第173話 愉快な旅路
「じゃあじゃあ! ノイルさんは
初日の目標としていた街に辿り着き、僕らは酒場の併設されている宿で夕食を摂っていた。
板張りの床と壁に木製の丸テーブルと丸椅子が複数組並べられた店内は、天井から吊るされたいくつものカンテラが温かく照らしている。高くも安くもない宿だが、騒がし過ぎず賑わっており、どこか家庭的な雰囲気は旅の疲れを癒やしてくれていた。
まあ、正直疲れてなどいないわけだが。
《
直ぐに街へと到着した僕らは、夜まで観光していただけである。王都から離れたこの街には雨も降っていないので、実に快適な時間だった。何よりテセアが終始楽しそうにしていたのがいい。
《高級馬車》の性能ならば当初の予定よりも早く友剣の国へと到着できそうだが、やはり予定通りに行こう。道中の街をテセア、ソフィと観光しながら進もう。幸せを噛み締めよう。
しかし問題なのは――
「見せてください!」
この人だ。
《高級馬車》を目にして若干落胆した様子だったエイミーさんは、街に着く頃には、というより実際乗ってすぐに元気を取り戻していた。そのあまりの乗り心地の良さと速度に虜となってしまったのだろう。道中では度々窓から顔を出し「ひゃー! はやーい!」とはしゃいでいた。正直僕の評価は下がったままで良かったのだが、彼女はすっかり元通りだ。
もっとも、エイミーさんの行動が全て問題なわけではない。むしろどちらかといえばかなり常識的である。街を観光している時も問題行動は起こさなかった。ただ、僕に対してぐいぐい来すぎる。終始質問の嵐だし、隙きあらば触ろうとしてくるし、時にこうして無茶な要求をしてくる。こんな場所で無駄に魔装を発動させたくない。
「正確には、八つ、ですね」
今ではこうして見かねたソフィが代わりに受け応えしてくれるほどになっていた。
僕の左隣に座ったソフィは、上品に口元をナプキンで拭いながら坦々と告げる。
ソフィはもはやトレードマークとなっているいつものメイド服は着ておらず、エルに作ってもらったらしい胸元にタイのついた丈の短いブラウスとスカートを身に着けていた。肩から下げたポシェットもエルのお手製らしい。髪は後ろで一纏めにし、前髪はピンで留めている。
普段のメイド姿を見慣れているだけあって、かなり受ける印象が変わってくる。これならば例え『
悪目立ちしないようにしてくれたのはありがたいが、可愛らしいポシェットにデフォルメされたエルと僕が刺繍されているのは気のせいだろうか。キスをしているのは気のせいだろうか。一見するとそういうデザインにしか見えないのがまたリアクションに困る。プロの仕事だ。
「七つの魔装と、その内六つをかけ合わせた魔装、計八つです」
「ほわぁぁ」
ほわぁぁて。
ソフィの説明を聞いたエイミーさんが、両手を頬に当ててとろんとした目を僕に向ける。
ほわぁぁて。
「まあ⋯⋯どれも僕一人の力じゃないから⋯⋯」
僕は正面のエイミーさんから顔を逸らしたくなり、右隣に座るテセアを見た。
幸せそうにお肉を切り分けて頬張っている。テセアは初めての旅行を満喫しているようで、ずっとご機嫌だ。
彼女の服装はシアラ同様黒を基調としたものだが、シアラとは違いスカートを履いている。色々と服を購入した中でも、やはりシアラと殆どお揃いの物がお気に入りのようで、最近のテセアはよくこの服装をしていた。
僕としてはテセアの性格的にはもっと明るい服装も似合うのではと思うのだが、本人が気に入った物を着るのが一番だ。それに、テセアは何を着ていてもかわいい。
「では、見せてください!」
ではじゃない。
僕は一つ息を吐き、わくわくした様子のエイミーさんに向き直る。
「また今度で⋯⋯」
そう言いながら誤魔化すように水を飲むと、エイミーさんは酷くがっかりしたように眉尻を下げた。
「えー」
そんな顔をされてもやらないよ。僕はやらない。と、ソフィが何か言いたげにこちらを見ている事に気づく。
「何? ソフィ」
「少々よろしいでしょうか」
「ん?」
「お耳を」
ソフィがこちらに身を寄せながらそう言ったので、僕もソフィの方に頭を寄せた。
「ふぅ」
「ほわぁぁ」
突然耳に息を吹きかけられ、僕は思わず声を上げる。ばっと耳を押さえてソフィを見ると、彼女は僕にピースサインを向けていた。
「申し訳ございません。冗談です」
「あ、はい」
「では、お耳を」
「あ、はい」
今度は恐る恐る頭を寄せると彼女は耳元で囁いた。
「一度お見せしたほうが、エイミー様も落ち着かれるかと」
「あ、はい」
一回冗談挟む必要あった?
