16 あなたを、おとしめたくない

 喜劇だという時代劇は次第にドロドロの様相を呈してきた。有栖川さんは文芸部でもドロドロしたものを書きがちで、努めて明るく書こうとはしているようだが、あたし演じる浪人は愛するお姫様を政略結婚から救い出すため城に乗り込む……とか、喜劇としては訳の分からない展開になっている。仇討ちはどこにいった。


 ちなみに「喜劇をやりたい」と発案したやつはなぜか模擬店に行ってしまった。どういうこっちゃ。とにかくやらねば学園祭に間に合わないので、脚本作業もやるほかない。


 そういうことをやってへとへとになったとある放課後、いつものメンバーで竹屋さんがお取り寄せしたという花●牧場の生キャラメルを食べていると、唐突に蕎麦木先輩がやってきた。


「美月ちゃん。帰ろう」と、蕎麦木先輩は竹屋さんに言う。

「あら、雨里さん。そんなにあせってどうしました?」

「いいんだ。とにかく帰ろう」


 蕎麦木先輩は妙に強引である。なにかあったんだ。恐る恐る、

「高良さんがなにかしましたか?」

 と訊ねてみる。蕎麦木先輩は顔を上げて、「カンがいいね」と答えた。そしてほの暗い悲しみをやどした目であたしを見つめると、

「新田れいらさん。あなたのせいで、高良は『異物』になってしまった」

 と、そう答えた。異物。一瞬意味が分からずしばし考えて、あるところに思い至った。


 高良さんはかつて臆病で、あたしに助けられて王子様を志したという。生徒会にかかわるようになったのも、男前キャラをやっているのも、すべてあたしが原因だとか。


 そしてここは女子校である。小学校から大学までずーっとエスカレーターの女子校である。なので生徒はみんな優しく大人しく、感情のぶつかり方がおだやかで、他人を値踏みすることもなく――そういうところに、男性的な高良さんは異物としてしか存在できない。少なくとも、ここの生徒らしく育っていた過去を知っている人からすれば、違和感しかないはずだ。


「……と、いうことですか」と、蕎麦木先輩に訊ねる。

「だいたい合ってるよ。鋭いね、高良が惚れるわけだ」蕎麦木先輩は頷く。

「でもそれは、高良さんが自分で決めたことです。あたしに直接の責任はありません」

「分かってる、分かってるんだ。分かるけど――きょう高良と喧嘩をしてしまった。もう取り戻せないんだ」


 あたしらはざわついた。父さんの読んでいたギャンブル漫画の「ざわ……ざわ……」という感じ。


「……雨里さん。具体的になにで喧嘩をなさったの? 話し合いで解決なさったら?」

「もう手遅れだよ……」蕎麦木先輩は深いため息をついた。竹屋さんがポケットからキャラメルを取り出し、蕎麦木先輩に握らせた。


「悲しい時は甘いもの」竹屋さん、つよい。

 蕎麦木先輩はキャラメルを口に放り込むと、

「そもそもはオイラが悪いんだ」と小さくつぶやいた。


「なにがあったんですの? 順を追って話してくださいな」竹屋さんが促す。

「オイラが父に頼んで知り合いの放送作家に書いてもらった漫才の台本、明らかに女性蔑視というか、とにかく女子校の学園祭でやるのにはそぐわない内容だったんだよ」


 ふむ。きっとその放送作家はいつものように男性の漫才師に演ってもらうていで書いたんだろう。テレビを見ていれば女性蔑視なんて当たり前のことだ。

「だからオイラが『これは書き直しをお願いしようよ』って提案したら、高良は『別に直すところはないんじゃないか? 面白いじゃないか』って言ったんだ。これをだよ!」


 蕎麦木先輩は机の上にぱさりと台本を置いた。一同、開いてみる。

 パッと読んだ感じでは、至って普通の漫才だ。しかし、「更年期か!」とか、「行き遅れるぞ!」とか、「年増か!」とか、なかなか刺激的で、テレビでやったらSNSに批判が殺到しそうな内容ではある。


「オイラは高良に向かって『更年期か!』とか『行き遅れるぞ!』とか『年増か!』とか、そういうことを言いたくないんだ。高良は大事な友達だから。だから、書き直しをお願いしようよ、って言ったのに、高良はこれでいいって言うんだ」


