19 先輩だって中華を食べたい

 部活も、学園祭に向けての追い込みを始めていた。


 美術部は「美術部展」というのを開催するのが毎年恒例だそうで、個人で制作した作品だけでなく、部活のみんなで作る「共同制作」も展示する。今年の共同制作は実寸大の「ゲルニカ」である。でかい、とにかくでかい。展示場所に困るくらいでかい。ピカソはいったいなにを考えてこんなバカでかい絵を描いたのか。理解に苦しむ。


 ベニヤ板にプロジェクターで原画を映し、それで線を引いて下描きする。画材はシャンプーの詰め替えみたいな容器に入ったアクリルガッシュである。それで、ひん曲がった牛の顔だの、ねじくれた人間だの、そういうものを描いていく。


 描いているうちに高良さんと頭をぶつけてしまい、二人で恥ずかしい顔をしたりもしながら、制作は進んだ。とても楽しく作業する。


 学園祭では美術部展だけでなくコーラス部の演奏や科学部の研究発表展示、華道部の展示もあるので、いつもの三人は来たり来なかったりだ。きょうは鈴木さんが来ている。


 高良さんが黙々と線を引いた内側を塗りつぶしていくのを見て、なんだか心の底がじんわりした。高良さんと同じ部活やってるんだ。嬉しいなあ。楽しいなあ。

 一時間集中して作業して、いったん少し休むことになった。


「ふう。疲れた……」高良さんが首をポキポキする。


 鈴木さんは絆創膏を貼った手を気にしながら、ぐいっと伸びをした。


「じゃあ休憩にしましょうか。なにか甘いものでも食べましょ」

 そう言って塔原部長が微笑む。なにが出てくるかな。塔原部長は準備室にひっこみ、しばらくすると「ちーん」という軽快な電子レンジの音がした。


「熊本から取り寄せた『いきなり団子』っていうの……食べてみない?」

 お皿には部活の休憩時間におやつとして食べるにはいささか豪華な印象の、あつあつのまんじゅうが乗せられている。これ、サツマイモとあんこが入ってるまんじゅうだよな。すげえなお金持ち学校、お取り寄せグルメが日本全土規模だ。


 みんなでそれを食べる。アツアツハフハフのいきなり団子はとてもおいしかった。

「口の中火傷しちゃったよ」高良さんはそういって肩をすくめた。


 みんなでそのいきなり団子をやっつけるころ竹屋さんがやってきた。華道部の練習は先生――学校の先生でなく、本物の華道の先生――が急用で帰ってしまったとかで、美術部に合流したらしい。竹屋さんはみんなにクッキーを配る。あれ? 竹屋さん、この間超絶おいしくない弁当を蕎麦木先輩に食べさせてなかったっけ? なんでクッキーだけはおいしいんだろう。


「竹屋さんって普通の料理はあんまり得意じゃないのに、お菓子作るのはうまいよね?」

「そうね、お菓子は本を見れば粉の分量とか焼く時間まで書いてあるから……だって玉子焼きの作り方って、玉子を何リットルとか決まってないし、『焦げ目がついたら』とか、そういう雑な説明でしょう?」


 なるほどそういうことか。理解理解。


「ううーんいきなり団子の後にクッキーかあー」と、高良さん。

「いきなり団子?」そう訊ねてきた竹屋さんに塔原部長のお取り寄せグルメの話をする。ちょっと残念そうな顔をすると、竹屋さんは自作のクッキーをぽりぽり食べた。


 部活は午前中で終わりなので、おやつからしばらくして時計が十二時を指したころ三々五々部員が帰っていった。ゲルニカの制作はだいぶ進んだ。学園祭には余裕で間に合いそうだ。


