第175話 ミツキ・メイゲツ
その後も僕らの旅行は順調に進んだ。特に急ぐこともなくのんびりと、自由気ままに、楽しみながら。
いくらイーリスト国内といえど、その全てが完璧に整備されているというわけではないので、時折人を襲う魔物と遭遇する事もあったが、そこは流石の《
エイミーの僕への評価も順調に下がった気がする。まあそもそもの期待値が高すぎたのと、僕は普通に過ごしているだけで人に石を投げられ、善良な村の子供たちにリンチされる人間なので、当然の結果だ。しかしそれで僕に呆れてくれれば良かったのだが、エイミーは未だ僕の事を英雄だのなんだのと認識していた。
彼女の頭の中はどうなっているのだろうか。僕がダメな所をいくら見せようが、その内勝手にエイミーの中で理想の相手に脳内変換される。しかし綻びが生まれてきているのも間違いないはずなので、後は麗剣祭で順当に負ければ彼女の幻想は崩れるだろう。
どこまでの効果を齎し、何時まで影響を持つのか不明な《
そんなこんなで王都を発ってから一週間程が経過し、そろそろ友剣の国が見えてくる頃だった。
街道を走っていた僕らの前に、一人の男性が現れたのは。
「⋯⋯⋯⋯」
「ねえお兄ちゃん、あの人⋯⋯何やってるんだろう⋯⋯?」
御者台で僕の隣に腰掛けたテセアが、《
「さあ⋯⋯」
やばい、面倒ごとの匂いがする。
《解析》を使ったテセアが何をしているのか訊ねてきたということは、つまりあの何故か道の真ん中でうつ伏せに倒れている男性は、健康体だということだろう。だからこそテセアはわからないのだ。何故こんな真っ昼間から辺りに何もない場所で倒れているのかが。もし身体に異常があり、やむを得ずに倒れているのならば、テセアは救けようと言うはずだ。
「⋯⋯あの人、寝てるわけでもなさそうだけど」
そうか、寝ているわけでもないのか。起きていて身体に異常もないのに、こんな場所で倒れているのか。触れちゃいけない人だよそれ。
「強そうだし⋯⋯何かに襲われたってわけでもなさそう⋯⋯」
そうか、強そうなのか。
これはあれだな、失礼かもしれないが絶対に変な人だな。
と、その時連絡窓が開き、ひょっこりとソフィが顔を出した。
「如何いたしましたか?」
《高級馬車》が停車している事に気づいたのだろう。小首を傾げてそう訊ねてくる。
「いや、人が倒れてて⋯⋯」
「ソフィの治癒が必要でしょうか?」
「必要ない⋯⋯かな。ただ倒れてるだけみたいだから。そのまま中に居て大丈夫だよ」
「何ですか! 何か事件があったんですか!? ひゃー! やっときたー!」
ソフィと話していると、更に奥からはエイミーの喜びに満ちたような声が聞こえてきた。僕は眉間を押さえてソフィにお願いする。
「できたら、エイミーを大人しくさせてて」
「かしこまりました」
ソフィが頷いて連絡窓を閉じると、中からは何やら暴れるような物音が聞こえ、やがて静かになった。エイミーも少しは抵抗したらしい。
「それで、どうするのお兄ちゃん?」
テセアに問われ、僕は顎に手を当てて眉を顰めた。本音を言えば、無視したい。関わってはいけないと僕の勘は告げているし、こういった時の僕の勘は当たるのだ。というより、状況的に見ても明らかにまともじゃない。テセアが危険だと言わないという事は、何らかの罠や悪意を持った相手ではないのだろうが、普通の人でもないはずだ。
しかし、だ。テセアの前で倒れている人間を無視などしていいのだろうか。それは彼女にあまり良くない影響を与えかねない。テセアが僕のような人間になるのは避けなければならないのだ。
「⋯⋯⋯⋯背に腹は代えられない、か⋯⋯」
「え?」
苦渋の決断を迫られた僕は、そう呟いてテセアを見る。
「とりあえず、声だけかけてみよう」
「うん、そうだね」
