第2話 憧れ

「メリーっ!」

 俺は、メリーの悲鳴のした方へ走った。

 右手の木の枝を、強く握りしめる。

 無事でいてくれ。




 深い茂みを抜けると、そこは、王都へとつながる街道だった。

 そして、そこにメリーもいた。

 最悪だった。


 メリーは囲まれていた。

 薄汚れた、小柄な男たちが3人、メリーを取り囲んでいる。

 俺の武器は、さっきから握っている木の棒1本だけ。

 対して相手は、1人は弓を持ち、2人は、錆びてはいるものの、短刀携えているようだった。

 勝機は、ほぼ無いかもしれない。


 でも。

 メリーが殺されるのを見殺しにするなんてこと、あってはいけない!


 気が付いた時には、俺は走り出していた。




「おらぁ!」


 街道の左端に3人で取り囲むように突っ立っている男の、1番手前の弓持ちの後頭部に、思い切りたたき込む。

 木の棒とはいえ、叩きつければ気絶させるのには十分だったようで、その男は、ピクリとも動かなくなった。


「クリス!」

 俺に気が付いたメリーの顔に笑顔が戻る。

 ごめんな、メリー、怖かったよな。

 今、助ける!


 男たちは、仲間がやられたことで、俺の存在に気が付いたようだ。

「******……!」

「****!****!」


 おおよそ、人が発するような言語ではなかった。

 その、おぞましい声に、俺は鳥肌を立てた。

「なんだお前ら……、何なん――」

 その時、2人のうちの。

 いや、2匹のうちの1匹と目が合った。

「な……、ゴブリン……!?」

 至近距離で目と目が合って、初めて理解した。

 こいつ等は人じゃない。

 魔物だ。


 ゴブリン。

 それは魔物の代表格。

 ライオ王国に蔓延る魔物の中で最も数が多いものだ。

 シルエットは小柄な男に似ているが、肌は緑で、鼻は不気味に大きい。

 人と同じような、格差と役割を個々が持つ、人に最も近いともいわれる魔物だ。


 何でこんなところに魔物が!?

 確か、魔物は王都の西側の、山脈を超えた先に生息してると聞いたことがある。

 普通、こんな場所にいるなんて、ありえないのだ。

 俺も、約10年もこの村で過ごしてきて、魔物に出会ったことなど1度もなかった。


 だが、特徴はよく知っている。

 村に年に1度やってくる紙芝居の物語。

 俺も、メリーも楽しみにしている紙芝居。

 その中に登場するゴブリンと、こいつ等は、見た目がほぼ同じだった。




 1度、大きく息を吸って、吐く。

「なんでゴブリンがいるのかしらないけど」

 俺は再び、木の棒を握りなおす。

「メリーに手出しはさせない……!」

 胸が熱い。

 心臓がバクバクしている。

 手の震えは止まらない。


 まともな剣術など、習ったことない。

 だが、俺がやるんだ!

 そうしなきゃ、メリーが。


 俺は決意した。

 こいつ等を、ぶっ飛ばす!

 そして、メリーを連れて家に帰る!

 それで終わりだ。


「メリー、大丈夫」

「クリス……!」

「俺が、守る……!」




 状況は1対2。

 変わらずこちらが不利だ。

 不意打ちでうまく気絶させたが、今度がうまく行くとは思えない。

 ゴブリンとにらみ合うこと3秒。

 先に動いたのはゴブリンの方だった。


「***! ********!」

 唾を飛ばし、大声で吠えながら突っ込んでくる、手前側のゴブリン。

 分かりやすく太刀筋で振り下ろしてくる短刀を、俺は木の棒で受け止めた。

「ぐぅっ……!」

 想像以上に重い。

 木の棒が、ギチギチと悲鳴を上げている。

「おらぁ!」

 気合で何とか跳ね返せた。


 押し返されるとは思っていなかったのか、その場に尻餅をつくゴブリン。

 その隙を逃すわけにはいかない。

 尻餅をついたところへ一気に近づいて。

 俺は、ゴブリンの頭めがけて、思い切り、木の棒を振り下ろした。


「***!! *******!」

 しかし、ギリギリのところで避けられてしまった。

 地面を転がりながら、ゴブリンは、奥にいるゴブリンに向かって何かを叫んでいる。

 その声を聞いて、奥のゴブリンは、短刀を腰に納め、俺が最初に倒したゴブリンを漁り始めた。


 何をするつもりだ?

 いや、今はそんなことを気にしてられるか!

 俺は、すぐにゴブリンに攻撃を仕掛ける。


 地面から立ち上がろうとしたゴブリンの、頭を!

 俺は、棒を思い切り振り下ろす。

 今度こそ、正確に木の棒をたたき込んだ。

 バキィッ、という砕ける音が、闇夜に響く。


 立ち上がろうとしていたゴブリンは、次第に動かなくなって、地面に倒れ伏した。

 後頭部に叩き込まれたダメージは、10歳の子供の腕力とはいえそれなりのものだったようで、そのゴブリンは、その後、ピクリとも動かなくなった。


「よ……、よし……!」

 これで、2匹やった。

 あとは、奥にいる1匹だ!


 俺は、顔を上げる。

 残されたゴブリンと目が合う。

「*******、****!」

 ゴブリンは、ニタニタという不気味な笑みを浮かべながら、何か語っているようだった。


「何言ってるか、わかんねーよッ!」

 俺は、耳を傾けずに、走り出した。

 こいつを。

 このゴブリンさえ倒せば、俺は!

