第242話 行動開始


 『白の道標ホワイトロード』の自室で、ミリスは机の上に置かれた勇者の剣をじっと見つめ、そっと手を伸ばす。


 もう、彼女には迷いも恐怖もなかった。


「父よ母よ、交わすべき言葉は幾らでもある。伝えたい想いも、聞きたい事も⋯⋯じゃが、今はたった一つだけが、我の望みじゃ」


 柄を握り、二、三度風切り音を鳴らしながら勇者の剣を軽く振ったミリスは、腰の剣帯へと勇者の剣を納めた。それにそっと添えられた彼女の左手からは白い一筋の光が伸びている。部屋の壁を透過するように越え、真っ直ぐに続くそれを見つめながら、ミリスは再び口を開いた。


「我と共に、ノイルを救ってくれ」


 ただそれだけを、ミリスは両親に乞う。


『当然じゃ、ミリス』


『任せて』


 返事は、力強い声で直ぐに返ってきた。


 初めての父との会話は、三千年近くの時を空け再び交わされた母との言葉は、短く、しかしそれだけで充分だった。


 深い感慨に浸る事もせず、ミリスは歩き出し、自室の扉に手をかける。


『ああしかし、せっかく練習したのじゃ』


『これだけは聞いて欲しいかな』


「む?」


 扉を開けようとしたミリスは、ミゼリオとフュリスのその声に一端動きを止めた。


『うんこー!!』


 そして、頭の中に響いた二人の声に、ふっと引き締められていた頬を緩める。


「ふふ、我はもう子供ではないぞ。じゃが――」


 扉を開けたミリスは微笑んだまま言葉を続ける。


「やはり好きじゃのぅ」


 そして、そう言うと再び表情を引き締め、自室を後にした。


 友剣の国を脱してから――ノイルを『魔王』に奪われてから、五日程が経過している。


 身体は癒え、体調は万全。既に全員の準備も整っているだろう。


 ミリスは動き出した。

 愛する者を、奪還するために。







 レイガスはイーリスト城の会議室、そこで椅子に腰掛け渋面を浮かべていた。


 彼と同じく円卓を囲んでいるのは、ネイル魔導国、女王ヒメリエ・メネウス・ネイルと、キリアヤム百獣国、国王サーディガイド・ビエラン・キリアヤムだ。


 ベルツ・マークハイムとデンデ・ブリアントもそれぞれ仕える王の側に立っている。誰もが眉根を寄せ、険しい表情を浮かべており、部屋の空気は非常に重い。


「レイガスよ、もはや猶予はない」


「アレを討つ以外の道は残されていません」


 ヒメリエとサーディガイドの言葉に、レイガスは更に顔を顰めた。


「⋯⋯彼が居なければ、余も友剣の国の民も、誰一人として生きてはいなかったかもしれぬのだ」


「そんな事は私様もわかっておる」


「それ故に、私たちは彼を討たなければなりません。彼が命を懸け稼いでくれた時間を、無駄にしないために」


 レイガスは拳を円卓へと打ち付ける。二人の王は、それを咎めようとはしなかった。


 ノイル・アーレンスが『魔王』を自らその身に宿し、食い止めてから五日程が経過している。その間にレイガスたちは友剣の国から離れ、イーリストに退避する事ができた。友剣の国からの避難民は少なくはないが、大国イーリストならば一時的に受け入れる余裕はある。とはいえ、今はまだ満足な暮らしとは言えず、不安も多いだろうが、イーリストに到着した直後よりは落ち着いただろう。