相変わらずよくわからないタイミングで、よくわからないユーモアを発揮してくるソフィから離れ、僕は顎に手を当てた。正面ではエイミーさんが僕らのやり取りを首を傾げて見ている。テセアは次は何を食べようかとテーブルに並んだ料理を前に、可愛らしい舌なめずりをしていた。
まあ、エイミーさんは見ればとりあえず満足はするだろう。確かにソフィの言う通りだ。
ポーチに入れていた『
「じゃあ、一つだけ」
「やったぁ!」
僕がそう言うと、エイミーさんが立ち上がりテーブルに手をついて身を乗り出した。
苦笑しながら、一度周囲を確認し僕は魔装を発動させる。
多分この魔装が一番目立たないだろう。
静かに魔装を発動させた僕の左手の薬指には、金の指輪が嵌っていた。以前と違い青い宝石があしらわれている。しかし、利き手を失った影響で左手に発現するようになったのはいいが、何もその指じゃなくてもいいと思う。いや、前も薬指ではあったけども。
まあとにかく無事に発現した魔装を、僕は左手を持ち上げてエイミーさんへと見せた。
彼女ははっと目を見開き、次第に頬を染めて瞳を潤ませる。
「⋯⋯ノイルさん、もう結婚指輪を準備してくれていたんですね」
「これは《
何か言い始めたエイミーさんの言葉を無視して、僕は魔装の説明をした。
「え? ああ、なるほど」
エイミーさんは納得したようにぽんと手を打つ。何だろうな、魔装を見せるって言ったよね僕。魔装を見せてって言ったよねエイミーさん。
確かに紛らわしい指に嵌ってはいるが、わからない。エイミーさんの思考回路がわからない。
そっと僕の左手へと伸ばされたエイミーさんの手を、ソフィがペしりと叩いた。
「いたっ⋯⋯くない」
しかし痛みはなかったらしい。エイミーさんはぽつりとそう呟くと、諦めたのか触れる事なくじっと《癒し手》を眺める。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯傷を治すのは、素敵な力ですね」
「はい、ソフィも以前命を救っていただきましたが、その回復力と速度はソフィを遥かに上回るでしょう」
癒し手さんの力は凄いとはいえ、ソフィの少々褒めすぎな説明を受けたエイミーさんは、一度「いいなぁ⋯⋯私も命救われたい⋯⋯」と呟く。
そうほいほい救われたがるものじゃないよ、命って。
そして、しばし真剣な表情で《癒し手》を見つめた後、ぽつりと尋ねてきた。
「⋯⋯⋯⋯これで『
どうやるんだよ。
傷を癒やす魔装なんだってこれは。
「いや⋯⋯違いますけど⋯⋯」
「ですよね。もっとこう⋯⋯格好良いやつのはずですもんね」
しかしエイミーさんも本気で訊いていたわけではないらしく、大人しく椅子に座り直した。格好良いやつとかそういう問題ではないが。
「お兄ちゃん」
「ん?」
それと同時にテセアにちょいちょいと優しく肩の辺りを叩かれる。見れば、いつの間にかテセアは《
「その魔装は《
また《解析》が名前を伝えてきたのか、テセアはそう言った。意思があるらしい《解析》は、命名が趣味なのかもしれない。いっそのこと強化された魔装全てに名をつけてもらおうか。多分僕よりセンスはいいだろうし、元の魔装名は残した上で命名してくれているし。
しかしまあ⋯⋯《高級馬車》との差があまりにも酷い気がする。冷静に考えてみると、《高級馬車》て。的確だけども。
「そっか、じゃあそうするよ」
「ノイルさん! 私、『浮遊都市』を落とした魔装が見たいんです!」
「⋯⋯⋯⋯」
テセアに笑みを向けていると、エイミーさんが先程と同じように再び立ち上がり、懇願するかのような瞳を向けてくる。勢いは凄いのに、しっかり周囲に聞こえないように配慮した声の大きさだ。
「外に行きましょう!」
まだ僕見せるって言ってないよ?
