第194話 抗えぬ運命②


 エルのご両親の名は――母親はエユレユ・ファルシード、父親はシイク・ファルシードというらしい。


 ソフィの情操教育に大変よろしくないエルとのキスを終えた後、マイペースに淡々と二人は自己紹介してくれた。

 今は二人とも、手に箸を持ったまま無表情で停止している。停止しているという表現はおかしいかもしれないが、停止している。


 どうやら箸は普通に使えるらしいのだが、何故かローテーブルの上に並んだ料理には、一切手をつけようとしない。一体何をしているのだろうか。食べないのなら、何故箸を持ったのだろうか。僕にはこの二人の事がどこまでも理解できなかった。


「あの⋯⋯エル? お二人は一体何を⋯⋯?」


 僕は何故か僕の膝の上でやたらツヤツヤしているエルに訊ねた。もはや彼女を僕の膝の上から下ろす事は諦めている。まあ今は向き合っているわけではないので、問題しかないが問題ないだろう。


 僕の胸に背を預けていたエルは、顔を上げて僕へと笑みを向けた。エルって以前『精霊の風スピリットウィンド』の屋敷で恋人として過ごした時も思ったが、普段の凛とした姿からは想像できない程に甘えてくるんだよな。かなり子供っぽい。


 まあ態度に反して、何もしないでいい程に身の周りの世話もしてくれるのだが。エルはあれだな、尽くすタイプってやつだな。尽くした分思いっきり甘えてくるタイプだ。きっと彼女と結ばれる人は幸せだろう。

 相手のトイレまで監視するという悪癖はあるが、僕の膝の上に居ていいような存在じゃないよやっぱり。下りてくれないけど。トイレ覗くのもやめてくれないけど。


「ああ、あれは今、先に精霊にマナを与えているんだよ。精霊に与えた分のマナを、食事で補う。その方が効率的だろう?」


「なるほど」


 無表情でやるのやめてくれないかな。確かに理には適っているけども。無表情でやるのやめてください。もっとこう、精霊とも和気藹々と食事しませんか? 時が止まっているようにしか見えないよ。


 この食事会で一つわかったことは、エルは森人族の中でもやはりかなり特殊な存在だということだ。エルのご両親がスタンダードな森人族だと言うならば、彼女は失礼な話、突然変異か何かだろう。


 森人族がシャール大森林から滅多に出ることがないというのは常識だが、彼らはきっと特段拘りがあるわけでもないのだ。マイペースに生きているだけで。良く言えば自然体、悪い言い方をするのならば、適当。そこに生まれたからそこに住んでいるというだけだと思う。

 確かにエルに良く聞く精霊の生き方に似ている。


 うん、これはあれだな。あの蝋燭が必要になるのも頷けるな。きっとそうでもしない限り、彼らはマイペースに生きすぎて、種の存続すら危ういだろう。子孫は残さねばならないが、気が進まないからやめとくって平気でやりそうな雰囲気がある。


 なんだろうな、僕としてはすごく好感が持てる生き方の筈なのだが、エルのご両親と上手くやれる気がしない。

 未だまともに会話すら成り立っている気がしない。そもそもこのお二人に僕への興味関心はあるのだろうか。それすらも不明だ。


「気にしないで」


「食べなさい」


「あ、はい」


 一応こちらの話は聞いているらしい。エユレユさんとシイクさんは、無表情に淡々と告げた。先に食事に手をつけるわけにもいかないと待っていたが、食べてもよかったらしい。でも待ってますよ。だって食べづらいもんこの状況。


 しかもまあ当然だが、並んでいる料理は学園長の時と殆ど一緒だ。つまり食器も同じであり、フォークはない。


 僕さ、その箸とやらを使えないんだよね。何で皆当然のように使えるんだろう。どこで練習したの?


