第174話 取り消し不可


「そうそう、指で糸を押さえて」


「うん」


「竿を振るときに離す。最初はあまり考えないで、竿が前に傾いたくらいでね」


「わかった」


 テセアがこくりと頷き、構えたまーちゃんを振りかぶる。


「あ、ちょっと待って」


 僕はその状態のテセアに待ったをかけ、後ろから左手をテセアの手に添えた。


「真っ直ぐに振りかぶると危ないから、少しだけ斜めに傾けて、顔の横くらいで手を振るイメージで」


「こう?」


「うん、いい感じ。投げる前はちゃんと後ろに何もないか、誰も居ないかを確認して、振りかぶり過ぎないように」


 テセアの手元を誘導しながら教え、構えを修正する。素直にテセアは指示に従ってくれていた。


「うんうん」


「竿自体がしなるから、それを利用して。力み過ぎず、手首を返すくらいで充分飛ぶから」


「わかった!」


 元気よく笑顔で頷いたテセアから離れ、僕は少し緊張しながら彼女を見守る。

 しかし、何も心配は要らなかった。


「えい!」


 少々ぎこちないながらもテセアはまーちゃんを振り、仕掛けは緩やかな放物線を描き川面に着水した。懸念していた仕掛けが絡まるという事も起こらず、思わず僕は小さくガッツポーズをしてしまう。

 テセアが満面の笑みでこちらを振り返った。


「どう?」


「完璧、ナイスキャスト」


「やったぁ」


 僕は拍手したあとテセアに歩み寄る。拍手といっても片腕なので胸の辺りを叩いただけだが。


「ここからはどうするの?」


「少し糸は出したままにして、底に仕掛けがついたら軽く糸が張るまで巻くんだ。ここは流れも緩やかだし、後は特に何かしなくてもいいかな」


「わかった!」


 テセアはじっと糸の先を見つめ、ふにゃりとたわんだ瞬間確認するように僕を見る。頷くと、テセアは真剣な表情でリールを巻いたあと、再度僕を見る。なんとも微笑ましい姿だ。


「これでいい?」


「天才だね」


「えへへ」


 頭を撫でてまーちゃんを受け取り、彼女の力で可愛らしい鈴を竿先に出す。そして手頃な石で立てて固定した。


「後は鈴がなるまで待つだけだから、その間に別の釣りをしよう」


「うん! 楽しみ!」


「和やかッ!!」


 と、その瞬間僕らのやり取りをずっと眺めていたエイミーが叫んだ。

 僕とテセアは驚いて彼女へと視線を向ける。


「え、なに?」


「何で釣りをしてるんですか私たち!」


「え、だって川があったから⋯⋯」


「王都でもできますからッ!! 友剣の国に向かいましょうよぉ!」


 エイミーは被っていたキャスケット帽を地面に叩きつけた。そして、必死な様子で両手を僕たちに向ける。


「何か⋯⋯違うんですよ! 私が想像してた旅と! もっとこう⋯⋯あるじゃないですか! あとやっぱりテセアちゃんとやってる事が、完全に反感買うタイプのカップルのそれなんですよ! 微笑ましい通り越して嫉妬を生み出すやつなんですよぉ! 妹との距離感狂ってませんか!? お互いに大人なんですよ!?」


「そんな事言われても、シアラともこんな感じだし⋯⋯」


「狂ってるんですよそれぇ! 気づいてぇ! 魔装マギスも見せてくれないしぃ!」


「え、じゃあ」


 僕は『私の箱庭マイガーデン』から順番に皆に来てもらい《守護者しゅごしゃ》、《魔法士まほうし》、《変革者へんかくしゃ》を発動させて直ぐに解除していく。そして、再度馬車さんを身体に宿し『私の箱庭』をしまった。


「えーとね《不壊の守護者フエノシュゴシャ》、《滅魔法士メツマホウシ》、《魂の変革者タマシイノヘンカクシャ》だって」


 紋様の表れた盾、色とりどりの魔法瓶マジックボム、輝きを増した腕輪を《解析アナライズ》で見ていたテセアが、僕に新たな魔装名を伝える。

 呆気に取られていた様子だったエイミーは、ぐっと目を閉じて足を鳴らし、再び叫んだ。


「おざなりッ!! 何か凄かったけど凄いおざなり!! 釣りに意識が行っちゃってるんですよもぉ! 私よりぃ!」


 どうやらちらちらまーちゃんを確認していたのが良くなかったらしい。でも仕方ないじゃないか。テセアの初めての一投だ。何があってもアタリを見逃すわけにはいかない。


「わかってるんですかノイルさん! 私がノイルさんのヒロインなんですよ!? 釣りを教えるにしたって私からじゃないですか普通は!!」


 ごめんわかってないや。


 まずいぞ、エイミーが本格的に壊れてきてる。目が血走っている。でもちょっと妄想が過ぎる彼女には、僕という現実をありのまま見せるべきなんだ。理想と現実の差を知って、頭を冷やす必要がある。だから僕は普段通り過ごすよ。対処するのが面倒なわけじゃない。僕はエイミーの事を想って行動しているんだ。

 だからねえ、そろそろ釣りに戻ってもいい?


