第205話 抗えぬ運命⑦


「しっかし、あの女はなんでこんな時に限ってノイルの前に現れねぇんだ」


 頭の後ろで両手を組み、空を見上げながら馬車さんが呆れたような声を発する。

 僕たちの話し合いはようやく滞りなく進みつつあった。


 今では魔法士ちゃんが目隠しと猿轡まで施されているからだ。今回精神が非常に不安定になっている彼女には、心苦しいが必要な措置であった。


 水着姿でロープと鎖で椅子に縛られ、目隠しに猿轡をされた魔法士ちゃんからは色んな意味で犯罪臭が漂っている気がするが、努めて気にしないようにする。


『ノイルさん⋯⋯後で、ちゃんとやりますからね⋯⋯』


 そんな状態でも魔法士ちゃんは僕に話しかけてきているからだ。頭の中に直接声が響いてくるんだよね。なんだこれ。


 とうとう魔法士ちゃんはテレパスまで会得したのかと思ったが、冷静に考えてみればまあこの魂の世界ならば、声を用いず会話ができてもおかしくはないだろう。僕の頭はおかしくなりそうだが。


 あと、ちゃんとやるって何をだろう。

 何をちゃんとやるんだろう。


『愛の証明です』


 そっか、愛の証明か。

 なるほどね、何をやるんだろう。


『当然セック――』


 頭の中に響く魔法士ちゃんの声から意識を切り離すように、僕は一度頭を振った。何かまだ言いかけていた気がしたが


『スです』


 強引に言い切られた。

 僕の貞操は今度こそダメかもしれない。


『セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックス私とのセックスセックスセックスセックス私とのセックスですセックスセックスセックスセックスセックスセックスやりましょうセックスセックスセックスセックスセックスノイルさんはセックスセックスセックスがしたくなる』


 ダメだ意識に擦込もうとしてくる。

 強靭な意思の力を感じる。


 僕はセックスに溺れそうになる頭をもう一度振って、もう延々と響く魔法士ちゃんの声については諦めて、皆との会話に集中することにした。


「いつもみたいに呼び出せねぇのかノイル? 何か『神具』も受け取ってたろ?」


「それは――」


「無理だろうね」


 僕の様子を見兼ねたのか、呆れたような顔で変革者が代わりに馬車さんへと答えてくれる。


「そもそも、今までも別に彼女はいつでも呼べば来てくれるわけではなかった。気が乗らない、自分が行かないほうが面白くなる、そういう時はノイルがいくら呼ぼうとも来なかったじゃないか。今回は最初から旅に同行せず、友剣の国に到着してもノイルに会いにすら来なかったことを考えても、何かよほどのことがノイルに起きない限りは姿を見せないだろうね」


「いや⋯⋯よほどのことはこの二日の間に起きまくってると思うんだが⋯⋯」


 馬車さんが難しそうに眉根を寄せる。

 うん、それはその通りだ。一般的な観点で見れば、ここ二日の僕は怒涛の日々を過ごしていた。今も過ごしてる。起きた時本気でどうしようか悩んでる。


 変革者が馬車さんへと苦笑して肩を竦めた。


「彼女にとっては些事でしかないんだよ。あの『神具』はあくまで保険で渡したものだろう。命の危機などが迫った場合のね。馬車もこれまでを見ていればわかるだろう? 彼女には何が起ころうがノイルは絶対に自分のものだという自負があり、矛盾するようだけど過干渉かつ放任主義なんだ。四六時中ノイルの側に居るのは当然だが、ノイルに関わる全ての事柄を自分の力で捻じ曲げる事は良しとしない。彼女にとっての大事は、ノイルと無理矢理に引き離されること、ノイルに本気で嫌われること、ノイルの命が危機に晒されること、ノイルの自由が完全に奪われること、この四つだけだよ。それ以外は彼女の中では大した問題にならないんだ」


「わかるが、わけわかんねぇな⋯⋯」


 馬車さんの気持ちは良く理解できる。店長の感覚は店長にしかわからない。でも変革者の言うとおり、この二日間の出来事はあの人にとっては許容範囲にしか過ぎないのだろう。本当にわけがわからない人だ。