 蕎麦木先輩はそう言うと目を制服の袖でかしかし拭った。泣いているのだ。

「それはちゃんと言いましたか?」強めの口調で、竹屋さんがそう訊ねる。


「言えないよ。恥ずかしいよ。高良はオイラのことなんて友達じゃないと思ってるよ、それだっていうのに友達だっていうなんて恥ずかしいよ」

「じゃあ言いにまいりましょう。ちゃんと伝えねばなにも伝わらないんですのよ。ほら」


 竹屋さんは蕎麦木先輩の袖口を引っ張り、廊下に出ていく。あたしらもついていく。

 学校のずっとずっと奥、校長室の向かいにある生徒会室――「大☆生徒会」と書かれている――のドアを、竹屋さんは強引に開けた。建てつけがよくないらしくドアは少々軋み、ドアの向こうで高良さんが部活の決算書類に目を通していた。


「……高良」蕎麦木先輩がそう言う。

「やあ、どうしたんだい?」高良さんは平然と、書類から目を上げずにそう答えた。まるっきり、ドラマで見る政治家や会社社長のおじさんの仕草。


「オイラは、高良に向かって『年増か!』とか『更年期か!』とか、そういうことを言いたくないんだ」

「しかしそれは漫才を面白くするための言葉遊びなんだろう?」

「でもこんなの、うちの学校の学園祭でやる内容じゃないよ。オイラは、高良と友達だから、そういう、高良をおとしめるようなことは言いたくない。高良はオイラをどう思っているかわかんないけど、オイラは高良は友達だと思ってる」


「友達。……中等部のころ、ずっと君の後ろに隠れていた、そういう私がいいのかい?」

「それは、」


 蕎麦木先輩は言葉に詰まった。しばらく口をもごもごさせて、やっと出てきた言葉は、


「違うよ。高良は男前になっちゃったけど、それでも高良だ。この学校に異質なものとして混ざってるけど、それでも高良が高良だってことに変わりはない」

 という、ありのままを認める言葉だった。


「異質、か」

 高良さんは書類から顔を上げる。そして続ける。

「自分でも、この学校にいて奇妙な存在だとは思っていたよ。下級生から憧れられるのは気分がよかったし、私は……男性的にふるまうことで、弱虫を脱出したつもりになっていたのかもしれないな」


「別に弱虫に戻る必要はないんだよ。いまの高良はすっごくカッコイイ。このお姫様しかいない学校で堂々と王子様をしているのはカッコイイ。だから、元に戻ってくれとは言えない。いや元に戻ってくれとずっと言いたかった。でもそれは言っちゃだめだって美月ちゃんに言われた」


「はぇ?!」竹屋さんが突然の不意打ちに驚く。あたしがちらっと竹屋さんを見ると、


「そ、そりゃあ……友達とそのお姉さまの間を裂かれたら、悲しいじゃない」

 と慌て気味に答えた。


「高良、弱虫に戻る必要はないけど、オイラの友達でいてくれよぅ。オイラは、友達にひどいことを言いたくないんだ。ひどいことを言っても構わない、って態度で、男前を演じるのはやめてほしいんだ。ひどいことを言われて平気な人間なんて、人間じゃない。もっと仲よくしよう。こんなひどいこと言いたくないんだ……」


 蕎麦木先輩は泣きだしてしまった。高良さんは書類を机の上に置き、一回り小柄な――といっても高良さんはめちゃめちゃ背が高いので、蕎麦木先輩はちゃんとバレーボール部の部長ができる程度にのっぽである――蕎麦木先輩を抱きしめ、短く刈った頭を撫でた。


「ありがとう。私のことを心配してくれたんだね」

「そういう男前ぶってる高良、きらーい」

 蕎麦木先輩の「きらーい」という言葉は、明らかに「大好き」だった。


「五輪寺先輩。わたくしのお姉さまを返してくださいまし」竹屋さんが不満を表明する。

 高良さんは蕎麦木先輩からぱっと離れて、「これは失礼」と言って笑顔になった。


「あ、あの。高良さん、あたしのために、男前になろうなんて思わなくていいですから――どうか、お友達も大事にしてください。あたしは、優しい高良さんが好きです」

 あたしははっきりと、そう言った。高良さんはせつなげに微笑むと、

「わかった」と答えた。

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