第241話 抗えぬ運命⑨
言葉と文字を覚えたミリスが次に向かったのは、ランクSの採掘跡――【
もっとも、ミリスの要望により二人は終始見守っているだけであったが、『
ランクSのマナストーンを手土産に、ミリス達はイーリストに向かう。都市は別に何処でも良かったが、近く、今後の拠点にするには適しており、ネアとラキも気に入っているという都市ならば、ミリスに異論などなかった。
竜人が会いたがっていると言えば、如何に大国の王と言えど無視は出来ず、ミリス達はレイガス・リウォール・イーリストとの謁見を許可された。
二人の準備していたマント――『
強者としての威厳を見せつけろと、ネアとラキの二人には言われていたため、ミリスは少々気合いを入れて臨んだが、そのせいでレイガスは失禁した。
少々のトラブルはあったが、竜人の二人の口添えもあり、ミリスはクイン・ルージョンというもう一つの名を手に入れ、同時にミリス・アルバルマはイーリストの国民となった。
クイン・ルージョンという人物がイーリストにランクSのマナストーンを齎したというニュースは、レイガス本人の大々的発表で瞬く間に広がり、狙い通り採掘者協会からは直ぐに声がかかった。
少々計算外だったのは、レイガスがネアとラキの二人にも、協力する条件を提示した事だ。失禁はしたが、レイガスは当時から中々の精神力の持ち主で、食わせものだったと言ってもいいだろう。
こうして採掘者協会イーリスト支部には、一挙に三人もの傑物達が所属する事になる。
『
そのニュースは世界を騒がせた。
この件で頭を抱えていたのは、支部長のヴェイオン・ライアートだ。『絶対者』に加え竜人族までも抱える事になった彼は、各地からの対応に追われ、文字通り忙殺されていた。とはいえ、常に死相が漂っていたが、それでもヴェイオンはクイン・ルージョンと『双竜』を利用しようとする輩を、必要もないのに律儀に追い払い、三人を必死になって気遣っていた。
一応
その間に、ミリスは所持していたマナストーンと面白みのない『神具』をいくつか採掘者協会を通して売り払い、充分な地位と潤沢過ぎる資金を得た。
早々に採掘者としての地位が煩わしくなり、飽きたミリスは、ヴェイオンには少し申し訳なく思いながらも、『双竜』同様姿を消す。その後各地で時折姿を現していれば、単に『絶対者』は気ままな人間だと思われるだろう。
そして再び資金が必要になれば、彼女の姿になればいい。
ミリス・アルバルマが、自由を謳歌する地盤は頑丈過ぎる程に固まっていた。
後は何の憂いもなく、好き勝手に生きればいい。
「餞別だ」
「いつの日か、機会が訪れればまた会おう」
その時点で、ネアとラキのミリスのお守りも終わった。イーリストより少し離れた誰も居ない森の中で、二人はミリスに二振りの刀を渡しながらそう言った。
『
多くの『神具』を持つミリスだが、武器型の『神具』は初めて手にする。この二つは、ネアとラキが『秘密基地』を無効化する『神具』を探している際に、見つけた出したものらしい。
正しく振れば絶大な切れ味を誇る『白神』に、『神具』を断つ事に特化した『神殺刀』。どちらも『秘密基地』には劣っていたため役には立たなかったらしいそれを、別れの品として二人は記念にとミリスに贈った。
しかし、破格の贈り物だが、『神具』など貰うよりも、ミリスはもう少しだけ二人に側に居てほしかった。
外に出て様々な人物と出会ったが、やはりこの二人と共に居ることが、ミリスは楽しかった。
だが、竜人族の二人にこれ以上は求められない。これだけ世話を焼いてくれただけでも、本来ならばあり得ない事だ。それに、二人も言っているように、何もこれが永遠の別れになるというわけでもないだろう。
二人からの干渉はなくなるだろうが――もうミリスは、自由なのだから。
「うむ、世話になったのぅ。友よ」
ネアとラキはふっと微笑む。
「英雄の子よ、そして我輩らの友よ」
「汝がこれから紡ぐ物語を、我輩らも楽しみにしている」
それだけを言うと、二人はミリスに背を向け高く跳び上がった。
遠ざかっていく二つの背中を見えなくなるまで見送ったミリスは、『