 ノイルは多くの者たちを救った。

 しかしそんな英雄を討たねばならぬ事実に、レイガスはどうしようもない憤りを感じていた。


 レイガス達が友剣の国を離れた後、『魔王』は近辺に潜伏していた『隠匿都市ハイディング』を呑み込み、一匹の巨大な黒紫の生き物の姿へと変貌した事が確認されている。


 そしてその怪物は、ゆっくりとだが確実にここ、イーリストへと接近しつつあった。


 進路上にある村や街を殊更に襲うこともせず、進行が遅いのは、まだ『魔王』の内部でノイルが抵抗しているからだと推測できる。

 とはいえ、もはやそれもいつまで持つかはわからず、自ら襲撃はせずとも、市街地を避けることはせず踏み潰し進んでいる。


 今の時点で抑えきれてはいないのだ。ノイルが力尽きた時、そうでなくともイーリストへと『魔王』がたどり着いてしまえば、何が起こるのかは想像に難くない。


 まだ力を抑制されている今が絶好の機会。

 三国の総力を集結させ、ノイル共々『魔王』を討つ。


 それが、レイガス達が生き残るための、世界を滅亡させないための唯一の手であった。


「私様も友の婚約者を救う手が有るのならば、迷わずそちらを選択する。だが、それがない以上、やるしかなかろう」


 ヒメリエが冷静な言葉をレイガスへとかける。しかしその表情からは激しい怒りと悔しさが滲み出ていた。


「時に残酷な決断をするのも、上に立つ者の役目。私達は、一生消えぬ業を背負うことになるでしょう。きっと禄な死に方もしないでしょうね」


 サーディガイドが、やるせなさそうに自嘲気味な笑みを浮かべる。


 これ程の憎しみと怒りを抱いたのは初めての事だ。


 レイガスはそう思いながら、震える拳を落ち着かせて大きく息を吐き出した。


 今回ばかりは、如何にミリス・アルバルマとその一行とはいえ、何か出来るとは思えない。

 ミツキ・メイゲツを操っていた時よりも、今の『魔王』の力は遥かに強大だ。


 既に警告を無視し、先走ったいくつかの国々の部隊は『魔王』に勝負にもならず壊滅させられている。ノイルが抑えているとはいえ、攻撃すれば当然ながら反撃はあった。

 三大国が友剣の国を隠れ蓑にし、極秘理に研究していた生物兵器の暴走だと言う流言も飛び交っている。


 中でも敵対しているわけではないが、友好的とも言えない海を隔てた三大国に匹敵する帝国とは、これをきっかけに戦争が起こる懸念もあった。


 状況的に無理からぬ事ではあるかもしれないが、この世界が滅びる可能性すらある緊急時に、人同士が諍いを起こすなど何とも愚かしい話でしかない。


 早々に始末を着け、民を護り、事実を公表しなければならないだろう。


 もっとも、勝てるかも定かではない相手ではあるが。少なくとも、帝国や他の国々がこれ以上動き出す前に、行動しなければならない。


「ままならぬな⋯⋯」


 レイガスはそう呟くと、顔を上げる。

 その瞳は、強い決意を讃えていた。


「戦力が集まり次第、迅速に事を進めるぞ」


 ヒメリエとサーディガイドがレイガスの言葉に頷く。


