20 幸せってなんだ

 幸せってなんだ。その根源的な問いに悩むこと三日。

 なんでそんな根源的なことを悩んでいるのかというと、もし母さんが生きていて、ふつうの女の子として育っていたら、ということをずっとずっと考えてしまうからだ。


 火曜日。学校は次第に、学園祭の雰囲気を増し始めていた。みんな、招待するひとの名前を書いたリストを先生に提出している。あたしは本当に父さんの名前が書いていないまま提出していいのか分からなくて困っている。父さんは本当に来てくれないのだろうか。


「なーに悩んでるの? 甘いものでも食べて気分転換したら?」

 白野さんがニコニコで近寄ってきて、芋けんぴをくれた。ポリポリ食べる。おいしい。

「うん、いろいろ考えることがあって。人生ってままならないね」

 白野さんは百貫デブになりそうな勢いで芋けんぴを食べながら、

「そっかあ。……解決するといいね」と笑顔で答えた。食い意地が張っているのにどんなに食べても太らない、白野さんの体質が心底羨ましい。


「模擬店はどんな感じ?」

「衣装はだいたい出来上がったよ。あとは教室のセッティングを決めて出すものを用意すれば完璧。コーヒーメーカーをどうやって持ってくるかちょっと悩んでる」

 コーヒーメーカーて……ここのお嬢様軍団のことだ、サイフォン式のものすごくごっついやつを持ってくる気でいるかもしれない。インスタントコーヒーでいいだろうに……。


 学園祭の前でみんな浮かれているのが、なんとなく癪だった。こちとら悩んでるんだぞ。それも実にくだらないこと、取り返しようのないこと、悩んでも無駄なことで。


 ……でも、高良さんに見出してもらえたのは、幸せと思っていいのかな。

 ……でも、そのせいで先輩たちは悲しんでるわけだしな。


 考えるだけ無駄。無駄無駄無駄無駄! そう思って切り替える。


 鈴木さんが浮かない顔をしているのがちらりと目に入った。そりゃあそうだろうな。あんなこっぴどいフラれ方したら。鈴木さんはため息をひとつついて、ぐいと伸びをした。


 次の時間の授業の準備をして、ぼーっと黒板を眺める。世の中のほとんどの学校がホワイトボードを使う中、この学校では昔懐かしい黒板が使われている。


 そうやって過ごして、昼休み。なんとなく高良さんとお弁当を食べるのが面倒だ。倦怠期だろうか。はたまたイヤイヤ期だろうか。とにかく教室で弁当を広げようとした。


「やあ」教室がざわりとした。――高良さんだ。ほっといてよ……。

 しょうがないので弁当をもって高良さんについていく。きょうは高良さんとあたししか、中庭にはいない。


「あの」

 小さな声で切り出す。高良さんは自分の弁当箱から野菜を移動させつつ、

「どうしたんだい? なんでも言ってごらん?」と優しく声をかけてきた。

 高良さんはいつだって、優しい。


「あの。あたしなんかのために、高良さんは強くなりたいって思ったんですか?」

「強くなりたい……というか、人を守れる人になりたかったんだ」

「そのために、男の子みたいな喋り方をして、男の子みたいにふるまって、ほかの友達のことは、考えなかったんですか?」

「……そりゃあ、友達はびっくりしたと思うよ。でも、結果としてよかったと思ってる」


「蕎麦木先輩とか塔原部長とか、みんな……高良さんが、そういう振る舞いをするのを、悲しく思ってるのに? あたしは……何が幸せなのか分からないです」

「――この学校、嫌いかい?」

「いえっとんでもない。こんなすっごい学校に通えるのは嬉しいことです。大学にいくことだってできるかもしれません。だけど、……あたしが高良さんをゆがめてしまったなら、それは悲しいことです」


「……家族にはね、度胸が据わった、高良が強くなった、ってほめられたよ」

「そう、……ですか」

としか、答えようがなかった。


「そうだ、桃井についていろいろ聞かれたけど、あのあとどうなった?」

「鈴木さんですか? 見事にフラれてましたけど」

「桃井が言ってたよ。『声も聞いたことのない人間なんか好きになれない』って」


 ううーん鈴木さんすっげーだみ声なんだよな~! 聞いたら度肝を抜かれるレベルのだみ声なんだよな~! それが恥ずかしくてテレパシー伝えてくるんだよな~!