「そうかな? 自分はそれなりに共感できるけどね」


 しかし、変革者はおかしそうに笑ってそう言うと、僕へとそのまま微笑みかけた。


「自分と少し考え方が似ているよ。つまりはノイル・アーレンスという人間の行動、それを取り巻く人間関係、環境、その他諸々含めて、全てが好ましいということさ。自然体のノイルが一番なんだよ。自分と違うのは、自身が手を出す時は幾らでも出すというところかな。自分は見ているだけで充分幸福だからね。もちろんノイルが望んでくれるならなんでもするけど」


 やだ、そんなこと言われたらドキッとしちゃう。


『ノイルさん、それはどちらにですか?』


 もちろん変革者にだよ。


 ずっと僕の意識に擦り込みを続けていた魔法士ちゃんに間髪入れずに訊ねられ、僕は即答した。

 ははっ、まったく魔法士ちゃんは怖いなぁ。ほんの軽い冗談だというのに。


 だけど流石の僕でもこの答えは間違えないよ。変革者ならギリセーフだ。セーフのはずだし、これは本心だよ。


『どちらにしろ、後で私以外のことは考えられないようにしますけどね』


 ああそっちかぁ。

 正解はないやつね。

 そのパターンならそのパターンだって最初から言ってくれないとさぁ⋯⋯どうしようもないじゃん?


 まあ僕が不用意な発言をした時点でどうしようも⋯⋯発言してないなぁ。一切声には出してなかったなぁ。ならもう本当にどうしようもないや。


 やるね! 魔法士ちゃん!


 だけど次はこうはいかないぜ、ここからはおふざけなしだ。


『次はありませんよ?』


 あーそっかぁ⋯⋯。

 もうないかぁ、次。

 そのパターンのやつね。


『すみませんノイルさん。私は余裕のない女なので』


 うんうん、僕も僕も。

 僕も余裕ない。


『変革者くんやあの女や自称余裕のある女さんと違って、たとえ迷惑でもノイルさんに私以外のことは考えて欲しくないんです。自制がどうしても利かなくなるんです。だから許してくださいとは言いません。大人しく抱いてください』


 うん⋯⋯?

 最後はどうしてそうなったのかな?


『愛しているからです』


 あ、はい。


『逆に訊きますけど、ノイルさんが私を抱かない理由ってありますか?』


 逆に訊いちゃうんだ。


『ありませんよね? ないですよね? あるはずがありませんよね? もしもあったら私は二度と立ち直れないと思いますけど、そうなったら慰めるために抱かないといけないので、やっぱりありませんよね?』


 おっと魔法士ちゃん、基本がなってないよ。

 質問するなら選択肢は先んじて潰しちゃだめなんだよ魔法士ちゃん。質問の意味がなくなるからね。

 ルールは守らなきゃ。


『恋にルールはありません』


 確かに。

 ごめん、僕が悪かったよ。


『大丈夫ですよ』


 そっか、じゃあその質問の答えも後で大丈夫?


『はい、後で身体も使ってたっぷり話し合いましょう』


 ありがとう!

 じゃあとりあえず、皆心配そうにこっち見てるから話し合いに戻るね!


「どうやったら止められるんだ⋯⋯こいつ⋯⋯」


 僕が強引に魔法士ちゃんとの会話から意識を戻すと同時に、馬車さんが完全に拘束されている彼女を恐々としたような表情で見ながらぽつりと呟いた。妹に向ける顔ではない。

 皆に魔法士ちゃんとの会話は聞こえていないはずだが、僕の様子から何が起こっているのかはだいたい察しているのだろう。


『とはいえ⋯⋯業腹ですが⋯⋯良くも悪くも抑止力になっているあの女が居なかったせいで、ノイルさんの周りでは害虫が活発化してしまったんですよね⋯⋯まったく⋯⋯まあ、私が身体を手に入れた暁には、二度とこんな真似はさせませんけど』