何にも縛られず、何でもできる、広い世界。
ミリスの心は踊っていた。
「さて、父と母に会いに行くかのぅ」
もしかしたら、自分が行けば何か起こるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、まずはミリスは友剣の国を目指すのだった。
◇
「⋯⋯⋯⋯」
誰もが寝静まる早朝と真夜中の狭間の時間に、ミリスは勇者の剣と対面する。
当然ながら他の観光客など居らず、友剣の塔は厳かで神聖な空気に満たされていた。
じわりと胸に染みる温かさと、疑念、不安、複雑な感情が、ミリスの中で入り乱れる。
大戦争を起こした魔王を、英雄である勇者が封印したという話を、ミリスはもう知っている。それが自身の父と母の事であるという事も。
⋯⋯周囲の魔素を吸収し、存在を維持しておるのか。
魔眼を持つミリスには、勇者の剣の持つ力の一端が見て取れた。
⋯⋯母も、父同様バカげておるな⋯⋯。
そして魔装がその力を疑いようもなく、今も発揮し続けているのだとすれば、それを扱う者もまた、今も存在し続けている。
ミリスは、吸い込まれるように勇者の剣へと歩み寄り、手を伸ばした。
「そこに居るのならば、我に教えてくれぬか、父よ、母よ」
煩い程に鳴る心臓、緊張と恐怖、期待に、ミリスの手は震える。
「大体は察しておるぞ。⋯⋯父ではなかったのじゃろう? 戦争など起こしたのは。本当は、何か別のものと戦っておったのじゃろう? いや、もはやそんな事はどうでもよいのじゃ」
頭を振り、ミリスは縋るような瞳を勇者の剣に向けた。
「のぅ⋯⋯父よ、母よ。我に少しだけでもよいから、声を聞かせてくれぬか⋯⋯? それだけで、よいのじゃ⋯⋯それだけで⋯⋯」
ミリスは勇者の剣の柄を、そっと掴み目を閉じる。しばしの間そうしていたミリスは、もう片方の手も伸ばし、両手で勇者の剣に触れた。
そして――
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯何も、応えてはくれぬか⋯⋯」
力なく、ミリスの両手が勇者の剣から離れ、ふらりと垂れる。
暗い声で呟いたミリスは、勇者の剣に背を向けた。
ミゼリオとフュリスは確かにそこに居る。
しかし、何の反応もなければ話などできない。
その事実を受け止める事が出来ず、ミリスはその日以来勇者の剣には触れる事が出来なくなった。
期待していただけに、期待してしまっただけに、落胆はあまりにも大きく、もう一度触れて何も起こらず、二度と話すことは叶わないという現実を突き付けられる事が、酷く怖かった。
そうして、二人が自分が触れた事で目覚め始めた事に気づかないまま、ミリスは逃げる様にその場から去る。
外の世界に出たミリスの、幸福に満ちる筈だった人生は、この時から少しずつ何かがズレ始めていた。
◇
つまらぬ⋯⋯。
おかしいと、ミリスはネアとラキと別れて十数年経った頃、そう思い始めていた。
つまらぬ、つまらぬ、つまらぬ。
初めの内は楽しかったはずの世界が、どんどんと色褪せていく。何をしても、どんな所に行っても、どんどんと満たされなくなっていく。
自由に生きているはずなのに、精一杯毎日を謳歌しているはずなのに――
「つまらぬ⋯⋯」
とある宿屋の一室で、灯りを消し、ベットに仰向けに寝転がったミリスはぽつりとそう呟いた。
「何故じゃ⋯⋯」
自分はこの世界に飽きてしまったのだろうか。
何もかもに、期待し過ぎていたのだろうか。
だからこんなにも――つまらないのだろうか。
ミリスはゾッとする。
いっその事もう死んでしまおうかと一瞬脳裏を過ぎった、自分のその考えに。
「ッ⋯⋯!」
ベッドから飛び起き、窓際の机に向かった。
何か、何か早く楽しい事をしなければならない。何でもいいから満たされる何かを見つけなければならない。
そうしなければ――
「あの中に居った時と、同じではないか⋯⋯」
ぽつりとそう呟き、崩れるようにミリスは椅子に腰掛けた。
そして、適当な紙とペンを手に持つ。
――ほう、絵を描いておるのか。
――ああ、我輩ら竜人族は、その時その時を絵にし記録する。
――ふむふむ。
――やってみるか?
