正月早々、日食で年が明けた。それで、誰もがいい思いはしなかった。宴も弘徽殿大后の大饗も、それによって延期になった。だが、その期日には限りがある。

 年が明けて、まだ幕の内に帝の御元服の儀が執り行われることになっていたので、宮中は慌ただしい正月であったに違いない。

 源氏は無論、その慌ただしさの粋の外にいた。元旦も二日も、西ノ対の上とともに一日を過ごした。

 今年は喪が明けてのはじめての正月だったが、やはり日食のため諸行事は一日ずつ延びた。その日食までもが、自分の行く末を暗示しているような気がしてならない。

 妻は十四になった。女盛りである。三日は内々に二条邸だけで饗宴を開いた。その時は妻をも、寝殿へと迎えた。

「明日からはしばらく、参内するよ」

 宴の途中で源氏は、そっと妻の耳にささやいた。妻の顔が輝いた。

「え? 殿はとうとう官職がお戻りになったの?」

「いや、違う。帝の御元服だ」

「あ、そうか」

 一度は嬉ばせたものの、妻は少し目を伏せた。

「でもいい。その方が殿は、ずっとここにいて下さるから」

「あれあれ、君は私の官職が戻るのと戻らないのと、どちらがいいんだい?」

 源氏は笑って言ったが、それは自分自身にとっても答えられない問いだった。

 

 翌日は朝から冷たい雨が降っていた。

 正月の頃はいくら春を迎えたとはいえ、都が一年中でいちばん底冷えする頃である。そのような時に雪ではなく雨が降るというのは、余計に寒さを強調してしまう。

 実際の加冠の儀に参列できるのは大納言以上大臣クラスの人々だ。源氏は無官の身、ただ皇親源氏という資格だけで公卿たちとともに日華門の外の、宜陽殿、春興殿の東側の軒下に設けられた床子しょうじに座っていた。

 そしてかなり長く待たされた後、理髪も加冠も終わったということで、源氏は開かれた長楽門の方へ公卿たちとともに向かい、紫宸殿の南庭の長廊の屋根の下へと入った。はたも雨のため、軒下に立てられている。その他ことごとくの建物が、晴れの装束をまとっていた。

 帝のお姿は源氏のいる所からは、全く見えない。紫宸殿の奥深くおわします帝と、承明門脇の軒下に立っている自分。同じ父から出た兄弟でありながら、その歴然たる差を感ぜずにはいられなかった。

 さらにその翌日、大極殿での拝賀のあとの後宴にも源氏は一応参列を許されていたが、空気が冷たい。単なる天候のせいではなく、久々に宮中に顔を見せた源氏を見る人々の目がどこか冷たいのである。

 宴は紫宸殿で、夜になってから行われた。まずすでに七十を越えている第一中納言が、寿詞よごとを奏上する。加冠の儀にはその場の最長老がすることが、帝の長寿を祝うという縁起のいいこととされている。

 采女うねめの酌する杯を干したあと、南廂で老中納言はひざまずいて、厳かに寿詞を奏し始めた――。

「掛けまくもかしこ天皇すめら朝廷みかどに仕えまつ親王等みこたち諸王等おおきみたち諸臣等おみたち、畏み畏みも申し賜はく。掛けまくも畏き天皇すめら朝廷みかど令月よきつき吉日よきひ御加冠賜おんこうむりくわえたまわりて、百礼具備もものいやともにそなわり、万民同悦よろづのたみおなじくよろこびたてまつる。この大き慶びにえずして謹み万千歳寿よろづちとせのよわいこいねがわむとかしこみ畏みもまをす――」

 老人特有の声が、殿内の寒気を鋭く刺した。すぐにがくの音が夜空に木魂し、南庭で舞踏が始まった。それがひとしきり終わると、太政大臣の「万歳ばんせい」の拝唱がある。それが終わってから、いよいよ宴本番となるのだった。

 宴が進み、座が乱れはじめても、源氏に声をかけてくる者は、宰相中将以外にはひとりもいなかった。その宰相中将も立場上源氏につききりというわけにはいかず、彼がそばを離れた時などは、源氏は簀子の畳の上でひとりで杯を重ねるしかなかった。

「源氏の君様」

 ふと背後で、自分を呼ぶ声がした。振り返ると小野宮の中納言が立っていた。慌てて源氏はその方へと向きを変え、居を正した。中納言はその場に座った。

「娘の、二の君がこのたび内侍所ないしどころ尚侍かみとして、宮中で仕えることになりましてな」

 中納言は薄ら笑いを浮かべている。それが何を意味するのか分からなかっただけに、源氏には気味が悪かった。だがそれ以上に、なぜその名を出してしかもそれを自分にわざわざ報告するのかそれも分からず、源氏は思わす眉をしかめてしまった。

