第193話 連戦
学園長の髭を幾本か毟り取った後、無事とは言えないかもしれないが、無事に食事会は終了した。髭を毟り取られながらも学園長は笑っていたので僕は釈然としなかったが、まあ協力を取り付ける事ができたので良かったとしよう。
フィオナに関しては起こしてはダメだと本能が告げていたので、とりあえず学園長に任せてお店を出た後、僕は一度『ツリーハウス』に戻り入念にシャワーを浴びた。
何故かって? この後の予定に間違いなく差し支えるからさ。
シャワーを浴びた後に鏡で自分を見て、首元に残る複数の跡に絶句したが。
『ツリーハウス』に誰も居なくて本当に良かった。迎えに来たソフィに治してもらえて本当に良かった。彼女には頭が上がらない。まあ多分、もう皆にはバレているが。
僕くらいになるとわかるんだよね。視られてるよ何処かから。フィオナと学園長との会食の席までは流石に覗いていないだろうが、お店を出てからは絶対に視られている。
一応それぞれの用事に付き合う条件として、お互いに余計な干渉はしないという取り決めになってはいるが、監視はしっかりついているという確信がある。後々どうなってしまうのかはわからないが、もうなるようにしかならない。全員の用事が済むまで、干渉禁止の条件を渋々彼女たちが呑んでくれただけ良しとしよう。
やり過ぎない、という条件は一番手のフィオナが軽く破り捨ててしまったので、もはやそれを守る者は居ないだろう。というより、端から彼女たちは守る気はなかったのだと思う。
おかしいな、皆が決めた事なのに。
つまりこの先、僕は自衛に努めなければならないわけだ。皆間違いなく好き勝手やってくる。フィオナの時のように、結婚の確約を取られるわけにはいかない。既に逃げ道はなく、責任が全力で僕を縛り付けているが、まだ⋯⋯まだなんとかなるはずだ。
僕は気合を入れ直して――エルの両親との会食に臨んでいた。
はっきりと言って学園長との会食よりも、遥かに難度は高いだろう。全く面識のない相手だし、どう出てくるかわからない。学園長にいいようにやられてしまった僕ではどうにもならない相手かもしれないが、今回もやらかすわけにはいかない。
「母様、父様、こちらがボクの婚約者である、ノイル・アーレンスです」
あ、ダメだわこれ。
僕がやらかすとか関係ないわ。
結婚の約束とかじゃなく、既に婚約者の紹介だもん。どうしようもねぇわ。
エルは実に朗らかな笑顔で、対面に座るご両親に僕の紹介をした。
あとさ、何でフィオナといい、エルも当然のようにしなだれかかってくるんだろうね。ご両親の前でやるような事ではないよね。初対面の男に娘が密着してるの見たお二人の心境とか、考えてる? 僕は考えたくない。
それにエルはダメだって。フィオナはもうある程度の慣れがあるけどさ、エルはダメだって。くっつかれている僕の気持ち考えてる? 考えなくてもいいよ。
まあ最近の僕は⋯⋯何だか自分でも嫌な感じに女性というものに慣れてきてしまっているため、辛うじて耐えられるが。
人間ってすげぇや。何にでも順応していけるものなんだぜ。クズかな?
「そしてこの子がボクら二人の娘、ソフィ」
くそ、ソフィが居てくれるならば希望があると思っていたが⋯⋯この調子じゃ厳しい戦いになりそうだぜ。
エルは僕にしなだれかかったまま、反対に座るソフィの頭を撫でる。ソフィもエルに合わせているのか、僕に身を寄せて両手でいかにも愛らしく僕の服を掴んでいた。
ダメだわこれ、はめられてるわ。
あとね、あとさ⋯⋯店が一緒。
さっき見たわここ。
学園長と食事したわここで。
なんで同じお店の同じ個室なんだ。
もう僕この部屋嫌い。
僕は、畳が好きなだけなんだよ。
せっかくシャワーを浴びたのに、僕は早速だらだらと冷や汗を流しながら、対面に座るエルのご両親を恐る恐る見た。
うん、わかってはいたけど、やはりとてつもない美形だ。母親の方はエルによく似ている。黄白色の長い絹のような髪に、翡翠の瞳。年齢ははっきりと言ってわからない。エルより少し歳上程度にしか見えず、姉妹だと言われたほうが納得できるだろう。
父親の方は
二人とも似たような袖の長いどこか民族的な服を着ており、普段エルが着用している衣服は、これをベースにしているのだろう。
しかし、この二人⋯⋯びっくりする程感情が読めない。表情が全く変わらない。人形だと言われれば信じてしまいそうな程に無表情だ。
今何を考えいるんだろう。やはり粛清かな?