「おーい早苗、高良、一緒にお昼食べよ……ああ、新田さんもいるのか」

 美術室に、唐突に蕎麦木先輩が現れて、あたしを見てギギギ顔をした。


「雨里、もうバレーボール部は終わったのか?」

「うん。ま、そもそも大会目指すようなバレーボール部じゃないしね」蕎麦木先輩は外国人みたいな、「やれやれ!」という表情をして、それからにっと笑うと、

「何なら新田さんも一緒にご飯にする?」と訊ねてきた。


「あ、は、はい……ご相伴にあずかります」

「そうだ! れいらくんのお家でご飯にしよう! 学食のご飯よりリーズナブルにおいしく食べられるよ!」


 高良さんはそう言いだし、またしてもお嬢様軍団を連れてあのおんぼろ中華料理屋に行くことになった。さすがに三年生は列車を珍しがらない。

 カロリー軒は珍しく空いているようだ。蕎麦木先輩はカロリー軒の看板を見上げ、

「入る人の勇気を試す店名ってこういうことかー」と、ちょっと間延びしたセリフを発した。高良さんから由来も聞かされていたらしく、

「まあ、昔の日本人はカロリーが足りなかったそうだしね」と言い、がらがらーっとドアを開けた。


「へいらっしゃい……ああ、れいらの先輩方」父さんが笑顔で応じる。みんなでカウンターに座り、メニューを見る。


「へえーホントにこの値段なんだ。オイラはラーメン」

「わたしもラーメン。高良とれいらちゃんは?」

「私はニラレバ炒めにしようかな」高良さんはそういい、あたしはチャーハンを発注した。


「れいらくんのお父様は、学園祭にはいらっしゃるんですか?」

 高良さんがそう訊ねると、父さんは困った顔をして、

「それがね、たまたま『餃子の日』にぶち当たっちゃって」


 と答えた。父さんに餃子の日の説明を聞かされ、高良さんはちょっと、いやだいぶ残念な顔をした。蕎麦木先輩も目をそらす。塔原部長も壁に貼られたメニューを確認する振りをして目線を動かす。


「い、いや、行きたいのは山々だよ?」と、父さん。

「せっかくれいらが、自分のやりたいことを見つけて入った美術部の展示も見たいし、クラスの演劇では主役だっていうし、行きたいよ、学園祭……」


 父さんはそう言い、手際よくラーメンを湯切りしていく。継母がどんぶりにスープを注ぐ。


「はいラーメンおまちどおさま!」

 どんどん! と、チャーシューや煮卵ののっかったラーメンが出てくる。

「先に食べていい? 高良、新田さん」


「もちろんいいよ。いやーカウンター席って面白いなあ。料理の様子がよく分かる」


 呑気に面白がる高良さんはともかく、あっという間にニラレバ炒めとチャーハンも出てきた。高良さんはおいしそうにニラレバ炒めを食べている。あたしも食べなれた味ながら、おいしくチャーハンを食べた。


 お嬢様学校に入って、高良さんのお弁当の野菜だのお取り寄せグルメだの、高良さんのご実家のお料理だの、おいしいものは本当にたくさん食べたけれど、あたしは父さんのチャーハンが一番おいしいのだということに気付いた。本当においしいのだ。父さんのチャーハンは、懐かしい。切ない。幸せだった昔を思い出す。


 いまだって、姉ABや継母が真人間になって充分幸せに生きているけれど、でも……母さんやおじいちゃんがいたころの、ただただ幸せだったころのことを、思い出すのだ。


 あのまま、母さんが生きていたら――あたしは不良になんかなんなかった。髪を染めたりしなかった。喧嘩なんかしなかった。ふつうの、ありふれた女の子のまま、大きくなったはずだ。


 でも、それでは高良さんと出会うことはなかっただろう。

 どっちが幸せなんだろう? 優しいお母さんがいることと、素敵な学校に通えて、大好きな先輩や友達がいることと。わからない、わからないよ。一つ言えるのは父さんのチャーハンがおいしいということだけだ。


 涙目になっているのを悟られないように、必死でチャーハンを食べる、というか口に突っ込む。まさか父さんのチャーハンで泣く日がくるとは思わなかった。

 食べ終えて、口元を拭くふりをして涙をぬぐった。


「あーおいしかった! ここってカード使えますか?」蕎麦木先輩が財布からものすごいカードを取り出してそんなことを言う。ジャーイーデスー展開を想像してふっと笑うと、高良さんが全員ぶん払ってくれた。どういうモンスター財布してるんだ。


 先輩方を駅に送っていく。蕎麦木先輩と塔原部長は、高そうなローファーやストラップシューズを軽快に進めていく。高良さんだけが、あたしが泣き顔なのに気付いた。


「どうしたんだい」

「なんでもないです。本当に、なんでもないんです」

「れいらくんが泣いてると早苗にとっちめられる。ほら、涙を拭いて」

「うぃ……」受け取ったハンカチで涙を拭く。高良さんは、やさしいのだ……。

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