「大后様のおぼえもめでたく、帝の御元服の折には御添伏そいぶしとして入内じゅだいもといわれておりましたがね、あなた様もよくご存じの障りがありまして、結局わが妹と前坊の間の姫が添伏として入内致しました。だが、それでも大后様は二の君を宮中にと仰せになりまして、それで尚侍ということで…」

 何やら皮肉たっぶりの言い方である。源氏はいささか不快になって黙っていると、中納言は立ちあがってさっさと行ってしまった。

 がくも人々の歓談の声も、今の源氏の耳には全く入って来なかった。今のは何だったのかと、ただいぶかしくて畳表を見つめていた。

 一度は中納言も、一の君亡きあとかの二の君を自分の後添いにと思ったらしいことは聞いている。しかしそれは大后の反対で実現しなかった。自分が宰相中将の婿になったのは、ちょうど同じ頃だった。それが中納言にはおもしろくなかったようだ。二の君が自分の手の届かない存在となったことを言明することで自分へのあてつけを言った――そうとしか考えられなかった。

 それにしても内心穏やかでないのは事実だった。

 それを知る経緯がどうであったにせよ、彼は知ってしまった……二の君が尚侍所の長官となって、自分の手の届かない人になってしまったことを。

 ため息がひとつもれた。どうでもいいさと、心の中で彼はつぶやいた。所詮、過去の人なのだ。忘れてしまえと思って、杯を一気にあおった。

 しかし、聞きたくはなかった、知らずにいたかったと、どうしても思ってしまうのを禁じ得ない源氏だった。


 帝の御元服とともに入内した前坊の遺児――斎宮となる六条の御息所の娘にとって異母姉に当たる姫は、すぐに女御となった。

 春の除目は、今年も源氏とは関係のないところで行われる。聞けば彼の服解前の左中将の職は、今でも空席になっているという。これは復任の可能性が一抹でも残っていることになるが、しかし今の蔵人頭が昨年暮より左近権中将を兼ねて頭中将と称され、実質上は左中将の職を代行しているらしい。これではここで復任しても、新しい職でももらわない限り源氏の出る幕はないということになる。

 しかも今の頭中将は故本院大臣の三男である。どうせその一族に目をかけている弘徽殿大后の計らいに決まっている。そして自分はその大后に、よくは思われてはいない。


 彼はますます自分を「用なき者」に思いなした。

 太政大臣家饗宴には、源氏は行かなかった。自分を「用なき者」に思いなしたからには、必要以上に人々に交わりたくはなかったのだ。それよりも二条邸に篭もり、対の上とともに過ごす時間の方が源氏には貴重に思われた。

 だんだん自分が、在五中将のようになっていく気がする。その「在五中将記」を、ある女房がその実家のつてで借りてきたので、妻はしきりに書写していた。源氏が西ノ対に渡ると、妻は無邪気にそれを見せるので、源氏も読んだ。読んでますます落ちこんでしまう。