 当の魔法士ちゃんはドン引きしている皆を気にした様子もなく、怨嗟の込められたような声でぶつぶつとそう呟いていた。


 思わず身震いするような声だが、言っていることは間違ってはいない。店長が抑止力となっていたのは一種の事実だ。この二日間でそれがよくわかった。


「まあ⋯⋯ミリス・アルバルマが姿を見せない件については、さほど気にする必要はないだろう」


 腕を組んだ守護者さんが一度魔法士ちゃんを見て諦めたように頭を振ると、そう言って疲れたように一つ息を吐く。


「そうね、友剣の国に居ることは間違いないのだし、麗剣祭には必ず参加するのだから、そこでノイルちゃんが話をすればいいわ。今は『魔王』への対策について話しましょう」


 同じく一つ息を吐いた癒し手さんが、守護者さんに同意し、皆気持ちを切り替えたのか一様に頷いた。


「うーん⋯⋯対策と言っても⋯⋯私たちの記憶がちゃんと残ってたら、色々と考えられたんだろうけど⋯⋯今の状態じゃ情報は殆どないのと同じだし、結局相手を探りつつ対応していくしかない、のかな。『魔王』がいつ動き出すのかもわからないし⋯⋯」


 狩人ちゃんが顎に手を当てながら難しそうに眉根を寄せる。


「いや、たとえ俺たちの記憶が残っていようが、あまり役には立たなかっただろう。推測される奴の性質上、取り込む相手によって力も戦い方も変わるはずだ。かつて俺たちが戦ったのは、マオーに憑依した『魔王』に過ぎない」


 ややこしいな。自分でつけておいてなんだが、もっとマオーさんのマシなあだ名なかったのかな。


「おまけに、自分たちが『魔王』に敗れたように、奴もアルバルマ夫妻に敵わなかったと言ってもいい。敗北の経験を積んだのなら、前回とは手を変えてくるはずだ」


 守護者さんに続き変革者が、愛らしい面貌を珍しく忌々しげに歪ませる。それも無理はないだろう。皆の宿敵である『魔王』は、考えれば考える程厄介な存在だ。


 奴の戦略戦術の幅は、この世界に住む人の数と同じだと言っても過言ではない。取り憑く人を変えることで幾らでも新たな力を得ることができ、人どころか、あらゆる生物へと憑依ができる可能性もあるのだ。そんな相手にまともな対策など立てようがないだろう。


 はっきりと有効な手段は、『魔王』が誰かに取り入る前に叩くことくらいなものだ。しかし敵もそれは理解しているはずで、何よりマオーさん程の強者がろくな抵抗もできないのであれば、『魔王』が人に憑依する条件はさして難しいものでもないのだろう。


 おそらく奴が単体で動くことは殆どない。常に何かや誰かに寄生し行動するはずだ。意思と知性を持っているのならば、そうしない理由がない。本体だけと戦う状況を作ることは難しいだろう。


 要は動き始める前に叩いておかなければ、後はこちらが後手に回り対応するしかないような能力なのだ。打たれた手に対処する他ない。

 そして既に僕がターゲットになっているのならば、『魔王』はもう動き始めているものと考えたほうがいい。


「質が悪ぃなんてもんじゃねぇな」


 馬車さんが頭をかきながらぼやく。


「うん、でも⋯⋯やっぱり《六重奏セクステット》の力は通用すると思う」


 頷きながらも、僕は顎に手を当てて思考を巡らせる。


「正確には、変革者ちゃんの魂に干渉する力・・・・・・・、ね」


 僕の発言を補足するかのように、癒し手さんが誇らしげに微笑んでそう言った。


 そう、考えれば考えるほど厄介な相手ではあるが、同時に変革者の能力は『魔王』に対して絶大な効果があると思える。


 人に憑依し精神を支配する。

 奴はどうやって、どういう原理でそれを成しているのか。


 その答えはおそらく――魂への干渉だ。肉体へ侵食するのではなく、魂を奪うことで憑依した人間を支配している。


「うん、だからこそ彼は『魔王』に敗北した自分たちにそれでも希望を見出し、おそらくはかなりの無理をしてまで一時的に支配を逃れ、生かしてくれた」


 変革者は自身の手のひらを見つめる。


 装人族の時代――当時の基準で考えれば、皆の他にも強者は多かったはずだ。『六重奏』より、単純な実力だけなら上だった人々が居ても不思議ではない。その中で皆を生かした理由は、考えるまでもなくその力が『魔王』に届くものだったからに他ならないだろう。