かつて交わしたネアとラキとの会話を思い出し、のろのろとミリスは紙に歪んだ線を描き始めた。
「⋯⋯悪くはないのぅ」
少なくとも、時間潰しにはなる。
そうして完成した絵を、ミリスは両手で持ち上げて眺めた。
「ま、最初はこんなものじゃ」
紙はただ、ぐちゃぐちゃに黒く塗り潰されているだけであった。
◇
自分で楽しい事を見つけられないのならば、自然と楽しい事が起こるのを待つ。
時間潰しには絵があるのだ。
考えに考え、ろくな案も具体的に浮かばなかったミリスは、イーリストの商業区に、一軒の店を持った。
狭い路地の先にある、如何にも寂れた店舗を購入したのは、こんな所だからこそ、予想もつかない出会いが訪れると信じたからだ。
なんでも屋――『
この店が、退屈な人生を変えてくれるはずだ。自身ではもう、楽しみを見つけられなくなりつつあったミリスの、最後の悪あがきのような店だった。
開店当初、ミリスは期待しながらただ待った。時間は幾らでもある。それに『秘密基地』と違い、近くは人で溢れているのだ。あの時とは違う。
そう思いながら、ミリスは心を埋めてくれる何かを待った。
しばらく経ち、流石に人が来なさ過ぎると思い始めた。しかし相変わらずいい案は浮かばず、とりあえず看板を描いて待った。
半年が過ぎ、もう期待はしていなかった。
極たまに訪れる客も、退屈を一時的に誤魔化せる程度でしかない。気分転換に出掛けても、もはや何も楽しめなくなっていた。
一年と、少しが過ぎた。
「今日も何もなければ、終わりじゃのぅ」
死ぬ準備はできていた。
最後にもう一度だけ、どうせ死ぬのならば父と母に会いに行くかと考え、ミリスはカウンターのソファに座り軽い口調でそう呟く。
もう目に映るものは、何もかもが褪せてしまっている。これ以上つまらなくなってしまう前に、終わらせたかった。今更ネアとラキに再開したとしても、このつまらなさは消えないだろう。
一度失った色は戻らない。
ミリス・アルバルマは、せっかく出られた外の世界に、完全に飽きてしまったのだ。
心を揺さぶられるものが、驚く程にもう何もない。
『秘密基地』から出た瞬間の感動を味わってしまったせいなのだろうか。
何故かは分からない。ただ、物足りなくつまらないのだ、この世界は。それに、気づいてしまったのだ。
日が落ち、窓の外をぼんやりと眺めたミリスは、一つ息を吐いて立ち上がろうとして動きを止めた。ソファに座り直し、腕を組んで来客を待つ。
まあどうせ⋯⋯つまらぬじゃろうがな。
何処までも期待せず、ミリスは扉へと視線を向けた。両開きの扉が開き、カランコロンとドアベルの音が鳴り響く。
――そもそも、お二人のネタはミリス様の教育に良くないんですよ。
――僕は、あの子にはお二人と違って変人に育って欲しくないだけです。
――正直もう、こんな仕事辞めてやろうかと思ってますから。常に。
褪せていた世界が、じわりと色を取り戻す。
――でもね、ミリス。あの人は何時でもミリスの事を想ってくれてる。口では何だかんだ言っても、私たちの事を⋯⋯何時も⋯⋯。
徐々に徐々に、輝き始める。
――父のお仕事が終われば、あやつにも会えるのかのぅ母よ。
欠けていたピースが嵌るかのように。
足りなかった世界は、光を放った。
ミリスは震える口元、流れそうになる涙を堪えて、笑みを浮かべる。
心を落ち着かせて、瞳を輝かせて、呆然としたように自身を見つめる――両手いっぱいに釣具を抱えた男に、感謝と胸に広がる不思議な温かさを感じながら、震えてしまわないように声をかけた。
「ようこそお客人、我が城へ」
少し仰々しく、興味を持ってもらえるように。この上ない期待に膨らんだ胸で、問いかける。
「さて、貴様の悩みはなんじゃ?」
ああ――おもしろいのぅ⋯⋯。
嘘のように鮮やかに染まった世界の中で、そう思いながら。
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