頷いたテセアと共に御者台から降り、一応慎重に倒れている人物に歩み寄る。近づいてみると、何やらやたらひらひらとしたような服を着ているのだとわかった。袴だったか着物だったか。イーリストでは畳と同じくらいあまり見ない服装だ。しかし独特のアレンジがされているらしく、動き安さを求めたのだろうか。下は足首の辺りで締まった幅広のズボンにブーツと、まるで異国の文化を混ぜ合わせた様な格好だ。
「あのー⋯⋯どうかされましたか?」
特殊な服装で更に声をかけるのが躊躇われたが、もう近づいてしまったので恐る恐る僕はそう問いかけた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯て」
声ちっちゃ。
しかし一応返事はあった。屈み込み、耳を寄せる。
「あの、すみません。聞こえなくて」
「ぁぁ⋯⋯」
倒れている男性は微動だにしないまま、相変わらず声は小さいが、先程よりははっきりと聞き取れる程の声を発する。
「すみません⋯⋯動くのが⋯⋯面倒くさくなって⋯⋯」
「あ、はい」
「それで⋯⋯止まったら⋯⋯今度は立ってるのも⋯⋯面倒で⋯⋯」
「あ、はい」
「座ったら⋯⋯それも⋯⋯」
「あ、はい」
「なんか⋯⋯生きてるのも⋯⋯面倒だな⋯⋯って⋯⋯思ってた⋯⋯ところ⋯⋯です⋯⋯」
「あ、はい」
彼の話を聞き終えた僕は、ゆっくりと立ちあがり困惑している様子のテセアの頭を撫でた。
「行こうか」
これ、やっぱり関わるべき人じゃないや。
僕以上にやる気の感じられない人物など、初めて見たかもしれない。
「え、でも⋯⋯」
「テセア、多分この人は救けなくても大丈夫」
「息も⋯⋯面倒だな⋯⋯」
テセアにそう言って微笑みかけると、ぼそぼそとした声が聞こえてくる。テセアは目を細めて眉根を寄せた。多分僕も同じような顔をしているだろう。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
死んだ?
僕は完全に沈黙してしまった男性を見て、そう思った。
「本当に息してない⋯⋯」
テセアが信じられないものを見たかのように目を見開く。
流石に放置できないので、僕は再度屈み込み男性の肩を揺すった。
「あの」
「⋯⋯⋯⋯」
「あのー」
「⋯⋯⋯⋯お構いなく」
いや構うよ。
目の前で怠惰な自殺をしようとしている人を見たら、流石の僕でも構うよ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「息しないと死んじゃいますって」
「⋯⋯生きるって⋯⋯大変ですね⋯⋯やっぱり面倒だな⋯⋯」
呼吸するだけで?
どうやって今まで生きてきたんだこの人。怠惰とかもうそういうレベルではない。
一応男性は呼吸は再開したようだが、一向に動く気配が見られない。こうなったら本気でお手上げだろう。一体どうしろというんだこんな人。見捨てても悪くないような気がしてきた。ほら、優しく純粋なテセアも置いていくか本気で悩んでるような顔になってる。
「おや、そちらにいらっしゃるのは、ミツキ様でしょうか」
僕らが困っていると、背後からソフィの声が聞こえてきた。振り返ると、彼女は《高級馬車》から降りて唇に手を当てながら僕たちの方へと歩いてくる。僕らが戻ってこないので、外の様子を確認しにきたのだろう。
ミツキ様と呼ばれた男性が、初めてピクリと動いた。
「ソフィ、この人を知ってるの?」
「はい、存じております」
ソフィが知っているという事は、嫌な予感がする。僕はエイミーをどうしたのか訊ねるより先に、恐る恐る歩み寄ってきたソフィに訊いてみた。
「もしかして、
「はい、オウカ国出身の、イーリストで活動していらっしゃる採掘者で、ランクはA。ご姉弟で『月下美麗』というパーティを組まれており、そのリーダーを務めていらっしゃいます」
オウカ国といえば、小国でありながら独自の文化を築いており、イーリストを始め複数の大国と国交を結んでいる国だったか。なるほど、それでこの服装なわけだ。見事に融和している。
まあそんな事より、今ソフィは何と言った?