 そもそも、支配された存在を倒したところで、『魔王』も滅びるとは考えづらい。傷を負おうが命を落とそうが、それは『魔王』自身ではないからだ。支配していた器が倒されたのならば、また別の――なんなら倒した相手にその場で憑依してしまえばいい。流石にそこまでできるとは考えたくもないが、もしそれすらも可能な存在ならば普通のやり方では倒せない。


 しかし魂へと干渉する力ならば、それを皆で高めることができる『六重奏』ならば、『魔王』の――天敵になり得るのではないか。


「当時の彼がどこまで想定していたのかはわからない。けど、自分たちはこうして再び『魔王』と対峙する機会を与えられた。一度目と違い、奴の存在も知っている。これは大きなアドバンテージだ。次は同じ結果にはならない、させない」


 ぐっと拳を握り、変革者は皆へと決意の込められた瞳を向ける。


「だが同時に奴もまた、俺たちのことを知っているはずだ。だからこそノイルをこれまで直接狙わなかった」


「だけどよ、そりゃつまり、俺たちが中に居りゃ、ひとまずノイルには手出しできねぇってことだよな」


「ああ、だからノイル」


 守護者さんと馬車さんに頷いた変革者が、少し申し訳なさそうな表情で僕を見た。


「せっかく身体を用意してくれているところすまないけど⋯⋯『魔王』の件が片付くまでは、そうでもしないといけない理由がない限りは自分たちは全員で外には出ない。最低でも誰か一人は残る。君がいくら自分たちを解放しようとしても応えない。ここでの記憶がはっきりと残らないということはわかっているけど、これだけは心に刻んでおいてくれると嬉しい」


 僕は変革者へとゆっくりと頷く。


「大丈夫、皆が僕を守ろうとしてくれていることは、絶対にわかるから」


 そもそも、皆と共に現実の世界で過ごしたいというのは僕のわがままだ。謝る必要などないし、むしろそれ程までに僕の身を案じてくれている事には感謝しかない。

 この世界での記憶は確かにはっきりとは残らないが、この気持ちは忘れないだろう。


 僕が微笑むと変革者も安心したような笑みを浮かべた。


『今思ったんですけど、記憶に残らないのならノイルさんは何の気兼ねもなくこの世界で私を抱いてもいいのでは?』

 

 クズかな?

 とんでもないどクズかな?


 僕はそんなことはとても魔法士ちゃんにはできないから無理だよ。魔法士ちゃんは大切な人だからね、無理だよ。だからちょっとセックスから離れようか?


『もう⋯⋯ノイルさんったら。大切な人だなんて⋯⋯そんなこと言われても私の全てしか出せませんよ?』


 大盤振る舞いだなぁ。

 魔法士ちゃんは気前がいいね!


『もうこれは後でセックスするしかないですよね? ノイルさんが悪いんですよ? 私に火をつけちゃいました』


 火はずっと燃え盛ってた気がするけどなぁ。


 まあまあ魔法士ちゃん、今は『魔王』の話をしようよ。そうしてくれたら嬉しいな。


『ノイルさん、その程度の言葉で操られるほど私は簡単な女じゃありませんから』


 さっき簡単に全てを出してた気がするけど、ごめん。確かに今のは僕が悪いね。


『傷ついたので後でセックス決定です』


 ダメだ、どう足掻いても一つの結果に収束してしまう。


『そうなる運命ですから』


 心も読まれるし。

 やれやれ、魔法士ちゃんには敵わないぜ。


『ベッドの上では多分私が負けちゃいますけどね』


 僕は頭の中に響く声を聞きながら、多分次に会った時はもう、魔法士ちゃんから逃げられないと思うのだった。

 

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