3 王子様のずるいお願い
「ごきげんよう」校門ではこの挨拶が飛び交っている。ハッキリ言って、庶民のあたしには違和感しかない。これ朝も言うし帰るときも言うよね。どういうことじゃ。
「新田さん、ごきげんよう」声をかけてきたのはクラスメイトの白野雪姫だ。勝手に「白雪姫」と認識している。名前だけでなく白野さんのお父様が大学在学中に起業した「リンゴワークス」という会社は、今では世界に名だたるIT大手なのである。お母様はフリーアナウンサーだ。
本当は「ゆきりん」と呼んでやりたいが、そんなことしたら怒られそうなので、
「白野さん、ごきげんよう」と返しておく。すると白野さんはつつっと寄ってきて、。
「王子様と姉妹になったって本当?」と訊ねてきた。あたしが頷くと白野さんは顔を真っ赤にして、
「すごい……学校のみんなが王子様に憧れてるのに」と答えた。
(ごきげんよう)いきなり頭の中に声が響いた。こいつは鈴木さよりだ。名前が比較的庶民的だなあと思って油断していたが、こいつの家は何代も続く水産加工会社で、日本中どこのスーパーに行っても必ず置いてあるツナ缶を作っている。そして喋らないのでこいつは「人魚姫」だ。
「ああ、鈴木さんごきげんよう。きょうもテレパシー絶好調だね」
(てれる)鈴木さんはちょっと恥ずかしそうな顔をしている。
向こうからとんでもなく長い黒髪の生徒が現れた。平安時代もかくやという長髪。彼女は竹屋美月。祖父が将棋の名人で父親が政治家というわりと和風のお家出身なので「かぐや姫」と認識している。
「竹屋さんごきげんよう」
「あらごきげんよう、新田さん。王子様と姉妹になったって噂は本当? 詳しく聞かせなさいな」
「うーん。喋ってもいいけどロイヤルミルクティー奢って」
「いいわ。早く行きましょ」
学校に入るといきなり購買がある。松花堂弁当やらターキーのサンドウィッチやら、少なくとも高校の購買では普通売られてねーよって感じのものを売っている。自販機もあるが、そっちは紙コップに注ぐ式で、コーヒーは豆から選べるし紅茶も茶葉から選べる。そして一杯500円する。
正直紅茶の茶葉に興味がないので、適当なのを竹屋さんに選んでもらう。しばらくしてロイヤルミルクティーが出てきた。これ、普通に喫茶店クオリティなのだ。コンビニの二百円の紅茶が高級品のあたしにはとてもじゃないが猫に小判豚に真珠馬に念仏である。だがおいしい。
中庭の適当なベンチに一同座る。それぞれ手に好みのお茶を持っている。白野さんはアップルフレーバーティー、鈴木さんはレモンティー(もちろん普通の高校生がよく飲んでるリ●トンとかそういうのでなく本物の瀬戸内海レモンが絞ってあるやつ)、竹屋さんは緑茶(玉露)だ。
「そもそもさあ、あたし姉妹システムがよく分かんないんだけど、なんなのあれ」
「上級生が好きな下級生を指名して、恋人のような関係になるシステムですわ」
竹屋さんがお茶をずずっとすすってそう言う。こ、恋人。そんなの小6以来だ。そう言うと、
「新田さんは共学の学校にいたのよね。その恋人は男の子?」と、白野さん。
「まあ普通そうだべな。そいつ、うちの姉を見て逃げ出してそれっきりになっちった」
「なんで? お姉さまはそんなに怖いの?」白野さんは首をかしげる。
「二人ともドすっぴんは妖怪だよ。眉毛ないし肌荒れひどいし。厚塗りして人間に戻るレベル」
(うへえ)と、鈴木さんが宮部みゆき調の悲鳴を上げた。
「……でさ、思ったんだけど、みんな憧れのその、高良さん……王子様とあたしが姉妹になって、あたし……やっかまれていじめられたりしない?」
そう訊ねると三人ともぽかん顔になった。どういうことだ。顔を見比べていると、
「なんで王子様に好かれるような素敵な人を、いじめたりするの?」
と、白野さんが答えた。え? 発想が斜め上なんですけど。よく分からないで顔をしかめていると、白野さんが笑って、
「よその学校がどうかは知らないけど、そんなくだらないことで人をいじめたりしないわ」
と、超お嬢様的発想のセリフを言った。にわかには信じられず、あたしは小学校で、さっき話した小6のときクラス一のイケメンだった男子と付き合ったときの話をした。あのときはクラス中の女子に嫌われて、靴に画鋲を入れられたり習字セットをグラウンドに投げられたりした、と説明する。
「やだぁ低級だわあ」竹屋さんが嫌そうな顔をする。というか竹屋さんなら、実行には移さないだろうが、もっと高級ないじめを思いつきそうな気がする。
