17 針を刺した指が痛くて
高良さんと蕎麦木先輩が和解し、三年すみれ組の出し物の台本は別の、女性の漫才師が書いてくれることになったようだ。
さて、一年ゆり組の芝居の脚本もどうにか出来上がった。一応笑える芝居に仕上がっているらしい。なんでも有栖川さんのお母様は「御大」と通称されるようなテレビドラマの脚本家で、だいぶ手伝ってもらったと言っていた。チートじゃん。ちなみにおじい様は高名なテレビ評論家だった。ついでに言うとお父様は直木賞作家だ。
お姫様役を任された竹屋さんは、脚本をぺらぺらめくって、「面白いじゃない」とにんまり顔。あたしも一応主役なので開いてみる。うん、面白い。これはイケる。
すでにコピーしてカバーまでつけて演劇組全員に回っているその脚本をみんなで読み合わせしてみて、だいたい感じがつかめてきた。中学の学園祭では先生が種本から引っ張り出してきた変に説教臭い芝居をやっているだけだったので、自分たちで一から作る、というのは面白い。
さて、脚本の読み合わせのあと、放課後に少し居残って動きをつけてみることになった。さすが、御大と呼ばれるような脚本家がかかわっただけあって、座談会にならない。すべてのセリフに意味があって動きがついている。それはアホのあたしだって分かる。
みんなでずっこけるシーンや(セリフを忘れたふりをする)というト書きなんかは、吉●新喜劇をくんでいる感じがする。内容がハチャメチャなわりには江戸時代の考証がしっかりしているのもNHKの「お江戸でご●る」に近いものがあるかもしれない。いやちゃんと見たことないけど……。
ずっと心配していたタイトルと内容の違いであるが、ちゃんと話の目的を仇討ちに設定しており、看板に偽りなしと言った感じである。
芝居の練習をしているのを、模擬店に参加する子たちも衣装を作りながら見ていて、鈴木さんが針と糸をもってちくちくミニスカ着物を作っている。模擬店の衣装デザインは獅子岩さんという子が担当したのだが、それがまあデザイン性の高い漫画チックな衣装ばかりで、模擬店組は作るのに苦労しているようだ。というかこの学校にミニスカ着物という概念があって安堵した。ほかの生徒の私服をいっぺん見てみたい。
(あいたっ)結構でっかい感じで鈴木さんの悲鳴が頭の中に響いた。どうしたどうした。見に行くと、あたしらの芝居を見ながら裁縫をしていたせいで、和裁用の長い針をぐっさり指に刺していた。
「うわっ! 早く保健室に行って手当てしてもらわないと!」
白野さんが慌てる。鈴木さんの指からは血管を直撃したのか結構な勢いで血が流れている。
とりあえず鈴木さんはポケットから白いハンカチを取り出し指を押さえた。芝居は一時中断し、保健委員をやっているあたしが保健室についていくことになった。
この学校の保健委員というのは結構な権力で、保健室にいくクラスメイトについていくなら授業を抜けることもできる。後で先生に報告書を出さねばならないのだが、この学校に入ってから文章を書くことは苦ではなくなったので気にしていない。
保健室に入ると、すらりと優美な保健室の先生が、パ●ムをぱくついていた。よかった、この学校にも棒アイスは存在したのか。
「どしたの? 指怪我した?」
保健室の先生はそう言うと消毒薬や血止め薬、ガーゼや包帯を取り出してきた。
(模擬店で使う衣装を縫ってて、指をお針で刺してしまいました)
「あー……痛そうだねえ。消毒しよっか」保健室の先生は手際よく鈴木さんの手の怪我を処置していく。
包帯を巻いてもらって一安心。
さて教室に戻ろうか。そう思って立ち上がろうとすると、ドアががらがら開いていつぞやの桃井先輩が入ってきた。相変わらずエスニックな顔立ちである。
「……怪我したですか」桃井先輩は心配そうな顔をする。
(はい。模擬店の衣装を作っていて、指をぐさっとお針で)
「気を付けるのです。こういうふうに浮かれているとこういうことが起こるのです」
(桃井先輩は学園祭はどうするんですか?)