 そんなふうにして日々を過ごすうちに、宮中より内宴への招きが源氏にあった。

 内宴とは帝の催す私的な宴で、いわは正月の一連の行事の慰労会のようなものであり、招かれる者はごくわずかである。おそらくは摂政太政大臣の計らいであろう。

 場所は後宮の常寧殿の南廂であった。昨年の初冬に帝は飛香舎から常寧殿へ遷られ、それ以来ここが常の御殿となっている。

 人々が着座する前に帝は出御されており、その隣に摂政太政大臣の姿もあった。同じく赤い束帯を召している。

 杯がまわされ、楽が奏でられる。そのうち詩の題がまわってきて、この時の題は「春可楽」だった。賦詩も終わり、講釈も済んで、いよいよ穏座すなわち宴会本番となった。

 ここでも誰も源氏に話しかける者はいなかった。もっともこの内宴は人数も少なく、全部で十数人くらいしかいない。その中でさえ源氏はとり残されていた。

 何しろ宮中に出仕していないのだ。話に加わろうにも人々の話題は頭の上を飛び、それについていくことすらできなかった。

 そんな時、摂政太政大臣と目があった。大臣は源氏に目配せをして、几帳で隔てられた次の部屋へといざなった。

 ついに…と源氏は思った。胸が高鳴った。摂政が自分に話があるとすれは、復任のこと以外にはないだろう。

 人々の喧騒をよそに高鳴る胸をおさえ、無礼講で源氏は摂政と膝をつきあわせて座っていた。摂政の顔はかなり赤く、もうすっかりまわっているようだった。

「時に源氏の君様。さぞかしまろを怨んでおられるでしょうな」

 もう六十年に手が届く老人の摂政太政大臣はそれでも腰を低くし、たかだか二十四歳の源氏に対していた。

「いえ、そんな」

 口ではそう言ったが、たしかに源氏の腹の中には不満があった。今やそれが晴れる時が来たのか。すべては次の摂政の言葉で決まる。源氏は息をのんで、その言葉を待った。

「仕方がない。まろも一日も早くあなた様に官職に戻ってもらいたいのだがのう、しかしのう……」

 しかし……? このひとことは、源氏の期待を無にするのに充分であった。一気に気が抜けたが、すぐにとり直して摂政太政大臣を見た。

「いえ、そのことなら、どうぞお心遣い御無用に……」

 摂政が言いさしたその先は嫌でも分かる。だから源氏はあえて心遣い無用になどと、心にもないことを言った。

 弘徽殿大后――この存在に、摂政太政大臣とて思うようにことを動かせないのだ。たかが自分の妹、されど今や国母である。

「まろももう、やりづらいのだよ。がんじがらめでな。摂政は辞任する」

 酔った勢いで言ったのか、それともそれが本音なのか、とにかく源氏は驚いた。

「そんな、お辞めになるなんて」

 どんなに相手の心情が察せられようとも、一応は止めるのが人の習性である。

「いや、まろは決めた。帝も御元服されたのじゃ。もう摂政は必要あるまい。新しい左大臣も決まったしな」

 この内宴の前日に、太政大臣がその任に就任して以来空席だった左大臣の席に、それまでの右大臣、つまり太政大臣の兄の枇杷殿が就いた。摂政としては兄の先をこしてしまったことへの遠慮と、妹への抵抗で兄を実質上の最高権力者――左大臣に据えたのであろう。太政大臣は枇杷左大臣の任大臣大饗で歌を詠んでいる。


 遅くとく つひに咲きぬる 梅の花

 が据ゑ置きし 種にかあるらむ


 意味の深い歌であった。だが当の枇杷殿は左大臣になったからとて、とりわけ自分で何かをするような人でもなかった。右大臣に昇格したのは昨年亡くなった按察使大納言とは別の、もう一人の大納言だった。

 源氏は太政大臣の言うことがいちいちもっともなので、もはや何も言うことはできなかった。

 席に戻ってからも、まわりの変化や自分の境遇に虚しさを感じ、手酌で杯を重ねていった。もはや酒しか、彼の逃げ場はなかった。太政大臣が摂政を辞したら、自分の復任はますます困難になる。新左大臣は左大将であるからかつての自分の直属の上司だが、さほど親交であるわけでもない。職掌上だけのつきあいであったし、今はそれもない。

 もうどうにでもなれという感じで、源氏はまた一杯、盃を重ねるのだった。

 宴が終わる頃には、もうかなりまわっていた。おぼつかない足で立ちあがると、源氏は常寧殿を辞した。


 宣耀殿の南の簀子を経て行けば、かつて幼時を過ごした淑景舎は近い。今ではそこには内親王である長姉と、幼い弟宮が住んでいる。ただ、淑景北舎は空いているはずで、宴の最中からそこに今夜は泊まるつもりでいた。

 ところが源氏の足は、常寧殿の南の簀子を、西へと歩いていた。すぐに弘徽殿の北廂へとつながる。

 酔いのせいか、全くのいたずら心でか、とにかく彼の足は弘徽殿へと向いていた。

 大后は今は里下りしている。帝の御元服以来さすがに里がちになっているようで、参内しても今は国母として後宮の中心、帝の御座所である常寧殿へ入る。弘徽殿大后というのは称号だけで、弘徽殿は今はいているはずだ。

 その空いている弘徽殿ヘどうして足が向いてしまうのか、酔っている源氏は考えるすべもなかった。ただ彼の心の奥深いところで、忘れていたある名前が甦っていたことは確かである。御加冠の後宴の席で、中納言から聞いた名――小野宮の二の君――その二の君は今は尚侍ないしのかみとしてこの宮中にいるはずだ。

 過去の人が今現在の話題にのぼった。だけど、その人は余計に遠くに行ってしまっているということで、過去の人であることは決定づけられたという皮肉な結果だ。

 今、源氏が向かっているのは、その人との出会いの場である。その場に行って、思い出に浸りたかったというのが、自分でそう意識していないまでも源氏の願望であったともいえよう。あるいは心のどこかに、何か新しい期待感があってのことかも知れない。

 いずれにせよ、思い出に浸るくらいなら許されよう……源氏の足は弘徽殿の東北の角にたどり着いた。

 当然、すべての格子は降ろされている。あの日の妻戸も今日は開かない。そのまま彼は東の簀子を南へと下っていった。

朧月夜おぼろづきよにしくものぞなき」

 いつしか源氏の口に、そんな歌が蘇っていた。

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