「それでさ、そいつがうちの姉ABを見て逃げ出して、それでぱったりいじめは止んだんだけど、それでもなんかギクシャクしちゃってさ、小学校も中学校も居心地悪かったなあ」
(それで不良になった、と)鈴木さんがそう言ってレモンティーをすする。
「そんなとこ。ってかこの学校、髪色の校則ないよね? なんでみんな黒髪なわけ?」
「だって髪を染めたらお母様に怒られるもの。新田さんはどこのサロンで染めたの?」
白野さんにそう訊ねられ、「いや普通にドラッグストアでブリーチ剤買ってきて自力で……」と答えると、三人は目を点にした。
「どらっぐすとあ……?」まずはそこからかい。てかお前ら化粧品買わんの。
「化粧品って、デパートの外商さんが来て売ってくださるものじゃないの?」と、白野さん。
デパートの外商さんっておとぎ話だと思っていたし、そもそもバイト禁の学校に通う高校生がデパコスかい。どういう経済なんじゃ。
まあ、経済観念の齟齬こそあれ、この学校はとても居心地がいいところだ。あたしみたいなはみ出し者を追い出したりしないし、なにより家のことを思い出さなくて済む。継母やら姉ABやらガキンチョABやらのことを考える必要がないのだ。超らくちん。
「はあー……居心地いいわーこの学校……」
「そりゃそうよ、天下の藍花女子ですもの」と、竹屋さんが笑う。竹屋さんはカバンから手作りのクッキーを取り出し、みんなでそれをぽりぽり食べる。
そういうやり取りをしながら始業前ティータイムをしていると、校門のあたりがにわかに騒がしくなった。ものすごい高級外車が入ってきたのだ。この学校の校門は始業と終業でちょっとしたモーターショーになるのだが、しかしその車は「だれが運転すんねん」と突っ込みをいれたくなる、ピカピカ輝く黒塗りの高級車だ。
「王子様だわ」白野さんが立ち上がる。みんな急いでお茶を飲みほしてくずかごに紙コップを投げ入れ、校門のほうに向かう。
車のドアを運転手がうやうやしく開けて、高良さんが降りてきた。
「ごきげんよう」歌うように朗々と高良さんの声が響いた。あたしは姉ABから守り通したロザリオをぎゅっと握って、校門に向かった。
「高良さん、ごきげんよう」そう言って頭を下げる。高良さんはあたしをぎゅっと抱きしめると、「ごきげんよう、私の可愛い妹」と、姉ABからは絶対に聞けないセリフを発した。
愛されるって、随分気分のいいことなんだなあ。あたしは、小さいころに父さんと、いまはもう死んでしまった母さんと、ピクニックに出かけた日のことを思い出した。もうすっかり忘れていたことだけれど、しかし思い出して涙で視界がぼやけた。
ぱちぱちと拍手が起こる。この人たち、本気で人をやっかんだりしないんだ。さすが超のつくお嬢様軍団。必要なものに欠けたことがないから、持っている人間を妬んだりしないのだ。
高良さんはすっと白いレースのハンカチを取り出しあたしに渡した。涙を拭く。
「贈り物、ご家族は喜んでくれたかい?」
「はい、もちろんです。いただいたカステラ、とてもおいしくてびっくりしました。長崎のお取り寄せグルメですか?」
「あれはうちの料理人が焼いたものだよ。手作りのものが一番おいしいし健康的だよ」
高良さんはそう言って笑った。発想がお金持ちである。
「父に、れいら君のお家が料理屋さんだと伝えたら、ぜひ食べに行ってこいと言われてね……きょうはどうかな? またお邪魔してしまうけれど、一緒に下校したいし」
……う。カロリー軒に高良さんを入れていいんだろうか。そのとき、
(新田さんのお家って料理屋さんなの?)と鈴木さんが興味を示してきた。
「まあ。わたし、もう高校生なのによそで友達とご飯を食べたことがないの。わたしも行っていい?」と、白野さんまで便乗してきた。
「料理屋さん? 面白いじゃない、祖父が対局のときよく街の料理屋さんから出前を取ったって言ってたの。だからそういう料理、食べてみたいわ」と、竹屋さんまで強引に割り込む。
「い、いや、ただの街の中華屋さんだし……みんなが食べておいしいようなものはないよ?」あたしは慌てて断ろうとする。
「私から頼む。だめか?」
高良さんはずるいとしか言いようのない表情であたしを見た。これは断れない。断ったら高良さんが悲しむと思うと断れない。ぐぎぎ。
というわけで、きょうの放課後、お嬢様の友人三人と愛する姉を連れて、「カロリー軒」なる、名前からしてお嬢様女子高の生徒が行くところではない料理屋に行くことになってしまった。どうしよう。そう思っても、もうどうしようもないのであった……。
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