6 部活見学にエスコート
目が覚めた。部屋で飼われていた小鳥がちゅんちゅん言っている。窓からはやわらかな陽射しが差し込み、それが高良さんの白い頬に光を落としている。
こんなときに無粋だがベッドの下に置いたカバンの中のスマホを取り出した。LINEの通知音は切ってある。案の定、無音のまま姉ABと継母からとっとと帰ってガキンチョABの世話をしろという連絡で埋まっていた。ため息をつく。勝手によそに泊まったことを怒ったり心配したりしないのが、「愛の反対は無関心」というのを示すようでげんなりする。
高良さんの、穏やかな寝顔を見る。ガキンチョABの寝顔と違って口がポカーンと開いたりはしていない。寝顔まで男前だ。
ここ数日、あたしは「愛される」という幸せを一身に受けていた。高良さんが、あたしを好きだ、と言って、おいしいものを食べさせてくれたり、可愛がってくれたりするのが、この上なく幸せだった。人生でこれだけ幸せだったのは、まだ爺さんが死ぬ前、母さんが死ぬ前までだ。そのころは継母も姉ABもいなかったし、父さんはカロリー軒で働きづめではなかったのであたしとお喋りしてくれたし、母さんだってあたしを可愛がってくれた。
もしかしたら、あたしはいま、すごくすごく、幸せの中にいるのでは。
高良さんは確かに人としてどうよというレベルでチョロい。そのうえお金持ちのお嬢様ときた。人から見ればあたしがうまいこと利用しているだけに見えるだろう。だが、高良さんは間違いなく、あたしを愛してくれているのだ……。
それが、許嫁のなんちゃらいう外国人の嫁になるまで、いや高校生でいる間だけだとしても、まぎれもなくそれは愛で、その愛を試そうとか、そういうことを考えたら高良さんに申し訳が立たない。チョロい理由なんて知ったこっちゃないのだ、高良さんはあたしを愛してくれているのだから、愛されるまま愛されればいいのだ。
「んん」高良さんが寝がえりをうって、あたしにぴたっとくっついてきた。
急に、貧相な自分が恥ずかしくなる。痩せているのはいいにせよ、借りたパジャマの下に着ている下着は一着千円みたいなちゃっちいやつだ。高良さんの形のいい胸元が、パジャマの襟からちらりと見えて、ますます恥ずかしくなる。
起こすべきか、起こさざるべきか。きょうは土曜日だ、無理に起こす必要はなかろう。あたしはLINEを既読スルーして、カバンに戻し布団にもどった。
しばらく息を殺して、高良さんの顔を見る。高良さんはなにやら口元をもごもごさせて、
「ニラレバ炒めッ!」
と、お嬢様らしからぬ寝言を言い、その自分の言った寝言にびっくりして勝手に起きた。
「う、うわあ、今私『ニラレバ炒め』って叫んだ?」
「ハイ」
「うーん……カロリー軒で食べたニラレバ炒めがおいしかったからかなあ……ああ、れいらくん、お家のかたが心配しているだろう」
「なんもですよ。継母と姉からは甥っ子姪っ子の世話をしろとしか。父はガラケーですしね」
「そうか。……カフェオレと白いご飯、どっちがいい?」
ここで白いご飯を選べば、おそらく魚沼産コシヒカリと南高梅の梅干しが出てきて、死ぬほどおいしいと思うのだろうが、ぜったいに家ではできないので、ベッドにころがったままカフェオレとクロワッサンをいただくことにした。
出てきたカフェオレはとてもおいしくて、クロワッサンもふわふわしていて最高においしかった。語彙が乏しいのが悔しい。
朝ごはんをいただいて、あたしは制服に着替えた。帰らねばならないと思うと、とても悲しくてせつなかったけれど、それは仕方のないことだ。
「ところでれいらくん、君は部活に入るのかね?」
「え? いやぁそんなの帰宅部ですよ。甥っ子姪っ子の世話しなきゃないし、カロリー軒も手伝わなきゃないし」
「……れいらくん、きみはそれでいいのかい?」
「……とは?」
「君は学校にいる間だけ、家族から解放されて自由を得るのだろう? 君は君の人生を生きるべきだ。君はお姉様たちやお母様の召使いじゃないし、お父様のお店の店員でもない」
召使いじゃない。
それを聞かされて、急に嬉しくて、昔の自分が可哀想で、いま幸せなのだと思った。
思わず涙が出てきた。自由だということがこんなに幸せだなんて。
