田小次郎が入京した。都じゅうその話題でもちきりだった。

 もちろん首になっての入京である。その首が町中で、さらし首になった。人々はこぞってその首を見に行き、毎日その前は黒山の人ばかりだという。

 源氏もふと見に行こうかとも考えたが、まさか車に乗って見に行く官人もおるまい。それにそんな首を見たりしたら触穢となって、しばらくは出仕できなくなる。

 源氏は二条邸にあって、遠い東の空を思った。そこに、相見まみえたこともないはずの、小次郎の笑顔が浮かんでいるような気がした。その姿は甲冑などつけてはいなかった。

 恐らく彼は、甲冑などつけたくはなかったのだろう。すべての結果は、周りの者が仕組んだに違いない。周りに祭り上げられて、彼は新皇になったのではないか――源氏には、なぜかそう思われてならなかった。

 小次郎の歩む両脇にはおびただしい数の板東の、土とともに生きる民衆の姿がある。それに囲まれて小次郎は同じ方向に歩いている……。

 ぷつりと幻影がとたえだ。源氏はうすら笑いを浮かべた。今の自分とはあまりに立場が違う。この事件も時とともに風化するだろう。小次郎と自分、所詮住む世界が違うようだ。

 今、源氏は備前権守として、任国からの収入もある。官位昇進のため受領たちからの贈り物も来る。何しろ高官閣僚の中でも、源氏は帝の兄なのである。これほど強い力はあるまい。

 だから前回の除目の前には、前摂津守に限らず任終える受領たちからの贈り物が二条邸に山と積まれた。すべてが領民の汗の労働から絞り取った財物である。

 源氏はあえてそのことに、抵抗感を持たないことにした。この世界でこれから、自分は生きて行くのだから……。

 小次郎の首よりも後れて、征東大将軍の宰相修理大夫の老人も帰京し、その節刀を返納した。

 結局かの老人が現地に当着する前に小次郎は同じ坂東の土着の豪族に討たれたのであるから、彼は任務を遂行し得なかったことになる。

 当然修理大夫は、何もしなかったのだから功賞の対象にはならなかった。一度は摂政太政大臣から出向だけでもしたのだからという意向が示されたが、結局沙汰やみになった。権中納言が源氏に耳打ちしたところによると、彼の兄つまり摂政の長男の小野宮大納言が徹底的に反対したということであった。


 源氏は大蔵卿の兼職ができたので、議の召集がない日も一応は毎日参内しなければならなくなった。八省の卿は冗官とはいえ、やはりその役所がある以上そこにいないとまずい。だが実質上の役職と兼任というよりかは、確かに暇も多かった。

 明石の姫君の捜査は、一行にはかどらない。なぜならここ数ヶ月、西の海賊の活動が再び活発化したからだ。

 石清水八幡宮にも奉幣が行われた。さらに摂政太政大臣の命により海賊征伐のための徴兵が近江国で行われたが、なかなか思うようにはいかない。

 帝もずいぶんお気弱になっておられるようだ。しかし今はまだ譲位のしようがない。譲る相手がいないのだ。十四宮はまだただの親王であって、皇太弟となったわけではない。今は東宮は空席で、おそらくは帝に男皇子おのこみこ御誕生まではそのままにしておくという大后の腹であろう。十四宮を皇太弟にしてから帝に男皇子が御誕生になっては、昔の壬申の乱ではないがことが面到になる。

 源氏は畏れ多いことだがお弱そうなこの帝から、今さらに男皇子の御誕生は有り得ないのではないかとそんな予感がしていた。そうなると、権中納言は賭けに勝つ。大后は負ける。ただ、その予感は源氏に限らず、帝の龍顔を拝し得る人ならそのお顔色から誰でも考えたことに違いない。お人柄は悪くはないのだが、帝は女性的でお弱々しすぎる。

「摂政が、辞表を出しましたよ」

 ぽつりと帝は、源氏に言われた。

「え?」

 別に初めて知る太政大臣の心中ではなかったし、摂政も太政大臣の職も以前に一度辞職を願い出て却下されてはいたが、源氏は少しばかり驚いた。帝はため息をついておられた。

「で、お許しになられたのでございますか?」

「許すものですか。太政大臣の摂政就任は、父・故院の御遺詔なのだしね。またあのお目で睨まれたくはない。そうでしょう、兄君」

 源氏はふと臣下が帝に拝する目ではなく、兄が弟を慈しむ目を帝にお向け申し上げた。

 源氏はその足で、摂政の直へと赴いた。

「辞任のこと、本当でございますか」

「ああ」

 すっかり老いた太政大臣は、弱々しくもうなずいた。

「この政界の困乱は、もうわしの手に負えるものじゃないよ。あとは若い人たち、うちの太郎や次郎、そして特にその次郎と御懇意の源氏の君様のような方々に、お任せした方がいいのではと思ってね」

