23 声を与えてくれるのはあなた

 さて。

 芝居が終了し、あたしはドーランをコールドクリームで落とし、制服に着替えて模擬店に向かった。うちのクラスのお化けカフェはなかなか盛り上がっていて、白野さんの猫のお化けが愛想を振りまいていた。一方鈴木さんの金魚のお化けはビビりがちにきょろきょろしている。


 桃井先輩が来るのを待っているのだ。


 大きな黒い瞳を出目金のようにきょろきょろさせながら、お菓子――模擬店のお菓子なんてブル●ンのやつで済ませると思っていたが、なんとリアルにパティシエの作った超絶おいしいやつ――を出したり、コーヒーを沸かしたりしている。あたしを見て白野さんが、


「お疲れ様、新田さん。お芝居で盛り上がってる声が聞こえてたよ」と、声をかけてきた。


「そう? この学校はすごいね、初等科とか中等科もこういう感じなの?」

「うーんと、さすがに初等科は先生が昔話から脚本作ってたし、中等科も演目は選べるけどおおむねそんな感じ。ここは自主性を重んじる学校だから、できることはどんどんやらせようって先生たちは思ってるみたい」

「へえ。……じゃあ、そのケーキとコーヒーちょーだい。配ってたこれでいいんだよね?」


 あたしはポケットから、「学園通貨」とやらを取り出した。模擬店は当然ながら利益が出ないようになっていて、生徒とその家族には模擬店で使える「学園通貨」というお金みたいなものが渡される。それを一枚渡して、ケーキとコーヒーが出てきた。


 なんだこのケーキ、表面はチョコレートがピアノの黒鍵のごとく輝き、フランボワーズがぼんやりと明るい色をのぞかせている。なんだこれ、どこのケーキ屋で買えるの。


 それとコーヒーも尋常でなくいい匂いがする。最近だんだんコーヒーの良し悪しが分かるようになってきたのだが、どうやらものすごい豆を使っているらしい。これはブラックだな。ありがたく、コーヒーとともにケーキをつつく。う、うっまあ。


 見るとハラペーニョくんがのしのしと一年ゆり組の教室に入ってきた。

「おっれいら、おつかれさん」父さんの声。

「……どうだった? 芝居」と、ハラペーニョくんに訊ねると、ハラペーニョくんはハハハと父さんの声で笑って、

「いやあ、みんなでずっこけたりセリフを忘れる芝居をしたり、なかなか凝ってて面白かったぞ」と答えて、それから少し黙ってから、

「やっぱりれいらはすごいなあ。こんな豪華な学園祭に、当たり前みたいに参加してさ。あ、いらっしゃい!」


 父さんはどうやら餃子の日を切り盛りしながらハラペーニョくんを使っているらしい。しばらくハラペーニョくんの動きが停まる。


 コーヒーとケーキをつついて、さてどうしようかと考える。生徒向けには、第二体育館の映画祭や、ボードゲームをいろいろそろえた遊戯室、それからバザーがあるのだが。


 とりあえず遊戯室に行ってみることにした。行くと、制服に着替えた竹屋さんが、昔からの友達だという子(たしかお父様が数学者でお母様が言語学者)と、将棋を指していた。周りの様子でかなり白熱していることが見て取れる。ほかの生徒もみんな、その勝負の行方をハラハラドキドキの表情で見つめている。正直よく分からないので、すっと抜けてバザーに向かう。


 うわすっげえ。バザーの会場にきて、思わず小声でそんな言葉が出た。


 アンティークものの食器や家具、貴重な古い本、美術品、ビスクドール、そういうものが並んでいる。しかもどうやらすべて不用品らしく、江戸切子の酒器セットが2000円。高価そうなテディベアが1500円。やべえなこの学校。


 見ると継母と姉ABも夢中でバザーを見ている。そういやカロリー軒の蔵書にあるギャラリーフェ●クでもあったな、お嬢様学校のバザーで掘り出し物を探す話……。


 とりあえず欲しいものはないなぁ。


 ふらりと第二体育館の映画祭に向かうと、どうやら前半の上映が終了したところのようだった。やっているのは前半が「風の谷のナウ●カ」で、後半は「バーフ●リ 王の凱旋」のようだ。前半はともかく後半がどういうことだ。暗幕の出入り口からぞろぞろ人が出てくる。