採掘者でランクA? パーティリーダー? はは、やっぱり関わるべき相手ではないじゃないか。ほうらね、僕の勘は当たるんだ。やっちまったぜ。
冷静に考えてみれば、この時期にこの地域をうろついているという事は、採掘者である可能性も高い。テセアが強そうと言っていた時点でもう少し警戒するべきだったんだ。これが平和ボケってやつか。この一週間が穏便過ぎたせいだ。
僕はそっとソフィの背後に隠れた。
「お兄ちゃん⋯⋯それはちょっと⋯⋯」
しまった。テセアにがっくりと肩を落とされてしまった。採掘者に関わりたくなさすぎて咄嗟にソフィに隠れてしまったが、客観的に見てあまりにも情けない行動だ。しかし僕は動かない。こうなったら元より僅かな兄の威厳も捨てよう。それに呆れているなら大丈夫だ。テセアは僕を反面教師にしてすくすく育つ。僕は兄としての役目を果たしている。
「ご安心くださいだ⋯⋯ノイル様。ミツキ様はだ⋯⋯ノイル様がご想像なさっているような採掘者ではありせんので。どちらかといえば、だ⋯⋯ノイル様と気の合うお方かと」
「もう普通に名前呼ぼうよ」
やっぱりわざとやってるでしょ。
あと、頭を撫でないでほしいかな。僕が悪いんだけどさ。流石に悲しくなってくる。
「⋯⋯『
非常にノロノロと、気怠そうにミツキさんが身体を起こした。ふらふらと立ち上がった彼は、ゆっくりと僕らへ振り返る。男性にしては少し長いサラサラの黒みがかった銀色の髪が揺れる。
金に近い黄色の瞳は、死んでいるように見えるにも関わらず輝いていた。元がいいのだろう。僕ではこうはならない。アンニュイな魅力のある可愛らしい⋯⋯ん?
「テセア、男の人なんだよね?」
「うん、間違いないけど⋯⋯」
思わずテセアに確認すると、彼女も驚いたような表情をしていた。
「ああ⋯⋯よく間違われるんです⋯⋯ごめん面倒だから⋯⋯敬語じゃなくていい?」
声もぼそぼそと喋っているためわかりづらいが、こうして改めて聞くとかなり高い。
呆気に取られていた僕とテセアは、彼の言葉に頷いた。
変革者程ではないが⋯⋯いや、変革者はそもそもどちらかわからないが、ミツキさんも一見すると⋯⋯いやよく見ても女性にしか見えない。細い体躯に僕よりも小柄で⋯⋯嘘だろ、女性だよこの人。
「君たちも、敬語じゃなくていいからね。多分自分が歳上だけど」
「あ、はい」
嘘だろ僕より歳上なのか。
もう何も信じられなくなってきた。
僕とテセアが再度頷くと、ミツキさんはそう言ってへたりと地面に座り込んだ。
しかし一人称が⋯⋯変革者と同じだな。別に珍しいという程のものではないが、もしかしてオウカ国と変革者は繋がりがあるのだろうか。『
「ふぅ⋯⋯⋯⋯なるほど、じゃあ多分君が噂のノイル・アーレンスか。自分は『ミツキ・メイゲツ』よろしくね」
「あ、はい。よろしくお願いし⋯⋯よろしく」
「やりにくかったらどっちでもいいよ。そっちの君は?」
「テセア・アーレンス。妹です」
「そう⋯⋯可愛らしい妹さんだね」
お目が高い。
特に僕に興味があるわけでもなさそうだし、ソフィの言った通り彼とはマブダチになれそうだ。しかし一瞬表情が陰ったように見えたのは気のせいだろうか。
ミツキさ――ミツキはそのまま仰向けに倒れ込んだ。
「自分もさ⋯⋯姉がね⋯⋯⋯⋯姉さんたちに⋯⋯麗剣祭に⋯⋯出ろって⋯⋯言われて⋯⋯」
なるほど、彼は何やら苦労しているらしい。喋るのも面倒になってきたのか、言葉がかなり途切れ途切れだが、なんとなく言いたい事はわかった。それは表情も陰るだろう。
「⋯⋯酷いよね。友剣の国まで⋯⋯乗り物を⋯⋯使うなって」
「え? じゃあイーリストからここまでもしかして⋯⋯」
「うん⋯⋯徒歩」
「うわぁ⋯⋯」
「まあ⋯⋯自分のやる気が⋯⋯なさすぎる⋯⋯せいだけど⋯⋯ここで⋯⋯何もかも⋯⋯嫌に⋯⋯なって⋯⋯」
