按察使あぜち大納言、すなわち摂政左大臣の兄が当面の右大臣代行となり、右大将から故右大臣が兼任していて空席となっていた左大将へ転じた頃、帝の鴨川御禊があった。大嘗祭に先立っての御禊ぎょけいである。

 空いた右大将の席はもう一人の大納言が就くことになった。弘徽殿大后の覚えめでたき故本院大臣の長男で、すでに四十三歳であった。

 源氏は中将として、その帝の御禊の儀に列した。正確には左大将代だ。この日、新たに左大将となった按察使大納言は右大臣代であったので。左中将の源氏が左大将の代行ということになったのである。

 行列は昼前に出発。二条大路を東へ進む。御禊の場所は二条河原で、すでに頓宮は設営されているはずだ。

 近衛舎人の警備の中、左右京職、神祇官、弾正台、太政官等諸司の順で行列は進む。そして鉦鼓、節旛に続いて少納言とともに、右大臣代の按察使大納言左大将の車だ。その後を左大将代の源氏と右大将大納言は馬を並べていた。

 近衛府は帝の最も身近な護衛であるから、その左右大将のすぐ次を帝の御鳳輿ほうよが続くことになる。背中に帝の御輿の威光をもろに感じつつ進むわけだが、その背後に源氏は、いつものことながらどす黒い視線を感じていた。どうもそれは凰輦ほうれん垂帷とばりの中から来るような気がしてならない。

 御鳳輿のあとは右衛門督、そして摂政左大臣の車と続く。

 しかし視線はそんな遠くからではなく、すぐ後からひしひしと感じるのだった。

 祭儀は解除の儀、供膳の儀と滞りなく進展していく。この御一代に一度の儀式をしっかりと記憶しておこうと、いつもの癖で進展を見守る源氏は、同時に先程の黒い視線が気になって仕方がなかった。

 御鳳輿の中には帝がいらっしゃるはずである。しかしわすか十歳の帝が、自分にあのような視線を向けられるだろうか。頭がこんがらがりそうになったが、あれは気のせいだったのだと思うことで、彼はあえて心の混乱を終息させようとした。


 源氏の屋敷へ筋向かいの藤壷の宮から使いがあった。

 まずは先日の試楽での舞いをひとしきりほめたあと、たまには顔を見せてほしいとのことだった。源氏は出かけ間際にわざわざ北ノ対に渡り母をも誘ったが、母は静かに笑っていた。

「お文は時折ちょうだい致します。同じ故院にお仕え申し上げた仲ですし、ちょうど同じ年頃ですから心もようわかります。宮様も私を御理解下さっております」

「では、参りましょうよ、母上」

 母は首を横に振った。

「身分が違います」

 母は源氏を生んだので御息所と称されるようになったが、元々は更衣こういである。位も従四位下だ。藤壷の宮は先帝の内親王で、故院にとっては妃という立場だった。これは遥か古い律令の規定に基づくもので、中宮――女御――更衣というラインとは全く別格の存在だった。

「しかしあの方もお気の毒じゃ。子をお産みにならなかったばかりに、ひっそりと世間から忘れられて暮らしておられる。そなたはご存じないでしょうが、一時は弘徽殿中宮か藤壷の妃の宮かで、後宮の勢力を二分していたこともありましたのに、かたや今は御国母の大后、かたや……」

 母は目を伏せた。しかし母の言うことが誇張であることがわかるくらいに、源氏はすでに一人前の官人になっていた。弘徽殿中宮と藤壷の妃宮が二分していたのは、後宮の文芸サロンでの勢力にすぎないのであった。

 王命婦に案内されて御簾の前に座ると、いつもと同じ優しい声がその中から聞こえてきた。

「お母上は御息災ですか」

「は、お蔭様で」

「先日の試楽の日に久々に内裏うちでお見かけ申し上げましたけど、だいぶお年もたけた御様子。大切にして差し上げてたもう」

「は、重々」

 源氏は頭を下げながらも、言おうかどうか迷った。先日の鴨川御契のことである。単なる自分の気のせいかもしれないのに話題に出してよいものやらと思ったが、言うとすれは相手は今目の前の御簾の中の藤壷の宮しかいない。