外には出ないからね。
それに、『浮遊都市』と戦った魔装はどちらにしろ見せたくても見せられない。
《
僕は一つ息を吐き、エイミーさんに応える。
「はぁ⋯⋯あの、それは今使えないんですよ。だから――」
「条件付きの能力なんですね!」
「あ、はい」
「なるほどなるほど⋯⋯」
エイミーさんは大人しく椅子に座ると、何やら呟きながらメモ帳に書き込み始める。そして少しの間を置いて、満足げに顔を上げた。
「では、外に行きましょう!」
「なんで?」
どうしてそうなるかな。見せられないって言ったよね。何をしに外に行くの。
ソフィが静かに頭を振り、お手上げ、という芝居がかったわかりやすいジェスチャーをしていた。
「戦闘用の魔装を見せてください! あるはずですよね! 何時でも発動できるやつも!」
止められねぇな、この人。
仕方ない⋯⋯でも面倒だからわざわざ外には行きたくない。
僕はエイミーさんに向かって指を一本立てた。
「⋯⋯わかりましたエイミーさん。でも、約束してください。今日はこれで最後です」
「はい! じゃあノイルさんも約束してください! 今後は私をエイミーと呼ぶって!」
おや? おかしいな。
何故僕も条件を提示されるのかな?
この世界は不思議だ。
まあ⋯⋯それくらいなら別に構わないだろう。
一度目を細めた僕は、頭を振って『私の箱庭』を再び取り出し。目立たないように癒し手さんに中に戻ってもらう。そして狩人ちゃんを呼び出した。
戦闘用で一番目立たない魔装は間違いなく《
周囲を確認し、誰もこちらに注目していない事を確認した僕は、《狩人》を発動させた。
暗色のフードがついた衣。変化した部分は、口元を覆える布が首周りに追加された事と、短剣の刃と弓が薄紫の輝きを宿した事くらいだろうか。当然ながら今は武器は発現させていないので、一見すると地味な服装の男にしか見えないだろう。
しかし、エイミーさんは一度目を見開くと、ごしごしと擦る。
「⋯⋯一瞬、見失ったかと⋯⋯目の前に居たのに」
そして呆然としたようにそう言った。
強化された《狩人》の隠密性がそう錯覚させたらしい。
エイミーさんは瞳を輝かせる。
「それは、どんな魔装なんですか?」
「不意打ち用ですね」
「え」
僕が答えると、エイミーさんが困惑したような表情を浮かべた。しかし実際そうなのだから仕方ない。《狩人》は戦闘用ではあるが、元は戦闘にならないために生み出した魔装だ。
「あと、隠れたり」
「え」
「逃走にも便利ですよ」
「⋯⋯⋯⋯地味で、卑怯、ですね」
「あ、はい」
エイミーさんのテンションが見る見る内に落ちていく。もっと勇ましいものを期待していたのかもしれないが、僕は彼女の言った通り地味で卑怯な男だから仕方ない。これが最もよく使う魔装だと言ったらどうなるのだろうか。
「⋯⋯思ってたのと違う⋯⋯」
エイミーさんが肩を落とした。まあ《狩人》は正面から敵と向き合っても優秀なのだが、それはあえて言わないでおく。申し訳ないが幻滅してくれた方が助かるからだ。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「《
「なるほど」
そうこうしている内に、テセアの《解析》はまた新たな魔装名を考えてくれたらしい。僕はテセアの頭を撫でておいた。
「⋯⋯でも、これはこれで⋯⋯こういうのも、あり、かな」
僕が《影の狩人》を解除したタイミングで、エイミーさんはぽつりとそう呟く。
なしで良かったのに。
「それにまだ他にもありますもんね!」
エイミーさんは元気になってしまった。
「明日辺り、また他の魔装を見せてくださいね!」
「あ、はい」
もう僕は諦めてとりあえず頷いておいた。そして食事を再開しようとして、殆どの料理が食べられている事に気づく。
テセアが幸せそうな顔をしていた。たくさんお食べ、仕事の経費として店長から旅費は受け取ってるからね。
