第172話 高級馬車
エイミーさんから厄介な依頼を出されてから、数日の準備期間を空けた昼頃。
ぽつぽつと、この時期では比較的に小雨が降る中、僕らは友剣の国へと出発する。
王都の大橋を渡った先に集まっているのは、外套を被ったテセア、ソフィ、それから――
「さあさあ! 元気よく行きましょうノイルさん!」
「あ、はい」
一人テンションの高いエイミーさんだった。
例の水着コンテストの勝者であるテセアとソフィが僕に同行するのはともかくとして、何故エイミーさんも居るのかと言えば、それは彼女が今回の仕事の依頼主であるからだ。
他の皆は各自友剣の国へと向かうらしい。まああの人たち大体皆飛べるし、移動については何の問題もないだろう。加えて僕と違い麗剣祭に乗り気な彼女たちは、各々本番までに神経を研ぎ澄ませたり、調子を万全にしたりと忙しいはずだ。時間にもあまり余裕はない。
僕は仕事で仕方なく参加するだけなので、殊更に己を高めたりはしない。というより、そんな事した事がないのでやり方もわからない。変装には力を入れるが、まあなるようになるさ。もう色々と諦めている。
麗剣祭のことを考えると気が重くなるが、基本的には当初の予定通り観光を楽しむつもりだ。
空を飛べない(普通はそれが当たり前だが)ノエルは、シアラに乗せていってもらうそうだ。シアラは大層渋っていたが、放っておくよりはいいと最終的に承諾していた。僕が送っていくよりはマシだということらしい。馬車を適当に借りろとも言われていたが、お金がないそうだ。多分嘘だと思う。ノエルが無駄遣いしているところ見たことないし。宿代出してくれたし。
ミーナに関しては⋯⋯訓練も兼ねて走っていくらしい。意味がわからない。ストイックがすぎる。まあ彼女の体力と速さならば余裕なのだろう。麗剣祭までの調整には丁度いいと言っていた。
エイミーさんが僕に同行する事に皆は納得いっていない様子だったが、エルの精霊による監視とソフィという監督役がつき、加えてテセアによるアリスへの定期連絡、フィオナの《
もはやお気楽な旅行という様相ではないが、まあこれなら友剣の国までは何も事件は起きないだろう。常に監視されている状態なら慣れているし、身の安全が保証されていると思えばいい。
意外だったのは店長で、あの人は何かやる事があるらしく、珍しく別行動だ。水着コンテストの結果など知ったことかと、無理矢理にでも着いてくると思っていたのに、何だか拍子抜けである。何をするつもりなのかは知らないが、何かあればこれを吹けと小さな笛を渡された。これは『
とうとう制限範囲がなくなったのだ。
元気よく手を上げているエイミーさんを一度見やり、僕は木製に見える小さな笛をポーチにしまう。
「それで、どうやって行くんですか?」
エイミーさんは旅行用の荷物を背負い直しながら、不思議そうに小首を傾げる。
馬車などが何処にも見当たらないのが気になるのだろう。
「えっと、僕の
「えぇ!!」
瞳を輝かせたエイミーさんが僕へと詰め寄り、ソフィがその間に手を広げて割って入る。
「お触りは禁止となっております」
流石はソフィ、仕事はきっちりこなすタイプだ。皆に信頼されるだけはある。
エイミーさんは一度不満げに無表情のソフィを見ると、直ぐに僕へと視線を向けた。
「楽しみです! ノイルさんの魔装!」
「あ、はい」
そのままソフィもろとも抱き着こうとしてきたエイミーさんの両腕を、ソフィがはしと掴みあっという間に捻って後ろを向かせる。
「あいたたた!」
「おいたはいけません」
「わかりました! わかりましたぁ!」
両腕を捻り上げられたエイミーさんが涙目で声を上げると、ソフィはぱっと彼女を解放し手を払う。鮮やかな手際だ。かっこいい。
今や店長と同じ原理の身体強化を使えるソフィに、魔装を発現させたとはいえ素人のエイミーさんが敵うわけがない。僕でも素じゃぼこぼこにされそうだ。
「うぅ⋯⋯ちょっとくらいいいじゃないですか⋯⋯」
腕を交互に擦りながら、頬を膨らませて恨めしげな目をエイミーさんはソフィに向ける。
「申し訳ございませんが、だ⋯⋯ノイル様の事をマスターを始め、皆様方にお願いされておりますので」
しかし、成人していないソフィに面倒を見られる僕って何なのだろうと思ってしまう。
僕は鼻をふんふんと鳴らしているソフィの肩に手を置いた。
「ソフィ、僕、大人なんだ」
「⋯⋯? 存じておりますが⋯⋯」
心底不思議そうに首を傾げられたが、本当だろうか。保護対象として見られていないだろうか。不安になってくる。