この人は、本当にランクAの採掘者でパーティリーダーなのだろうか。全く覇気を感じない。
「⋯⋯死ぬのも、いいかなって⋯⋯生きるために⋯⋯働くのは⋯⋯もう、疲れたんだ⋯⋯」
ああ、ソフィが気が合うと言ったのが理解できた。考え方が僕と似ている。もっとも、僕は流石にこんなに軽い気持ちで死のうとはしないが。確かにこの人なら採掘者でも気軽に接することができそうだ。
「『月下美麗』は【
「ああ⋯⋯姉さんたちの⋯⋯おかげで、ね⋯⋯逃げるしか⋯⋯できなかったけど⋯⋯」
ソフィがそう言いながら頭を下げると、ミツキは目を閉じてぽつりと呟く。父さんからたまに聞かされたにわか知識しかない僕には、よく意味がわからなかった。
「ソフィ、迷宮の暴威って何?」
「クールタイムとは真逆の現象で、極稀にしか起こりませんが採掘跡の神獣が全て凶暴化し、数も異常な程に増える現象です。酷い場合は、採掘跡自体の形状も変化する事があります。原因は溜まりすぎたマナストーンの暴走だと言われていますが、真偽は定かではありません。採掘者の間では、遭遇すれば適正危険度の採掘跡でも、まず生きては帰れないと恐れられています」
「⋯⋯そんなにやばいの?」
「おそらく⋯⋯『
つまり危険度AならS?
もう二度と採掘跡になんか潜らないぞ僕は。
「ただ、ここ数十、いえ数百年の間でも数える程しか起こっていない本当に稀少な現象ですので、採掘跡を攻略中に突発的に巻き込まれる事など奇跡的な確率でしょう」
「⋯⋯自分は⋯⋯運が悪いんだ⋯⋯日頃の行いのせいで⋯⋯」
いつの間にか、ミツキは再びうつ伏せになっていた。彼の様子からして【砂城】の危険度はAなのだろう。不幸というレベルではない。本当によく生きて帰れたものだ。
そんなのに巻き込まれた後に、麗剣祭に出場させられるのか。
「『精霊王』さんが出るなら⋯⋯自分なんか⋯⋯死ぬだけだよ⋯⋯」
同情してしまう。でもエルはそこまでやらないから大丈夫だよ。
「こんな事を申していらっしゃいますが、ミツキ様は『月光』と呼ばれ、マスターと殆ど互角だと評されています」
「え」
嘘だろ。
エルと同等の実力⋯⋯だと⋯⋯? 強者なんてレベルではない。僕は思わず口をあんぐりと開けてうつ伏せに倒れているミツキを見た。テセアも改めて《解析》を発動させている。
「買いかぶりすぎなんだよみんな⋯⋯それに、それはまだルーキーだった頃の⋯⋯『精霊王』さんと比較して⋯⋯の話だし⋯⋯もう⋯⋯足元にも⋯⋯及ばない⋯⋯あ、まだ『精霊王』さんは⋯⋯充分ルーキーか⋯⋯こわぁい⋯⋯もうやだ⋯⋯」
嘘だろ。
この人だって僕と同じ匂いがするもん。
「まあ、ソフィもマスターがずっと上だと思っていますが」
ソフィが得意気に胸を張った。
「そうだよ⋯⋯その通りだし⋯⋯噂じゃ今回は⋯⋯あの伝説の『
僕かな?
気が合うどころか、思考が似通り過ぎている気がする。僕も彼の立場なら同じ事言ってるし、なんなら『絶対者』と聞いておしっこ漏れそうになった。
たしか採掘者史上唯一のランクS採掘者だったっけ。化け物じゃねぇか。【
まあ僕はまず、予選を突破できるかすら怪しいが⋯⋯。
「あのクイン・ルージョンが出場するって、本当ですかぁ!?」
と、僕とミツキがおしっこを漏らしそうになっていると、《高級馬車》から両手両足を縛られたエイミーが大声を上げて飛び出てきた。
マナで聴力を強化していたのか、拘束されながらもしっかり話は聞いていたらしい。ずれた猿轡は気合で外したのだろう。
「あ⋯⋯」
あまりの声の大きさに、エイミー慣れしていないミツキが驚いたのか、身をわずかに震わせ小さな声を漏らす。
僕は――多分、彼は声以外も漏らしたと察するのだった。
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