 と、その瞬間ノックもなく無遠慮に会議室の扉が開いた。


「よおクソ王ども」


 現れたのは、銀の髪に碧の毛束が入り混じった創人族――アリス・ヘルサイトであった。

 平時のようにガラの悪い笑みを浮かべているが、その顔色は非常に悪い。明らかに、睡眠も休息も足りていないといった様子だ。


 しかし、それでもアリスは力強い声を発っする。


「黙って『大翼の王宮スカイパレス』寄越せや」


 そして、三人の王を恫喝するかのように、そう言うのだった。







「おじいちゃん、私ね」


 イーリスト城の一室、そこで天蓋付きのベッドの側の椅子に腰掛け、眠るオルムハインの手を握りながら、フィオナは微笑む。


 ノイルが傷を癒やした事もあり、オルムハインは命の危機を脱してはいたが、未だその目を覚ましてはいなかった。目覚めても、今後身体には少なくない後遺症が残るだろう。


「おじいちゃんが言ってくれたみたいに、先輩と幸せになる」


 慈しむようにオルムハインの頬にフィオナは手を当てる。


「それしか考えられなくて、おじいちゃんの夢も叶えてあげたいから」


 もう片方の手で、フィオナは想いを馳せるかのように自身の首――《ラヴァー》へとそっと触れた。

 そこからは、未だノイルのぬくもりを感じ取る事ができ、彼が『魔王』に呑まれてしまっても、まだ戦っているのだという事が伝わってくる。


 懸命に抗い、皆を救いながら、ノイルは助けを待っている。


 ならばフィオナの取るべき行動はたった一つしかなく、そうでなくとも、彼女は何があろうと彼を救う以外の道を選択しない。


 フィオナ・メーベルにとって、ノイル・アーレンスは世界の全てだ。彼が居なければフィオナは存在できず、幸せになど絶対になれない。


 だからどれだけ無謀でも、力が及ばなくとも、フィオナはノイルの為に動く。


 一度は折れ、そしてノイルに救ってもらった。

 これまで何度、彼に助けられただろう。


 フィオナはその全てをこと細かく鮮明に覚えており――また肝心な時に自分はノイルを救えなかった。


 けれど、フィオナはもう折れない。絶望しない。彼が生きている限りは、フィオナは迷わず突き進む。


 ノイルの力となり、傍で歩み続けられる道を。


 不安も、恐怖も、怒りも、哀しみも、それら全てを遥かに上回る彼への愛で塗り潰し、彼の為に彼の傍へ。


 フィオナ・メーベルは翔ぶのだ。


「結婚式、楽しみにしててね」


 フィオナは微笑んでそう言うと、静かに立ち上がった。


 ――先輩、今貴方のフィオナが行きます。


 そして口元を引き結び、部屋を後にするのだった。







 『精霊の風スピリットウィンド』のパーティハウス、その談話室にはメンバー全員が集まっていた。


「それじゃ、さっさと行きましょうか」


 ソファから立ち上がり、ミーナがぐっと身体を伸ばし、目つきを鋭くする。身体の傷は癒えており、瞳は爛々と強い輝きを宿していた。今の彼女の頭の中にあるのは、ノイルを救うというただ一つの使命だけだろう。


