2 王子様、庶民宅に現る

 さて、高良さんとイチゴサンドを満喫した後、高良さんは言った。

「きょう、れいら君のお家に挨拶に行っていいかい?」

 

 なんでも姉妹の関係になったら互いの家に挨拶にいくのが当たり前らしい。しかしあの小汚い店舗とそれ以上にカオスのるつぼになっている住居を、高良さんみたいなお嬢様に見せるわけにいかないと思って、


「そう言われましても、うちすっごい庶民の家なんで……それに姉たちの連れ子もいるし……」

 と答えざるを得なかった。

「気にしないでくれよ。私はそんなに立派なものじゃないよ?」

 いや元総理大臣の孫だし……。とにかくしばらく片付けものをしないと入れられない、そういって断った。


 本当のところは、高良さんが挨拶にきたらうちの継母や姉ABもビビッてあたしをパシリに使うのをやめてくれるんじゃないかと思ったが、しかしそれ以前に継母と姉ABの化粧品や姉ABの連れ子の落としたオモチャのブロックの散らばった家に、とてもじゃないが洋服=198000円の高良さんを入れるわけにはいかないと思うほうが勝ったのだ。ブロック踏むと痛いし。

 それに店舗で済ませるったって学校から帰った時間はうちのぼろい中華屋も混雑している。ちなみに三代続く店の名前は「カロリー軒」という。とてもじゃないが予約もなしに(まあ予約というサービスは死んでいるのだが)女の子が入っていい店じゃない。昼飯時と夕飯時は、向かいの建築会社の大工さんでごった返すのだ。


 というわけで高良さんの申し込みを断り、その日も授業をうつらうつらして過ごした。断ったときの高良さんの悲しそうな顔が、ずっと頭に残っていた。


 列車で三十分ほどかけて家の最寄り駅に着く。降りると近くの工業高校のヤンキーどもが、くだらないおしゃべりで笑ったり煙草を喫ったり漫画を読んだりしている。

 どっちかってとこっちに近いんだよ、あたしは……。


 カロリー軒側から入ると迷惑なので、裏口から家に入る。きょうも姉ABの連れ子、ガキンチョABの喚き散らす声が響いている。ドアが開いたのに気付いて、Aのほう――空兎くうが駆け寄ってくる。

「れいらねーちゃんおかえりー。お腹空いた」

「れいらねーたんおかいりー。おなかちいた」Aのほうの後ろからB、希来里きらりもきた。


「あんたらママたちから食べさせてもらってないの」

 そう言うと二人は食べてない、と首を横に振った。おいおいこれってネグレクトじゃないのか。スニーカー(学校の生徒はほとんどがローファーかストラップシューズなので、スニーカーは逆に珍しくておしゃれである)をもぞもぞ脱ぎ、二人になにか食べさせるべく家にあがる。ブロックを踏んだ。痛い。


 こっぴどく荒れた茶の間をちらりと見ると、継母が美容体操に勤しんでいた。

 目が合うと露骨に嫌そうな顔をされた。ぷいっと無視して台所に立つ。冷蔵庫を開けると、ネギとチャーシューの切れ端、作り置きの餃子なんかが入っている。これ、チャーシューを食べちゃうと明日のあたしの弁当にダメージがでかい。


「よし、餃子食べよっか」そう言って作り置きの餃子を出そうとすると、ガキンチョABは、

「餃子やだー。ハンバーグたべたいー」

「ぎょうざやらー」とわぁわぁ喚き始めた。そりゃほぼほぼ毎日餃子だもんな……。


 やっぱり無理にでも高良さんに来てもらえばよかった。そう思った瞬間、ポケットでスマホが鳴った。引っ張り出す。高良さんから電話だ。連絡先を交換したとき、高良さんは「……らいん?」と、あのSNSを知らないというスマホ世代にあるまじき反応をしたのであった。


「はいもしもしー」

「やあ、れいら君。うちの祖母が贈り物をしたいといって聞かなくてね、お夕飯に食べてもらうものとほかにもいろいろもって、いま君の家の最寄り駅にいるんだが……」

「え、あの駅あたしが乗って帰ってきたののあとは一時間後ですよ」


 田舎なのである。


「君の家を調べて連絡したものが海外出張で、私には場所が駅しか分からないものでね、自家用ヘリで来たんだ」


 セレブの考えることは斜め上すぎる。自家用ヘリってどういうこっちゃ。そのうえ、いったん断ったのにいきなりノンアポで来たぞ。バラエティ番組か。とにかく高良さんを迎えに行こうとすると、継母が、