「どうぞ」


「ああ、ありがとう」


「すまないな」


 ソフィってすげぇや。あの微動だにしない二人に平然とお酒を注げるんだもん。そしてエユレユさんとシイクさんは、片手に箸、もう片方の手にオチョコを持ったまま微動だにしない。そういう人形かな? 精霊さん、ちょっと食事急いでもらえる? 本当に悪いんだけどさ、話進まないから。


「だ⋯⋯の⋯⋯パパも」


「ソフィ、わざとやってるよね?」


 しずしずと僕の隣に戻ってきたソフィが、お酒の入った瓶を持ち上げて笑顔を向けてきた。さては楽しんでるなこいつめ。僕は一つ息を吐いて、とりあえずオチョコを手に取った。ソフィが非常にわざとらしく舌をちろりと出し、お酒を注いでくれる。


「ありがとうソフィ」


「いえ、ますた⋯⋯ママもどうぞ」


「それやめようソフィ?」


 何だかソフィのテンションがいやに高い。エルのご両親に会えたからだろうか。でもその呼び方だけは本当にやめてほしい。洒落にならない。


「ありがとうソフィ。でもボクはいいよ。ノイルと一緒に飲むからね」


 エルが微笑んでわけのわからない事を言うと、ソフィは何故か納得したように頷いた。エルは顔を上げて僕を見る。


「ノイル、知っているかな? 男女二人で口をつけて同時に飲むのが、それの正しい作法なんだよ」


 色んな作法があるんだなぁ。

 難しいね、オウカ国の文化は。


「ここは格式の高いお店だからね。礼儀作法はきっちりと守るべきだ」


 じゃあこの座り方ダメじゃない? 僕は良く知らないけどさ、イーリストでも礼儀を大切にするならこんな座り方しないよ?

 それに誰が見ているわけでもないし、守る必要あるかな? ないよね?


 更に言うなら正面を見てみて?

 ご両親は一つずつオチョコ持ってるけど。あれは大丈夫なの?


 まったくエルは嘘つきだなぁ。


「はははっ」


「⋯⋯ん⋯⋯」


 僕は爽やかに笑いながら、手に持ったお酒をとりあえずエルに飲ませておいた。それはそれで抗えなかったらしいエルは、大人しくこくりとお酒を飲む。


「まったく⋯⋯仕方ないなノイルは」


 頬を染めたエルは、そのままオチョコを僕の手から取ってテーブルに置くと、両手でふわりと胸に僕の手を抱きしめる。満たされたようで何よりだが、手は離してもらえないかな。ダメか、そっか。


 まあ⋯⋯上手いこと謎の作法は回避できた。とりあえず良しとしよう。片腕でエルを後ろから抱いているみたいになってしまったが、不可抗力だ。心を無にしろ。


「仲良し、ね」


「二人目はいつできる?」


 やっぱ精霊さんといつまでも食事しててもらったほうがよかったわ。


 唐突に声をかけられて停止していた二人を見てみれば、いつの間にか普通に食事を始めていた。無表情で料理をマイペースに口に運んでいる。


 二人目ってなんだ。

 ソフィには悪いが、エルはともかく僕は彼女の父親ではないし、そもそもエルとの子じゃない。もっと言うならエルと僕は子を成すような関係ではない。


 いやまあその辺りの事はわかって⋯⋯わかっているのだろうか⋯⋯? 本気でソフィを僕とエルの子だと思っていたりしないよね。流石にね。


「パパー」


 やめなさいソフィ。

 おねだりするみたいに服を引っ張るのはやめなさい。パパ怒っちゃうぞ。


「ボクもノイルも今すぐにでも、と言いたいところですが」


 僕は言いたいところじゃないかな。ねえ、何でエルは何もツッコまずに話を続けるの?


「少し障害がありまして⋯⋯『魔王』とやらが、ボクの夫を狙っているようなんです」


 すげぇや、この流れで『魔王』の話始めるんだ。ちょっと確認するけど、今これは真面目な話? 真面目な話だよね。うん、よし切り替えるぞぉ。


「なぜ?」


「なぜ、でしょうね⋯⋯」


 エユレユさんとシイクさんに同時に問われ、僕は嘆息しながらそう応えるのだった。







「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 気まずい。


 『魔王』についての話し合いが一段落し、個室には僕とエルのご両親の三人だけの状況が出来上がっていた。

 何故エルとソフィが席を外しているかといえば、誰にでもある生理現象と化粧直しだ。なんの気はなしに見送ったが、よく考えてみればどちらか一人には残ってもらうべきだった。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 死ぬほど気まずい。


 エユレユさんとシイクさんは一言も発しない。食事も満足したのか、無表情で僕をじっと見つめたまま座っているだけだ。せめて、何かしていてくれればいいのに、何でずっと僕を見てるんだろう。せめて何か言ってくれないかな。何を考えているのか全然わからない。


