7
西山の
京極御息所が西山へ行ったとなると、東六条院にはその妹である六条御息所のみが残されたことになる。
もしこの状況が以前なら、源氏は彼女の姉に気兼ねすることなく、大手をふって六条へ通えたことになろう。前のようにはこそこそしなくてよいのだ。
しかし今の彼は、六条へ行く気など毛頭なかった。
そしてついに、西山の御寺にて一院は崩御された。御年六十五歳だった。
自分の祖父に当たる一院の崩御に、源氏を駆けつけて行くべきだったが、なぜか気がひけていた。
一院の崩御――この衝撃は宮中を揺り動かした。
「まろは……。それよりも、父はどうなるのか」
舅はただ狼狽して、自邸に参上してきた源氏にわれもなくすがりついてきたのである。無理もない。一院おわしましてこその、彼の父左大臣なのだ。
すでに源氏は舅が言うまでもなく、状況は分かっている。一院と弘徽殿中宮という勢力の均衡の上に宮中の平隠はかろうじてなりたっていた。今、その均衡が崩れたのだ。これからは国母である弘徽殿中宮の時代となろう。さらに舅が恐れているのは、中宮が目をかけている本院大臣の遺族の台頭だ。
源氏はうつむいている舅を見つめた。
「宰相中将殿は、北の方様が本院家の出ではございませぬか」
なぐさめるつもりで、源氏はそう言った。言ってからあることに気がついた。しかし源氏の言葉で、舅は幾分気をもち直したようで、そっと顔を上げた。
「そうよの。あれのお蔭で、私も何とか生き延びられようかの」
舅の言葉を聞きながらも、源氏は他のことを考えていた。宰相中将はいい。それに左大臣とて弘徽殿中宮の兄なのだ。今や摂政の座にある以上、その地位は弘徽殿中宮とて揺り動かすことはできまい。
それにひきかえ自分は――。
宰相中条の妻が本院大臣の娘だといっても、源氏の妻の母ではない。六条の御息所は正式の妻でも何でもなく、ただ男女の関係を持った愛人――しかもその事実は、当人同士しか知らない。
自分はどうなるのかと思うと、冷たいものが背中を走らないでもなかった。
一院崩御の直後から、彼の日常は変わった。政務は一切中断である。中将の職も近江権守の職も、一時止まる。しかし、だからといって何もしなくてもいいわけではなかった。早速に、近江国には固関使を派遣せねばならない。これは院や帝の崩御の時には、鈴鹿、不破、逢坂の関を閉めさせるものだが、一応の形式だけのものでわずか七日間限りのことではある。近江にはこの三関のうちの逢坂関がある。
これとて老齢の正規の近江守にかわって、彼が手続きをとった。
そしてもう忘れたはずの存在――六条御息所が気になりだしたのも、彼の正直な内面だった。
決して再び恋しくなったというわけではない。ただ、一度縁のあった人を放っておけないのが、彼の性格である。ましてやその人は、今は一院の庇護も失って不遇のどん底にいるはずだ。それに父の遺詔のことも、全く忘れてしまっていたわけではない。彼女の後見をせよと、父に言われていたのだ。
しかし訪ねる気にだけはどうしてもなれないし、その上今は一院の喪中であるからそうすることもはばかられよう。
そんな時に、六条より
「まぎるることもなくつれづれに日を経てなん、姉なる人も今はかたちを変へてしかば、ここにはおとなふ人もっゆなくぞはべる。いざともにと思ふことなきにしもあらねど、この一人ある女を思ふに、さもえせざるばかりこそほいなけれ。今はただかの笛をだに、心の尉心みとて聞かせなんとこそ思ふばかりなれ」
筆はいつもの達筆である。教養の深さが感じられる。そしてその内容も、源氏は心を打たれずにはいられなかった。
姉の京極御息所は、そのまま西山の御寺にて落飾したようである。ともにと思ったが、娘ゆえに六条御息所はそれもできない。まさに彼女は今や、天涯孤独なのである。荒れた東六条院に娘と二人暮らし、しかもそれゆえに出家できないほどだから、娘というのはまだ一人前ではあるまい。家司や女房とてこのような境遇になれは、一人二人と離散していくに決まっている。
彼女はまた、源氏の笛を聞かせてくれという。しかし笛を聞かせて、それだけでは済むだろうか。
