7 日常は続く
がらがらがら。
「……ただいま」我ながらすっごく小さい声。土曜日の昼。カロリー軒は元気に営業中で、きょうは居酒屋のアルバイトが非番の姉Aが手伝っているようだ。
「やだぁーっ! すいっち! ぜったいすいっち!」
「んな金ねーよっ! ガキのくせに万超えのオモチャ欲しがるんじゃねーし!」
姉Bの怒声。どうやらガキンチョAが、スイッチをねだる相手を母親でなく叔母にしたらしい。姉Bのほうがヤンキー度が高いので(十代のころはギャルだと言い張っていたが、どこからどう見てもヤンキーだ。ギャルなんて高尚なものじゃない)、怒り方も荒っぽい。
ガキンチョAが大泣きしているのが聞こえてきた。悲しくなって、そっ閉じして出ていこうとしたところに、継母が現れた。
「れいら! あんた仕事ほったらかしてどこ行ってたの!」
「……先輩んち」
「……先輩って、あの総理大臣の孫の?」
「うん。……ちょっと図書館で勉強してくる」
「待ちなさい。れいら、杏奈と利世に謝って」
まあそうなるだろうなとは分かっていた。しょうがないので、スニーカーを脱いで家にあがる。ガキンチョAがわんわん泣いていて、一方のガキンチョBはすやすや夢の中だ。
「あ、れいら。あんたどこ行ってたの。あんたがいないとウチらはくうときらりの面倒みなきゃないんだからね?」姉Bがいーっと歯をむいた。目をそらす。姉Bは自分の部屋に戻ってごろ寝するようだった。
姉ABよ、自分の子供なら自分で面倒みろよ……面倒みられないなら親権主張すんなよ……。
この状況で、果たして部活に入りたいなんて言えるんだろうか?
「れいらねーちゃん、すいっち買って。おれ、しぷらつーんやりたい」
スプ●トゥーンな。あれって対象年齢何歳なんだろう。こんな子供のうちからゲームなんてやらせていいんだろうか。
「ゲームはさ、小学校にあがってからにしたら? 来年小学生でしょ?」
「でもともだち、みんなやってるよ」
「うちはうち、よそはよそ!」そう必殺の極め台詞を言う。ガキンチョAはまたわっと泣く、と思いきや、意外と冷静にとんでもないことを言いだした。
「れいらねーちゃんがせいふく? を、ぶるせら? に売れば買える、って、りせちゃん言ってた」なんつうことを幼児に吹き込むんだ姉Bよ。そもそもブルセラっていつ時代だよ。
……この状況じゃ部活の話なんぞできない。とりあえずカロリー軒の昼の営業が終わるのを待とう。もしかしたら父さんは賛成してくれるかもしれない。
午後三時、カロリー軒のランチ営業が終わった。父さんが汗をぬぐいながら家に入ってくる。あたしは父さんを捕まえて、
「父さん。あたし部活に入りたい。美術部。土曜日に活動してるの」
「れいらが部活かあ。ずっと帰宅部だったもんな、やりたいことがあるのはいいことだ」
父さんは笑顔でそう答えた。やった。父さんは汗をシャワーで流してから、自分の昼食を用意して、茶の間に入ってきた。
「あのな麻美子、れいらが部活に入りたいって言ってるんだが、どう思う?」
父さんは
「反対です。くうもきらりも大きくなって、これからどんどん忙しくなるのに、部活なんか入ったら家のことがおろそかになる」
「で、でもだな、れいらは小学生のころから部活なんか入らないで家のことをしてたんだ。許してやってもいいんじゃないのか?」
「駄目。れいらを甘やかすとろくなことがない――れいらはお嬢様学校の上級国民に毒されて自分もそういう立場だと思ってるだけなのよ。れいらは家のことをする。そうすれば、杏奈も利世も、もっといい仕事につけるし再婚できる」
継母は自分の事と娘ふたりと孫ふたりのことしか考えていないのだ。
くやしかった、かなしかった、せつなかった。
