第9話


「嘘?」


 おっさんが何を嘘をついたというのか。

 いまにもごめんなさいと叫び出しそうなほど、追い詰められているおっさんの顔には見覚えがあった。それは、昔の俺の顔。


「実は……」


「あ、やっぱり天使じゃなくて魑魅魍魎の類だったとかか」


「違うわッ!? 立派にどっからどう見ても天使だっつーの!!」


 いや、どっからどう見ても魑魅魍魎のほうが似合っていると思うんだけど。


「海外の天使とか見てみろ! 基本あいつら裸でフルチン丸出しだろうが!!」


「おっさんではないだろう」


 ションベン小僧もだけど、あれは小さい子どもだから大丈夫なんだ。油ぎっしゅな小太りなおっさんが迎えに来たら貧しい少年と犬だって天国じゃなくて地獄に落ちると覚悟するぞ。


「そうじゃなくて、力を失っているのが嘘なんだよ」


「え……、ていうことは」


「ああ、つまりワシは」


「そもそも大した力を持っていないと」


「力を隠していたとか思わねえかな、そこはッ!!」


 と言われても。

 出会った場面が側溝に落ちて助けを求める全裸のおっさんだぞ。いまでも全裸だし。


「おっさんが力を持っていたとして……」


「おう」


「嘘をつく理由が分からないんだけど」


「ワシら天使にはルールがあってな」


 曰く、

 普段、天使は俺たち地上の生き物をただ見守るだけの存在だという。直接関与することは原則として許されていない。

 原則、ということは例外がある。そこには少し難しい条件があった。


「天使パワーで直接何かを変えることはやっちゃいけねえ。そして、出来るのは助言だけ」


「助言……」


 確かにおっさんは俺によく色んなことを言ってくれた。

 何度何度も、俺の心が折れそうになる度に。


「あれ? でも、料理は?」


「あれはワシの趣味だしな。別に天使パワーは使ってねえ」


「そうか……」


 天使パワーで創られた料理じゃなくて、正真正銘おっさんの手料理だったか……。いや、他意はない。


「そして、普通は出来ない関与をするっていうんだ、それなりに代償がある。もしも関与した人間がより良い状態にならない場合……」


「天使じゃなくなるのか!?」


 おいおいおい! それは話が変わってくるぞ!?

 俺はそこまでしておっさんに世話をしてもらう義理はないはずだ。おっさんがそこまで危険を冒して、


「あ、いや。一か月禁酒になる」


「もっと関与せえ、お前ら天使共は」


 焦って損した。

 禁酒か……、むしろおっさんのことを考えたら禁酒になるべきなんじゃなかろうか。


「でもさ、そういう話って俺にして良いわけ?」


「まあ、駄目だな」


「おい」


 俺にまで罰が来ることないだろうな。

 禁酒程度ならおっさんと一緒に乗り切ってやるけどさ!


「それだけお前が良くなったってことだよ」


「おっさん……?」


「本当に、本当に良くなったよ。出会った時、いや、お前を始めて見たときはどうしようかと思った。それぐらい、お前はひどくて」


「……それは、まぁ……」


「だから」


 なんだ。

 なにか変じゃないか。


「おめでとう」


 これは、まさか。


「おっさん……?」


「お前はもう大丈夫だよ」


 まるで、お別れのような。


「お前の人生だ」


 おっさんは、


「楽しく生きろよ」


 笑って缶ビールを持ち上げた。

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