第2話
家の近所には、公園がある。
公園といっても本当に小さな所で、遊具もぶらんこと砂場があるだけの、空き地に近いような場所だった。それでも、小学校や幼稚園が終わるような時間には子供が数人遊んでいるのをよく見かけた。自分もその一人で、砂場でよく遊んでいた記憶がある。ぶらんこはほとんどの場合空いてないなかった。
「故郷」のメロディーが流れると、一緒に遊んでいた子たちはほとんど一斉に帰っていく。自分のところには兄が迎えに来た。
そろそろ帰ろうと促され、ろくに砂を払ってもいない手を握られ帰路に着く。何をして遊んだとか、学校で何があったとかを話しながらの帰り道の途中には二又の道があった。どちらを通っても最終的に家に着くことはできるのだが、左を通ると遠回りになる。
けれど、兄はいつも左側を通った。
パートが無いたまの日には母が迎えに来てくれることがあったが、そんな時は当然ながら近道の右側を通って帰った。なぜ兄が左側ばかり通るのか不思議になり、尋ねたことがある。右の道に何かあるのかという問いに対して、彼は
「変な人がいるから」
とだけ答えた。
母との帰り道の時、右の道に「変な人」がいた記憶はない。
教室に鳴り響く鐘の音で我に返った。周りでガヤガヤと人が話す声が聞こえる。
寝ていたのだろうか。途中から全く記憶がない。
黒板を見れば、横並びに委員会の名前が書かれていた。まだ少しぼんやりする頭を探ると、確かにさっきまで行われていたのは金曜日5限の総合の時間で、クラスの委員決めをしていたはずだ。新入生にもそろそろ学校の仕事をしてもらおうということらしい。
保健委員会の文字の下には俺の名前——飯島冬樹、の表記があった。これは自分で手を上げた記憶がはっきりある。それなりに楽なやつを、というのと、中学校の頃やっていたのが保健委員だったから立候補したのだ。
隣には花園一郎という名前が書かれていた。周りを見渡すとほとんどのクラスメイトたちが帰りの準備をしつつ、同じ委員会になった相手とちょっとした顔合わせをしている。悪いことに、自分はまだクラスメイト全員の顔と名前が一致していない。花園くんという人がどの人かわからないが、それなら今後委員会活動をするためにも彼が誰なのかわかっていた方がいいだろう。どうしようかと見回していると、ちょうど後ろから控えめな「あの」という声が聞こえた。
振り返ると、ものすごく背の高い男子生徒がバッグを持って立っていた。
「花園くん?」
背の高い彼がこくりと頷く。彼が目に入った瞬間、背の大きさに威圧感を感じて内心驚いたが、なんとなく丸まった背中と目元にかかった前髪が自信なさげな雰囲気だ。
「保健委員、一緒になったね。一年間よろしく」
よろしくお願いします、という声が小さく返ってきた。それ以降お互いに無言になる。俺も別段人付き合いが得意というわけではないため次の言葉が出てこない。数秒間の沈黙の後、無理やり言葉を継いだ。
「その……帰ろうか」
結果、一緒に教室を出ることになり、下駄箱で靴を履き替えていると速水先輩に声をかけられた。
「あら、今帰り?」
「はい。先輩もですか?」
「私はまだよ。その人はお友達? はじめまして」
「あっ……はじめまして」
委員会が同じになったクラスメイトで一緒に帰ることになったと説明すると、先輩は興味深そうに花園くんを見た後、そうなの、それじゃあねと微笑んで行ってしまった。
二人で正面玄関を出る。帰る方向が同じだというので、学校には慣れたかとか、部活はどうしたかとか、そんな話をしながら帰路についた。花園くんはまだ入る部活を決めかねているらしい。
「あの……」
ふと、彼が何か言いたげに声を上げる。
「なに?」
「間違ってたら悪いんだけど……飯島くんって、もしかしてこの前、2-Bの教室にいた……かな……?」
2-B。
それを聞いて、思わず花園くんの顔をじっと見る。