「……招待する人もいないですから、第二体育館で映画でも観るです」
ここもやるんだ、第二体育館で映画……。あたしの通っていた中学でも学園祭と言えば第二体育館で映画だった。懐かしい。中学のは不良とカップルのたまり場だったけれども。
(あのっ、桃井先輩)鈴木さんは勇気を出して、そう口を開いた。
(一年ゆり組の、お化けカフェに来てください!)
「……面白そうなのです。そこまで言うならちょっとだけ覗きたいです」
(ほ、ほんとうですか?)
「嘘をつくのはよくない文化なのですから」
鈴木さんはぴょんぴょんした。リアクションまで魚だな。
(あ、あの。それで――桃井先輩、桃井ジャスミン蘭さん、)
「『姉妹になりたい』というのならお断りなのですから」
「……えっ」なぜかあたしからセリフが出た。なんで? 断る理由ある? 鈴木さんかわいいじゃん。ちょっと、いやかなり変わってるけどかわいいじゃん。
(ど、どうして……ですか?)
「わたしは『愛』というものはすべてギマンだと思ってるです。姉妹愛にせよ男女間の恋愛にせよ、すべて偽物の、都合のいいハリボテだと」
桃井先輩はそう言うと、窓の外をちらりと見た。
「わたしの父は、アラブの石油王なのです。ペットは虎で、餌代は日本円にして月十万円なのです」
そんなものすごい生徒いたんだ……。ではなぜこの学校に入ったのだろう。
「母はヨーロッパを拠点に働く日本人の実業家なのです。その母を、父はひと目で気に入ったですから、第三夫人にしたのです」
アラブの富豪やべえ。驚きで言葉が出てこない。
「でも母は父にちっとも愛されなかったです。父は母を家の中に置いておきたいのに、母は外で仕事をしたがりましたから。そして母は身重のまま父のところを逃げて、今ヨーロッパにいるです。わたしだけ日本にいるです。さみしいです」
桃井先輩はそう語ると、ひとつため息をついて、
「互いに認め合うことが『愛』ならば、父も母も愛なんてどこにもなかったということです」
と、静かにそう言った。
「だから、わたしは誰かを愛する自信がない。中等部のころや一、二年生のころ、たくさんの先輩に言い寄られたですけど、たいていが父や母が目当ての、愛なんてみじんもない先輩ばかりでしたから、断ったです」
(それは先輩の誤解ではないでしょうか)
「誤解じゃないにしたって、好きでもない相手と姉妹にはなりたくないのですから」
桃井先輩はそう冷たく語り、通学カバンを抱えて保健室を出ていく。そして、
「お化けカフェ、楽しみにしてるです」そう言い残して、長い長い廊下の奥に消えた。
鈴木さんは、そこにへたりこんだ。あたしだって驚きだよ、他人の失恋の現場をリアリティ番組でなくリアルで見るなんて初めてだ。
「ヴアアアアアアアアアン」鈴木さんがすごい声で泣き始めた。まるっきし、大●のぶ代時代のドラ●もんの声だ。こんな細くて華奢な体から出てくるとは思えないすさまじいドラ声。
「ぐやじいよおおおお」鈴木さんがいままで会話でなくテレパシーで伝えてきた理由がなんとなく察された。この人魚姫は声を失ったわけではなく、だみ声が恥ずかしかったのである。
「す、鈴木さん。落ち着こう? 怪我の手当ても終わったし、教室戻ろ?」
「ヴアアアアアアアアアン」鈴木さんの発情期のトドのごとき絶叫は続く。どうしたもんだろう。そりゃ失恋したらショックだよな、それもあんな理由でさっくりと失恋したら。
「鈴木さん。もっと前向きに考えようよ。桃井先輩お化けカフェに来てくれるって言ってたよ?」
「ヴォエエエエエエエ」ド●えもんを通り越してジ●イアンリサイタルになってきた。どうしよう。あたしは自分のスカートのポケットに手を突っ込んだ。適当に取りだしたら小袋入りの甘納豆が入っていた。
「ほら、悲しいときは甘いもの」
「ぐずん」鈴木さんは鼻を鳴らす。安物の甘納豆をムシャムシャ食べてから、
(戻ろ。だみ声のことは黙っててくれると嬉しいな)
と伝えてきた。了解、と答えて教室に戻った。
(お化けカフェ、頑張らなきゃ。桃井先輩来てくれるんだよね)
「きっとそうだよ」
教室に戻った。みんな鈴木さんの目が赤いのを心配してくれた。
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