「そう⋯⋯それならいいんだ。あの、ある程度は自分で何とかできるから⋯⋯あと、止めるときさ、できるだけ痛くしないであげてね」
「はい、善処致します」
「やっぱりノイルさん優しい!」
と、いつの間にか後ろに回り込んでいたらしいエイミーさんが飛びかかってきた。同時に僕はソフィに突然抱きかかえられる。
「きゃあ」
驚いて変な声が出た。
「ふべっ」
僕を抱えたソフィが軽く後方に跳び退り、誰も居なくなった場所にエイミーさんが倒れ込む。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
しばし無言でうつ伏せに倒れるエイミーさんをソフィはじっと見た後、ぽつりと僕に問いかける。
「これでよろしかったでしょうか?」
「よくはないね」
首を傾げるソフィの腕から下り、僕は一つ息を吐いた。
「ソフィ、今のは一人でも何とかできたから⋯⋯」
「ですが、だ⋯⋯ノイル様ならば受け止めていたのではないでしょうか?」
「あ、はい」
まあね、受け止めなかった結果エイミーさんは雨が降る中地面に倒れ込んでるわけだしね。そりゃ止めるよ。
「そういった甘い部分をフォローするように、と仰せつかっておりますので」
「あ、はい。ごめんなさい」
ソフィに注意され、僕はとりあえず謝っておいた。甘いかな⋯⋯普通の事じゃないかな。今のエイミーさんを見てみてよ。可哀想でしょうこれ。
「大丈夫ですか⋯⋯?」
テセアがエイミーさんの側に屈み込み、助け起こしている。テセアに手を取られて立ち上がったエイミーさんは、どろどろの顔を外套の下から取り出したハンカチで静かに拭っていた。
「なるほど」
何がなるほどなんだろう。顔を拭き終えたエイミーさんはそう呟いた。
「私は負けませんから」
可哀想とか思ったの、間違いだったかなぁ⋯⋯。
僕は何やら決意を込めたような瞳をソフィに向けるエイミーさんを見て、そう思った。
不安だな、この旅。
「だ⋯⋯ノイル様には、指一本触れさせません」
別にいいよ、指一本くらい。
しかしソフィにそう言っても意味がなさそうなので、僕は静かに何故か火花を散らしている二人から距離を取る。
というか、ソフィは一体いつになったら呼び間違えなくなるのだろう。あれもうわざとやってない? 別にいいんだけども。
相変わらずソフィのユーモアはよくわからないな、と思いながら僕は左手を前にかざす。
テセアが顔を輝かせながら駆け寄ってきた。かわいい。
「私もそれ初めて見る!」
実のところ、テセアは今朝からずっとそわそわしていた。彼女にとってはこれが初めての旅行なので、楽しみで仕方がないのだろう。かわいい。
まあしかし、《
「申し訳ございません。だ⋯⋯ノイル様。負担をおかけしてしまいます」
「気にしなくていいよ。慣れてるし」
いつの間にか近寄ってきていたソフィがしずしずと頭を下げる。彼女は自分がお金を出して馬車を借りると言ってくれたのだが、そんなことはさせられない。僕よりも遥かにお金持ちだろうが、ソフィにお金を出させるなど、本物のクズになってしまう。というより、そんなの耐えられない。流石の僕でも罪悪感と情けなさで死ぬ。
それに――
「もうマナボトルは飲まなくて良さそうだしね」
今の僕は物凄く体調がいい。マナが身体の中に溢れているのがわかる。理由は単純に今の僕の中に宿っているのが馬車さん一人だけだからだ。他の皆は『
皆が負担になっているなどとは微塵も思わない。むしろこれが僕本来のマナ総量にほど近いというのならば、ちょっと引く。逆に気持ち悪い。体調は頗るいいが落ち着かないにも程がある。
しかし、この状態ならばマナボトルでこまめにマナを回復せずとも済む。そして――やはり魔装も強化されるのだ。
アリスに言われてから『私の箱庭』の中で眠る前に一通り試してみた結果、それぞれの魔装はベースは変わらないものの、劇的に能力が向上する事が判明した。
《
《
《
《
《
簡潔に説明するならばこのような感じだが、実際に発動させるともっと凄い。何より、僕自身のマナがかなり増えた事により、不得手であった長時間の発動も容易になっている。
そして、今回使用する《馬車》は――
「ああ、きっと空だって簡単に飛べるような魔装なんですね!」
ごめん、空は飛べないや。
「だって『
ごめん、ドラゴンは出ないや。
両手を組んで瞳を輝かせているエイミーさんは、ちょっと期待し過ぎである。
「それを身体に纏ったりしちゃったり!? ドラゴンノイル!!」
ごめん、ドラゴンノイルって何?