この前、オカルト同好会の先輩たちと一緒に『2-Bのノック音』を検証した時のことを思い出す。その時、扉の前にいたせいで不運にも巻き込まれた男子生徒がいたはずだ。
「花園くんだったの?」
「うん……ごめんね、邪魔しちゃって。何か会議みたいなのやってたんだよね」
全く会議などという大事なものではないが、まさか「怪談の検証をしていました」とは言い辛かった。
「こっちこそごめん。驚かせて……」
なんと返事をしようか考えた結果、ぎこちない謝罪になってしまった。付け加えるなら驚かせたのは俺ではなく中野先輩だ。
どうしてあそこにいたのか尋ねてみると、2-Bの担任をしている先生に用事があり、教室にいないか探しに来ているところだったらしい。本当に悪いことをした。
そうこうしているうちに、踏切に辿り着いた。ちょうど電車が来ているらしく、閉まっている。通学して日は浅いが、経験上ここの踏切は一度閉まるとなかなか開かない印象だった。それを汲んでか、左側へ曲がると、すぐ右手に踏切を横断することのできる短い地下歩道がある。そちらを通ったほうが早いだろう。
花園くん、と声をかけると、赤いランプをぼんやり眺めていた彼がこちらを見る。
「あっちに地下歩道があるから、そっちを通らない?」
一瞬、彼の顔が曇った。
それに続いて何かを言い辛そうに、ええと、と言葉を詰まらせる。そうしてしばらく言い淀んだ後、
「……僕、そこ苦手なんだ……」
とぎこちなく笑った。
その笑顔がひどく曖昧で、俺の様子を伺っているのだと気がついた。口元は笑みの形に歪めているのに、目がうまく笑えないまま懇願するような視線をこちらに向けている。
「それなら、開くの待とうか」
それに気がつかなかったふりをして、なんとか返事をする。
花園くんはそれを聞いてホッとしたような表情で頷いた。ちょうどその横を電車が大きな音を立てて通り過ぎる。
そこからは無言になって道を歩いた。
「ありがとう。……また明日ね」
花園くんと道を別れる際、その時は彼は少し笑ってくれた……と思う。
火曜日。
俺はオカルト同好会の活動場所へと急いでいた。理由は、
『今日は良いニュースがあるから、早く来てね』
そんな速水先輩からの連絡があったからだ。あの人が言う「良いニュース」に対しては不安を覚える。きっと雰囲気のいい怪談や七不思議を見つけたとか、そんなところだろう。
慣れない二年生の廊下を歩き、ようやく辿り着いた2-Dの教室——速水先輩の所属クラスであり、部活動場所だ——の扉を一度ノックして開く。
「おはようございます」
もう見慣れた光景だ。窓際の席に先輩たち三人がテーブルをくっつけあって座って——三人?
三人、座っていた。先輩たちだけなら二人のはずだ。見慣れない三人目は男子生徒で、その座る姿からして背が高そうに見える。
「おはよう、飯島くん」
おはよー、と中野先輩の声が続いた。3人目の男子生徒がこちらを振り返り、肩越しに目が合った。
「おはよう……?」
花園くんだった。
速水先輩を見れば、得意げな顔で返される。つまりそれは、ここに彼がいるのは、先輩の仕業ということだろうか。いつの間に。
「新入部員ってことですか?」
「そう!」
良いニュースがあるって言ったでしょ、と速水先輩は胸を張った。確かに、部活動の人数は増えた方がいい。それに同級生、しかも知っている人が入ってくれるなら俺も嬉しかった。……でも、先輩が嬉々として誘ったということは、彼も「そう」なんだろうか?
「改めてよろしく、花園くん」
彼に向けて手を差し出す。彼がいることで、何となく「たった一人の一年生」というアウェー感から抜け出せる気がした。
「うん。よろしくね」
花園くんも控えめに笑って、手を取ってくれた。
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