あまり食べていないが、その顔だけでお腹いっぱいになった僕は、満足して立ち上がり、伸びをした。
「もういい時間だし、僕はそろそろお風呂に入って寝るよ。皆はどうする?」
「あ、それじゃあ私も同じ部屋で」
「いや、エイミーさんは⋯⋯」
「エイミー」
「あ、はい」
立ち上がったエイミーさん――エイミーにそう言われ、僕は言い直した。
「エイミーは別室だよね」
部屋割りは僕とテセア。ソフィとエイミーのはずだ。何で当然のように同じ部屋に来ようとするのかな。
僕が至ってまともな指摘をすると、エイミーは頬を膨らませた。
「だって⋯⋯テセアちゃんばっかりずるいじゃないですか」
「え?」
テセアがぱちくりと瞳を瞬かせる。
「今日一日見てて、話を聞いて、思ったんですよ。⋯⋯救ってもらって、愛されて、大切にされて、可愛がられて、いつも近くに居て⋯⋯嫌味もないし⋯⋯純粋だし⋯⋯おかしい、おかしいんですよ! 私がヒロインなのに! 何なんですか正統派ヒロインですか! 私と被ってるんですよ! 他の人はイロモノみたいなのに! これは! 由々しき事態ですよ! 私が! ノイルさんのヒロインなんですぅ!」
さーて、どこからツッコめばいいんだこれ。
テセアも大層困惑したような表情を浮かべている。
とりあえず、エイミーとテセアは絶対被ってはいないから安心していいよ。
「いや⋯⋯テセアは妹だし⋯⋯」
「血の繋がりはないんですよね! 幼少期から一緒にいたわけでもないし! 可能性はあるもん!」
「ないよ」
「誓ってですか?」
「ないよ」
あるわけないだろう。
妹とはそんな関係にはならない。何でそんな発想が出てきてしまうのか。大体今更だが、ヒロインって何だ。僕は物語の主人公じゃないし、似合わないにも程がある。
「ていうかそもそも僕は恋人いるし」
「釣り竿はヒロインにはなれないから大丈夫です。ノーカウントです」
なんでさ。
釣り竿の何が悪いんだ。まーちゃんは完璧なんだぞ。なんで何度も恋人が居ると言っても理解してくれないのかちっともわからない。
「まあ、そのような事は関係なく、エイミー様をだ⋯⋯ノイル様のお部屋には行かせません。このソフィが」
ソフィが手を当てた胸を張る。皆に僕の事を任されている彼女は、使命感に燃えていた。ここまでも一切エイミーを僕に触れさせてすらいない。
エイミーが不服そうな表情でソフィを見みたが、今日一日で彼女には敵わないとわかっているのだろう。諦めたように一度息を吐き出すと、近くに置いていた荷物から何かを取り出した。
「なら、せめてこれを⋯⋯読んでください」
僕へと差し出された一冊の本を素早くソフィが手に取り、どこからか取り出した虫めがねを使いためつすがめつする。
「テセア様」
「あ、はい」
エイミーに呆れていたのか、目を細めて渋い表情をしていたテセアが《解析》を通して本を見る。
「変なとこないよ」
「ご協力感謝致します」
そうしてソフィチェックを経た本は、彼女の手から改めて僕へと渡された。
「安全なようです」
「あ、はい」
「ソフィちゃんは私を何だと思ってるんですか⋯⋯」
エイミーさんががっくりと肩を落とす中、僕はそこまで厚みのない本をぱらぱらと捲ってみた。
「⋯⋯小説?」
「はい、私が書いた小説です」
「へぇ⋯⋯凄いなぁ」
「読んで、感想を聞かせてください」
僕は基本的には釣りの情報誌くらいしか読まないし、良し悪しなどわからないが⋯⋯まあそれくらいなら別に構わないだろう。
「わかった、部屋で読んでみるよ」
「私だと思ってくださいね」
「あ、はい」
エイミーにそう言われた僕は、もう何もツッコまずにとりあえず頷いておくのだった。
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