「おいおい、あんまり騒ぐんじゃねぇよ」


 と、その時物凄く棒読みな声が聞こえてきて、僕らは声の主へと視線を向けた。

 川岸の浅瀬で岩に腰掛けたソフィが、そこに集まっている小魚を、細い木の枝の先端に糸と針を括り付けて釣っている。まーちゃんに魚がかかるまでテセアとあれをやろうと思ってたんだよね。小魚でも引きが楽しめるんだよねあれ。というか僕がソフィに教えた。


 何故か細長い草を咥え、まるでベテランかのように目を細めているソフィは、一匹小魚を釣り上げると、ふっと渋い笑みを浮かべる。


「獲物が逃げちまうだろうが、まったく⋯⋯素人じゃあるめぇし」


「普通に素人ですけど!? 釣りなんてした事ありません! ソフィちゃんのあのキャラは何なんですか!?」


 僕にもわからない。


「まあとりあえずソフィに混ざろうよ」


「まあとりあえず!?」


 ソフィがいい感じに流れを変えてくれたので、僕は手頃な木の枝を探して拾い、ポーチから細い釣り糸と極小の針を取り出して仕掛けを作る。それを二組用意して一つをわくわくした様子のテセアに渡した。


「ちょっと待ってください! 私の! 私のがないです!」


 やるにはやるんだ。


「あ、じゃあこれ」


 てっきりエイミーはやらないものと思っていたので、僕は作った内の一つをエイミーにも渡した。彼女はそれを受け取ると、一瞬笑みを浮かべようとして、直ぐに頭を振る。


「違うんですよぉ! やったぁって思っちゃったじゃないですかぁ!」


「まあまあ、きっと楽しいから」


 そう言って僕は再び木の枝を探し、仕掛けを作る。


「雑! ヒロインの扱いじゃないですこんなの! 大体、私まだノイルさんから小説の感想も聞けてないですよ!」


 テセアと川岸に向かって歩き出すと、エイミーが慌てたようにキャスケット帽を拾って一度叩き、被り直して追いかけてきた。


「あれの感想って⋯⋯」


 川岸に辿り着いた僕は、ソフィが再び小魚を見事に釣り上げて二カリと笑うのを見ながら、一つ息を吐き出した。テセアも顔を顰めている。

 そして、ソフィのように手頃な岩にテセアと共に腰を降ろして、ぽつりと漏らした。


「官能小説だよね、あれ⋯⋯」


 昨夜テセアと一緒に読んでて微妙な空気になったんだからな。どうしてくれる。そういう事に疎いというか鈍いテセアだからこそまだマシだったが、妹と一緒に官能小説を読まされた身にもなってみてほしい。地獄かな?


 いやまあ⋯⋯途中までは良かった。


 簡単に内容を説明するならば、世界を影から救う孤独な主人公を、その事実を知ったヒロインが支え救うというものだ。最初はそれ程親しくなかった二人だが、様々な苦難を乗り越えていく内に、その気持ちは伝えないものの、互いを想い合うようになる。しかし、闇の組織がヒロインへと目をつけ、彼女を守る為に主人公が戦い、辛くも勝利はするが命を落としてしまう――と、ここまでは緊張感もあり楽しんで読めたのだが⋯⋯。


 そこから何故か主人公がヒロインのキスで全快した。死んでいたのに、何の説明もない謎の愛の力で全ての傷が癒えて生き返った。そして二人は結ばれて、ベッドインだ。

 二人の行為は非常に生々しく緻密に書かれており、それまでの話は何だったのかという程にただのエロ小説と化した。


 僕は小説の良し悪しなどわからないが、感想を言うのならば、あれはエロ小説だ。前振りの物語で騙してくる辺り質が悪い。ラストの無駄に長い濡れ場と、主人公の謎の復活さえなければ素直に面白かったと言ったかもしれないが、あれはエロ小説だ。しかも最悪なのが――


