丹凜の考え
黒い霧に覆われる不気味な空間。そこに丹凜はポツリと立っていた。
『お前のせいだ』
丹凜はその声に酷く怯え、耳を塞ぎ、目をつむってうずくまる。
『何で殺した?』
「……ごめんなさい。絶対に償うから……もう少し待ってて」
がくがくと震えながら耳を塞いでも聞こえてくる声に答える。
『君が好きだったのに……』
ハッとして目を開くと、頭のない三つの人影に囲まれていた。
「いやああああああ!」
瞼を開けると、丹凜の視界には見知らぬ茶色い天井が映る。
『八時になりました。ここからは私、愛人系アナウンサーの愛人子(あいじんこ)が皆さんにニュースをお伝えします。今朝未明、頭が潰された遺体が旬都公園で発見されました。所持品から遺体は、佐藤一郎(さとういちろう)さんのものだと発覚しており警察は契約書の犯行だとみて捜査するようです』
どこからかテレビの音が聞こえる。ニュース番組でもやっているのだろうか。
起き上がると覆いかぶさっていた毛布が体からひらりと落ちる。硬いソファの上で眠っていたせいで肩が痛んだのか、丹凜は片手で肩を叩きながらぐるりと一周辺りを見渡した。
やたらと旬都のマスコットキャラクター、季節ちゃん関連のグッズが多い。部屋には柿やリンゴが腐ったような悪臭が充満している。
「お! 気がついたか」
そのどこか安心したような声は二葉愛のものだった。丹凜は彼の顔を見て、ようやくこれまでの経緯と自分の目的を思い出したのか、後ろのポケットに手を伸ばしてナイフを取り出そうとする。が……、
「おかゆ作ってみたんだけど……、食う?」
愛は両手で小さめの鍋をくいっと上げる。思わず丹凜は頷いてしまった。
愛は丹凜の前のテーブルに鍋を置いて鍋の蓋を取る。すると蒸気が舞い上がり、真ん中に梅干しがちょこんと入った水に浸る白米が姿を現す。
丹凜は用意してもらったスプーンでおかゆを口に入れる。
「ぐっ……」
苦しそうな声を出しながら彼女は顔を引きつらせた。どうやらこのおかゆが口に合わなかったらしい。
「どう?オレ、あんま料理得意じゃねーんだけど……」
殺そうとしている相手だからといって、ここまで親切にしてもらった人を傷つけることはできず、丹凜は完食した後、美味しかったと伝えた。
「で、大丈夫なのか?体のほうは」
愛はタバコを吸いながら丹凜に訪ねる。悪臭の正体はこれだろう。彼の側にある灰皿には何十本もの吸い殻が転がっていて、お前のほうこそ大丈夫か?とツッコミたくなる。
「大丈夫よ」
「でもクマすごいよ?ちゃんと寝れてる?さっきもうなされてたし」
丹凜は眉をピクリと動かして、忌々しそうに片方のクマを手で覆った。
「ちょっと嫌なことがあって……」
「良かったら聞こうか?」
心配そうな表情を浮かべる愛を見た丹凜はたまらず目をそらした。
「それより依頼のことなんだけど……」
丹凜はとりあえず話を逸らすことにした。
「あー、そうだったな」
愛は大きく頷く。上手く話をすり替えられたようだ。
「その……、別に、依頼とかじゃないんだけど……」
「うん、うん」
愛は興味深そうに相づちをうつ。
「私をここで働かせてほしいの」
愛にはどういうわけか丹凜の最後の手段が通じなかった。異能の力を防げるのは同じ異能の力だけ。恐らく彼は契約者なのだろう。最後の手段が効かなかった以上、ナイフの攻撃も意味がなさそうだった。彼女はもう手札を使い切っているのだ。
しかし、丹凜に殺しを諦めるという選択肢はない。
だから彼女は、契約者が持つ二つの大きな弱点を突くことにした。
一つは契約というルールに縛られていること。
これを上手く利用すれば契約者を殺すのは容易い。
例えば野菜しか食べないという契約をした契約者の料理に肉類を混ぜて食べさせれば、その契約者は契約を破ったことになり死んでしまう。
もちろん、こんな簡単はいかないだろうし、その契約者の契約内容にもよるが、それを知ることができればかなりのアドバンテージになる。
もう一つは契約しているロンリーハートから一定以上離れると異能が使えなくなること。
丹凜が突きたいのはどちらかというとこっちのほうだ。
契約者の中には契約内容が弱点にならないものもいる。もしかしたら愛はそっち側かもしれない。だがこれはそんな契約者でも恐れる究極の弱点である。
ロンリーハートが何かさえわかれば遠ざけるだけで契約者を無力化できるのだ。どれほど力を有していてもただの人間に戻ってしまう。
今適当な依頼をしても、それが解決すれば愛との関係は終わってしまう。だからここで働きながら彼が結んだ契約の内容、あるいは彼のロンリーハートを探そうと丹凜は考えたわけだが……、
「ごめん。無理だわ」
それが愛の返答だった。
「うち、あんま儲かってないから給料払えるかわかんねーし。一人でもなんとかなるし」
「給料は少なくてもいい。ていうか一人なの?なら私が看板娘やってあげる。タバコ臭いおじさん一人よりはお客さん増えるでしょ?」
「おじさんって……、まだそんな歳じゃないんですけど。喧嘩うってる?」
二人が口論しているとコンコン、と扉が叩かれた。
「なに?」
丹凜は扉のほうを向いて首を傾げる。
「客だ。今日は大盛況だな。とにかくアンタはとっとと帰れ。どれだけ粘ってもぜってー雇わねーから」
「これが私の初仕事か」
「ねぇ、聞いてる?人の話?オレの声耳に入ってる?」
丹凜に愛の言葉は全く届いてないようで、彼女は扉を開けてしまう。
その依頼人は黒ずんだ白いシャツを着た中年の男だった。たくさんの髭を蓄えていて失礼な感想だが汚い。風呂にも入ってないのか思わず鼻を覆いたくなるくらいの悪臭が漂っていた。
「すいません。ここ、お金いりますよ」
「バッカ! てめー! マジで帰れもう!」
愛は丹凜の頭を叩いた。
チェリー @kanekosinzi
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