「実は先日、鴨川での御禊がございましたが、そのことで少々」

「何でしょう」

「御鳳輦には、たしかに帝がお乗りになっていたのでございましょうね、あ、いや、その」

 言ってしまってから、何やら突拍子もないことを口にしてしまったと思い、源氏は慌てた。

「いえ、何でもございません」

 御簾の中の人は笑っていた。

「気がつかれたのでございますね」

「は?」

 一気に狼狽が収まる。

「もちろん帝の御鳳輦でしたけれど、帝お一人ではございませんでしたのですよ、お乗りになっていたのは」

「そんな、帝の御鳳輦に同乗できる人なんて」

 たとえ摂政でも、そのようなことは許されまい。

「弘徽殿大后様が、御同乗あそばされていたのですよ」

「やはり!」

 源氏は息をのむ思いだった。そう言えばいつか帝および摂政左大臣を弘徽殿にお訪ねした時も、同殿の見えない所から黒い圧力を感じたものだった。

 しかし今度はその存在を知らないでいたのに、同じ圧力を感じたのだ。

「お察しが早いこと。左府殿も先例のない前代未聞のことだと、こぼしておられたそうですけれどね」

「そうですか」

 先例と慣習に縛られているはずの宮中ではないのかと源氏は思ったが、源氏はそれ以上は言うのをやめた。

「大后様が言われるには、『先例がなければ先例を作ればいいじゃない』と言われたとのこと」

 源氏の母は故父院の後宮の中でもこの藤壷の宮は別格だと言っていたが、大后の方がさらに別格だろう。あの故堀川関白の娘で、故本院大臣、右大臣代になった按察使大納言、摂政左大臣と全員が同母の兄弟(妹)きょうだいなのだ。

「帝と弘徽殿大后様は、何でも先日かつて私がおりました飛香舎へ移られたとか。私はあそこを出る時に、これからここへお入りになるのはどなたなのだろうって、今昔の思いを巡らしたものでしたけれど、まさか帝と大后様がお入りになるとは」

「まあ、一時のことでしょう。飛香舎には御匡殿もいらっしゃることですし」

「そうそう、話は変わりますが、この間の試楽はほんに素晴らしき舞いをご披露くだされて、紅葉も寂しげになるくらいでしたね。もうひと方の方もやはり名門の貴公子は違うと感ぜられるほどで、むしろその道の専門の方よりも別の趣きがあるのだなあと存じましたけど」

「は、恐れ入ります」

 源氏はやっと話題が弘徽殿大后から離れてほっと安心した気分になったが、それも束の間だった。

「時に、あなたがたの舞をご覧になっていた弘徽殿大后様は、『あまり素晴らしいから神様が神隠しにでもしてしまわないかしら、不吉だわ』なんて、そんなことをおっしゃってましたのよ」

 源氏の胸にものすこい衝撃が突き刺さり、背中の中心を氷が駆けぬけた。

 今まで感じていた圧力は、自分の思い過ごしにすればできないこともない。ところがとうとう、具体的に弘徽殿大后の自分へ向けられた言葉を聞いてしまったのである。

「どういたしました? 何か不都合なことでも申し上げましたでしょうか」

 源氏が黙ってしまったので、宮の方から気を使ってきた。

「あ、いえ」

 宮は他意はなく、弘徽殿大后の言葉を素直にほめ言葉ととらえて、源氏に伝えたのであろう。

 ――神様が神隠しにでもしてしまわなけれは――だが源氏には、それが痛烈な皮肉であることはすぐにわかる。

 それが自分に向けられたのか、それとも頭中将に向けられたのか……。故本院大臣の子息に目をかけている大后が、左大臣の子息である頭中将にそのような皮肉を言ったとしても不思議ではないが、少なくとも大后は頭中将と自分が一つ穴の存在と見ているであろうことはまちがいないとふと源氏は思った。

