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 更衣ころもがえの頃も過ぎ、世の中が夏一色になった。

 東国の固関使も任を解かれ、世の中が半分だけ収まった頃、九条邸にて権中納言の太郎君と四の君の加冠・裳着があり、その宴に源氏も招かれた。久しぶりに西ノ対の妻を伴っての外出であり、彼女は自分の弟妹の晴れ姿に酔っているようであった。

 何しろ前日の夜が大騒ぎだった。源氏が西ノ対に渡ると、明日着る装束や化粧けわいのこと、そして香のことまであれこれと源氏に尋ねては思案していた。

「そんなこと、男の私に聞いたって……」

 源氏は苦笑したが、妻は今度は乳母や女房たちをつかまえて、興奮状態でああでもないこうでもないと騒いでいた。

 今日はその妻は恐らく、すまして御簾の中に座っているのだろう。源氏とて感慨深いものがあった。

 今回元服する権中納言の太郎君は、かつてこの邸で源氏に「高砂」を謡ってくれた若者だ。彼は今年十七歳で世間的には遅い元服だが、源氏の元服も同じ年だった。他にひとつ下に次郎君、十二歳の三郎君、さらにもっと下にもいて男子だけでも権中納言には六人、女子も合わせると九人の子がいる。それに源氏の姉も妻として向かえた権中納言だから、これからもますます増えるであろう。

 源氏はうらやましかった。童殿上している源氏の息子は、宮中でもなかなか評判がよかった。さすがに光君の子息だけあって光輝くお子だと噂され、誰からも愛されているようだ。しかしあとがない。実は明石の姫君の腹中にもうひとり子がいるはずだが、当の母親になるはずの明石の姫君自体が行方知れずなのだ。


 九条邸での儀は、太郎君の加冠に続いて十四歳になる姫君――四の君の裳着となった。

 同じ邸の同じ部屋で、かつては自分の妻の裳着の儀が執り行われた。あの時初めて妻は、父である当時の頭中将――今の権中納言と対面したのだ。今、裳着を迎える姫は母こそ違え、妻のすぐ下の妹である。一の君、二の君、そして源氏の妻である三の君は皆正式の妻ではない妾腹だ。そうなるとこの四の君こそ権中納言の大君といっても差し支えなかろう。

 女は裳着と同時に一人前となり、嫁ぐ相手も決まるものである。だが源氏はすでに、その相手を知っていた。


――源氏は回想していた。

「君だからな、私のたくらみを話しておくよ」

 四日ほど前、宮中で源氏は権中納言に袖を引かれた。宜陽殿を出て、宣陽門の方へ白砂理の上を歩いている時だった。

「すでに父君にも話してあるし、大后様のお許しも得ているんだ」

「何のことだ?」

 大后の名が出たので、源氏は少しだけ緊張した。ところが権中納言の話は、心配したような政治向きの話ではなかった。

「こんど裳着する四の君だけどね、先日御加冠あそばされた十四宮の妃として、入内させることになったんだよ」

「なんだ、そういうことか。それならめでたいことではないか」

 源氏は歩きながら、とうに勘づいていたことだけど初めて知ったというふうを装って顔に笑みを取り戻した。権中納言も笑顔を返した。

「十四宮は腹違いだけど、私の弟宮だからね」

「うん。ただ、宮は帝とは同腹の弟宮だよな」

 顔は笑っていても、刺すような視線が権中納言の目からは発せられていた。権中納言は前にもそのようなことを言っていたし、源氏はわざとそれに気をとめずさらに微笑して、

「しかし、君も欲がないな」

 と、権中納言に言った。

「え?」

「私には娘がいない。だから他にも二、三人娘がいる君がうらやましくもあるけどね、まだ帝には女御もおられないのだよ。せっかくの娘を、女御としては考えなかったのかい?」

「考えないね」

 さらに刺すような視線を、権中納言は源氏に向けた。

「兄君はその娘御、三の君を近々入内させるつもりらしい。同じ帝の女御としてそれぞれの娘を張り合わせるより、もっと兄君とのほかの張り合い方もあると思うんだ」

 宣陽門をくぐり、二人はすぐ目の前の建春門の方へと向かっていた。

「今の帝には、男皇子がおられない」

 権中納言は、またそれを言っている。源氏はもうその心中をとっくに知っている。

「しかしだよ。もし君の兄君の小野宮大納言の姫が入内して、帝の男皇子をお産み申し上げたら? それにすでに…」

 源氏は口をとざした。それ以上は意地があって、やはり言いたくはなかった。

「すでに尚侍として上がっている中の君は、今すぐにでも男皇子をお産み申すこともあり得る……そういうことだろ?」

 考えたくはないことを権中納言がさらりと言ってしまったので、源氏はうなずかざるを得なかった。源氏は心のどこかで尚侍かんの君に関しては、帝へ御妬嫉申し上げているようだ。

「私はね、賭けをするつもりなんだよ。兄君と別の意味で張り合うというのは、この賭けのことだよ」

 その先は、さすがにこの場所でそれを口にするのは恐れ多いと思ったのか、権中納言は言わなかった。だが、源氏には分かっていた。もし帝に男皇子がお生まれにならないまま御譲位ということになれば、同じ弘徽殿の大后様の御腹の十四宮に位がまわってくるのは必至である。

 源氏はさらに帝がすでに譲位をほのめかされていたことを思い出し、そうなるとますます権中納言が考えているであろうことが現実味を持って迫ってくるのだった。

「それにしても大后様が、よくお許しになったな。御腹の皇子の妃となれば、やはり故本院大臣の族からと思われるであろうのにな」

「向こうにもう、持ち駒がないんだよ。大后様も御病でかなりお心は弱くなりになっているようだな。持つべきものは娘だ」

 実際大后は、まだ本院大臣の娘婿、つまり小野宮大納言の姫を帝に入内させ、男皇子が誕生してそれを東宮にという路線に固執しているらしい。

 源氏はふとつぶやいた。

「女として皇后は最高の夢だしな、自分の娘にその夢を実現させるのが父親としても最高の栄誉だ。やはり娘を持つ君がうらやましい」

「君もせいぜい励んで、娘を作りたまえ。そうすればその娘は、私にとっては孫娘だ。あ、だけど、あまりよそで励むなよ。何、もうそんな若くないって?」

「ばかいえ。私はまだまだ若い。君とは違う」

「ま、いいや、とにかく男はいくら年をとっても、下半身だけは永遠に青年だというから」

「それは君のことかい?」

 建春門も出たあたりで、二人は大声をあげて笑った。


 その回想の中で話題になっていた権中納言の四の君の裳着が、今行われつつある。

 権中納言は得意の絶調のようだ。いよいよ人生の夏を迎えようとしている。いつまでも自分は、後れをとるわけにはいかない。

 しかしこればかりは時の運、じたばたしても仕方がない。それよりもやはり気になるのは明石の姫と、その腹中の我が子のことであった。


 権中納言の四の君の入内は、そのわずか二日後であった。入内の儀は飛香舎で行われた。四の君はそのまま飛香舎に入った。つまりかつては三条の尼宮の殿舎だった藤壺である。源氏にとっても思い出多く、幼い頃から慣れ親しんできた場所だった。

「そうですか。時代も移り変わっていきますよ。年寄りの出る幕はなくなっていきますね」

 三条の尼宮の屋敷を訪ねて権中納言四の君の飛香舎入りを源氏が告げると、かつての殿舎の主はそう言って薄ら笑いを浮かべていた。

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