 弁当を食べる。相変わらずの余り物弁当に、高良さんのお弁当の野菜を追加して食べるてい。きゅうりがめちゃめちゃにおいしくて驚く。


「……学園祭の招待状の申し込みっていつまででしたっけ」

「今週末だよ。金曜までに提出。れいらくんのご家族も来るのかい?」

「……父以外は。この間話したとおり餃子の日なので、店を開けないわけにいかなくて」


 悲しく思いながら弁当を退治し、教室に戻って招待状の申込書類を出してくる。それを担任の先生に提出すると、


「お父様はいらっしゃらないのかい?」

 と、当たり前みたいに聞かれた。「仕事の都合がつかなくて」と答えた。そういう生徒はきっとほかにもたくさんいるはずだと思ったのだ。


「そうかー……それは残念。来年は来られるといいね」

 担任の先生はそう言い、なにやら書類に向きなおった。


 とぼとぼ教室に戻る。午後からは学園祭の準備だ。台本はだいたい覚えて、それぞれ役を演じるところまで来ている。あとは細かいところを煮詰めていく作業だ。


 衣装を担当した子が、かつらを改めて出してきた。リアル時代劇レベルのかつらだ。かぶって、ドーランで継ぎ目をぼかしてみる。自然なちょんまげで、大衆演劇みたいだ。


 竹屋さんは平安時代もかくやという長髪なので、いささか面倒だが結ってしまうことになった。時代劇のお姫様の、肩に髪を降ろしたお姫様スタイルの日本髪をどんと結ってみる。


「似合うじゃん。着てるのセーラー服だけど」

「そういう新田さんこそセーラー服にちょんまげじゃない」


 今日いちばん笑った。衣装もできたというので着てみる。男物の着物は着たことがなかったが、女物の着物と違ってずいぶんゆるい。楽ちんだ。

 有栖川さんが笑顔で、

「それじゃあ衣装を着たうえで通してやってみようか。そんなに長い芝居じゃないしね」


 と、その場を取り仕切る。みんなで演じてみる。学園祭の芝居とは思えないクオリティだ。

「よし! これを煮詰めれば完璧!」


 脚本・演出の有栖川さん納得の出来らしい。みんなでハイタッチする。

 ――学校が終わって家に帰ると、継母がなにやら電話をしていた。えらく恐縮した口調だ。何ごとだろう。電話が切れたので、「あんたには関係ない」と言われるの覚悟で訊ねる。


「ずいぶん恐縮してたけど、なんの電話?」

「あんたの先輩のお母さんに聞いたの。学園祭って何着てけばいいのかって」

 どうやら着物と言われたらしく、継母は慌ててタンスを開けて捜索を始めた。


「えーと、えーと、着物と、腰ひもと、帯と、それから足袋と……」

「伊達締めもいるよ。帯揚げと帯締めも。それから着るときに帯を止めとく洗濯ばさみ」

「なんで知ってるのよそんなこと」継母に驚かれた。学校で習ったから、と言うと、

「あんたすごい学校に通ってるのね」としみじみ言われた。


「……なんかさ。あの学校にいくのをOKしてくれてありがとう」

 そう言うと継母はタンスを漁りながら、「だって学費がタダなんだもの」と身も蓋もないことを答えた。いやその通りだけどさあ、もっと他にも言うことあるでしょ。


「でもね、あんたのおかげでずいぶんよくなったのよ? 杏奈と利世もちゃんと働いてるし、くうときらりも真っ当に育ってるし、勇吾さんも仕事が増えて生活が安定したし……」


 あたしは、ふと(どうしてIFのことを悩んでいたんだろう)と、そう思った。母さんが生きている世界なんてどこにもないのだ。どうあがいたって、この麻美子とかいう継母と、姉ABと、ガキンチョABと一緒に暮らしているという条件はひっくり返せないし、高良さんを助けて、高良さんがあたしを守るべく男前になってしまったというのも、変えようがない。


 人生は一度きりなのだ。せいいっぱい、楽しもうじゃないの。すごいお嬢様学校に入れたのは、わたしが高良さんを助け出したからだ。悩んだって仕方がないのだ。

 そう思いながら、夕飯を支度した。お腹が空いていた。

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