「……なにか、部活に入ることを検討してみます」
「よろしい。うちの学校はいつも土曜日に部活をしているから、見学にいこう。校舎を案内するよ。私も生徒会の片手間で、部活にも参加しているんだ。生徒会が休みなら部活に行くんだよ」
実を言うと、あたしは校舎の中の地理がさっぱり分からないのだった。学校見学もしていないし、教室と購買と中庭、それから体育館くらいしか知らないのである。
高良さんのお家の車で学校に向かう。今度はオレンジの生ジュースが出た。おいしい。大人だったらシャンパンとか出てたんだろうか。
校舎に着くと、いつも楚々とした制服姿でごきげんようとか言っている生徒たちが、妙にかわいいジャージ姿でランニングしたりしている。あれは陸上部だよ、と高良さん。
「運動部と文化部、どっちがいい?」
「うーんと。運動部は規則とかうるさそうだし……文化部は根暗って言われそうだし……」
あたしがそう言って考え込むと、
「うちの学校は、部活で規則を作ることを禁止しているし、文化部も運動部と変わらない扱いだよ? 親からスポーツはやめてくれ、って言われている子もいるからね」
「……マジですか」思わず庶民臭いリアクションが出る。高良さんは笑って、
「マジだよ。どうする? 私はバレーボール部を辞めてから美術部にいるんだけどね、なかなか楽しいよ」
美術部。中学だと根暗の巣窟って言われてたとこだ。そう言うと高良さんはアハハと笑い、
「れいらくんの通っていた中学校は、ずいぶん偏見で人を見るんだね」と答えた。
「そりゃ不良ばっかの荒れた中学ですから……」正直に言う。高良さんは愉快そうに、あたしと手をつないで美術室に向かった。選択科目で音楽をとったので美術室は行ったことがない。きっとトルソー? とか並べて真面目な顔で絵描いてるんだろうなあ。油絵のくっそ高い画材とか買わなきゃないんだろうなあ……あん?
美術室では、みな楽しそうにいろいろなものを作っていた。いっそ不真面目なくらい。きゃあきゃあ言いながら、でっかい板にペンキで絵を描いたり、先輩の描いた線画に色を塗ったり、パソコンをいじって3Dプリンタで彫刻を作ったり。
……楽しそう。
素直にそう思って、高良さんの表情をちらと見る。優しい笑顔であたしを見ている。
「美術部はコンクールとかが少ないからね。すごく気楽だよ。バレーボール部も楽しいからオススメなんだけど、一緒に部活したいしね……塔原部長、部活見学連れてきました」
「あら、四月も末だっていうのに新入部員?」
答えたのはなっっっがい髪をきれいに編み込み、病的に色白な肌をした先輩だった。
「新入部員じゃなくて部活見学。れいらくん、彼女が塔原早苗で美術部の部長だ。部長、この子が、」
「知ってるわよ。王子様のお気に入りだってみんなの耳に入ってるんだから。新田れいらちゃんでしょ?」塔原部長――名前が塔原だしこの通り髪が長いし、心の中ではラプンツェルと呼ぶことにした――はそう答えると、高そうな眼鏡をくいと押し上げた。
「それから高良、初等部からずっと一緒なんだから、部長なんてよそよそしい呼び方じゃなく早苗って呼んでちょうだい。座りが悪くてむずむずするわ」
「ハハハそれはすまん。ま、楽しいところだから。文化部は二つまでなら掛け持ちができるから、コーラス部の白野さんや、科学部の鈴木さんや、華道部の竹屋さんもときどきくるよ」
あいつら全員美術部員だったんだ……。まあなんとなく分かる気がする。あいつら、あきらかに浮いてるあたしと仲良くしてくれるもんな。日陰者の気持ちが分かるんだ。ここの生徒は基本的に人を見た目や家で差別しないけど、それでもやっぱり清楚なお嬢様の中のプリン頭は浮く。……黒髪に戻したいのは内緒だ。トリートメントカラーで変な色にしようかな。
というわけで、カバンの奥で折れ曲がっていた入部届けに顧問の熊みたいなおじさん先生のハンコをもらった。あとは父さんのハンコを貰って担任の先生に提出するだけ。
ワクワクした。あたしは、自分のために自分の人生を生きることを、自分で決めたのだ。
よし! 幸せになるために生きるぞ。入部届けをみてそう呟いた。
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