第12話 跡継ぎ争い

また霊帝の生存中から、十常侍の中では誰を政権につけるかという事で宦官らと霊帝の妻の何皇后、そしてその親戚筋の何進、陳留王を支持する霊帝の母董皇后側との四派の間で激しい権力闘争が起こった。


元々何皇后は、親戚筋の何進も含め屠殺業をしていた身分の低い出自だった。それを宦官にワイロを掴ませ霊帝の世話係として職を得て貴人となり、そして霊帝に近付けるようになると寵愛を受けるようになった。そして、男子(少帝弁)を生んだのだ。


元々は、何皇后は成り上がるような気質の持ち主なため非常に気が強く、霊帝の最初の皇后であった宋氏が廃されると、ついにその皇后の後釜に座る事となった。しかし、霊帝の寵妃であった王美人が劉協(後の献帝、即位前は陳留王)を生むと激しく嫉妬し、王美人を毒殺してしまった。それを知った霊帝は激怒し何皇后を廃ししようとしたが、宦官からの取りなしにより何とか免れた。


そんな霊帝は結局、自分の代で後継者を選ぶことはせず亡くなってしまう。むしろわざと決めなかったといった方が正解だろう。それは自分の代で決めてしまう事で権力闘争に巻き込まれたくなかったというのも考えられた。逆に後継者を決めてしまう事で毒殺されて位を譲ることにならないかという疑念も抱えていたためだった。


跡継ぎ候補として少帝と陳留王の二人がいた。亡くなった霊帝からの信頼が厚かった蹇碩は、頭の程度が低い17歳の少帝では漢帝となり治世を行うことは難しいと考えていた。そこで聡明でまだ9歳だが、陳留王を漢帝とすべきだと考えていた。しかし、蹇碩の部下にあたる何進は何皇后の外戚でその子と血の繋がりを利用して更にのしあがろうと考えており、少帝を漢帝として即位すべきと争った。


そのため、四つのグループの互いが様々な衝突し合い、そして二人を別々に押すグループとに収斂していった。そして少帝を推す何進グループと陳留王を推す蹇碩グループとが陰謀、策略を巡らし、時には武力衝突まで起きた。そのため何進は、洛陽の都の治安を守るとして地方の豪族たちで有力な丁原、橋瑁、袁紹、董卓らを呼び寄せたのだ。呼び寄せられた者たちもそれぞれ何進を土台に更にのし上がっていこうという野心を持っていた。何皇后の外戚として少帝を即位させたのはいいが、少帝が帝として相応しい能力があるかと言われれば大いに疑問だった。そのため権力闘争が静まらず、宮中にいる十常侍という宦官グループは陳留王を支持しており対立が激化していった。




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