18 餃子の日
はあ。
金曜の夕方、足取りが重い。学校帰りはいつだってこうだ。駅で列車を降りて、近所の高校のやつらがたむろってるのをちらっと見つつ、家に向かう。
カロリー軒は絶賛営業中。換気扇からニラレバ炒めの匂いがする。裏口から家に入ると、最近どうにか昼間の仕事に転職できた姉Aが、ガキンチョAのスイッチでどう●つの森をやっていた。なんだかんだ、ガキンチョAより姉Aのほうがゲームを楽しんでいる気がする。
「……ただいま」うわすっごいちっちゃい声。自分でもびっくりする。
「おかえりー。……利世とママいないけど、夕飯食べる?」
姉Aは妖怪めいたドすっぴんの顔でそう言う。あたしは拍子抜けして、
「う、うん。お腹空いた」と答える。姉Aは台所に立つと、
「学園祭の準備してるんだっけか。なんかフリーダムな学園祭なんだって?」
と、あたしが父さんに話したことを訊ねてきた。ほ、ホントにこいつ姉Aか? 姉Aにしてはいい人すぎる。恐る恐る近づき、溜まりまくっている洗い物をあたしが片付ける。
「うん、クラスの出し物と、それから模擬店」
「へえー模擬店なんてマジでやる学校あるんだ。てっきり漫画の中だけだと思ってた」
「……なんかきょう機嫌いい?」おそるおそる訊ねると、
「いやーど●ぶつの森癒されるわー……いままで夜遅くまで居酒屋でバイトしてたから、生活が不規則でストレス溜まってたんだと思う。いまの仕事、給料いいしね……そのおかげで空兎の学習教材も買えて、そのおかげで最近空兎は大人しく勉強してるし……」と、姉Aは言う。
姉Aはストレスフリーになって優しくなったらしい。あたしが洗い物を片付けてる間に、餃子と肉野菜炒めが出来上がった。姉Aはノンアルコールビール(お腹周りの脂肪を減らす! って書いてあるやつ)を冷蔵庫から取り出すと、餃子と肉野菜炒めと一緒にテーブルに並べた。あたしは普通に白いご飯を食べることにした。ガキンチョABの、キャラクターのプリントされた小さな食器も出す。
「ほら、くう、ご飯だよ。ずっと勉強してたら疲れちゃうでしょ」
「だって一ページやったらゲーム一時間やっていいんでしょ? これで五時間できるよ」
「いまは六時半だから、寝るまで二時間しかないの。そんなにずーっとゲームしちゃだめ。夜更かしはだめ!」
「えーっそれじゃあリュウグウノツカイつれないよー」
「ママがちゃんと釣ってフータさんに寄贈しておきます。ほらご飯! 希来里ちゃんも!」
「あーい」ガキンチョBがリカちゃんを握りしめたまま座った。リカちゃん、時々ナメられたりしているらしくすっかりボロボロなのだが、ガキンチョBはいたくリカちゃんを気に入り可愛がっている。姉Bがせっせと百均の端切れでリカちゃんのお洋服を作ってあげているのもあるだろう。
姉Bは姉Bとは思えない熱心さで、近くの本屋から「ハンカチで作るリカちゃんのお洋服」みたいな本をちょいちょい買ってきて、せっせとリカちゃんのお洋服をこしらえている。そりゃあ、リカちゃんで遊ぶなら着せ替えの洋服はいっぱいあったほうが楽しいに決まっている。ちなみにガキンチョBは、リカちゃんの彼氏――はるとくんというんだったか――についてはガン無視を決め込み、リカちゃんの彼氏は床に放置である。リカちゃんの彼氏がフリマアプリに投げ込まれるのも時間の問題かもしれない。人身売買だ。
みんなでテレビの実にくだらないバラエティ番組を見ながら夕飯を食べた。すごくおいしい。父さんの餃子は世界一だ。
夕飯を食べながら、カバンから冊子を取り出す。
「藍花女子学園 学園祭のご案内」結構立派な冊子である。フルカラーだし。
「あのさ、杏奈姉さん、学園祭くる? お母さんとか利世姉さんとか父さんとか……もしくるなら来週末までに申し込みしなきゃいけないんだ」
「なんで? 学園祭ってだれでも行っていいんだべ?」
「ううん、うちの学校の学園祭さ、入場券ないと入れないの」
姉Aはノンアルビールをぐびぐびーっとやりながら、
「へえー。お金持ち学校は違うね」と答えた。姉AはガキンチョBがこぼした餃子を拾い、
「まあママとお父さんと利世が戻ってきてからでいいべ。希来里ちゃん、落とさないで」と、ガキンチョBを注意した。