「ちょっとれいら。くうちゃんときらりちゃんになにか食べさせてからにしてちょうだい」

 と文句を言ってきた。相変わらず化粧が濃い。あたしは、


「学校の先輩で総理大臣の孫って人から連絡があって、家に贈り物持ってくるって」


 そこまで答えると継母は「行きなさい」と言い、ガキンチョABに「ほら! 片付ける!」と命令を出した。いや5歳児と3歳児に命令してどうする。あたしは素早くクロックスをつっかけ家を飛び出る。


 最寄り駅に着くと、SPに囲まれた高良さんが笑顔で立っていた。唐突に「胸に飛び込みたい」という思いがふわっと湧いてきて、荷物はSPが持っていることを確認し、あたしは高良さんの胸に飛び込んだ。


「うわっ?」高良さんは分かりやすくびっくりしてから、あたしを抱きしめてくれた。

「れいら君は甘えん坊だな」

「えへへー。わざわざ来てくれてありがとうございます」


 あたしは高良さんを家まで案内した。まずは、熱血で営業中の店舗の外観を見せる。


「ここがうちのひい爺さんからやってる中華料理屋です」

「へえ……中華と言っても広いけど、広東かい? 四川かい?」

「そういうのじゃないです。ラーメン! 餃子! チャーハン! みたいな店です」

「そうなのか。しかしカロリー軒とは恐ろしい店名だ……」


 高良さんはそういい、あたしは高良さんを裏口のほうに案内した。

「珍しいサンダルを履いているね」

「クロックス知らないんですか?」

「く、くろっくす?」

 あっ、高良さんって「82円切手っていくら?」っていうタイプだ。


「ま、文字通り狭くて汚いですけど上がってください」そう言って勝手口のドアを開ける。ガキンチョABのキャラクター柄のズック靴を珍しそうに眺めて、高良さんは、


「失礼します」と言って家にあがった。

「かーさん、先輩連れてきたよー」

「ちょ、ちょっとれいら。こんな散らかった家に総理大臣の孫なんか入れるなんて」


 継母は出てきてしきりに恐縮している。ガキンチョABはぽかん顔で高良さんを見ている。どうだ、れいらねーちゃんのねーちゃんは美人だろう。そう考えてにまにましてしまう。


「初めまして。れいらさんと姉妹の契約を交わした、五輪寺高良と申します」

「まぁ五輪寺さん。ま、お、お紅茶でも」継母は安いティーバッグの紅茶(とてもお紅茶と言って出せるものではないと思う)を取り出した。高良さんはそれをしばらく眺めまわして、


「これでどうやって紅茶を?」と訊ねてきた。いやティーバッグ見たことないんかい。

 とりあえずその辺にあったシールだらけの魔法瓶で、高良さんの分も紅茶を淹れる。お湯はいささかぬるくて、紅茶はあんまりおいしくなかった。


「れいらがお世話になっております」継母は高良さんに必死でぺこぺこしている。狭い部屋に入り切れていないSPが、贈り物の箱をどんどんどん! と積み上げる。


「いえ、こちらかられいらさんを見染めて、勝手に妹にしてしまったんです」

 高良さんが笑う。高良さんが贈り物の箱の一つをとって開けると、中身はテレビの、芸能人の勝負差し入れ特集でしか見たことのない牛カツサンドだった。「どうぞ召し上がってください」高良さんはそういい箱を差し出す。ガキンチョABが不作法に手を突っ込んで食べ始める。


「こ、こらっ。くうもきらりもそんな食べ方! 座りなさい! こぼさないの!」

 継母が怒るもどこ吹く風でガキンチョABはおいしいねーとか言いながら牛カツサンドを食べている。高良さんも嬉しそうな顔をしている。


「私がれいらさんと姉妹になれたことを、家族一同喜んでいます。これからも、よろしくお願いしますね」高良さんは笑顔でそう答えて、「門限なので」とSPを連れてぞろぞろ帰りだした。


「高良さん! また明日学校で! ごきげんよう!」あたしはそういって手を振った。

「それじゃあごきげんよう。また明日ね」高良さんはそういって帰っていった。


 継母は卒倒していた。ガキンチョABは夢中で牛カツサンドを食べている。あたしも食べた。やっべえおいしかった。「こんなおいしいもの生まれて初めて」の主食部門を更新した。


 姉ABがそれぞれお勤め(姉Aは居酒屋、姉Bはキャバクラ)から帰ってくる前に、牛カツサンドは終了した。一切れ皿にうつしてラップしておいた。これは父さんのぶん。


「……れいら。あんた、あの先輩と姉妹って言ってたけど、そんなペギー葉山の歌みたいな学校、本当にあるのね」継母はひっくり返ったままそう呟いた。ペギー葉山ってなんだろう。

「あたし生徒会長の妹だから。しかも高良さんのおじいさんは学校の理事長だから。権力すっごいから」


 とにかくその日から、継母は変に優しくなった。

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