9 王子様の過去

 さて、一日授業が終わって帰る時間だ。部活動は基本的に土曜日のものらしい。家に帰れば習い事がギッシリ(それも学習塾とかでなく、お琴だのお茶だの日舞だのバレエだの)の生徒も少なくないかららしい。そういうわけで鈴木さんは家に帰ればお茶、竹屋さんは日舞だということで、さっさと帰ってしまった。わりと自由なお家で習い事は金曜のエレクトーンだけだという、白野さんとくだらないおしゃべりをしながら、玄関の下足入れを開ける。


「新田さんのお靴みたいなの欲しいって親にねだってるの。スニーカーって言うんだっけ」

「そうだよ。でもどうせ買うならもっとちゃんとした高いの買ってもらうといいよ。これすっごい安物だから」そう言って下駄箱を開けると、小さな封筒が下駄箱に入っていた。


「あれ? なんじゃこりゃ」封筒を取り出す。開けてみると「新田れいら様 美術準備室でお待ちしております」と書いてある。ここ最近何度か見た高良さんの字とは違う。

「わ、付け文だ」白野さんがびっくりする。いや付け文っていつ時代だよ。メールとかLINEとか連絡手段はいろいろあるだろうに……。


「ちょっち行ってくる。また明日ね。ごきげんよう」

 あたしは下足入れにしまいかけた内履きをつっかけて、美術準備室に向かった。白野さんはあわあわしていて、ことの重大さがあたしにもなんとなく察された。


 美術準備室に向かうと、……いた。ラプンツェル――塔原早苗部長。眼鏡の向こうの瞳が、緑色にきらめいて見えた。カラコンでも入れてんのかな。実を言うとあたしもカラコンを入れたいのだが、お金のかかり方が月5000円の小遣いではきっついので諦めている。


「あの、お手紙をくださったのって、塔原部長ですか?」

「そうよ。よく来てくれたわね……手紙、高良の字じゃないのに」

 なんだろう。ドキドキする。塔原部長は鼻をすん、と鳴らして、

「高良を返して」と唐突にそう言ってきた。一瞬理解できずに考え込み、きょうの昼休みのことを思い出す。塔原部長は、あたしと高良さんに割り込もうとしていた。あたしが欲しかったわけじゃないんだ。高良さんが、欲しかったんだ。


「か、返すもなにも……高良さんはあたしの持ち物じゃないですよ」

「そういう詭弁を弄するのはやめて」詭弁を弄するってうちの姉ABの語彙にあるのかな。とにかく話を聞く、という態度を顔で示す。


「高良は小さいころからずっとわたしの隣にいた。それだというのにあなたは高良を奪っていった。お願い、高良を返して。前みたいな、わたしの冗談に笑ってくれる高良を」

「そう言われてもそこは高良さんの意志を確かめるしかなくないですか」

「なんで後輩のあなたが高良を名前で呼べるの。悔しい。悔しいわ……」


 塔原部長はしばし少女漫画もかくやと言わんばかりの悔しがり方をして、それから長い長い髪――細かく編み込んで花かんむりにしてある――を指先に絡めた。

「高良はあなたと出会ってから、変わってしまった」塔原部長は静かにそう言う。

「変わってしまった……とは」


「高良はね、もともとすごくすごく傷つきやすくて、弱くて、王子様なんてあだ名を付けられるのを心の底から嫌がってた。まあ見た目があれだから仕方がないのだけど――高良は、あなたを見出してから、ずいぶんと虚勢を張るようになった」


 はあ……。まあ、同級生じゃなきゃ見えないものもあるだろうなあ。でも高良さんが、傷つきやすくて弱いなんて想像できない。どういうことなんだろう……。


「あなたは高良が不良に絡まれてるところを助けて、その縁でここに来たのよね」

「そうです。高良さんのお家が学費通学費ぜんぶ払ってくれる、って約束で」

「高良は、その不良に絡まれる前後で、別人みたいに変わったのよ。昔の高良はあんなじゃなかった。もっと大人しくて怖がりで、くだらないことで傷ついてめそめそ言う子だった」


 そんな高良さん、想像できんなあ……。そう思って聴いていると、塔原部長はまた瞳を緑にきらめかせた。カラコンじゃない、ホントに目が緑だ。おかしいな、美術部で会ったときは普通の黒い瞳だったのに。これ、感情が高ぶると瞳の色が変わる、っていう、ライトノベルでおなじみのやつではなかろうか。


