小さな私のアパートは狭いけれど、その狭さに安心する。下駄箱はないからそのまま靴をきれいに並べて部屋に上がる。自分だけの家だけれど、無造作にはしたくない。秩序を持っていたほうが美しいに決まっている。

 私は服を着替えようとストッキングを脱いだ。私が破いてしまったストッキングだ。穴はますます大きくなっていて、夜だからこそばれなかったのだろうけれど、今更ながら恥ずかしくなった。電車内で、もしかしたら誰か気づいていたんじゃないだろうか。ホテルではシャワーを浴びたけれど、べつに化粧は落ちていない。中途半端に化粧が崩れた顔を見て、悲しくなった。私は整った顔をしているはずなのに、こんなブス見たことない。今からお風呂に入り直すというのに、私は鏡の前に座り、化粧を直した。口紅の色はさっきよりも暗い赤にして、頬の高いところに黄色のチークを薄くいれた。

 ああ、やっと私が戻ってきたと感じた。私はいつもこの顔をしている。化粧をしていない顔はあまりに自信がなさげで頼りなく映る。この顔。私はいつもきれいにしていなければならない。そうしないと大翔が戻って来てくれない。


 写真を撮らないと、と思った。


 せっかくの顔を残しておかないと。スマホのアプリを起動させる。角度が悪いせいなのか照明が暗いせいなのか、鏡で見たように撮れない。十数分の試行錯誤の末、なんとかそれなりに見える一枚を撮ることができた。

 少し迷い、せっかくなのでSNSに投稿した。フォロワーはいないのだから、ただの記念としてだ。波多とセックスした日の私を、私は忘れないだろう。

 戒め。

 満足した。私は脱いだ服をさっさと洗濯機に入れ、ほとんど裸の状態でアロマオイルをたいた。お湯を湯船に張る時間は待てないからシャワーですませることにした。好きなブランドのボディーソープで丹念に洗う。百合の香りに包まれた私にはもうほとんど波多の痕跡はない。私の記憶から消えれば、もうなかったことにできるはず。

 頭が重いのは波多のせいか、それとも大翔のせいか、それとも仕事終わりだから疲れただけだろうか。

 髪を乾かしながら、明日の予定を考える。なにか大きな行事があるわけでもない。私の勤める会社は家庭用品を中心とした総合ネットショップで、私はそのWEBデザイナーだ。やはりバレンタインやクリスマスの時期は忙しいが、今はまだそれほど忙しくない。

 明日も波多と顔を合わせることになるだろう。波多は企画だし、私たちグラフィック部門は企画にもちょくちょく参加する。

 明日の態度が問題だ。波多は次を期待するようなことを言っていた。私は一回限りだと思っていたからあの言葉には驚いた。セックスしたら付き合わなくてはいけないと思っている中高生ではあるまいし、なにに期待をしているのだろう。私の態度次第では、波多はまた隙を見てはホテルへ誘ってくるかもしれない。見た目だけ真面目なくせに、全く真面目さのない男だから。

 髪を乾かし終えると歯を磨く。口に歯ブラシを咥えると、様々な感覚を思い出し、また鳥肌が立った。腹が立つ。

 ベルガモットの香りが、部屋中に立ち込めている。濃い香りを鼻孔いっぱいに堪能しながら、私はベッドへダイブした。

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