第3話


 疲れているのか。それとも酔っているのか。

 記憶に間違いがなければ酒は一滴も入れていないので、おそらくは前者であろう。ヤバイ薬に手を出したなんてこともない。……と思いたい。


「おーぃ? 聞こえているんだろ? 突っ立ってないで助けてくれよ!」


 だとすればあまりにもあんまりではないだろうか。

 どうせ幻覚を見るというのであれば楽しいものであれば良いというのに。魅力的なお姉様とか山のような金銀財宝とか。


「おぉぉい!」


「現実逃避中だからもう少しだけ待って」


「あ、そういう感じか。じゃあ仕方ねえな。いいよ、思う存分逃避しな」


 上司からみっちりご指導を受けている間に、仕事を任せた後輩は自分だけ定時で帰ってしまっていた。任せた仕事は俺の机に放置して。

 少なくとも任せてから定時までに三時間はあったはずなのだが、ほぼ手つかずな状態に、であれば彼は三時間もの間なにをしていたのだろうか。


 名探偵でもなければじっちゃんの孫でもない俺に謎が解けるはずはないし、解けたところで目の前の現実が消えることもない。

 結局俺に出来ることは残った仕事を片付けるためにタイムカードを切ってからパソコンに向かうことだけである。当然ながら、その間に上司も帰ってしまっている。俺への追加業務を残して。


 自宅から会社まで電車一本という立地の良さは、同時に終電がギリギリまで存在していることにも直結しているわけであり、めでたく俺が退社したときには日付は変わってしまっていた。

 別に珍しいことじゃない。今週に入ってすでに三回目だ。ちなみに今日は水曜日である。皆勤賞だな。


 おぼつか無い足取りに、そういえば最後に飯を食べたのは朝だったことも思い出してはいたが、何か食べたいものが思い浮かばない。それよりも、ただ眠りたい。


 出社時間は10時である。残ってしまった仕事を片付けるために7時前には出社することも考慮すれば、家に帰ってシャワーを浴びて三時間以上は眠れるはずだ。


「助けてぇ!?」


 ……。

 まだ俺は何も言っていないはずなんだけど。


 タイムリーな台詞ではあるけれど、そうか、しんどい時は助けてと言えば良いのかなんて俺の頭は考えてしまっているからもう大丈夫ではないのかもしれない。


「うぉい! そこのあんた! あんただよ! あんたッ!!」


「……え?」


 ようやく頭が作動する。

 助けてと誰かが言っていた。誰に? 俺にか。助けてという言葉であるのだから助けを求めているのだろう。いや、待て、違うだろう!


「どこだッ!」


「ここだっ! ここだよッ!!」


 声は男、それもそれなりに年齢を感じる声だ。

 そんな相手が助けてと叫ぶのはそれなりの理由があるに違いない。叫ぶことが出来るということは誰かに襲われているわけでもないだろうし、俺にでも出来ることがあるはずだ。最悪の場合は、警察に電話すれば良い。


 声を頼りに俺は周囲を確認していくが、どこにも声の主は見つからない。

 というか、若干声の発生場所が低い気がする。低い、というか下というか。


「ええと、どこ……?」


「こぉこ! ここ!!」


 俺の視線は吸い込まれていく。

 薄暗い道の端にある側溝に。格子状に組まれて頑丈そうなグレーチングで蓋をされたそこから声がする。

 ……どうして?


 逃げてしまっても良かったのだろうが。

 助けてくれと言われて、しかも誰彼構わず叫ばれたのではなく、俺に対して叫ばれたというのに逃げるわけにもいかない。

 若干の気持ち悪さを覚悟して、側溝を覗き込んでみれば。


「ここから出してくれぇ!」


 人形サイズのおっさんがそこに居た。

 全裸で。

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