「ただ今ご紹介に預かりました。ソフィ・シャルミルと申します。よろしくお願い致します」
「あ、の、ノイル・アーレンスです。よろしく⋯⋯お願い致します」
愛らしい子供を演じながらも、しっかりと挨拶をするソフィの真似をして、僕も慌てて頭を下げた。でも、何をよろしくお願いするんだろう。粛清かな?
じっと僕らに視線を向けていたエルのご両親は僕らの挨拶に一度頷き、ふとエルの方へと視線を向けた。
「エルシー、ディフローグマ、リセユー、フィア?」
「ビュテマ、ワスイント? フローグカノシー」
そして、無表情のまま何やらエルに話しかけると、僕へと視線を戻し僅かに首を傾げた。今のは⋯⋯
二大同盟国であるネイルの魔人語と、キリアヤムの獣人語ならば堪能とは言えないまでもある程度はわかるんだけどな。森人語はさっぱりだ。
「今のは簡単に訳すと、『エルシャン、このカエルに似た人が、あなたの婚約者?』『美しい人ではなかったのか? カエルにしか見えない』とおっしゃられています」
ソフィってすげぇや。
彼女は小さな声で、すぐさま僕にエルのご両親の言葉を翻訳してくれた。ソフィって既に僕の百倍くらいは頭良いんじゃないかな。
エルが苦笑する。
「二人とも、それではノイルに伝わりません」
多分、わかっててやったんじゃないかな。面と向かって言わないように、気を遣ってくれたんじゃないだろうか。思ってもあなたカエルに似てるなんてドストレートに言わないでしょ? 本人が居る場で。
「ふむ」
ほら、二人とも首を傾げた。
無表情だけど、一応考えてくれているらしい。まあそういう事なら。
僕はソフィの頭を一度撫でた後、エルのご両親に向き直おり――
「実はいつもは姿を偽ってるんですよ」
クールな表情で思いっきり嘘を吐いた。
学園長の時は既に知られていたため『
凄いだろう、この異物感。
この場にはもちろん、到底エルにはそぐわない存在だろう。さあ、言っていいんですよ。お前はエルには相応しくないと。婚約はなかったことにしましょう。
「そう」
「そうか」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯それだけ?
もっとこう⋯⋯あるでしょう。
いいんですか? カエルですよ?
くそ、何を考えているのか全然わからない。今どんな感情でこの二人は僕を見てるんだ。
「ふふ、ノイルは冗談が好きなんです。ほら、ノイル」
エルは可笑しそうに笑うと、僕の頬に手を伸ばしてきた。僕がそっと顔を逸らすと、何故か彼女は瞳を瞬かせる。
「ああ、そういうことか」
そして何故か得心がいったかのように手を打った。嫌な予感がした。
「照れているんだね」
「いや全然」
「恥ずかしがる必要はないよ、ノイル」
「いや全然」
「大丈夫、キミはどこに出しても恥ずかしくない夫だ」
「いや全然」
エルは艶やかな笑みを浮かべると、何故か僕の正面に回り込んだ。既視感あるなこの体勢。まだ記憶に新しいな。やったやった、この部屋で。皆一瞬で僕の正面に回り込む技術でも体得しているのかな?
同じ部屋で違う女性と同じ体勢になるとか、クズかな?
しかも二人とも婚約者らしいぜ。クズかな?
しかしソフィは流石だなぁ、エルの動きに合わせてさっと身を引けるなんて。さては練習したなぁ。
エルの両親はこれを見ても無表情だし。わからない。僕にはもう何が起こっているのかちっともわからない。
この一室はきっと呪われているんだ。
「さあノイル⋯⋯キミの顔を見せて欲しいな」
甘えるように、エルはそっと僕の頬に触れた。これは本当に今一体何が行われているのだろう。僕の頭は正常なのだろうか。
幸い意図せぬ予習を経ているおかげで、ノイルくんは大人しい。
これ以上何かされる前に『蛙面』を外すべきだろう。
「ふっ仕方ないな⋯⋯」
僕は出来るだけクールを装い『蛙面』を外した。エルのご両親は変わらず無表情だ。滑ったみたいになった。
「ああ⋯⋯ノイル⋯⋯」
しかしエルは大層満足したようで、うっとりとした様な表情で僕を見つめると、何故か瞳を閉じた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「だ⋯⋯の⋯⋯パパ、キス待ちだよ」
無理しなくていいよソフィ。わかってるから。パパって呼ばないで、お願い。それは本気でマズイから。
僕はとりあえず、目の前で瞳を閉じて僅かに口を前に出しているエルは置いておき、例のお二人に視線を向けた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
ちくしょうまるでわからん。黙ってないで何とか言ってください。この狂った状況に今あの二人はどんな感情を抱いているんだ。
「あの⋯⋯止めないんですか?」
「なぜ?」
なぜ⋯⋯? 何故⋯⋯?