 俺とメリーは、無事に帰れるんだ!


「ぶっ飛ばすッ!」




 あと、10歩で、棒が届く。

 その時だった。

 ゴブリンは、後ろに回していた右手を口元に持って行き、大きく息を吸う仕草をした。

「何を……! 角笛……!?」

 取り出したのは、薄汚れた角笛。

 ゴブリンは、角笛を思い切り、吹いた。


 ブォオオオオオオオオ……!


 おぞましい音色だった。

 俺は、思わず耳を塞ぎ、その場に立ち止まってしまう。

「ぐっ……! 何を――」

 ゴブリン、角笛。

 その単語から、俺は思い出すものがあった。


 まさか!

「仲間を呼んでッ……!?」


 そう。

 ゴブリンの持っている、角笛の持つ、不思議な力。

 それは、純粋で、厄介な能力。

 周囲にいる仲間を呼び寄せるというものだ。

 この角笛についても、紙芝居で語られていたのでよく覚えている。

 そして、その後どうなるのかも、覚えていた。

 主人公は、増え続けるゴブリンたちに次第に対処できなくなって。


「守るべきものを、失った……」

 そんなの、嫌だ。

 俺は、メリーを失いたくない。


 だから俺は、逃げることに決めた。




「メリーッ……!」

 俺は、メリーの元へ走る。

 今ならまだ、逃げられる!

 幸い、ゴブリンは、まだ1匹。

 今しかない!


「メリー、逃げるぞ! 囲まれる前に――」

 微かに、風を切る音が聞こえた。

「クリスっ! 危な――」



 俺はなぜか、次の1歩が踏み出せなかった。

 自分で、不思議に思って、左足を前に出そうとするのだが、足が答えてくれない。

 メリーが何かを叫んでいるのがわかる。

 だが、音は聞こえなかった。

 世界がスローになったような気がした。

 段々と俺の左足を液体が流れていくのがわかる。

 生ぬるい。

 見なくてもわかる。

 血だ。

 でも何で。

 俺は、ゴブリンから離れたはずなのに。

 あいつの持っていた武器は短剣だったはず。

 後ろを振り向くと、喜んで、はしゃぐゴブリンが、弓を手にしているのが見えた。

 あぁ、そうか。

 さっき漁っていたのそういうこと――


 段々と、感覚がはっきりとしてくる。

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 思考がすべて痛みに上書きされていく。

 ダメだ、逃げなくては。

 痛い。

 この足でどうやって。

 痛い。

 少なくとも、メリーだけでも。

「め、メリー……、逃げろ……!」

 俺は必死に声を絞り出す。

 どうか、メリーだけでも生きて帰ってくれ。

「いやだよっ! そんな……そんな!」

 メリーは、ふらふらと倒れかけの俺を抱きとめて、肩を貸すと、1歩、1歩と歩き出した。

「何やってんだ……、早く! 俺を置いて行け……!」

「いやっ! さっきはクリスが助けてくれた。今度は、私が助ける番だよ……!」

 メリーの目は、これ以上ないほど、真剣な目をしていた。

「なんで、そんな……!」

「だってさ」


 俺が聞くと、メリーは1拍おいて答えた。

「私たち、幼馴染でしょ?」




 そうか。

 幼馴染だもんな。

 メリー。


 俺は、メリーに体を預け、意識を手放そうとした。

 その時。


 ピョウッ!


 風を切る音。

 弦音つるねが、聞こえた。

 さっきと同じだ。

 見なくてもわかる。

 あのゴブリンが、矢を放った。

 メリーはもちろん気が付いていない。


 ダメだ!

 俺がメリーを守れないでどうする。

 メリーには、傷1つ、付けさせない!

 気合を入れろ、俺!

 踏ん張れよ、2人で村に帰って、またいつもみたいに笑うんだろ。

 だったら、どうやってメリーを守る?

 ケガを負った俺が、助けられる方法、それは。

 盾になればいい。


 俺は、力の入らない足で、どうにか立つ。


 そして、メリーを突き飛ばす。

「きゃあっ……!」

 メリーが地面に倒れる。


 そして、俺が盾になって、矢を!

 受ける!


 ザシュ、という、短い、肉のえぐれる音がした。

 俺の背中に1本の矢が突き刺さった。


 ゴブリンは喜びからか、気味の悪い笑い声を上げながら、はしゃぎ回る。



「ぐぁ……」

 やばい。

 意識が途切れそう。

 俺はそのまま倒れ込み、メリーに覆いかぶさった。

「うそ……、クリス……! クリス? ねぇ、返事をして!」

 メリーが必死に俺の体を揺する。

 ダメだ。

 もう声が出ない。

 早く、逃げろ……!


 再度、弦音つるねがした。

 俺は、目を閉じ、やってくる痛みに耐えようとする。




 キィン……、と甲高い金属音が夜の街道に響く。

「……?」

 待てどやってこない痛みに、俺はうっすらと目を開ける。


 そこには、大きな人影があった。

 夜闇のせいか、顔は全く見えなかったが。

 人影が、言った。

「よく守ったな、少年。あとは私に任せて、休め」




 そうだった。

 紙芝居の中で、主人公を助けたのは、騎士だったなぁ、と。

 消えゆく意識の中で、やっと思い出したのだった。

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