「わたしは、高良を妹みたいに思ってた。同い年だから妹もなにもないのだけれど、妹みたいに……大事な妹だと思ってた。高良は、わたしに甘えてきた。すごく可愛かった」

「それが、あんなふうに王子様ぶっているのは、あたしのせいだと?」

「先回りしないで。でも概ねその通りね、高良はあなたをここに呼ぶと決めた時から、野心家になって生徒会にも関わるようになった。高良は、あなたを見て権力を振りかざし始めたのよ。あんなの高良じゃない。高良はもっと大人しくて優しくて、物静かな子だわ」


 そう言われてもなあ……それはあたしの責任じゃないんだよなあ……。

「わたしは高良と同い年だから姉妹にはなれない。だから、あなたに頼むしかない。高良を、返して。高良は、あんな子じゃない」


 それは高良さんの意志を聞くほかないのではないか。

 そう答えようとしたとき、

「れいらくんっ!」

 美術準備室のドアがすぱーん! と開いた。高良さんだ。振り返ると、高良さんは白い頬に汗の玉を光らせて、あたしにつかつかと歩み寄ってきた。


「早苗。れいらくんに何を言った。君はれいらくんが欲しいのか」

「……違うわ。昔の高良を返して、って言ってるの。怯えてわたしの影に隠れていた、あの高良を」


 高良さんはあたしを後ろから抱きしめたまま、塔原部長を睨んだ。

「なんという、緑の目だ……」

 英語では嫉妬深いことをグリーンアイド・モンスターと呼ぶんだったか。

「そうね、わたしは泣きたくなると目が緑に光るわ。そうやって王子様のフリをしている高良なんて高良じゃないって、そのれいらちゃんに教えていたところ」


「なんで……なんでそんなことを? 確かにれいらくんと出会う前の私は臆病で、弱っちい人間だったけれども……なんでそれを、れいらくんに教えたんだ? 私はれいらくんの、勇敢な性格にふさわしい人間になろうとしただけだ」

「……ダメね。可愛い高良はもう帰ってこないのね」塔原部長はそう言うと、悲しげに笑った。瞳は漆黒に戻っていて、外国人みたいに肩をすくめる。


「でもね、れいらちゃん。言っておくけど、高良を好きな人間はわたしだけじゃないのよ。後輩も、あるいはいま大学にいる先輩も、みんな高良が好きなのよ。高良を守れるのは、れいらちゃん、あなただけなの。高良を好きな子にやっかまれることを覚悟することね」

「え? 白野さんが言ってましたよ、王子様に好かれる人間が嫌われることなんてないって」

「この学校の生徒は、大半が何不自由なく育ったお嬢様で、自尊感情が高くて他人に対する感情もマイルドで、人を嫌いになることなんてそうそうないことだけれど……そういうちゃんとした子だけじゃないから。もしかしたら中には、れいらちゃん……あなたを嫌う人だって、いるかもしれないわよ? 表面上ではそんな素振りがなくても、……れいらちゃんを羨ましく思っている子が、たくさんいるはず――っていうか、高良、どうしてきたの?」


「白野さんがれいらくんに手紙が届いていたっていうから……だろう、白野さん」

「は、はい。なにやら鬼気迫る手紙が届いていて、これはもしやと思って」

 白野さんがひょっこり現れた。怯えているらしく唇が青い。


「そんなに怯えなくたっていいわよ。高良はみんなに好かれるのね……」

 塔原部長がそう言うと、白野さんが一歩歩み出て、塔原部長の真正面に立った。

「あのっ。塔原部長、いえ早苗さん……わたしを、妹にしてください!」

 白野さんの驚きの一言。アホの顔をしていると高良さんがふふふと笑う。

「逆指名だ。早苗、そうしたらどうだ?」


「わ、わたしは……でも……わたしは……うん、そうするわ、白野さん、いいえ雪姫ちゃん、わたしの妹になってちょうだい」

 塔原部長は穏やかにそう答えた。白野さんの頬がふわっと赤く染まる。

「……れいらちゃん、高良から絶対に手を離しちゃだめよ。高良は、あなたのために変わったんだから」

「そういう早苗も変わりたまえよ。こんな可愛らしい妹がいるんだから」

「わたしはれいらちゃんに話しかけたの。トンチキの高良には言ってません」


 塔原部長はそう言うと、高良さんにちょっと意地悪な顔をむけて、白野さんと手をつないで美術準備室を出ていった。あたしは高良さんの顔を見上げる。高良さんは、少し恥ずかしそうな顔をしていた。

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