源氏は惟光を呼んだ。そして彼女に関する父の遺詔を、すべて打ち明けた。
「源氏の君様は、そんなお人にまでいくら御父君の御遺言とはいえお心をおかけになるとは」
そう言いながら、惟光は涙ぐんでいるようだった。
「いや、そういうことではない。私にとってはいささか疎ましい人ではあるけれど、やはり不憫でな」
「それが、お心がお優しい証拠です」
「とにかく、かの邸へ女房、家司を遣わすつもりだから、そなたが手筈をととのえてくれ」
「御意」
源氏はそればかりではなく、日々の暮らしに困らぬような食料や財物も送った。庭や御殿を修繕する職人も派遣した。
こうして財的に援助することで、父の遺詔は充分果たせると思っていた。しかし別の考えも頭の中をよぎったりする。
――かの御息所は本院大臣の娘、そして弘徽殿中宮腹の先坊の未亡人。それに目をかけて後見しておれば、弘徽殿中宮の風あたりも弱まるのでは――。
そんなことを考えてしまった源氏は、激しく首を左右に振った。かつて許せなかった大人に、自分が今なりかけているのではないか。大人のかけひきの世界に、この自分も染まり始めているのではないか。そのことがそら恐ろしくて、源氏は父の遺詔、父の遺詔と自分に言いきかせていた。
「御もてなしあまた賜はりていとかたじけなう思う給ふれど、ただ君の御笛をこそ聞かばやとのみ念じたるぞかし。いとつれなくなん思ひ給ふれば」
これだけ物質的援助をしてやっても、返ってくる文はこのように怨みごとだった。あからさまには書いてはいないが、行間に「恋しい、恋しい」という声が読みとれる。
もうたくさんだと源氏は思った。これで父の遺詔は果たしたのだから、物質的に以外にはもうあの人とかかわるのはよそうと思った。そして故意にか無意識にか、年上の熟女のことにかかわるたびに反動で彼の中に甦るのは北山の少女の面影だった。
一院の崩御により、大嘗祭はさらに一年延期となった。これで激務からは少しは解放される。
源氏は北山の少女が気にかかり、ふと僧都に文を送ってみた。その返事によると尼君と姫は、すでに都に戻っているという。この都の同じ空の下に、姫君はいる。しかしそのことを、姫の父である頭中将が知ったら……時間の問題だと気は焦るが、源氏にはなすすべもなかった。
やがて源氏は父院のための喪服を脱いだ。喪服期間は一年。しかし厳密には十二ケ月を指すから、閏月の入った今年では、一周忌の一ケ月前に喪が明けることになる。
律令の規定で厳密には、この一年間源氏は宮中に出仕もできないはずだったが、今はその期間は十三日に短縮されている。
なお、父の喪が明けても本来なら引き続き彼にとって祖父である一院の五ケ月間の喪となるが、一院の遺詔により服喪の必要はなかった。
秋風吹きすさぶ頃、一院の七十七日(四十九日)の法要があった。舅の宰相中将は口実を作って参列しなかったので、左大臣の機嫌はすこぶる悪かった。宰相中条としては本院大臣の娘を北の方に持つ関係上、本院大臣と政敵であった一院の法要には出たくなかったのだろう。それに、弘徽殿中宮への気兼ねもあったのかもしれない。
いずれにせよ宰相中将の欠席で必要な馬が用意できず、そのしわ寄せが左近衛府へ来て、源氏は左近衛中将として大わらわだった。あとで源氏が聞いたところでは、宰相中将は左大臣にこっぴどく叱られたそうである。
そしてほんの少しだけ山々の紅葉が色づきはじめる頃、源氏にとっては父が亡くなって一年目の秋が巡ってこようとしていた。源氏が一人歩きをはじめて一年。少しは世の中というものが分かりかけた気もするが、まだまだ知らないことが多すぎた。
父の一周忌法要が、勅願寺で行われた。勅願寺は東山を越えたらさらに東にある。この日は雨であった。父の御陵もほど近い。残された子として源氏は精一杯生きているつもりであったが、これでいいのだろうかと山門の西側の軒廊の下で参列しながら、ふと父に問いかけたりしていた。
父の詳月命日は国忌となることになっていたので、すぐにその法要も命日当日に
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