「ううー」ガキンチョBはちょっと眠いらしく不機嫌そうだ。
「あ、れいら、夕飯終わったら空兎を風呂に入れてやってくんない? 冷蔵庫でファンタ冷えてるから風呂上りに飲めばいいよ」
姉Aが優しいことにちょっと驚きつつ、夕飯のあとガキンチョAを風呂に入れた。風呂場の壁には、五十音表とかけ算九九とアルファベットのポスターが貼られていて、いつのまにやら姉Aが教育ママになっていることを感じさせる。
「もんきー、ごりらー、かんがるー、ひぽ、ひぽ」ガキンチョAはえねっちけーのえいごであそぼで流れているという陽気な歌をずっと歌っている。姉Aがちゃんと子供の教育に向き合っていることに驚きつつ、頭を洗ってやり、体や顔もきれいにして、タオルでごしごし拭いて寝間着を着せてやった。あたしも中学のジャージに着替える。
風呂から上がってみると姉Aはスマホを見ていた。ア●マTVのリアリティショーだ。姉ABはこういうのが年甲斐もなく大好きで、ずっとこういうのを見ている。
姉Aは面倒そうに起き上がると、ガキンチョAを寝かしつけた。ガキンチョBはすでに寝ていて、家の中はとても平和だ。
ファンタをカップについでぐびぐび飲んでいるうちに、カロリー軒は閉店の時間になった。ジャージのまま店に行って手伝おうとすると、すでに姉Bと継母が片付けを終わらせていた。
家族の大人全員が茶の間に集合したところで、学園祭のパンフをぱさっと置く。
「ずいぶん大がかりね」継母がそう言う。意外とエプロンが似合う。
「おもしろそーじゃん。行ってみようよママ」と、姉B。姉Bは水商売を辞めてカロリー軒で働いている。そのせいか最近笑顔が増えた気がする。
「あー……でもこの日、カロリー軒は『餃子の日』だな」と、父さん。なんだそれ。
「餃子の日?」あたしが訊ねると、父さんは頷いて、
「利世ちゃんが考えたんだがな、月に一回餃子を倍にして出すことにしたんだ。実を言うとこの間、うちの店に……よく知らないんだが、グルメ情報サイトの取材がきて、『ネットで話題のお店』っていうステッカー置いてってだな……それならなにか新しいことを始めようと思って。ま、一人でもなんとかなるから、麻美子と杏奈ちゃんと利世ちゃんと三人で行ってくればいい。夕方の営業には間に合うだろ?」
……えっ。
父さん、来てくれないんだ。それを聞いた瞬間ショックであたしは黙り込んだ。
でもそれは仕方のないことだ。うちは店をやらねば回らない。ましてや、グルメ情報サイトに載って、『ネットで話題のお店』ステッカーをもらったというなら、なおさらお客の期待に応えねばならない……。
「さて、風呂入って寝るかぁ……」父さんはそれで会話を終了させ、風呂場に消えた。姉Bも、お腹周りの脂肪がどうたらいうノンアルビールをぐびぐびやりつつ、作りかけのリカちゃんの服を縫う。継母は顔に美顔ローラーを転がしながら、テレビを眺めている。姉Aはさっさと寝てしまった。
「あのさ、れいら」姉Bがそう声をかけてきた。
「なに?」そう言うと姉Bは、作りかけのリカちゃんの服から顔を上げて、
「ありがと」と答えた。よく分からないので、なにが、と訊ねると、
「れいらがいっぱい頑張ったおかげで、あたしら最近すっげー機嫌いいの。水商売も辞められたし、お姉ちゃんも昼間の正規の仕事やってるし、ホントに感謝してる」
お、おう……。感謝され慣れていないあたしはおもっくそキョドる。
「いままでずっとさ、れいらに子供のこととか家事のこととか押し付けててさ、れいらって偉いんだなって思った。いっつもありがとう、れいら」
どう反応していいのか分からない。分からないけれど、姉Bはそれっきり、黙って複雑な衿付けを始めたので、あたしも黙った。
姉ABと継母にはずっとひどい目に遭わされてきたから、こうして感謝の言葉が出るなんて想像もつかなかったことだ。
でも、学園祭の芝居は、どうしても父さんに見てほしい。そう思いながら、ああ明日は始発で部活にいくんだ、とそう思って、さっさと寝ることにした。
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