5 王子様のお屋敷
「は?」
二度聞きした。高良さんは当たり前みたいにゴ●ィバのチョコをもぐもぐすると、
「だから、私の家に挨拶に来てくれないか、という話だよ」と答えた。
「とととととととんでもない! あたし超庶民ですよ、高良さんちなんてあたしなんかが入れるとこじゃないです」
「そうかなあ? 所詮私だって人間だし、れいらくんも人間じゃないか」
「いやそこまで大きいくくりで言ったら黒●徹子も人間ですよ」
「くろ●なぎ……てつこ?」知らなかったらしい。どんだけモノを知らないんだ、この先輩は。
「とにかく、うちに挨拶に来てくれたら、姉妹関係は完全なものになるんだ」
「でも、あたしなんかが行って、家族のみなさん嫌がりません?」
「大丈夫じゃないかな?」緩い返事である。そういうわけで、その日の帰り道は電車でなく、高良さんを迎えに来た高級車で高良さんのお家に寄ってから、ということになった。
なんと車の中では飲んだこともない死ぬほどおいしいリンゴジュースが出た。青森から直送してもらっているらしい。ありがたく飲んだ。まさしくリンゴ100パーセント。
高良さんのお家は、静かな森の中に建っていた。いかにも密室殺人の起きそうな建物である。うへー、と奇声を発しつつ、高良さんのお家にお邪魔……あれ、靴を脱ぐところがない。きょときょとしていると、
「うちは土足で上がってもらって大丈夫だよ」と高良さんに言われた。すげえ、外国式だ。恐る恐る中に入ると、廊下に甲冑が飾ってあったり、高価そうなツボがあったり、まるっきしス●夫の家だ。あるいはどう●つの森。
「ここから抜け出して買い物ってどうやっていくんです?」と、あたしはあの日のことを訊ねた。高良さんはハハハと笑って、
「あのころはもっと街の中の本宅にいたんだよ。私が抜け出して、それで本宅に住んでいたらまたこうなる、と別宅に移されたんだ」
つまりここは別宅、要するに別荘。わお、お金持ち。目をぱちぱちする。
「おばあ様。妹を連れてまいりました」
「あらあら、高良、早くいらっしゃいな。その子が、れいらちゃん?」
「失礼します」そろりと部屋に入る。高良さんのおばあ様は、リカちゃんのおばあちゃんもかくやという美魔女だった。にこにこして、レース編みの手を止めると、
「いつぞやは高良がお世話になりました」と、高良さんのおばあ様は頭を下げた。あたしも恐縮して、「いえいえ……!」と答える。なるべくぼろを出さないように、必死で「いいお家の子」を演じる。まあプリン気味の茶髪でヤンキーなのはバレ放題だが。
「高良のワガママにつきあわせてごめんなさいねえ。高良は助けてもらってから、ずーっと、れいらちゃんのことが好きで好きで仕方がなかったのよ」
……意外と夢想家なんだな、高良さんは。
高良さんのおばあ様は、手に持った小さな呼び鈴を鳴らした。女中さん――なんと高級ホテルの仲居さんのごとくみな着物姿である――がぞろぞろ出てきて、お茶とお菓子を置いていった。見たことのない、カメの形の砂糖菓子だ。おいしいのかなこれ。砂糖菓子なんて、クリスマスケーキのおいしくないサンタクロースくらいしか知らないんだけど。
「このお菓子は本当に緑茶にぴったりなんだよ。食べてごらん」
恐る恐るカメの形のお菓子に手を伸ばし口に入れる。カメはケーキのサンタクロースと違い、口の中でじわりと溶けて、いままで食べたことのない不思議な砂糖の味がした。なんだこれ。すっごくおいしい。
「すっごくおいしいです。なんですかこれ」あたしがそう高良さんに訊ねると、
「和三盆のお菓子は初めてかい?」と、高良さんは答えた。
「わ、わさんぼん?」なんじゃそりゃ。聞いたこともない。
「ふふ、喜んでもらえてよかった。さて……と。おばあ様、屋敷の中を案内していいですか?」
「構いませんよ。でもあんまり意地悪しちゃあいけないわよ」
「はーい」高良さんは嬉しそうに立ち上がった。あたしも立ち上がり、椅子を元に戻す。
「じゃあ、私の部屋にいこう」高良さんはあたしの手を握った。完全なる恋人つなぎ。
「……高良さんは、男の子を好きになったことはありますか?」