 辞表は最初は出しても返却されるのが常だ。三度目で初めて受理される。その慣習を利用して、辞意はないのにポーズで辞表を出す人もいる。だが、どうやら摂政の辞意は本気らしかった。

「そもそも摂政というのは上宮聖徳法王が就かせ給うて以来、帝が御幼少、もしくは御病弱で政務に耐えられない時に補佐するみ役。ところがもう帝におかせられては、今では御立派に成人あそばされたのです」

「しかし摂政殿下、漢籍にも『世が治っている時にこそ、白髪を恥じないで君に仕え奉るのが真のひじりである』と書いてあるではありませんか。『史記』の“留侯世家”にそんな話がありましたよね」

「いや、もう年寄りの出る幕ではないわい。これからの都を背負っていくのは、そなたたち若い人々ぞ。わが次郎と力をあわせて、がんばって下さいよ」

 我が子や権中納言の子息たちを見ていると自分も年をとったと思ってしまうが、太政大臣から見れば自分はまだまだ若い人であるようだ。それが源氏にとってはくすぐったくもあった。

 結局太政大臣の、摂政辞任は受理されなかった。

 世の中は西国海賊の鎮圧のため、さらに奉幣修法でにぎわい立っていた。そこへ来て、弘徽殿大后の病がますます重くなった。そのための修法も重なって各寺で行われたのだから、都中てんてこ舞いであった。

 ついに大后平病のための修法が、陣の座でも行われることになった。それには参議以上のすべての公卿が集められ、同時に宣命も読まれるという。弘徽殿大后――源氏ははっきりとそれを、自分の政敵と心得ていた――その修法に召集されたとて、誰が行くものかというのが源氏の腹だった。結局彼は欠席した。

 西海の海賊は東国の兵乱の時と同様、讃岐と伊予の国府を襲ったという知らせが、秋になってから届いた。さらに備後の船団も、賊によってことごとく焼かれたという。

 完璧に国家への反逆である。それに対して朝廷がとった処置は、国々に官符を発して兵を集め、諸社に祈らせ、また警固使を派遣することであった。伊勢、石清水への奉幣も重ねて行われ、稲荷社の神を従一位から正二位としたことを始めて各国の神社の神位も、前年に続いてことごとく叙位された。

 そしてすでに山陽道追捕使に副将を送ることになったが、それは誰あろう小次郎に襲われて帰京した前武蔵介で、今は大宰小弐として五位に叙せられている六孫王であった。だが、両国の状勢は一向に納まらない。


 それでも都とその四周の山々は昨年まで同様に紅葉し、何ら時勢が変わったことを感じないほど官人たちの感覚は麻痺していた。源氏とて、ともすればそれに同調してしまいそうになることがあった。

 都の官人らにとっては平安京のみが世界、いや宇宙のすべてなのである。そこでは優雅に菊花宴が開かれていたりした。

 しばらくして海賊が今度は、周防の鋳造司を襲ったとの知らせが入った。人々はそのたびに大騒ぎするが、翌日はもうけろっとしている。

 しかし源氏にとっては、西国の海賊の猛威の知らせが入るたびに、背筋が寒くなって心に暗い陰が落とされる。そのたびに気遣うこと――それは明石の姫君の安否であった。

 混乱の中で、冷然院れいぜいいん西町が焼亡した。ここにおわします上皇は今の帝から数えて四代前の帝であった。もちろんその上皇は御無事であった。御年七十三歳。源氏の父の故院とは又従兄弟またいとこに当たる。昔の帝というよりも、お若い頃の一時期に帝であったことがあるといった方が正確かもしれない。九歳で即位されて十七歳で退位されたあと、七十三になる今に至る都のかたすみでひっそりと、世に忘れられて暮らしておられる方である。ところがその上皇の御所がこの時に焼亡したというのは、単なる偶然ではないかもしれない。

 今、山陽道迫捕使の次官として派遣されている六孫王の父は、この上皇の弟宮であった。


(つづく)

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