あたしには自由なんてないのだ。高良さんはあたしを「召使いじゃない」って言ってくれた。でもそれは学校にいる間だけの話で、家に帰れば、召使いなのだ。ガキンチョABの食事、風呂、そういうことをやっているのはあたしだし、姉ABにパシられて、コンビニにポテチとコーラを買いに行かされたり――それもあたしのお金で――、継母に命令されて家の中を掃除するのもあたし。なにもかもあたしに押し付けて、継母と姉ABはぐうたらしている。
「あたしは、美術部に、入りたい」
あたしは半べそになりながらそう言った。継母はアハハハと笑うと、
「美術部なんて根暗の巣窟、いまさら入ってどうするのよ。辛気臭い顔がさらに根暗になるだけだわ」と、そう答えた。
違う。あの美術部は根暗の巣窟なんかじゃない。みんなやりたいことをやっている楽しい部活だ。あたしは袖口で涙をぬぐった。
「な、なあ麻美子。許してやったらどうだ? れいらが自分から、あれをやりたい、って言いだすなんて、初めてなんじゃないか?」
父さんがそう言うが継母はどこ吹く風といった顔。
「だかられいらは上級国民のみなさんと自分が同じだと思ってるだけなのよ」
「あ、あのな、上級国民、っておかしい言い方だと思うぞ?」
父さんが継母にそう言う。継母はふんと鼻を鳴らして、
「勇吾さんは店の料理作ってればいいの。うちの中のことに口を出さないで」
と、冷酷に答えた。
あぁ。
高良さんと一緒に部活する夢が粉砕されつつある。
しかしさすがに父さんもカチンときた顔をしていて、あたしを手招きした。
お客さんがはけてテーブルの磨かれたカロリー軒に入る。姉Aは店が終わると同時にどこかに遊びに出かけたらしい。いまさっきまで息子が駄々っ子してたのに。
「その、入部届けって、親のハンコがあればいいのか?」
あたしは頷く。カバンから入部届けを取り出すと、父さんはハンコをくれた。
「ごめんなれいら、お前ばっかりに苦労させて。麻美子がお前に当たるようになるなんて、想像もしなかったんだ。俺はばかだ」
「いいんだよ。父さんはあたしの味方になってくれた。それだけで充分」
「部活、楽しめよ。美術部ってことは画材? とか必要なのか?」
「必要なものは学校にあるみたい。……ごめんなさい。土曜のお昼ってカロリー軒すっごく忙しいよね」
「気にすんな。いっつも杏奈ちゃんか利世ちゃんか、どっちかは土曜日休みのことが多いしな。なんなら麻美子に手伝ってもらったっていい。それにれいらのおかげで、学食の売り上げも入るしな。あんなふっかけた値段で売れるんだからすごいよなあ」
あたしは、学校でやったら注意されるだろうが、ずっと洟をすすった。
「学校はどうだ? 楽しいか?」
「うん。すごく楽しい。すごく素敵な先輩と、すごく優しい友達がいて、……すごく楽しい。ごめんなさい、一人だけ楽しくて」
「別に楽しいことは恥じることじゃない。ごめんな、もし部活のことで麻美子とか杏奈ちゃんとか利世ちゃんになにか言われたら、父さんが責任とるからな」
父さんが、こんなに優しいなんて。
嬉しくて涙が出た。父さんはふふっと笑った。父さんは我が家で唯一の、あたしの味方になってくれるひとだ。
「ちょっとーれいら、洗濯回してよ」姉Bの声。あたしはめそめそしている場合ではないと、立ち上がって家に入った。溜まりまくった洗濯物を、洗濯機に放り込む。洗濯なんてボタン一つなんだから自分でやれよ、と思うのだが、まあ仕方がない。洗剤を投入して洗濯機のふたを閉める。
美術部に、入れるんだ。高良さんと、同じ部活に入れるんだ。白野さんや鈴木さんや竹屋さんとも一緒だ。明日の日曜を乗り切れば、また学校生活が始まる。
学校にいる間だけは、このくっだらねー家のことを忘れていられる。流れてくる涙をぬぐい、洗濯を干した。それが終わってすぐ二階の自分の部屋に向かった。高良さんに部活のことを連絡しようと思っていたら、泣き疲れてしまったらしく寝落ちしてしまった。
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