「官能小説じゃありません。ちょっと愛し合う部分に力が入りすぎただけで⋯⋯えへへ、モデルはもちろんノイルさんと私ですよ」


 これである。

 モデルというか、普通に主人公の名前がノイルで、ヒロインの名前がエイミーだった。

 しかも、最後の最後で本当の名前が明かされる仕掛けだ。それまで二人の名前は仮のものであり、濃密なラブシーンを読まされた後、真実が明らかになる。何の嫌がらせだ。


 エイミーは照れたようにはにかみながら、ソフィの隣に腰を下ろした。ソフィの前でする話ではないが、まあ彼女なら官能小説という言葉くらい知っているだろう。


「⋯⋯衝撃だったよね」


 テセアがげんなりとした顔で呟き、僕は無言で首肯する。一応最後まで読みたいと言っていたテセアも、最後まで読むと「読まなきゃよかった⋯⋯」と漏らしていた。


「それで、どうでしたか?」


 何で、エイミーはそんなに可愛らしい笑みを向けられるんだろう。とんでもない物を読ませた相手に。


 僕はテセアの仕掛けにエサをつけてあげながら、何を期待しているのかわからないエイミーに応える。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 ごめん応えられなかった。言葉が出てこなかった。


「まあその、面白かったですよ⋯⋯最後とおに⋯⋯主人公がいきなり生き返ったところ以外は⋯⋯」


 見かねたのかテセアが代わりに応えてくれたが、余程ラストが頭と心に刻まれてしまったのか、もはやあの主人公が僕であるという印象が抜けてはくれないらしい。


 テセアの返答に、エイミーは微妙な表情を浮かべて顎に手を当てた。


「あー⋯⋯やっぱりノイルさんが生き返る辺りは唐突すぎますよね」


 ノイルさんとかいうのやめてくれない?


「でも、私ハッピーエンドが好きなんです」


 エイミーは苦笑しながらそう言った。


「それならば、最初からお話の着地点を幸せな結末に定めた上で、整合性を持たせれば良いのではないですか? 何故そうなさらないのでしょうか?」


 ソフィが坦々と訊ねるとエイミーはぐっと、痛い所を突かれたとばかりに顔を歪め、大きな息を吐いて肩を落とした。


「それは⋯⋯単に私の能力不足といいますか⋯⋯」


「そうでしたか。入れ食いだぜぇ」


 エイミーの話作りにダメ出ししたわけではなく、単純に疑問に思っていただけなのだろう。ソフィはエイミーの言葉を聞くと、直ぐに謎のキャラへと戻り小魚を釣り上げた。


「うぅ⋯⋯頑張ります⋯⋯」


「おう、ここは穴場だぜぇ」


 落ち込んだ様子のエイミーの肩を、ソフィがぽんと叩く。でもソフィ、釣りのことじゃないよ。


「はぁ⋯⋯小説もだけど⋯⋯何でノイルさんには《夢物語ハピネスストーリー》の効果があんまりないんですかね」


 集まっている小魚の上に静かに仕掛けを落とすようテセアに教えていると、エイミーは即席の釣り竿を弄りながら呟いた。


「あれからも⋯⋯色々と書いてるのになぁ⋯⋯」


 そして、じっとこちらを見つめてくるエイミーと目を合わせないように、僕はテセアにだけ集中する。一体何を書いているのかは知らないし、知ってはいけない気がした。というか、無駄に使っちゃだめだよあんなに貴重な魔装を。


 やはり店長に頼んで、自身の血をインク代わりにする羽ペンの魔導具、『吸血羽ヴァンプフェザー』をエイミーに譲ってもらったのは間違いだったかもしれない。毎回自身の指を切って血を流すなどあまりにも痛々しそうだったし、店長は『吸血羽』の存在すら忘れていたので丁度いいと思ったのだが、余計な物を与えてしまった気がする。


 《夢物語》がどこまでの効果を齎すのかは未知数だが、幸い僕はエイミーに⋯⋯ん? さっきあんまりって言った? あんまりって事は、《夢物語》に何か僕の事を書いてそれが現実になったのか?


 だとすれば、あの狂ったように書き綴られた《夢物語》の半分程を埋める言葉も、何かのきっかけがあれば、未来で現実になる可能性はあるということなのか⋯⋯?

 そうなりやすくなるというのは、可能性さえあれば何時までも効果が続くのか⋯⋯?


 エイミーは《夢物語》のページが全て埋まると「使えなくなる」とは言ったが、消えるとは・・・・・言っていない・・・・・・。一度創造した魔装は基本的には消えることはない。

 つまり、書かれた事も全て残るわけだ。《夢物語》はあくまでそうなりやすくなる魔装。しかし、その効果は永続する⋯⋯?


 ⋯⋯⋯⋯いや、まさかな⋯⋯はは⋯⋯えぇ⋯⋯こわぁ⋯⋯だとしたらその魔装こわぁ⋯⋯。


 僕は内心の恐怖を抑え、ちらとエイミーを見る。彼女は――じっとこちらを見つめたままだった。


 背筋に寒気を感じた瞬間、辺りに鈴の音が鳴り響く。


「て、テセア!」


「う、うん」


 反射的に嫌な想像を振り払って立ちあがり、テセアを連れて急いでまーちゃんへと向かう。その間も、ずっとエイミーの視線は僕へと逸らさず向けられていた。

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