「あの⋯⋯ありがとうございます」


「何が?」


 沈黙に耐えきれなくなり、とりあえず僕が頭を下げてお礼を言うと、エユレユさんは無表情のまま淡々と訪ねてきた。


「いえその⋯⋯協力を、お約束していただいたので⋯⋯」


「そうか」


 シイクさんが淡々と呟く。会話は終わった。


 エルのご両親は『魔王』の話をすると、考える様子もなく協力を約束してくれた。あまりにもすんなり、「好きにやりなさい」とだけ言って。何を思い何を考え、二人がそう言ってくれたのか僕にはわからないが、エルは「ほら、心配ないと言っただろう?」と少し誇らしげだった。


 それは本当にありがたいことなのだが、二人の中ではもう済んだ話なのだろう。礼は要らないと言わんばかりに、会話は思った以上に広がらずに終わった。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ 」


 しばしの沈黙を挟んだ後、僕は勇気を出してもう一度話しかけてみる。


「あの――」


「何?」


 切り返しが早いな。


 ⋯⋯もしかして、話しかけられるのを待っていたのか? 僕と会話がしたいのだろうか。思えば、ソフィの謎のコールに乗ったのも、あれは距離を縮めようとしてくれていたのかもしれない。大いに間違えているが。


「本当に⋯⋯僕がエルの婚約者でも、いいんですか?」


 ならば少し踏み込んで話をしてみよう。


「なぜ?」


 エユレユさんが訊ね、シイクさんが首を僅かに傾げる。これは⋯⋯どういう意味の「なぜ?」だろうか。


「いえ、その⋯⋯色々と問題が、ありますし⋯⋯」


「なぜ?」


 会話になっているのだろうかこれは。足りないよ、絶対に言葉が足りていないよ。


 まあ⋯⋯何が問題なのかといえば、まず第一に僕では到底エルに吊り合わないという点を置いておいても、大きな問題がある。


「⋯⋯その、精霊との繋がりが、途絶えてしまうんじゃ⋯⋯」


 万が一、億が一、エルと僕の間に子供が生まれたとしても、精霊と共に生きる事はできないだろう。精霊さんにとって森人族以外の人族のマナは、クソ不味いらしいし。普人族の僕との子供では、精霊との繋がりがなくなってしまうかもしれない。


 それが普通の森人族であれば変わり者で話は済むだろうが、エルは森人族の中でも特別な存在だ。立場もそうだが、一際精霊に愛される彼女のマナは一族の中でも貴重なはず。そこに僕のような人間のマナを混ぜるなど、宝石に唾を吐きかけるような行為だろう。

 本来なら、エルはどう考えても僕と結ばれていいような存在ではない。


「⋯⋯あの子は、特別」


 僅かに、ごく僅かに考え込むような表情を浮かべたエユレユさんに、僕は頷いて同意した。


「ええ、ですから――」


森人族わたしたちに、変化を齎してくれる存在だ」


「え?」


 しかし、どうやら僕の思ったような意味ではなかったらしい。シイクさんが淡々とそう告げた。


「ずっと、思ってた」


「このままでいいのかと」


「多分、森人族はだいたい皆、同じ事を思ってる」


「もっと、自分たちの世界を、広げてみるべきだと」


 エユレユさんとシイクさんは交互に言葉を紡ぐ。それは、意外な事実であった。

 森人族は、シャール大森林から出ようとしているのか。


「でも、同時に⋯⋯皆、このままでもいいか、とも思ってる」


「私たちも、そうだ」


 ふわっとしてんな森人族。結局のところ何かやらなきゃなぁとは思っているけど、別にまあ積極的に変わろうともしていないわけか。ふわっとしてんな森人族。


「誰も⋯⋯やろうとしない」


「このままではダメだと思っているが、それならそれで構わないからだ」


 要するに、どうしてもやる気が出ないわけね。僕かな?

