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一日寝ていようという予定が狂ったので、次の日こそはそうしようと源氏は思っていた。だが明石の姫のことが気にかかり、彼の心は眠るどころではなかった。
するとまたもや早朝から、源氏を呼ぶ女房の声がした。
内裏よりのお召しだという。
召された先は
「今、小野宮大納言殿が内裏の宜陽殿で、信濃国飛駅と接しておるゆえ、おのおの方お待ちあれ」
もうひとりの大納言が、集められた諸卿にそう説明した。信濃飛駅とは二日前のとは別の使いらしい。やがて小野宮大納言は内裏を退出して職の御曹司へやってきた。
「おのおの方、一大事でござる」
立ったまま大納言は言いわたした。あれほど故実にうるさい彼がこうなのだから、ことはよほど重大であるらしい。
「豊田小次郎がついに、
こうなると一国の国司への反乱では済まない。国をまたいで複数の国府を襲ったとなると、もはや国家への反逆以外の何者でもない。その延長線上に、都への大進撃が当然予想される。
摂政太政大臣とてもはや、私情の入れようがない。ただちに対策が講ぜられた。と、いってもさし向けるべき軍勢は都にはなく、わずかな軍備は都の警固に当たらせるしかない。
まず決したのは、飛駅を送ってきた信濃国の国府の軍勢を派遣することだった。だが信濃国とて三つの国府を制圧した坂東の軍勢に抵抗すべき兵力は持つまいとの意見も出た。そこで勅符を下してまずは兵を集め、国境を警備するように命を発することになった。
とにかく坂東勢に碓氷峠を越えさせてはならない。あとは鈴鹿、不破、逢坂の三関を固め、東山や東海道の諸国にも官符を発して警備させ、さらには都の諸陣、ことに左右の馬寮、兵庫寮にいつでもことに対処できるように通達することとした。都からは軍勢は発遺できない。その代わりに発したのは、諸国諸機関へのそれぞれの一枚の紙のみだったのである。
このようなことで大丈夫なのだろうかと、散会のあと帰途につきかけていた源氏は思った。もうとっぷりと日は暮れていた。
その時蔵人が走ってきて、源氏をはじめ退出しかけていた公卿たちは呼び止められた。再び参集せよとのことだ。やれやれという表情が誰にもあった。今度は清涼殿の殿上間が議定の場所だった。ここが使われるのは、よほどの時である。
「つい先程、武蔵守が任国より戻ってきた」
そう発表したのは、小野宮大納言だった。
「彼は何と、ゆゆしき事態を持ってきましたぞ」
大納言の手は震えていた。ことの次第が告げられると、どよめきどころではなくほとんど狂乱に近い大騒ぎとなった。武蔵守は小次郎と共謀している武蔵権守の上に立つ人だ。それが逃げ帰ってきたというのだから、以前の武蔵介の入京とはわけが違う。
その武蔵守の言上の内容は臣下の間だけで議してよいことではなく、すでに夜更けであったが帝に出御願って奏上する必要があった。
清涼殿の東庭に、武蔵守は控えた。やがて帝が出御された。
あらためて諸公卿の顔は蒼ざめた。
こともあろうに豊田小次郎は、坂東において「
「おおッ」
御前にもかかわらず、本院大臣の遺児の二人の兄弟の参議は叫びを発して頭をかかえこんだ。同じく本院大臣の娘が妻だった小野宮大納言も、恐らく同じ思いだっただろう。ただ摂政太政大臣だけが平然としていた。ただ本当に落ち着いていたのか冷静を装っていただけなのか、それは分からなかった。
さらに報告によると、坂東の新皇は自らが追放した都からの国司に代わって、新しい国司をその配下の中から任命しているともいう。そうなると明らかに国家への反逆だ。国司任命という天皇大権を彼らは冒している。
いくら小次郎が柏原の帝の流れで
恐らく小次郎はじめ坂東の連中は、自らが事実上の政権であると勝手に認識しているのだろう。坂東に都の朝廷とは別の朝廷を打ち建て、坂東は日の本の国から分離独立した、つまり別の新国家を樹立したのだと勝手に思っているのかもしれない。
しかし今、都の朝廷にとって彼らはまだ叛徒以外の何ものでもなかった。
源氏はふと帝のお姿を拝見した。帝は摂政から伝わる武蔵守の言上を聞きながら、両目を手で覆われていた。そのままうなだれて、頭をかかえこんでおられるようにも見える。何しろ一天万乗の君として君臨するその領国内に、別の帝が誕生してしまったのだ。だが、朝廷としてはそれを許すわけにはいかないのは自明である。彼らはあくまで反逆者にすぎない。
帝への奏上が終わり、公卿たちは再び殿上の間に集まった。
「どうして東と西と、こんなにも同時に!」
誰かが挙げた叫びに、同じような叫びが続いた。
「両者は共謀している! 密通の上、示しあわせてことを運んでいるんだ!」
「前伊予掾が伊予へ下ったのはいつだ!?」
その声に、小野宮大納言が指を数えた。
「七、八年ほど前だ」
源氏が摂政の方を向いた。
「小次郎が大殿の郎党だったのはいつでございますか?」
「その頃だったかのう」
また人々は騒然となった。
「しかし」
摂政は言った。
「両者が示し合わせて事を起こしたというのは、推測の域を出ぬぞ」
とにかく諸国へ官符を遣わしたくらいでは甘いということになり、東西へ同時に追捕使を派遣することになった。すなわち東海道、東山道、山陽道の追捕使である。そしてその具体的な人選までもが決定した。
その晩は全員がそのまま、宮中に
「小次郎は、火雷天神の詫宣で新皇と称したとか。やはり火雷天神の祟りでしょうか」
摂政はひとしきり笑った。
「たとえそうだとしても、いやそうだとしたら、わしは心強い」
「え?」
源氏にとっては意外な話だった。
「雷公が仇をなすのは本院
まあ、たしかにそうだと源氏は思った。
「もし小次郎に天神が憑かってのことだとしても、わしには何の心配もいらぬ。何しろわしは、一院の御元で天神様とは実墾であったのだからのう。源宰相殿とて、何らご心配になることには及びませぬぞ。わが族の、それも次郎九条家の御族なのですからな」
もう一度高笑いをして、太政大臣は暗い庭に消えた。それは全くその通りで、摂政がそう言ってくれたことはありがたかった。だが、源氏は自分の身の上よりもこの国の朝廷のことを案じていた。
その後、少し仮眠をとったあと、この年の最後の一日が明けていった。
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