「あ」桃井先輩がいる。伸びをして出てきた、ネコ科の動物のように鋭い目の桃井先輩は、あたしを見るなり、

「……お化けカフェ、まだケーキあるです?」


 と訊ねてきた。頷くと、桃井先輩はすらりと長い脚をすたすた言わせて一年ゆり組の教室に向かう。

 お化けカフェに戻ってくると、予想外に空いていた。ふじ組の女王様喫茶に客を取られたらしい。なんだ女王様喫茶って。隣のふじ組の教室からは、ヴィヴァルディの春が聞こえてくる。なんだか変なものを想像してしまうではないか。


「チョコケーキひとつと、コーヒーひとつ」桃井先輩はそう言い、椅子を引いてかけた。

 鈴木さんが恐る恐るコーヒーとケーキを出す。


「ゴールデン・フィッシュ。お金が余ると書いて金魚なのですか。縁起がいいのです」


 桃井先輩は少々カタコト気味にそう言い、コーヒーをすすった。

「おいしいのです」

 鈴木さんはテレパシーを送ることも忘れてこくこく頷いている。顔が真っ赤だ。

「……どうしたのです?」


(あ、あの。……いえ)鈴木さんは握りこぶしをぎゅっとして、

「あの! 桃井先輩! わたしを、妹にしてください!」

 と、例の超だみ声で言った。皆驚愕の表情で鈴木さんを見る。


「ずっと、あの出会った日からずっと、お慕いしていました! わたしに、声を与えてくれるのは、桃井先輩だけです!」

「……ようやく自分の口でいったのですね」

 桃井先輩はコーヒーをひと口飲んで、笑顔になった。


「すばらしい勇気なのです。自分で話すというのは人間の基本なのです。テレパシーでは、どんなことを言っても響かないですから。いいですよ、きょうから姉妹です」

「ほ、ほんとですかっ」鈴木さんはだみ声であることも忘れて嬉しそうな声をたてた。クラスのみんなはぎょっとした顔をしている。それに気付いた鈴木さんは、急に恐れる表情になった。


(あ……え……その)鈴木さんは恥ずかしい顔をしている。良家の子女として、その声を叱られたりしたのかもしれない。人前で喋るなとか、そういうことを言われていたのかも。


「大丈夫なのです。鈴木さん――さよりちゃんは、すごく可愛いのです。勇気を出して、恐れることなく、自分の思ったことを言うべきですから。さよりちゃんはとても、素敵な声をもっているですから」


「そ、そうですか……?」

「昔の、あの青い丸っこいやつのアニメーション……ドラ●もん? みたいでかわいいのです」

「ど、ドラ●もん……」あたしは絶句した。んなこと言っちゃ鈴木さんが傷ついてしまうではないか。だが鈴木さんは嬉しそうに、


「わたしも、大●のぶ代が声を当ててるドラ●もん映画、家に全巻揃っていて、小さいころよく見ました。大好きです、ドラ●もん」と、そう答えた。


「だったら自分の声を恐れちゃいけないのです。恐れたところから、弱い自分になっていくと――わたしは母に言われたです。わたしも、恐れてはいけないのですね」

 拍手が巻き起こった。


 ここで一年ゆり組の模擬店はコーヒーもお菓子も切れてしまった。商品がないのではなんにもできない。それにそろそろお腹の空いてくる時間だ。


 お化けカフェの面々は制服に着替え、勝負のついたらしい竹屋さんも戻ってきた。負けたらしい。なにやらぶつぶつと「おじいさまには美月は勝負事をやるには穏やか過ぎるって言われてるし」などと負け惜しみを言っている。


 もうそろそろお昼だし、みんなで食堂に向かった。いままで「ターキーのサンドウィッチ」「松花堂弁当」が定番だったらしいのだが、今年からはカロリー軒のラーメンもある。


 白野さんと鈴木さんと竹屋さんと、それから桃井先輩とラーメンを発注した。ちょうど、塔原部長や蕎麦木先輩、そして高良さんも、ラーメンをちゅるちゅる食べていた。


「このラーメンって、新田さんのお父様がスープを煮てるんだっけか」と、蕎麦木先輩。

「はい、そうです」当たり前にそう答えると、蕎麦木先輩は頷いて、


「すごくおいしいってお父様に伝えて。あ、それから漫才は中止になっちゃった。ごめんね、面白い高良見たかったよね」と、優しい顔で微笑んだ。

 氷が融けたのだ、とあたしは思った。そして学園祭は、幕を閉じた。

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