「うーん。小さいころ本宅にいた祖父の書生さんたちに可愛がられたけど、好きになるには幼かったから。気が付いたらエスカレーターの女子校に放り込まれて、家族以外の男性と会話した経験は極端に少ないな」
「あの、ってことは、高良さんって、その……ミミズが羨ましい人種だったりします?」
「いや? 私は好きになったらそれは男女関係なく『好きな人』なのだと思うよ。許嫁もいることだしね」
そう言い、高良さんはドアを開けた。許嫁なんて少女漫画でしか聞いたことのない言葉だ。
うわあ、こんな家具どう●つの森でしか見たことがない。天蓋つきのベッドに、曲線を描くソファ、可愛い形のクローゼットと天井まで届く本棚。カナリアの鳥かご。
本棚には一冊も漫画がなかった。ホントに漫画読まないんだ、この人。
「すごく、素敵なお部屋ですね」
「そうかい? 整いすぎてさみしいと私は思うよ」高良さんはそういって悲しく笑った。机の上には写真立てがあり、そこには男性の写真。高良さんより少し年上の白人男性だ。
「あの写真の人はだれですか?」
「けっこうグイグイくるね……あれは、許嫁のウィリアムだよ。なかなかハンサムだろう」
……この人が、高良さんと結婚する人かあ。
「でもいまは、学生でいられる間は――れいらくんだけが好きな人だ」
そう言って高良さんは笑顔をつくった。とてもずるい笑顔だった。
「でもあたし大学いかねーっすよ。働かないと家がつぶれる」
「学費くらいなら私の祖父に払わせるが」
「でもうちホントカツカツなんで……姉ABはどっちも高卒なんで、継母が許してくれないし」
そうやって話をしていると、制服のスカートのポケットであたしのスマホが鳴った。姉Aだ。
「れいらどこいるん? くうに食べさせてお風呂入れて」
どこまでもあたしを召使い扱いしやがるな、姉ABは。
「きょうは先輩んち泊まるから無理」そう適当に嘘を入力して送信する。ま、帰ったら中学の同級生の家にでも泊めてもらえばいいべ。それくらいの考えの嘘だ。
画面を見ていた高良さんは、
「それが、この間言っていた――らいん? かい?」と訊ねてきた。
「そうです。どうしたんですか?」
「きょうはうちに泊まっていってくれるのかい?」……高良さんは、本気だ。
「え、い、いやこれは……姉Aに嘘をついただけで……ご迷惑ですし帰りますよ」
「でもそうしたらどこに泊まるのかね。帰ったら甥っ子姪っ子の世話をしなきゃならんのだろう。今日くらいゆっくり休んだらどうかね? 家族のためにせっせと働き続けているんだから」
「い、いや、でも、その……そういうのには、早いかなって」
あたしがそう言うと高良さんはぽかんとして、それからアハハと笑った。
「変なことなんかしないよ! 一緒に寝るのが嫌なら客間を使ったっていいし。勘違いしないでくれ、妹への恋はプラトニック・ラブと決まっている」
いやプラトニック・ラブの語源はプラトンがそういう趣味だったという逸話からでは……。
とにかく、高良さんの家に泊まることになってしまった。どうすんだ、寝間着も歯ブラシもねえぞ。そう思っていたら女中さんがホテルのアメニティなみのクオリティのもろもろを持ってきた。
夕飯は分厚い肉のステーキと、理屈は分からないが砂糖とバターで煮たにんじん、それからいんげん豆、コーンポタージュにパンだった。まるっきしレストランのメニューである。洋式の食事は目上の人が手を付けてから、というルールをたまたま知っていて命拾いした。
お風呂は温泉が引いてあって、肌がびっくりするほどつるっつるになった。
寝間着はなんとさらっさらのシルクのパジャマである。こんな着心地のいい寝間着、生まれて初めてだ。高良さんは部屋で本を読んでいた。その横顔は、怜悧で美しかった。しばらく見とれていると、高良さんはあたしに気付いて手招きした。
「寝よう。もう十時だ。そろそろ寝ないと肌荒れするよ」
十時ってうちではまだ家族全員揃ってないんですが。そんなことはともかく、あたしは高良さんと同じベッドにもぐりこんだ。二人で寝ても超余裕の広さで、久々にぐっすり寝た。
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