 弘徽殿大后――今に始まったことではないが、この存在が自分の将来に何か黒い影を落としそうな気がしてならなかった。


 ついに大嘗祭当日が来た。行事は深夜に行われる。

 この日にそなえて数日前から、官人たちは体調を整えなければならない。

 冬まっただ中である。深夜の風はどんなに重ね着をしている官人たちにも、刺すように当たる。

 帝は夜も更けてから大極殿のある朝堂院の前庭に臨時に造られた大嘗宮の中の北に位置する廻立かいりゅう殿の儀が行われ、続いて悠紀殿にお入りになる。本来ならば夜半頃に悠紀田での儀式を終えて一度廻立殿にお戻りになるはずだったが、なんと廻立殿から悠紀殿へお入りになったのがすでに夜半を過ぎていた。その後、廻立殿にお戻りになった帝が主基殿にお入りになったのが寅の国、すべての儀礼を終えられた時はすでに明け方近くであった。本来ならば帝は大極殿にお入りになるところを、この日はそのまま西隣の豊楽院のいちばん北の清暑堂にお入りになった。

 だから帝ご本人はもちろんだが、儀式の間幄舎あくしゃで参列している諸親王や官人も数日前から体調を整えておく必要があったのである。

 その一連の儀式に先立って昼間のうちに近江、丹波の両国人が神供の品々を斎院から大嘗宮へ搬入したが、それは朱雀大路を通っての華やかな行列だった。

 あとで摂政左大臣はその日記に、本来の予定時間が遅延になったことで、この時の手順が緩怠であること甚だしいと鋭い批判をなしている。


 翌日は悠紀節会ゆきのせちえで、直会なおらいが朝堂院の西隣の豊楽殿で行われた。

 いよいよ源氏と頭中将の「青海波」の本番である。

 豊楽院の前庭には悠紀帳と主基帳が設けられ、まず帝が悠紀帳にお出ましになって儀式は始まる。

 最初は神祇官の中臣の寿詞よごとなど堅苦しい儀式が続くが、続いて参列する皇族公卿に膳が提供されるといよいよ直会の始まりで、そこでこの年の悠紀国である近江国の風俗舞が舞われるのだが、型破りにもそこで源氏たちの青海波だった。

 試楽の時はそれほどでもなかったが今は緊張のきわみで、太鼓の音よりもむしろ激しく、源氏の胸は響きを打っていたかもしれない。

 今日はあの時と違って、紅葉ももうほとんど終わっている。

 最初の笛が鳴り響き、やがて鼓が打たれる。あとは天に任せて身体を動かすしかない。笙の音の厚みが、余計に胸を高鳴らせる。

 全く何が何だかわからないうちに、最後の名残のような琴のもやんだ。

 ――終わってしまった――と源氏は一世一代の晴れ舞台をあとに、気のぬけたようになった。

 この節会の最後には悠紀国の近江守の宰相左大弁、近江権守の源氏、近江介の頭中将にそれぞれろく(褒美)を賜った。

 だが、実は節会はまだ終わっていない。

 翌日の主基節会でもまず悠紀帳に帝の出御はあり、もう一度青海波を舞うのだ。

 そしてそれも終わって、本当に終わりだ。

 さらに翌日は豊明節会とよあかりのせちえで、豊楽院のいちばん北の清暑堂で五人の舞姫による五節の舞がある。

 豊楽院はいわは公式宴会場で、大内裏最大規模の朝堂院と大きさはかわらない。飛騨のたくみが宮柱太敷立てた朱塗の柱が並ぶ漢風建築である。

 この節会の三日目になってようやく堅苦しい直会なおらいではなく、本格的なうたげとなった。

 この三の最後に功労者への叙位がある。

 その中に悠紀国権国司としての源氏と、同じく介の頭中将の名もあった。源氏は従四位上から正四位下、頭中将は従五位上から正五位下と、それぞれ位がひとつあがった。

 宴が終わってからの帰途、

 「今夜はともに飲もうぞ」

 歩きながら源氏が頭中将に話しかけると、

「いいとも」

 という、激しいくらいに同調する返事が返ってきた。


 その月のうちに、ようやく源氏は昇殿が許された。近江守のポストも人事が入れ替わったが、新しいかみもやはり六十六歳の老人だった。彼の権守ごんのかみとしての職務には何ら変化はくれそうもなかったが、とにかく近江国が悠紀国であることは終わったのである。

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