 他のメンバーも、ミーナに続いて立ち上がる。


「そうだね⋯⋯ああ、けれど一つ、もしボクたちの力が通用しなかった場合は――」


 そう言いながら最後に立ち上がったエルシャンに、ミーナがツカツカと歩み寄る。


「ッ⋯⋯!」


 そして、その頬を思い切り叩いた。

 一度呆然と目を見開いたエルシャンは、頬を抑えながらミーナへと向き直る。


「⋯⋯何をするんだいミーナ」


「邪魔だから腑抜けは要らないわ」


 腕を組んできっぱりとそう言い切ったミーナに、エルシャンは再び目を見開き、細める。

 誰もが、ソフィですらも止めることなく、二人のやり取りを静かに見ていた。


「⋯⋯意味がわからないな。ボクはただ、万が一の可能性を考慮して⋯⋯」


「ええそうね。不測の事態に備える事は重要よ」


「だったら――」


「でもあんたのそれは、ただの弱気よ」


 ミーナはエルシャンを苛ついたように睨みつけ吐き捨てる。自身でも無意識だった点を突かれたエルシャンは、愕然とし、眉を歪めて顔を伏せた。握られた両拳が震える。


「⋯⋯羨ましいね。キミはボクと違って、何度かノイルの力になれている。再開した時も、【湖の神域アリアサンクチュアリ】でも、友剣の国でもね」


「だから何よ」


「迷わなくて済むだろう。彼を救えると言い切れるだろう。無力で失態ばかりのボクと違って。キミにボクの気持ちは――」


「あいつはあたしのせいで右腕を失った」


 その言葉にエルシャンは瞠目し、ばっと顔を上げる。ミーナは、変わることなくエルシャンを真っ直ぐに見つめていた。


「自分に自信がないのも、昔あたしが恥をかかせたせいよ」


 視線を逸らさず、ミーナは言葉を続ける。


「あたしのせいで、アリスの言いなりにもなってた」


 ミーナは組んでいた腕を解く。


「でもあたしは躊躇わないし、ノイルを救う為なら弱気になったりしない。無力でも、失敗するかもしれなくても、あいつが、好きだからよ」


 真っ直ぐに、ミーナは呆然とするエルシャンにそう告げると、振り返った。


「あんたの想いがその程度だなんて思わなかったわ。気にしてた自分が馬鹿みたい。とにかく、そんな気持ちなら来なくていいわよ。ノイルはあたしが救ける」


 そして、決意の込められた瞳で前だけを見て、談話室から出ていく。

 それを見送ったレットが、ポリポリと頭をかきながらエルシャンへと視線を向けた。


「あー⋯⋯あのよ、ボス」


「⋯⋯何かな」


「言うなって言われてたんだけどよぉ⋯⋯ノイルんが、どうしようもなくなったら殺してくれって、俺に頼んできたんだわ」


 エルシャンは瞠目し、レットへと顔を向ける。


「俺もんなことやりたくねぇし、なんつーかよ、ミーナ姉ぇの言う通りだと思うわ。まあボスは頭良いからな。色々考えちまうんだろうけど、今は、ノイルんを救けたい。その気持ちだけありゃ、充分なんじゃねぇか?」


 それだけを言うと、エルシャンの返事を待たず、頭の後ろで両手を組み、レットもミーナが開け放った扉から出ていく。


「んー、ここはハグで慰めるべきなのかもだけど」


 クライスもくるくると回りながらレットの後に続き、そして、入り口で一度立ち止まった。


「それは俺の役目ではないねぇ。やはりマイフレンドノイルでないと」


 そして、やってしまったとばかりに額を叩く。


「んしまったぁ! まずはその彼を救わなければいけないねぇ! まあだから――」


 クライスはふっと表情を引き締める。


「色々と考えるのは、その後だよエルシャン」


 扉が閉められ、談話室の中にはエルシャンとソフィだけが残った。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯情けないね」


 ぽつりと、エルシャンがそう呟くと、ソフィはゆっくりと首を横に振る。


「良いのではないでしょうか。少し弱さのある女性の方が、男性には好まれます。いえ、まあ、一概には言えませんが」


 ソフィの言葉に、くすくすとエルシャンは笑みを零した。


「⋯⋯そうか、そうだね。うん、そういえば【湖の神域】でも、泣きついたボクをノイルは優しく抱きしめてくれた」


「弱さを前面的にアピールする作戦は、だ⋯⋯ノイル様には効果があるかと」


 エルシャンは小さく深呼吸する。そして側に歩み寄ってきたソフィの頭を優しく撫で、前を向いた。


「それじゃあ、次はその手を試してみよう。ノイルを救った後でね」


「はい」


 二人は顔を見合わせ、微笑み合う。


 と、談話室の扉が開いた。


「エルシャン」


「行くの?」


 現れたのは、無表情なエルシャンの両親――シイク・ファルシードとエユレユ・ファルシードだ。


 エルシャンは頷いて二人へと笑みを向ける。


「ええ、父様、母様。直ぐに婚約者を取り戻してきます」


「そう」


「そうか」


 エユレユとシイクは、変わらず無表情でエルシャンに頷いた。


「微力だが」


「周囲の精霊に協力を仰いでおいたわ」


 その言葉にエルシャンは驚くと同時に多大な感謝を二人に向ける。

 ちょくちょくとパーティハウスから姿を消していたが、自分が塞ぎ込んでいた間に、二人は力を貸すために動いてくれていたらしい。


「ありがとうございます。それで、協力を取り付けられた精霊はどれ程ですか?」


 エルシャンの問いに、シイクとエユレユは一度顔を見合わせ、顎に手を当てわずかに首を傾げた。


「元々、アレは精霊たちにとっても脅威だ」


「だから、むしろ協力しない精霊が居ないわ」


「⋯⋯まさか」


 エルシャンは呆然と目を見開く。そんなエルシャンにシイクとエユレユは当然のように告げる。


「話は通してある」


「皆が貴女に協力するわ、エルシャン」


 ソフィとエルシャンは、再び顔を見合わせた。


「マスター、これは」


「ああ」


 驚きを隠せない様子のソフィに、エルシャンは微笑んで頷くと、顔を上げてシイクとエユレユに視線を向ける。


「あなた達はボクの誇りです、父様、母様」


 そう言ったエルシャンに、二人はまた僅かに首を傾げるのだった。

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