 わかるよ、気持ちが凄く良くわかる。


 何かイメージとかなり異なるが、森人族は基本的に楽観的な種族なのだろう。今が良ければそれで良く、たまに将来を考えて現状を変えなければと思うけども、結局は居心地が良い環境に居れば満足してしまう。可能性に手を伸ばせない面倒くさがりなのだ。


 必要な変化であっても億劫になってしまうその気持ち、良くわかる。のんびりふわふわ生きたい気持ち、良くわかる。

 こういう言い方は良くないだろうが、種族全体がダメ人間気質なのだ。ダメ人間代表の僕が言うんだから間違いない。


 僕の中にあった森人族の神秘的なイメージは見事に消え去っていた。


 森人族は――優れた能力を持ったダメ人間達だ。


 逼迫した状況になったり、誰かがせっつかなければ動こうとしないが、せっつく人間がまず生まれない。無駄に能力はあるため、そうそう逼迫した状況にもならず、現状で満足してしまう――


「それが、森人族わたしたちだった」


 エユレユさんの声と僕の頭の中の考えがぴたりと一致する。確かに変わらなければ、この種族緩やかに滅んでいきそうだ。


「しかし、エルシャンは違う」


 シイクさんが瞳を閉じてそう言った。


「エルシャンは、幼い頃から外の世界に興味を抱いていた。変化のない生活はつまらないと。私たちには理解できなかったが」


「あの子は――森人族の新しい風」


 あながち、僕の突然変異という失礼な喩えは、間違えでもなかったらしい。自分たちでは重い腰を上げられない森人族にとって、エルは希望となり得る存在だ。


「だから私たちは、あの子の選択に、口出ししない」


「エルシャンは、森人族を新たな世界に導いてくれるだろう」


 エユレユさんとシイクさんは、そう言うが⋯⋯しかしだからこそ然るべき相手と結ばれるべきではないのだろうか。僕、森人族より遥かにダメ人間だけど。


「それに⋯⋯精霊との繋がりも、多分問題ない」


「うむ」


「え?」


 エユレユさんが唇に手を当ててそう言うと、シイクさんが頷いた。


「ノイルは、精霊に嫌がらせをされたこと、ある?」


 続けてエユレユさんに訊ねられる。名前で呼ばれた事に少し驚いたが、僕はすぐに首を振った。


「いえ⋯⋯ないですけど⋯⋯」


 多分、普通の人はそんな経験あるわけがない。精霊さんは森人族以外の人族への興味は薄いと聞いている。そんな事をされるのは、よっぽどの事をやらかした人だけだろう。


「なら、大丈夫だ」


「え?」


 シイクさんが無表情で頷いたが、わけがわからなかった。首を傾げていると、エユレユさんとシイクさんは一度顔を見合わせ、僕へと向き直った。


「あの子のマナは、精霊にとって特別」


「精霊も大切に思っている」


 つまり⋯⋯?


「ノイルのマナを子に混ぜたくないなら、あの子の精霊がとっくに嫌がらせをしてる、はず」


「エルシャンが止めても聞かずに、常日頃から陰湿に。全身全霊をかけ、ノイルを拒絶しているはず」


 精霊ってろくでもねぇや、グルメが過ぎる。

 陰湿にて。怖いよ精霊さん。

 しかし⋯⋯それならば何故僕はこれまで嫌がらせを受けていないんだ?


「たまにいる。森人族でなくとも、精霊との親和性が高い人が」


「ノイルのマナは、悪くない味だったんだろう」


 嘘だぁ。薬漬けだよ僕のマナ?

 クソ不味いマナボトルの味じゃないの?


 そしてもし本当にそうだったとしても、いつ味見しやがった。知らない内にマナを食べられた恐怖が僕を襲う。まあ⋯⋯気づかないほどごく少量だったのだろう。舐めた程度だろうか。マナを舐めるって、意味がわからないけど。


「あの子はいい相手を選んだ」


 困惑していると、エユレユさんが相変わらず無表情でそう言った。極上のマナにかけるスパイス的な意味かな?


「安心して、子を成すといい」


 成さないよ。無表情でそんな事を言うんじゃない。


「ええ、当然そのつもりです父様」


 エルはこのタイミングで戻ってくるかぁ。


 絶妙なタイミングで個室に戻ってきたエルとソフィは、僕へと同時に微笑みかける。


「ソフィは何人弟と妹が欲しい?」


「んー、最低十人!」


 ソフィに何を言わせてんだ。ソフィは何を言ってんだ。


 エルは慈しむように演技をしているソフィの頭を撫でながら、僕へと嫣然とした笑みを向ける。


「頑張らないとね、ノイル」


「頑張りません」


 僕が一つ息を吐いてエルに応えると――


「なぜ?」


 エルのご両親にそう問われるのだった。

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