なんか⋯⋯申し訳なくなってきたな。
ベースは変わってないからね。僕が出すのは不気味な馬が引くちょっと見た目がボロい馬車だよ。決して馬車さんの悪口ではない。
大丈夫だよ、乗り心地は最高だからさ。
「それでは! お願いします!」
両手をばっと前に出したエイミーさんに、僕はとりあえずクールな笑みを向けておいた。エイミーさんが頬を染めて「はわわ」って言った。多分間違えて更に期待値を上げてしまったが、気を取り直して僕はマナを練り上げる。
「魔装――《馬車》」
「はえ?」
何か魔装名を聞いただけでエイミーさんが首を傾げたが、無事に《馬車》は発現した。
真っ赤なたてがみの馬が引く、微妙な外見の馬車。見た目で変化したのは馬のたてがみくらいだろうか。しかしそれも元のデザインが不気味な馬なので、更に気味が悪くなっている気がする。端的に言って、ちょっと怖い。夢に出てきそう。
いつの間にか、可愛らしいメモ帳を取り出していたエイミーさんの目が細められた。
「これ、は⋯⋯?」
「僕の魔装です」
エイミーさんが僕と《馬車》を何度も交互に見た後、難しそうに顔を顰めて額に手を当て俯いた。
概ね予想通りのリアクションだ。だから言ったんだよ。期待し過ぎるとがっかりするって。言ってないか。
けれどこの《馬車》は凄いんだよ? なんと言ってもあのアホみたいだった燃費が改善された。速度もより向上した。
中だってもうふっわふわだ。そんじょそこらの高級ソファやベッドじゃ太刀打ちできない程だと言っても過言ではない。あれは人をダメにする。それに、だ。お絵描きセットが無駄に上質になった。だから何だって? 僕が訊きたい。
⋯⋯⋯⋯そうなのだ。
《馬車》はなんと言うか⋯⋯僕が最初に創り出した時にそこに注力したためなのか、内装だのお絵描きセットだの無駄な所の質が大幅に向上していた。誰が悪いかと言えば、店長が悪い。
馬車さんと僕は何も悪くないんだよ!
燃費が良くなった、それでいいじゃないですか!
エイミーさんが顔を上げて引き吊った笑顔を僕に向ける。
「こ、これで⋯⋯『浮遊都市』と戦ったんですか⋯⋯?」
そんなわけないだろ。
これでどうやって戦うんだ。想像してみてよ。僕はできない。
まあ馬車さんの力が大いに助けになったのは事実なので、僕はとりあえずクールな笑みを浮かべておいた。説明が面倒だったわけではない。
エイミーさんが愕然としたような表情を浮かべ、先程よりも高速に僕と《馬車》を交互に見る。
ソフィはテキパキと荷物を《馬車》に詰め込んでいた。
理解できないという顔をエイミーさんが僕に向ける中、テセアがちょいちょいと肩を叩いてくる。
「ね、お兄ちゃん。私も前に乗っていい?」
「もちろんさ」
即答すると、テセアは「やったぁ」とはにかんだ。かわいい。御者台は乗り心地一切変わってないけど、かわいいからいいや。
「あとね」
「ん?」
テセアが《
「この子が言うには」
テセアの言うこの子、とは《解析》のことだ。ずっと考えていたらしいが、テセアの《解析》には意思がある事が最近わかったらしい。
それに伴い、見える情報――つまりテセアへの伝え方も変化したそうだ。まあその辺りはテセアにしかわからないが、話し相手がほしいという思いが影響したのかもしれないと、テセアは言っていた。
「普通の馬車じゃなくて高級馬車の方がいいだって」
「え、じゃあ今後は《
こうして、呆然とした様子のエイミーさんを置き去りに、強化された《馬車》は《高級馬車》という魔装名になった。
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