第32話

広大な海を泳いで、巡って、魚達とおしゃべりする。たまには人魚達と夜の海で歌う。

時には人間達の言葉に耳を傾け、波を自在に操る。



こうやって毎日を過ごして、いつか子どもが産まれて、世代交代する。

そして、子どもに海を守る仕事を託して、静かに朽ち果てる。

母なる海に溶けて……。

2匹のレヴィアタンは常にそう思っていた。



その日は海が荒れていた。

ザワザワといつまでも静まらない。

海は広い。だから、手分けして荒れる海を静めにいった。


騒ぐ魚をなだめ、落ち着きのない海の波をゆっくりと、静めていく。


「あぁ……やっと落ち着いた。これでいつも通り。アチラは大丈夫かしら?急いで戻ろう」

一匹のレヴィアタン、彼女は少し急いで彼の元へと戻った。



彼は沈んでいた。

深い深い、海の底。光も届かぬ底に、彼は横たわっていた。

無惨な姿で。

血の香りが充満し、輝きを失った鱗。

濁った瞳が1つ。もう片目は……ない。

心臓に深々と刺さった槍。



「何……これ」

彼女は呆然と呟いた。

ちょっと前まで、生きていたのに。

「気をつけてね、また後でね」と言い合ったばかりなのに。


「ねぇ……起きてよ。どうしたのよ、何があったの」

揺さぶっても彼は起きない。ボロリと鱗が幾つか剥がれ落ちる。


「返事……して。ねぇ、起きて。目を開けて」

声をかけても、彼は動かない。


「目を覚まして頂戴……ねぇ、どうして?」

どうして、どうしてこうなった?


こんなこと、人間がやったに違いない。

槍がいい証拠だ。

何だってこんなことを……!


私の番を!私の片割れを!私の愛する彼を!


よくも、よくもこんな目に……!


そこで、ふと思い出す。


唐突に、突然に。


私は、彼に「愛してる」と「好き」だと、言ったことがあっただろうか?



ない……ないのだ。一度も。一度も言ったことがない。


どうして言わなかったのか?


(当たり前だと思ってた……)


ずっとずっと、死ぬまで一緒だと思ってた。

当たり前すぎて、言わなかった。

いつも近くに、側にいたから。



近すぎて気づかなかった。

この想いに。



「好きだった……。ねぇ、アナタは?アナタは、アタシのこと好きだった?愛してた?」

彼女はヨロヨロと彼に近づいて聞く。

だけど、返事なんてこない。


「アタシ、アナタのこと、好きだった。大好きだった。愛してた。ずっとずっと……ずっと一緒にいられると思ってた。いつか……アナタと子どもをつくるのを楽しみにしてた」

今さら、愛を語っても、彼は何も言わない。



「何か言って……!返事して頂戴……!!」

彼女の叫び声が海に木霊する。

しかし、彼女の叫び声に反応するものはいなかった。


じわじわと。どろどろと。

彼女を取り巻く影、闇。


「憎い」

彼女がポツリとそう言った。


(憎い、憎い憎い憎い……!)


愛する彼をこんな風に殺した人間が憎い!!

あんなに、人間達の望みを聞いて、海を守ってきたのに!!

許さない。絶対に!!



許さない、自分も許さない。

彼のことを愛していたのに。

この想いを伝えられぬまま。

彼のことが大事だったのに。

あんなに好きだったのに。


憎い。自分も憎い。


「許さない……!」


彼女は荒らした。


海をとにかく荒らして荒らして、人間が乗っていた船はすべて海に沈めた。


泣き叫んで嵐を呼び起こした。


泣き疲れると、彼女は彼の亡骸に寄り添った。


人間達は、しばらくは怯えた。

しかし、それは一時だけ。


彼女は海の底から普通に暮らす人間達を見て、さらに憎んだ。


それも、特に憎らしく思ったのは、恋に夢見て、溺れて、悩む小娘達。


(私と同じように苦しめばいい)


恋に悩む少女達に取り憑いて、幾つもの恋を破綻させた。



彼女は嫉妬に狂った。

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