何故なぜと逆に問われたんだ⋯⋯?
これは何だ、誰か説明をしてくれ。頼む。
「それは、本人の意思だ」
「いやだからって⋯⋯良くないですよこんなの⋯⋯」
「なぜ?」
ちくしょうこの空間はもうダメだ。
何だこの二人。天然なのか? 果たして僕らの会話は成立しているのかこれ。
⋯⋯ああそうか。もしかして精霊と会話ができたのならば、こんな感じになるのだろうか。感性とか常識がズレているというレベルではない。根本的に考え方が違うのだろう。
こうなれば力尽く⋯⋯は無理だこれ。風が僕らの周りに渦巻いているもん。
「エル、ご両親も見てるし、流石に恥ずかしいからさ⋯⋯」
「なぜ?」
もうヤダ。
何とかいい感じに説得しようとすると、エルのお母様はいらんタイミングで割り込んできなさった。
「エルシャンからは日課だと聞いている」
それ嘘ですよ、エルのお父さん。
だって僕の日課には存在しないもん。
「私たちに遠慮しないでいい」
「好きにやりなさい」
やってたまるか。
どうやらこの二人はあらぬ誤解をしているようだ。エルと僕が毎日こんな事やってると思ってるの? やっていたとして、親御さんの前でやってたまるか。
しかしどうすればこの窮地を脱する事ができる? エルはエロい意味じゃなくテクニシャンだ。フィオナと違い身体能力も優れている。彼女を引き剥がせる気がしない。必死に顔を上げて抵抗しているが、エルは全く諦める気配がない。ずっとキス待ちしてる。
体勢的にも明らかにマズイ。いくら予習があったとはいえ、ここまで密着されてノイルくんが長時間耐えきれるわけがないのだ。だって僕の息子だぞ。
どちらが良いと言うわけではないが、フィオナとの感触の違いも非常にノイルくんの教育によろしくない。ダメだ、遠からず息子は非行に走る。
くそ⋯⋯早く、早くなんとか――
「それでは皆様、ご唱和下さい」
ソフィさん?
突如わけのわからぬ事を言い始めたソフィに、僕は思わず顔を向けた。彼女は顔の前に両手を上げると――
「はい、キース、キース、キース」
何か手拍子しながら言い始めた。
「ソフィさん?」
「キース、キース、キース、キース」
やめなさい? 盛り上げるのやめなさい?
それはエルのサポートのつもりなのかな? やめなさい?
しかし、ソフィは淀みないリズムで場を盛り上げ続ける。
「キース、キース、キース」
「キース、キース、キース」
!?
エルのお母様が無表情で乗っかった。
「キース、キース、キース」
!?
エルのお父様も無表情で乗っかった。
ねえそれどんな感情なの?
どんな感情で手拍子してるんですかそれ?
「キース、キース、キース、キース、キース、キース」
「や、やめ、やめろぉぉぉぉ!」
無表情でキスコールをしてくる三人に、僕は思わず声を上げた。
「⋯⋯⋯⋯ちゅーう、ちゅーう、ちゅーう」
そういう事じゃない。言葉を変えろと言ったわけじゃない。しかも変わっているようで全く変わっていない。
ソフィはともかく、そこのお二人。
森人族にとって口付けって重要なものじゃないのか。森人族のトップでしょあなたたち。今すぐコールをやめなさい。粛清していいですから。ていうか何で乗った。何で乗った。
「キース、ちゅーう、口付けちゅーう」
しかも何で度々変わるコールなのに息ぴったりなんだよ。初対面だよね?
というか本当にそろそろやめないと――
「まったく仕方ないなノイルは」
ほら、エルが盛り上がっちゃった。
僕はぜんまい仕掛けの人形のように、目と鼻の先にあるエルの顔見る。彼女は頬を染めてはにかんでいた。
「ボクからして欲しいんだね」
「いや全然」
僕の声は彼女には届かず、非常に平坦な声で続けられるコールの中、場違いに熱い口付けが交わされるのだった。
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